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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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こちらのプレスリリースからですが嬉しいニュースが入りました。

711系旧色が復活するそうです!

というわけで古いネガをあさってS-901編成さちかぜラストランの一枚です。





もうあれから12年以上経つなんて信じられませんね、、(・ω・)


このとき旧色に復元されたS-901編成ですが、今でも苗穂工場にかろうじて現存しています。


当時は破れかぶれにシャッターを切りまくっているだけで満足行く写真は全く撮れていないので、この機会に少しはマシなカットをモノに出来るようがんばろうと思います(^_^;


最近、ふさぎがちな話題ばかりだったので711系の懐かしい色の復活は本当に嬉しいですね。
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_IGP5745.jpg太平駅から歩いて5分ほど、石狩街道沿いにスポーツチームの事務所として置かれているキハ24-2です。学園都市線の撮影の合間に訪れてみました。

95年に函館で廃車されてから店舗として再利用するためにここに運び込まれました。そのためか、前面表示幕が函館になっていますね。



この場所に設置されてから15年くらい経っていますから、ひょとすると撤去されているかもしれないと一抹の不安を抱きながら向かいましたが、現場に着いてみると無事現存していました。オリジナルではありませんが、再塗装もされて思った以上に良好な状態でした。反対側は原塗装のままで、やや傷みや加工が目立ちますが現役時代の雰囲気をよく残しています。


キハ24型は近郊型気動車キハ45系グループの両運転台車の北海道仕様として昭和42年から10両製作されました。ちょうどキハ22型の全長を伸ばして近代化したような仕様となっています。当時、大量生産されたキハ22型の製造が終わった直後に引き続き生産されたために、必要数が少なくわずか10両の製造にとどまりました。両数はわずかですが、全道に分散配置されていたために道東、道北、道央、道南と北海道各地にくまなく足跡を残しました。面白いところでは、新製直後に一部の車両は会津若松地区に配置されて東北地方にも足跡を残していることです。

パノラミックウィンドウの高運転台や1000mm幅の全自動ドアの採用などキハ22型に比べて近代化されているにもかかわらず、当時の近郊型電車の仕様に合わせてシートピッチ、幅とも狭く作られていることが災いしたためか、道南地区での活躍を最後にキハ22型共々全廃されました。

ご当地、学園都市線(札沼線)では片運転台の姉妹車キハ46型が苗穂に集中配置されて活躍していましたが、こちらも客室設備の見劣りが原因でPDCの登場と同時に置き換えられました。全国的に見ても近郊型キハ45系グループは少数派で比較的早くに廃車が進み、正式な保存車も存在しないために、再利用とはいえキハ24-2は現存するキハ45系グループの個体として貴重なものです。



_IGP5746.jpg一見するとキハ40系に似ているようで少し違う、何となく野暮ったくしたような独特の顔つきをしています。

同車の末期時代に室蘭本線の追分や岩見沢で見かけたり、姉妹車のキハ46は函館線などで乗車した思い出があります。

あの頃は色とりどりの様々な形式の気動車たちが手をつなぎながら縦横無尽に走っていた良き時代でした。

その様式を受け継いできた学園都市線のPDCたちもまもなく役目を終えようとしています。

時代の移り変わりを見つめてきたこの顔が、まだしばらくは拝めることを願いながら、この場を後にしました。




RIMG8250.JPG今日は平成22年2月22日です。でも、これといって記念になるようなことは何もしていません、、、というか風邪をひいてしまい何も出来ませんでした・・・(--,)

あまりネタもないので、とりあえずうちにあるキハ22-222のレプリカナンバーを貼っておきます。というわけで、以下ネタが無い時の思い出話とさせていただきます。



嘘みたいな車号ですが、実際に存在した車両です。キハ22は前年に登場したキハ21の改良型として昭和33年に登場しました。二重窓+デッキ付きの車内構成はその後の北海道用車両の基本形となりました。登場後、改良を重ねながら増備が続けられて北海道中のローカル線と東北地方の一部で活躍しました。赤字ローカル線廃止と国鉄終焉とともにそのほとんどが引退して残ったグループも1994年に函館地区から撤退、JR線上から姿を消しました。キハ22-222は後期グループの200番代の22番目の車両です。昭和38年富士重工で製造されて札幌運転所に新製配置されてから、国鉄末期に苫小牧に移動するまで終始道央圏の路線で活躍しました。JRに引き継がれることなく、1987年に廃車されています。



fb9a68ae.jpegキハ22-222と一番違いの221号が廃止された旧幸福駅に保存されています。もう15年くらい前に撮影した古い写真ですが、定期的に補修されて現在でも美しい姿を保っているそうです。

もしも222号が保存されていたら、2の5並びナンバーでちょっとした話題になっていたかもしれないですね。




キハ22は子供の頃、最も好きな鉄道車両でした。特急でもブルートレインでも新幹線でもなく、この古びた気動車が一番好きだった理由は良く分かりませんが、北海道のローカル線の四季折々の美しい風景を追った写真集を見た影響だったと思います。国鉄型気動車の柔らかい造形と鮮やかな彩色が、北海道の四季の情景に調和する姿は本当に魅力的です。また、乗り鉄でも味わい深い車両でした。開ける時は手動の半自動ドア、デッキを抜けて足を踏み入れると見える木張りの床、あの背ずりが垂直のボックスシートに腰をおろすと何故かホッとするのが不思議です。DMH17エンジンのカランコロンと鳴るアイドリング音、コイルばねの突き上げるような振動も木製床のためか思いのほかマイルドな乗り心地でした。

どれもこれも遠い昔の思い出話ですが、小さな窓に流れる風景を追いかける時間が幼心にも心地良かったことを今でもはっきり覚えています。キハ22にはじめて乗車したのは、たしか富良野線の快速「ラベンダー」だったと記憶しています。その後は上砂川支線の700番台、末期の室蘭本線で乗車しました。大きくなったら自分のカメラを持って、この一番好きなキハ22を写真に納めようと夢見ていましたが、残念ながらタッチの差で叶いませんでした。当時は生まれるのがあと数年早ければと悔しい思いをしましたが、今考えると実際に乗って触れることができただけでも貴重な体験だったと思います。


2の5並びの日にキハ22の思い出話となりましたが、今思い返してみても当時はまだまだ魅力的な光景が点在していました。もしもこの先、キハ22や56,27あたりが復活して運転されたら、正直なところC62やD51が復活するよりも嬉しいですね。そうなれば、子供の頃に叶わなかった写真撮影を心ゆくまで楽しみたいのですが99.9%夢物語ですね(^^A)

最後になりますが、季節の変わり目は風邪に要注意です。ぼくもとうとう風邪を引いてしまいダウン寸前ですが、そればかりでなく家族全員が風邪を引いているので参ってしまいます。最近の風邪は妙にしつこくネチっこいので嫌になりますが、みなさんも体調管理と風邪予防には充分にご注意くださいませ~orz。


IMG_0013-2.jpgネタがありません!

そこで昔のネガをスキャンした中から、こんな一枚を紹介します。どこぞの列車の写真かというと、あの深名線の最終日の様子を写したものです。

わが家にもそこそこ少なくない量のネガが眠っており、最近少しづつデジタル化し始めました。


大した価値のある記録はありませんが、それでも今となっては懐かしい、もう二度と見ることの出来ない光景も少なからずあります。複合プリンターのネガ読込み機能を使ってコツコツ作業していますが、なかなか効率があがりません。それどころか、読み込んだそのままでは色が転んで見れるものではなく、レタッチするのに四苦八苦する始末です(^^A)

そんな試行錯誤の繰り返しのなかで、ようやくコツをつかんで何とか見れるように仕上げたのが上の一枚です。まだぼくがチューボーのころ、深名線の最終日にオヤジに無理を言って連れて行ってもらったときに撮った光景です。あれからもう14年近く経ちますが、この当時は定期運行は無くなったとはいえキハ56、27、53がまだまだ健在で、深名線最終日はそれらが集結し長大編成となって運行されていました。

今思えば、深名線は溜息が出るほど美しい路線でした。当時チューボーだったぼくには撮影に通う術も無く、その美しい光景の中を走る列車をかろうじて収めることが出来たのは、最終日の列車を追いかけたこの時だけです。いま目の前にある光景が、もう二度と目にすることも、自らの手で写し撮ることも叶わない、そのことに対して何とも悔しく切ない気持ちになったものでした。

このときの気持ちがバネになり、以後オヤジのEOSを占有して積極的に撮影に出るようになりました。限られた機会でしたが、末期のキハ53やキハ56の活躍に触れることが出来たのは良い思い出です。ただ、当時は腕が未熟でどうにもならなかったことと、ビンボー学生で(その点は今もあまり変りません・・・)フィルムをケチって今からすればお宝な光景をことごとくスルーしてしまっていることが悔やまれます。

これからもネガのデジタル化をボチボチ進めていこうと思っています。今日この頃のように、どうにも調子があがらずネタに事欠くようになった時は、過去の記録たちに助っ人としてご登場願おうと思います。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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