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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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現実主義でデキるオトコのAと理想家肌で努力家だが結果に結びつかないBの対比の構図。


現実社会の厳しさを表す側面として、一番努力したものが報われて高く評価されるわけではないという事実がある。


努力しても結果に繋がらなければ評価も見返りも得られない。


逆にさして努力しなくても効率良く結果につなげることのできる人は評価される。


つまり努力だけではダメでそれが結果にどう結びつくかという客観的理解力が必要不可欠なのだ。


それは一般的な仕事にも言えることだ。


サボる人間は最初からダメだが、誰よりも一生懸命労力をかけていても、それが必要以上に過多であったり、的を外した不必要な頑張りならば、サボっている人間の仕事ど同様に良い結果には結びつかない。


一生懸命努力したことに対して評価される”努力賞”が儲けられているのは学生までだ。


一般社会にはその努力賞はない。結果とその結果に結びつく有効な過程だけが評価の対象だ。


そして一番厳しいことは、こういった現実的作法は学校では最後まで教えてくれないということだ。


なので、こういった知恵を知っている人間は最初から知っているが、知らない人間はたとえ社会に出てからでもついに知りえることのないままであることが多い。


だから社会に出るまえに最低限身に着けておくことは物事の関係と性質をシンプルに理解できるセンスなのだ。


これは知識だけではなく、物心ついてからのありとあらゆる生活の経験の中から自然に身に着けていくほかない。


ここでデキる人間とそうでない人間の差がつくということをあえて強調する気はない。


また、最初に述べた二者の対比の間を取って、当たり障りなくテキトーに損しない程度にやっていこうという現実において最大多数の考え方を小説のテーマに据えても仕方がない。


苦労することなくすみやかに結果を出せる人間はスマートでかっこいいが、泥臭い努力をしてそれだけで終わる人間が多い中、そのぬかるみを突き抜けて成果と同時に心の豊かさまで手に入れられる主人公を描くことがフィクションの醍醐味ではないだろうか。




PS)
もう一つ書かなければならない視点があった。そういった人間社会の古今東西かわらぬサバイバルを根っこから否定したい気持ちだ。これは弱者を思いやる視点である一方で人それぞれの自己実現の機会を否定してしまうという副作用もある。つまりユートピア願望の功罪でもあるわけだが、さらに行き着けば残酷な選別主義という過去の宗教や思想が犯した最大の過ちに至る種子を内包している。一人の個人の人生にあてはめても、競争主義を否定するあまりその人自身が停滞した思考に陥り何の人間的成長も実りも得られないまま時間をむやみに浪費するようになっては本末転倒と言わざる負えない。どのような視点、価値観でもその人に人間的な成長をもたらすかいなかという観点から見るとおおよそ間違いのない判断ができる。”木の良し悪しはそのなる実の良し悪しで判断せよ”


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何も書きなおすことはないと気づきました(^_^;)


情緒的すぎる設定はストイックなオトコが内心に秘めているロマンチックな願望の象徴として描くことに決めました。


オトコは誰でもロマンチですからね~(;´Д`)


いちいちワンシーンごとにきっちり直していたらソツのない作品に仕上がるかもしれませんが、読んでる方としてはメリハリがなくてつまらなくなるかもしれませんし、、、


まだまだ序盤ですからストーリーの展開の中でうまくリカバリーするコツを身につけようと思います。





思いもよらぬ落とし穴にはまってちょっとスタック気味です。


けっこう上手く書けていたのですが、舞台設定が情緒的すぎて、当初考えていたテーマよりも恋愛よりの期待感が膨らんでしまいました。


メインテーマがけっこうストイックなので恋愛よりにしてしまうとハナシがまったく違った展開になってしまいますし、かといってここまで書いた描写を捨てずにストイックな方向に持って行くと、読み手からみて期待感を裏切るような結果になってしまいかねません。


う~ん、練りに練って準備してきたつもりでしたが、まだまだ若葉マークですね(・・;)


冒頭の文章まで戻って描き直すか、なんとか活かして次につなげていくか判断しなければなりません。


三歩進んで二歩下がる~♪を地で行く展開でしたorz





今書いている小説の中で、”こうしたい”という理想と願望だけが強い人物と”こうすべき”という現実的対応力に秀でて責任ある立場の人間どうしの対立軸を描こうと思っている。

彼らには長い間一緒に活動してきたという絆と価値観の相違という相反するジレンマがある。

その二人の間に主人公が挟まれるという構図を狙っているがドラマの着地点を探すのはこれからである。





ハタから見て”こうしたい”と思うことを実現できている人は”こうしたい”以前に”こうすべき”ことをクリアしている。


反対に”こうしたい”ばかりを優先して”こうすべき”ことを果たせない人は”こうしたい”をなかなか実現できない。


創作課題メモ





正しさについて思いついたこと


共通の正しさというものは本当は存在しない。


法律や社会常識のように、人間の社会において共通の基準としておかなければ立ち行かなくなるもの以外、誰かにとっての都合であり限定的なものであると思ってもいい。


つまり、人それぞれの立場や状況、段階に応じて見えている正しさは違うということだ。


物事は複雑な無限多面体だとみなすことができる。


それについて一人の人間が見れる範囲はせいぜい数面程度で、すべての面を見極めきれる人などいない。それができればもはや神である。


だから知っておかなければならないことは、人によって物の見方、受け取り方は決定的に違うということだ。


それも、その人の自由意思と判断によるものよりも置かれた環境や条件によって規定された価値観のほうが強いのが普通だ。


だから自分と異なる価値観を持った人間の考え方を理解しようとするとき、その人の価値観そのものよりも置かれた立場や環境、状況などから推し量ったほうがすんなりと理解できるものだ。


そして、あらゆる人の主張の中で、そういったことを理解して踏まえたうえで語られえたものが最も客観性のある意見である可能性が高い。


では、そういった主張や情報を受け取る側に必要な客観性とは何か、それはその主張の正しさ如何に着目する以上に、その主張が触れていない外部の側面や関係性に視野が及ぶかどうかだ。


正しい主張や情報を、それだけを信じてつなぎあわせて自分の価値観としたところで、異なった視点からの異なった性質の情報を継ぎはいだだけの、まったく整合性のない代物になるのが道理だ。


おおよそ客観性というものを持ちづらい理由は物事の是非にしか視点が及ばず、その物事の性質や内外との関係性にまで理解が及ばないことによると思われる。


そして、自分の思考の中で一貫した整合性のある価値観を構築する場合、物事の多面的な性質と関係性を理解した上で、それらを矛盾なくなめらかにつなぎ合わせる強固で靭やかなストーリー構築力ともいえる能力を身につけるべきである。


正しさは常に誰かの視点によって決まる、自分の視点と異なった視点による事物の側面を理解して内外の関係性にまで理解が及んだ時、誰にでも適応される平均的、共通の正しさという幻想の檻を打ち破ることができるのだ。



今日は文章の体操でした(^_^;)


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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