北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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別にタイトルのように嘆くほどの感慨はありませんが、、(・・;)
今日も相変わらず何事もないかのように過ごしています。
でも世間を見渡せば決して何事もない平穏な状況ではありませんね。
昨日の竜巻の被害には心底驚きました。
まるで再び震災が起こったかのような光景に明日はわが身かという不安がよぎりました。
何事もない平穏な日常が続くことは決してアタリマエのことではないのですね。
思い返してみると、これまで訳の分からない獣道のような人生をどうにかこうにか30年も生きてきたわけですが、よくこれまで道を踏み外ずしてジ・エンドにならなかったものだと自分でも不思議に思います。
もちろん、これから先も安定した保証は一切無く、極端なはなし明日何事か起きて人生が急変することも十分ありえるわけですから油断も安心もできません。
でも、これまでの生きてきた実感から言えば、常に見えない何者かに守られてきたような感覚が幼い頃からありました。
自分では間違いだらけの選択ばかりしてきたようで、それでも意外なほど行き詰まらずに今のところはほぼ間違いのない方向に進んでいくようで、人生とはほんと不思議なものだと思います。
今まで無駄に悩み続けてきたようで実はそれらの全ては決して無駄ではなく、成り行き任せのようでその時々の自分なりに真剣に考えてきたつもりですし今もそうです。
人様に誇れるようなプライドや自慢できるものは何もありませんが、でもかえって身軽な気持ちで生かされていることに感謝できる自分のあり方に感謝です(^^)
昨日深夜に泊原発3号機が定期検査に入ったことで国内の全原発が停止しました。
たとえそれが一時のことにせよ42年ぶりにすべての原発が停止し、ことに福島第一原発崩壊を経た後のこととしては歴史的な出来事であると思います。
このまますみやかに全原発が廃炉に向かって再生可能エネルギー産業を一気に立ち上げ転換されればどんなに素晴らしいことかと思わずに入られません。
原発はたとえ稼働していなくても、いざ非常事態に見舞われた場合けっして安全な代物ではないことを、他でもない福島第一における4号機の停止中であったにも関わらず保管中の放射性物質が大量にバラ撒かれた事実がはっきりと証明しています。
運転し続ければ大量に核のゴミを出し続けて、その中には数十秒近づいただけで即死に至るものや無害化するまで10万年以上かかるものもあります。
そしてそれらは最終的な行き場は決まっていませんし、それはもしかすると北海道の幌延やそうでなければ炭鉱跡地などにされてしまうかもしれません。
先日、北朝鮮による事実上の弾道ミサイル打ち上げで騒がれていましたが、その破壊力は別にしても放射能汚染の度合いでは原発が崩壊した場合のほうがはるかに深刻な被害が生じることは見逃されがちな事実です。
万一、北からミサイルが飛んできて核が炸裂するよりも日本中の沿岸に立地する原発が潜水艦などに攻撃されるほうがはるかに恐ろしい結果になります。(※現代の潜水艦は技術の進歩によって標的に接近し攻撃するまでほとんど補足されることはないそうです。つまり上記のような攻撃がなされるまで全く反撃の術はなく無防備だということです。)
ともすれば日常の生活の中で忘却しがちですが、あの日あの時人為的不手際によって原爆の数十倍分の放射能物質がバラ撒かれてしまった事実を思い返して噛み締める一日としたいものです。
札幌市営地下鉄南北線3000系電車が本日25日を持って引退しました。
お別れセレモニーが開かれるということで真駒内駅まで駆けつけました。
南北線沿線で生まれ育ったので南北線とそこを走る電車には少なからず思い入れがあります。
子供の頃から慣れ親しんだ3000系電車が姿を消したことに対してにわかに実感が持てませんね。
撮影ポジションを探しながら結局、終点の真駒内駅までやってきました。
セレモニーが行われる先頭部はすでに黒山の人だかりだったので、おとなしく最後部へ向かいました。
これは入線時のカットですが、何とか隙間を見つけて撮れました汗)
きれいな写真はあきらめて、ラストランの雰囲気をじっくり味わうことにしました。
結局、最終運行のうち2度とも乗車して最後は麻生まで乗り通しました。
麻生から一本早く折り返して、生誕地最寄りの某駅で降りて最終列車を待ちました。
そこから本当に最後の乗車をして自衛隊前駅で車庫取り込みまで見送りました。
慣れ親しんだ電車の引退はもう毎度のことながら寂しいものですが、一つの時代の区切りとして立ち会うことができたので良かったです。
ラストランということで人出も相当なものでしたが、終始穏やかな雰囲気で目立った混乱もなく無事終了しました。
興味のないフツーの人たちの目にはは奇妙に写るかもしれませんが、幼い子供連れの親子から老人まで、最近では若い女性ですらも、一つの老いた電車の引退を心から見送るというのはなかなかもって素敵なことではないかと思いました。
札幌市名物ゴムタイヤ地下鉄として34年間走り続けた3000系電車へ心からお疲れ様でした~m(_ _)m
昨年の開業から工事中の野幌駅正面広場ですが、仮説のシートがはがされて正規の外壁が徐々に姿を現し始めました。
意匠はすでに完成している南口側とほぼ同様なようです。
仮説の通路から入る現在の北口から、まもなく正規の出入り口に切り替わる模様です。
駅舎内の待合広場も仮説壁が取り払われてガラス窓に変わりました。昼間から薄暗かった様子から一変して明るい空間になりました。手前は今冬増設された据え置きストーブです。
このほかにも急ピッチで工事が進んでいた中原通りもまもなく開通する見通しで、これで高架工事の主目的である南北交通の改善がはかられることになります。
PS)
まもなく大震災から1年を迎えますが正直なところあまり多くを語れる気持ちにはなれません。ただ、そこで起きた事実を忘れないで意識に留め置く努力ぐらいしかできませんが、一日も早い本格的復興がなされることをお祈りします。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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