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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日のいじめについての記事に続いてもう少しだけ話そうと思います。


いじめの根本にあるものは他人の不幸を願う人間なら誰しもとらわれがちな邪心です。



自分がその矢面に立って苦しむのは嫌だが、他の誰かが苦しむ姿は見ていて楽しい、自分が手を汚すのは嫌だが誰かがアイツを潰せばせいせいする、自分がいい思いをしていないのに他の誰かが楽しそうにしているのは見ていてムカツク、一生懸命頑張って努力してるヤツら早くコケないかな、リア充死ね、とにかく自分の気に喰わないヤツらはみんな不幸になってしまえ~((((;゚Д゚))))



これらは毎夜丑三つ時にぼくが心の奥底で念じている願望です・・・って違いますヨ(^_^;)



悲しいことですが人間なら生きている間にこういった醜い思いに幾度となくとらわれるものです。


ただ、こういった醜い思いにとらわれそうになったとき、抗って抑えることが出来る人とそのまま素直に従ってしまう人の違いがあるだけです。


抗うといえば、昔から南無阿弥陀仏とかアーメンとか断食とか苦行といった祈りや儀式が欠かせなかったのは、人間のこういったどうしようもないサガから生じる想念を絶えず打ち消してリセットするためでもあったのでしょうね。


いじめというのは子供が成長する過程でだんだんと自我が芽生えはじめるにつれ、こういった醜い想念も湧き出すようになり、それをコントロールして抑制するだけの人間性を身に着けていないために直接行動に出してしまうことで起こります。


そこからいじめる方もいじめられる方も憎しみと自己嫌悪の悪循環が生じて止まらなくなってしまうのですが、ここでいの一番に教えなければならない人生の絶対的法則があるのですが、それは常識の範疇にはないために教育としてしっかり教え込まれることのないまま成長して大人になってしまいます。


その絶対的な法則は大人になってからも、むしろそれからのほうが幸せな人生を送るためには必要不可欠な認識です。それをほとんどの大人は知らないまま、あるいは何となく知っていても曖昧なまま生きているために、世の中から陰湿な行為がいつまでも減ることがありません。


その法則とは、一言で言えば自分の放った想念は自分に必ず帰るというブーメランのような法則です。


これは邪な思いと清らかな思いに関係なく、悪い想念は悪い結果として、良い想念は良い結果として、寸分の違いなく公平に帰ってきます。


こういったことを知識で知っていても、なかなか信じられないのは、その因果関係と結果を定量的に観察して証明することが難しいからです。


また、自分の発した想念と行動の結果が帰ってくるまでに時間の差が生じるため、本人の視点からでは直接的因果関係を見極めづらいといったこともあります。


そして、こういった法則を信じることが出来ない一番のズレは良い結果 or 悪い結果の判定が本人にとっての良し悪しの感覚と法則の判定基準が異なっているためです。


極端な例ですが「あの人が死んで欲しいからわたしは沢山良いことをしてきました、なのにあの人は死んでくれません」と言ったところで、そのような因果関係が成立するはずはないことは誰でも理解できますね。


つまり、法則の良し悪しの判定基準は自分本位な良し悪しではなく、誰にとっても変わらない普遍的な基準によってなされるということです。


このズレが分からない限り、人間は自分の行いの結果の善し悪しを的確に判断することができません。自分が良いことをしているのに良い結果が訪れているとは思えず、また悪い行いの結果にもかかわらず良い結果が訪れていると思い込んでしまうのです。


すべては自分本位な基準からいったん離れて普遍的な立場から判断することなのですが、ではその普遍的な基準とは何かを説明するとなると一冊の哲学書ができそうなのでここでは軽くしか触れません。


それは、すべての関係しあう者どうしが互いに活かしあいより進化成長できるような方向に向かえる判断をすることです。これはそのように考えて判断すべきといったものではなく、この地上のすべての存在の関係性に働く見えざる絶対的法則です。つまり簡単に言ってしまうと、誰かが無理にそうしようとしなくても自然にそうなっているという法則なのです。


この法則を理解して物事を判断し行動するかしないかで結果に雲泥の差が開いてきます。これは知る人ぞ知る古今東西の万能の法則なのです。⇐ちょっと胡散臭いなぁー(;´Д`)


いじめや邪心の問題に戻りますが、つまりいじめた方の想念と行為はいずれ必ず本人にそっくりそのまま帰るという見えない絶対法則がこの世には働いているということです。


これはいじめられた人間にも等しく当てはまり、それにより植え付けられた恐怖心や復讐心が後々まで影響してしまいますが、その心の痛みから生じた慈悲心でやがて救われていきます。大事なことは、いじめた方の人間の心情を客観的に理解することで、その人たちにたいする憎しみや復讐心を手放していくことです。憎しみや復讐心から離れ去ることができた時、最後に心を縛っていた恐れから解き放たれ真の意味で自由な心を手にすることができます。(ゆえに相手を裁く必要はないのです、裁こうとする気持ちを持ち続けるとかえって遠回りすることになります)


いじめた人間の方はもっと大変です。絶えざる自己嫌悪との格闘です。それは自分がいじめた人間の苦しみと同じ分だけ苦しむまで続きます。第三者や社会が許してくれてもその苦しみは続きます。自分の心はすべてを知っていますし、その自分の心が自分自身を許せるようになるまで苦しみ続けなければならないのです。



ここで邪心から人を貶めたい人が知っておかなければならない事実があります。


その想いと行為で望みどおりその人を貶めたとしても、それが有効なのは三割だけで残り七割はそっくりそのまま自分自身を貶めることにつながります。


この7:3の法則から逃れられる人間は一人もいません。


貶めたと思った相手が倒れているのは一時で、上に書いたように自分の心を癒して救うことさえ出来ればすぐに立ち直って以前よりも強く立派な人間いなれます。ところが貶めた人間は違います。本当に自分の良心が許してくれるまでずーと長い間苦しみ続けなければなりません。これが昔から地獄と呼ばれてきたものの真相です。


こういった見えざる法則と事実を最初に知っていれば誰もいじめなどという損な行為はしなくなるはずです。


そしてぼくたち生きている人間に必要なのは、やましい心が生じることを阻むことよりも、そのやましい心に対して抱く憎しみやこだわりを捨てることです。そうすると、そういったやましさはほんの一時で過ぎ去っていきます。



かくして心だけは今日も清々しくあれるのでした~(^_^;)



それだけじゃダメじゃん⇐(´・ω・`)



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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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