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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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精神論の世界に明るい人ならよく知られた方法論だとすぐに納得されると思います。


そこまで知らない人でもどこかでその名前について聞いたことくらいはあるかもしれません。


俗に最強の成功術などともてはやされていますが、たしかにこれは丸っきりのウソではなく実際に効果がある精神論的法則だと思います。


しかし、そこには強力な落とし穴があります。


この引き寄せの法則について絶賛しているある大学生の手記とされている一文を引用したブロガーさんのリンクを参考までに貼っておきます。⇒(こちら)


この大学生の手記とされる一文を読んでどう思われたでしょうか?


感想は人それぞれだと思いますし、またそれで良いのだと思います。


ただ、この引き寄せの法則について肝心要の本当に大切なことについて丸っきり抜けていることがあるので、それについてお話しようと思います。


引き寄せの法則は確かにホンモノです。


しかし、だからこそ使い方を間違えるとコワイのです。


この大学生の手記の考え方によれば、数%の成功者とされる人たちが、引き寄せの法則と意識するしないに関わらず、それに類いする自分中心視点のポジティブシンキングを強く信じ抜く意思の力でその成功を納めたということが言えます。


これは一面の真実で、多分十中八九そのとおりだと思います。


では、その反対の人間はどうかというと、自分が望むことよりも望まないことや、そこから生じる不安や不満にばかり意識が向いて、それが指し示すビジョンのほうが現実化してしまい不幸になると言っています。


これもまた一面の真実だと思います。


ただ、ここで”一面の”と条件付けしたところがポイントで、その抜け落ちた他方面の真実が落とし穴へとつながっていくのです。


その他方面の真実とは何か?


人間の成功したいという願望に限らず、何か自分の満足につながる欲求を満たそうとするとき、その実現に必要な対象が限られたもので、すべての人がその恩恵を手にすることが出来ない存在であるとき、それを手にしようとする欲求と同時に他の誰かがそれを手にして欲しくないという欲求も同時に生じるものなのです。


これはどんなに偉大な人格者や成功者も人間であるならばみな一緒です。


つまり、自分が成功したいという欲求と他人が落ちればいいという欲求は表裏一体で、そのどちらかが強まれば片方も同じだけ強まるのです。


つまり世の中で大成功を収めた人間はそれだけライバルが落ちればイイという思いも強く抱き続けてきた人間です。


ここで成功者を悪く言うつもりはありません。


ただ人間はやましい感情を抱いた時、それに抗って乗り越えようとする人間と、そんなものはつゆ一つございませんという顔をしている人と、臆することなくムキ出しにして生きている人間とに分かれるだけです。


そこに善悪のジャッジは必要ありません。


世界の富の96%をわずか1%の人たちが手にすることを可能にした仕組みを、その成功者たちの強い信念の積み重ねによる賜物だと書かれていましたが、それも十中八九本当のことです。


そして、その成功者たちの強い願望の反面である、自分たちの成功の証である財産を他の誰かに奪われたくないという裏の願望も強力に実現することになりました。


今、世界中を覆う格差の嵐もこの”引き寄せの法則”で説明できてしまうのです。


そして、ここからが大事なことですが、人間からすると一見万能のように思える引き寄せの法則ですが、いかに最強の成功法則とされるものであったとしても、神様がこの地球上に据えた無限の隠された法則の一つに過ぎず、その一つを持ってして神の領域に近づいたと思っているのは幼児がおもちゃを持って得意になっているかのごとく稚拙なことです。


この世の富は有限です。


それは最初から決められていることです。


神様はこの世の人間たちが全員幸せになるためには分け与えるしか方法がないように作られました。


ところが人間はそういったことには一向に満足せず、一握りの強者が競争しあって奪い合い、その富によって大多数の人々が支配される世の中を延々と作り続けては滅ぶというサイクルを繰り返してきました。


そして、いつの時代もそういった世の中を支えてきた人たちは頂点まで上り詰めることの出来ない、またそうするつもりもない、もともと奪い合う気もない大多数の普通の人たちです。


例の大学生の手記の内容が丸っきり抜け落ちている視点はそこです。


すべての人が成功者になれるということは物理的に不可能なのです。


イチローにしても、もし観客となってくれる大多数のファンが居なければイチローではありえないのです。


別にイチローさんが悪いわけではありませんが、今の世の中のシステムはその善悪にかかわらず、世の中の成功者の願望や都合、その他の一般大衆の抱く夢や願望が最大限効率良く実現できるように進化し続けています。


でもその一方で、多くの人たちの先に挙げたような競争心や独占欲を満たしたいという願望を実現するようにも法則が働き続けていますから、同時に99%の人たちが生きていくことさえ困難になるほど物理的、精神的に追い詰められるような社会に向かっていきます。


世界中の多くの人たちが幸せになるためにこれだけ一生懸命に頑張っているのに、結果は真逆のように苦しみに満ちたものになる原因はそこにあります。


つまり、人間が幸せになるために望むものを他者より長じる成功以外に求められるようになるまでは、この苦しみのスパイラルが終わることはないのです。


しかし、人間が自発的に負のスパイラルを終わらせることができなくても、それが終わる時は自然にやってきます。


他でもない、成功者たちが望んだ裏の願望が極まり、世の中を下で支えてきた人々が疲弊しきってもはや支えきれなくなった時、その世の中と時代はあっけなく崩れて歴史の中に去っていきます。


そして新しいスパイラルが再び始まることの繰り返しです。


地球上で生まれた歴史上どの文明も永遠に繁栄することは叶わなかった理由です。


”盛者必衰の理”と日本の平家物語でも語られていますね。


この影の理は個人の人生にも当てはまります。


もし、引き寄せの法則を使って人生が順風満帆の成功をおさめることができたとしても、その影で誰かを蹴落としたり、あるいはその気がなくても結果的に誰かを犠牲にしてしまっては、その人の人生の上で大きな心と霊の借金を背負うことになります。


そして、この社会の仕組みはそういった個人的な成功に伴う負い目や罪悪感を軽減できるようなルールと制度が巧妙に兼ね備えられています。


ところが心と霊の領域ではそういった社会や組織の制度が与えてくれる免罪符は効かないのです。


たとえば原発問題や大津のいじめのように社会的組織防衛に走り、それが自分が所属する組織や社会のためだとして自己正当化したとしても、個人の魂と良心の領域ではずっと重い十字架を背負い続けることになるのです。


だから、先に上げた大学生のような考え方をする前に自分の内面に問いかけなければならないのです。



       ”そこに自分中心の欲望が潜んでいないか” 

       ”他人を蹴落としたい願望が潜んでいないか” 

       ”本当にそれを望むことが正しいことなのか” 

       ”そこに他人を思いやる気持ちがあるのか” 

       ”そこに憐れみの心があるのか” 

       ”そこに本当の愛が存在するのか”





大学生の若者が自分の成功第一で自分の人生観を捉えているのは自然なことです。


でもそこで何を望むかの違いで人生の行き先が決まってしまうのです。


先の大学生の心のなかに上のような問いかけをする心性を備えていれば引き寄せの法則の通り物心両面で成功をおさめるでしょう。


しかし、そういった自己の内面との問いかけなしに社会的成功欲だけでこの引き寄せの法則を使ってしまうと、その心の有様のとおりの物質的成功しか収められないでしょう。


そういった成功だけを得て晩年に後悔が募る人生を送っている人たちが実に多い現実を見れば納得できるはずです。


本当に大事なことは成功という結果やそこに至る方法論ではなく最初にあった動機=心です。


心を優先して生き抜いた人はすべて真の意味での成功者です。


たとえそれが他者に比べて不利益であったり不毛に見えたりしてもです。


もし大学生の皆さんが例の手記とこの記事を見ていたら、自由に考える時間が許されている内にじっくり向きあってほしい課題です。


最後に聖書の福音書の冒頭にある山上の垂訓と呼ばれるイエスの言説から引用したいと思います。


そこには苦しみ悲しむ人々は幸いであると説かれています。


たとえそれが自らの弱さや身から出たサビであったとしてもです。


なぜなら人間は苦しみや悲しみを通してしか真の慈悲心を抱けない存在だからです。


心が誠実で他人の痛みや苦しみを理解できる人は同じだけつらい思いをしてきた人だけです。


生まれつきそういった徳に恵まれた人も居ますが、それは両親の教育や環境が良かったためとは限らず、もともとその人の魂がそういった経験を刻んできているからです。


人間は苦悩を乗り越えて初めて人を愛し愛されるようになります。


そのために、たとえ世の中の九割の人々が苦悩に満ちた人生を送ろうとも真の希望が失われることはありません。


引き寄せの法則を使って成功を導くことが人生の至上命題であるはずはないのはそれが愛に至る道ではないからです。



もう一度問いかけます。


そこに本当の愛はありますか?





PS)
もう二言付け足します。人間は自分が死ぬということを忘れがちな生き物です。だから一時のモノでしかない地位や名誉や財産にいつまでもしがみつこうとします。人間は自分が死ぬことを想定して初めて自分の人生にとって重要なものとそうでないものの区別ができるようになります。それを若い内に意識して成功へ結びつけた人の代表例がアップルのスティーブ・ジョブズ氏です。でもそれだけでは人生において真の満足と幸福感を得られるとは言えません。もう一つ必要なことは死んで逃げ得はありえないということを知ることです。人間の心と魂に刻まれた記憶はどんなものであっても永遠だと古今東西の聖者や賢者は言い続けてきました。魂の永遠性についてはもはや信じるか否かしかない領域ですが、信じたほうがポジティブで充実した人生がおくれそうですし、たとえ100%信じられず半信半疑だったとしても、何事にもそういう前提で向きあったほうが前向きに生きられます。一番最悪なのは、死ねば終わりなんだから他人を蹴落としてでも自分の欲望を最大限に求めて罪を犯しても気にもとめないという生き方です。もし魂が不滅ならばそういった意識のまま永遠に存在し続けることになります。でも逃げ得はありえません。生きている間に悔い改めて自分の心のあり方を変えることが出来ればその人は救われます。人生をより良く生きるための指針として二つの蛇足を付け足しました。




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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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