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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今までさんざん悪しざまに罵ってきたブツに呆気無く乗り換えてしまいました。


さすがの昭和後期生まれも新時代の趨勢には勝てなかったと言えばそういうことになります。


今日は少し言い訳がましい内容になりそうですが、一応のけじめとして書いておかなければなりません。



 
普段から昭和のアナログ党を自認する者として最も憎むべき、いわば最大の敵とも言えるものに、こうも簡単に乗り換えさせられるとは自分でも驚きです。

ガラケーが絶滅するまで使い倒すつもりでいましたが、とうのケータイ自体が限界を迎えたようです。





ガラケーの皮を被ったスマホであるガラホという選択肢もあったのですが、いざという時に鶴の一声で呆気無くスマートフォンに乗り換えることに決まりました(-_-;)

これまで使っていたガラケーのバッテリーの減りが異様に早く、ひどい時は満充電してから半日と持たずに電源が落ちてしまいます。

もともと中身のプログラムが不安定で、買ってから何度もサービスセンターとの間を往復し、バッテリーを新品に交換しても、しばらくするとまた直ぐに不安定になって元の木阿弥状態でした。

一方で、デジカメのブランドを冠したカメラ機能は大変優れたもので、エクスリム譲りのフォーカスロック付き物理シャッター搭載のおかげで時に動き物さえ撮れるという、並のデジカメと比べても全く遜色のないものでした。

普段使いのメモカメラとして重宝しとても気に入っていたガラケー最強クラスのカメラも、肝心要のバッテリーが持たなければ電話としても用を足さないので泣く泣く退役させることになりました。

どちらにしても機種交換は避けられないことは明白で、ではどうせ変えるなら思い切って今の人たちがフツーに使いこなしているスマホの便利さをあなたも経験してみなさいというお上の判断でした。

数日後には運命が急展開する事態が待ち受けているとは露知らず(大げさな)シルバーウィークの最終日に若干ヘトヘトの体調で隣町のK家電量販店のケータイコーナーで粛々と手続きを済ませてきました。

この時メインだったのは実は親父さんのほうで、仕事の関係で普段から二台使いしているガラケーの片方をメインと同じauに乗り換えれば想像以上にお得な料金でiPhone6に乗り換えられるというキャンペーン中で、それならば善は急げということで忙しい連休中に機種変更の手続きを済ませることになったのです。

そのついでに自分の不調なガラケーも一緒に交換と相成ったのでした。

この時の手続きの煩雑さはには閉口しました。

ガラケーの契約時の手続きの比ではなく、それぞれのプランのメリットとデメリットの説明に始まり、細々としたサービスの違いによる料金発生の違いや、様々な機能や特にセキュリティー関係の説明確認など、ありとあらゆるチェック項目が示された用紙に従って、一つも飛ばして省略することなく順番に潰していくというやり取りを繰り返し、途中で古い他社ケータイの解約手続きに予想以上の時間を要して全部終わる頃にはどっぷり日が暮れていたという有様でした。

こういう煩わしい説明が大の苦手な親父さんは早々に苛々し始めて、申し訳無さそうに説明を続ける店員さんとの間で気まずくならないように間を取り持ちながら、純粋なアナログ人間の親父さんにも分かるようにデジタル用語を通訳しながらだったので、手続きが終わった頃にはドット疲れた上に、それまでずっとやり取りしてきた店員さんとも妙な連帯感が芽生えて何かお互いに達成感のようなものさえ感じました。

夕食の時間も近づきお腹もすいてきた状態でゲンナリしながらお店を後にしたことを覚えています。

帰りの車中で親父さんと話したことですが、ケータイ電話たった二台を機種交換および乗り換えするために、これだけ煩雑で神経衰弱のような手続きを毎回お客さんが来る度に、一人ずつ最初から数時間かけて契約を結ばなければならないのは大変な忍耐を要する仕事だと半ば感心しながらも、オレみたいな昭和のアナログ人間にはとても務まるもんじゃないと感想を述べていました。

店員さんも手続きの途中で言っていましたが、かつて販売奨励金制度のもと0円ケータイをどこもかしこも投げ売りしていた適当な時代とは様変わりして、各種手続きのチェック体制は本当に厳しくなったと話していました。

これはガラケーの時代以上に、スマホの中にクレジットカード情報などの重要な個人情報が集積するようになり、ケータイ会社と利用者との法的な責任関係がよりシビアになったことが大きいように思われます。

システムから販売制度まで日本人が日本人の社会に馴染むように作ったガラケーと異なり、アップルのiPhoneにしてもグーグルのアンドロイドにしても、欧米人が欧米社会を始め世界基準に則った、利用者と企業のあらゆる関係を法的利害関係と契約関係と見なして雁字搦めすることで責任の所在をはっきりさせるという文化風土の違いによって生まれた一種の歪みだと思います。

ビデオの録画予約さえ満足にできない電子機器音痴の親父さんでも時代のトレンドにだけは敏感で、パソコンさえまともに触れたことがないにもかかわらず、本来は中上級者向けのアップル製電話にいきなり背伸びして立ち向かい今現在も悪戦苦闘中です。

かくいう自分も以前に導入したタブレットで経験済みとはいえ、最初に自分で行わなければならない各種機能の初期設定やID登録などを手順を間違えないように慎重に進めていたつもりでしたが、途中なぜか意図しない画面ロックモードの登録画面に進み、そうとは気づかずに気軽に設定を済ませると、今度はその通りにやっても画面が解除できなくなってしまい、緊急電話以外に全く機能が使えなくなってしまいました。
 



焦りながらロック解除を繰り返していると、まるで暗証番号を何回か間違えると窓口へ行かなければならないのと同じように、最初は数分後にやり直してくださいとなって、次は30分後、それでもダメなら今度は1時間後、それを何回か繰り返してもダメでいよいよ焦って何か別な方法で解除できないかと思い、例えばパソコンのアカウントのようにパスワードを忘れた場合はメアドに再設定用通知を送ってもらうとかあるだろうと甘い予想していましたが、そういった二次的救済法は全く無いようで、たまらずカタログに書いてあったサポセンに電話して機械の応答に従っていくも話し中でつながらず、仕方なく藁をも掴む思いで地元のショップに電話してみるも、返ってきた答えは私どもではオール初期化以外にどうすることも出来ませんというものでした。

いや、他に何か手立てはあるでしょうと問いただしても私どもに聞かれましてもサッパリ分かりませんといった按配で、半ばキレかかってクレーマーモードが発動しそうな昂ぶりを抑えつつなおも冷静さを装いながら、オール初期化ではまだバックアップが済んでいないデータが消えてしまい困ることと、再解除を試みたくても失敗する度に再設定までの時間ペナルティが増えてその間電話として全く用をなさないのは問題があるのではないかと訴えました。

来店して初期化をするのは最後の手段として、もしも再解除を試みて失敗し続けた場合、時間ペナルティは最大で何時間になるのかだけ調べてくださいと頼みました。

まさかとは思いますが、そのうち一週間とか、さらに一ヶ月とか、ある一定の限度を超えたら全く受け付けなくなってジ・エンドとかにならないかなどの懸念がありました。

幸いにも時間ペナルティは最長でも24時間ということで一応安堵しました。

とりあえず納得したということで電話を切った後、もう不用意に間違い続けるわけにはいかないので、いったん紙に自分が設定した可能性が高そうなパターンを書き出してから順番に埋めていくことにしました。

5回間違えてはまた一時間待つというのを何回か繰り返した後、書き出したパターンも消化しそうな頃に正解のパターンにようやくたどり着きました。

そんなに難しいパターンを登録した覚えがないのでいずれ何とかなるだろうと思っていましたが、9つの点をなぞっていく際の始点と終点の位置の記憶が曖昧だったことがここまで手こずらされた要因でした。

再びスタンバイモードになる前に画面ロックモードをいの一番に解除したのは言うまでもありません。

それにしても、いかにセキュリティー対策のためとはいえ、利用者が単に解除法を忘れただけで時間的なペナルティまで負わされながら、大元のケータイ会社でも完全初期化以外に救済法がないのは問題ではないかと言わざる負えません。

自分のように時間に追われない立場の人間ならまだしも、仕事のスケジュールに追われる一般の社会人がもしも同じような状況に見舞われたとしたら、ケータイ電話を使って一切の連絡がつかなくなることで大変な社会的損失を被ることだって十分ありうることです。

それでケータイ会社に助けを求めても私共ではどうにも出来ませんでは、きっちり毎月の料金を支払っている利用者に対して無責任すぎますし、それはまるで新車を買ったあと何らかの不具合でディーラーに相談した際にボンネットを開けてみても、私共では何がどうなっているのか全然わからないからお客様の方で何とかしてください、それでもダメならまた別な車にお乗り換えいただきますと言うのと同じくらい不自然なことですよ、ホントに。

たぶん、ケータイ会社と国内のメーカーとの間で完結していたガラケーとは異なり、グーグルが開発したアンドロイドの心臓部の機能については、サードパーティであるケータイ会社は決められた二次利用以外に一切変更できない契約になっているのでしょう。

また、ロック解除をケータイ会社独自のツールで解除できるようにした場合に、利用者のクレジット番号やIDなど悪用したり流出する事態に対してケータイ会社が対応しきれないことと、そういった場合に法的責任を回避するためだと思います。

そうだとしても、世の中にアンドロイドはじめ各種の外国製OSを搭載したスマホやタブレットがこれだけ普及したのだから、何らかの救済方法がとられてもおかしくありませんし、たとえシステムそのものをいじることが出来ないにしても、例えば店頭での注意喚起を徹底するとか、購入後のパンフレットに取扱い上の注意として大きく掲載するなどの予防策が全く見受けられないのはやっぱりケータイ会社の怠慢だと思います。

世の中の先端をいく製品のメリットや便利さなど販売する側にとって印象の良い所ばかりが謳われて、その背後にある不便さや余計な忍耐を強いられるような都合の悪い部分は見えづらいところにあえて隠して、結局は末端の利用者や販売店の負担として押し付けられたまま放置されるというのは、まるで美辞麗句ばかり先行して山積みの問題は無視され続ける昨今のえげつない風潮を象徴しているようです。

そもそも、普通なら用心して嵌らない落とし穴にすっぽりと嵌ってしまったポンコツの自分に一番の要因があるのですが、そこにまるで罰ゲームのように困るような仕組みをあえて絶対に搭載するように決めたグーグルの中のエリート開発者の意地悪な作為さえ感じます。

用心深さが足りないマヌケなヤツはせめて機能をしっかり理解できるまで頭鍛えて出直して来いとまで言われていると思うのは被害妄想がすぎるでしょうか。

こういう機能上の露骨なクセの悪さは純粋な日本製品には見られない性質です。

親父さんにかわって同時に初期設定したりんご電話の方はauが提供する初期設定サービスの途中変更の効かなさ以外は、取り分けて深刻な問題に見舞われることなく無事に設定を終えて手渡すことが出来ました。

自分の物ではないにしろ一通り触ってみて感じたことは、洗練された機能性にユーザーの方が合わせてついて来れるように配慮されているとともに、そうして使いこなせるユーザー自身がどこかで選別されたような、心地よい感じの優位さを感じられる微かな演出がさりげなく散りばめられているような感じがしました。

それら舶来のデジタル製品に対して、なんだかんだ言ってもバックグラウンドに和の武士道精神を持つ日本の技術者が作る製品群は、どれも使い勝手が十分な製品ばかりとは言えませんが、使い手の人の目線や気持ちになった機能を作り上げようとする配慮や思いやりが基本となっています。

使い手に対して複雑で高度な機能にひたすら従順になるよう求めたり、製品自体にそれを使う人たち一人一人が仰ぎ見るようなカリスマ性を持たせようとするなど、自分たちが作った物の方が使う人達を見下ろす位置にある欧米流のモノ造りを日本のメーカーはあまり熱心に真似してほしくないなと思いました。

 
デジタル世代の皮を被ったアナログ時代生まれが早速スマホの世界の洗礼を浴びた形となりましたが、今後もこれにめげることなく新しい文化のツールを学びながら上手く使いこなしていきたいと思います。




PS.)
相変わらず世の中の弊害にばかり目を向けて終わらせるだけでは芸が足りないので少し視点を変えて見えたことを書き足しておこうと思います。最初スマホに全く良い印象を抱かなかったのは、すでにパソコンにインターネットがありケータイも通話とメールに限定的なネット機能が充実している上に、さらに高機能な持ち運べるパソコンが必要なのかという疑問と、当初の料金や端末代金があまりに高額で庶民の金銭感覚ではまったく魅力を感じなかったからです。おまけにその高機能の使い道が単純なゲームとおしゃべり目的のSMSが中心で、個々人の自由になる時間をイタズラに浪費させるばかりの一度のめり込むと依存症を引き起こしかねい代物だったことも初期印象を悪くさせました。でもこういった新しい画期的な情報ツールの普及に際して始めのアレルギー反応は昔からあるもので、僕らの世代が幼少だった頃からテレビゲームばかりやっていたら勉強しなくなってバカになるとか情緒不安定になるなどとかなりうるさく言われ続けて大人になりましたし、その親の世代はテレビばかり見ていたら物事の表層しか分からない薄っぺらな知性しかない白痴になるとまで言われていました。そうならないために小説をはじめ活字を読む習慣をつけろと決まって言われてきましたが、その小説でさえ読み書きが当たり前に出来るようになった大衆に普及し始めた明治大正期には、人を騙してたぶらかせる悪い考えを植えつけさせる読み物として邪視されていたのです。でもこれらの極端な懸念は一時的な拒否反応だったとしても全く的外れであったかといえばそうでもなく、それぞれに指摘された一定の弊害はあったと思います。現在のスマホによるSMS文化も同しで、ネット依存症から凶悪な事件における被害者と加害者の強力な接点となるなど、これまでの時代には無かった深刻な弊害を社会のあちこちで生み出していることも事実です。それでも人さまのSMSを垣間見て感じたことは、既存のテレビや新聞といったマスコミや芸能娯楽番組以上に、今の人たちの世の中に対するリアルな目線は確実にSMSを中心としたネット情報に移り変わっているという実情です。曲がりなりにも次の時代を見据える一創作家としてはこの現実の流れを無視し続けてはいけないと考えを改めました。そしてこういった便利で高度な情報ツールが普及する時の背景に決まって起こることは、それを自分自身の習慣として取り入れるまでに、それまで経験したことのない訓練と忍耐を要求されるということです。テレビを見ることに対してはあまり忍耐や訓練を要しませんが、ゲームは始めにそこそこ慣れるまでの手間を要しますし、小説や活字を読む習慣を継続することは一定の忍耐力を養う必要があります。特に昔は読み書きができない世代から学校教育が普及した後の世代の間に、今で言うデジタル・ディバイドにも似た情報文化に対する意識の隔たりが生じていたのではないかと思います。読み書きができることが当然となってからは新聞や活字を通して人々はより深い情報や文化を吸収してそれらに基づいて行動判断するようになりました。それは社会の近代化を一気に推し進める大きな原動力となったはずです。時代を下って現在のスマホSMSを利用した第二世代のネット情報文化の台頭もこの先の時代と社会の性質を根本から変えてしまう大きな潜在力を秘めていると思われます。そしてそれらの便利さと機能を間違いなく使いこなせるためには独特の注意深さを伴う集中力が同時に求められます。先の本文で触れたスマホ契約時の店頭でのやり取りにおける客と店員の双方の忍耐についても言えることですが、複雑高度な物事に対して何事も忍耐強く当たらなければ、自分が手にしたいと思う成果や就きたい職でさえもままならない時代になりました。ここでもう一つ実感したことは、自分より以前の昭和世代に普通に見受けられる価値観の中で、何事も面倒くさく忍耐を強いられることを賢く避けたり省くことで得したと思う意識は完全にNGになったということです。その場限りの損得勘定で行動すると却って損を被ります。お気楽なイージー思考がスマートに見えた時代はとうに終わっていて、未だにその感覚で今の複雑な時代に向きあおうとした途端に尽く上手くいかなくなるでしょう。ストレスと忍耐を強いられる状況が自分の身に降りかかってきた時に、それらを克服して乗りこなせるまで実力を養えば、より良い職業や収入を得る道が開けて自分の望む人生が手に入れられると強く信じられる人ほど、この世の中に食いついて留まることが出来るという傾向は現実にあります。しかし、そういったストイックさだけで自分が望む本来の幸せまでたどり着けるかどうかは疑わしいと言わなければなりません。心身ともに若くて健康な人ならストレスやプレッシャーに耐えて乗り越えることに喜びすら感じられますが、一度それらのうちの一つでも損なったり失ったりすれば早々に成り立たなくなります。自分自身にとどまらず両親をはじめ家族親族の健康とそれらを支える家計や社会的基盤があることで維持される自分の人生と生き方でもあります。裏を返せば、単に社会的にストイックな従順さで挑む一本槍な生き方では、それを維持できる条件のうち何か一つでも欠けてしまえば頓挫する確率の高い、案外脆いリスクのある生き方でもあるのです。情報のサイクルが早くなるに連れて人間の全ての行動サイクルも早まります。そこに真面目について行こうとすればするほど心身の負荷もこれまで無かったほど増加していきます。最近は比較的若くして癌にかかる著名人が目立ちますし、ここ十年の癌の罹患率のグラフも右肩上がりに増え続けています。これは食生活の乱れや発がん性物質の増加など環境的な因子だけではなく、先に上げた情報化の進展に関係して知らず知らずのうちに人間の心身の許容負荷を超えたオーバーワークがあらゆる職種と日常生活の両方で常態化した結果でもあるのではないかと思います。癌の治療の最中でさえ家族揃って衆目の面前に立たなければならないのは心理的にも身体的にも相当な負担になるはずです。人々がより幸福を感じられる生活と便利な社会環境を実現させるために加速した情報化の波が皮肉にも人間一人一人を心理的にも身体的にも追い詰めていくという関連性が見えてきます。幸福を求めて社会的負荷に耐え続ける真面目な生き方が個人の人生において心身の健康を蝕んでいくという皮肉なジレンマに一作家の視点で着目しています。いずれにしましても、時代の趨勢は良し悪しの判断だけで覆すことは出来ませんから、より深く洞察しながら何か創作家ならではの回答を示せるように引き続き思案を重ねていこうと思います。今日も長い記事となりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。     
            
            

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HN:
鈍行翼
年齢:
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性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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