北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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毎回のことですが創作メモカテゴリーの記事は業務日誌のようなものです。
小説の執筆に関わる内容を中心に日々の徒然も一緒に書いていますが、後々、あの時、この作品をあんなふうに考えながらこしらえていた、ということが判るような記録にしたいです。
今週は以前にも記した、主人公が三人の人物に立て続けに出会おうシーンのうちの二人目のシーンを書く準備を始めます。
一つ前のシーンは思いつきでそのまま書けるシーンでしたが、今回のシーンは織り込まなければならない情報がやや多いため、書く前の準備段階において少し煩雑な作業をこなす必要があります。
まずは作品の前半部分で主人公たちが集まる活動拠点となる場所の描写とあわせて、作品のテーマとなっている分野の描写も少し織り交ぜたいと思っています。
そのために調べ物と若干の構成を練る必要があります。
また、主人公が相対する人物も、前半の展開のカギを握る主要な人物なので、主人公との間の心情描写もおろそかにできません。
といった具合に、情報描写に忙しかった冒頭を過ぎてなお、まだまだ序盤部分なので、作品世界を構成する要素と人物描写を深めるといったやや面倒な作業が続きます。
それでも今回のシーンを書くにあたって、あまりプレッシャーを感じないのは、今回のシーンに関してはあまり分かりやすく上手にまとめる必要はないと思っているからです。
むしろ読者からすればやや解り難いような、読んだあとに結局何を言いたかったのかはっきりせずに残土感が残るような、あえてラフな仕上がりにしようと思っています。
そこで消化しきれなかったもろもろの要素たちを、この先の様々な場面の中で順に解きほぐしていくようにすることで、前半部分のストーリー性に厚みを持たせたいと思っています。
御託を並べきったところでさっそく執筆作業に取り掛かりたいところですが、相変わらず好不調の並が続いているので、ゆっくりスローペースでことにあたりたいと思っています。
一つのシーンを書くごとに細かくテーマを区切って設定しながら、その書き方についてもその都度探るという文字通りの手探り状態で、もう少し効率よく書き進めたいと思っていますが、今はそういった地道な作業を続けることで確実に自分のスタンスを確立できるように努めています。
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遅咲きの八重桜を太陽の光越しにパチリ。
今日の日の光の強さを何気なく記録したくて撮りました。
相変わらずの日々を送っていますが、そんな絶対に変わり映えしそうもない日常でも、ほんのわずかにさざ波が立つような出来事も、ごくたまに起こるものです。
今日何気なく買い物ついでに寄った近所のリサイクルショップで思いがけない人と巡り会いました。
懐かしい同級生の女の子で、向こうもそれとなく気づいたようですが、レジ越しのやり取りだけで特に話しかけたりはしませんでした。
おそらく、お互いに十数年ぶりに顔を合わせたはずですが、基本的には何も変わっていないものですね。
ネームプレートの名前が変わっていましたから、おそらく良い人と巡り会ったんだなぁ~と一人感慨深く思っていたりします。
というわけで、これ以上深い出会いにはなりそうもない日常に起きた予想外の出来事でした。
それが問題です(-_-;)
先日は二回目のカラー治療を終えて今日は養生中心の一日です。
昨日の施術はカラー治療に鍼治療も加えてゴージャスでした。
ただ、治療が効きすぎて夜寝るときに頭痛になり若干の寝不足気味です。
それでも体調はそんなに悪くはなく、ゆっくりですが確実に持ち直してきています。
こういうどっちつかずの体調の時は妙にそわそわして落ち着きません。
毎度のことですが、こういう時は何かに取り掛かって没頭している方が楽なのですが、ここ最近の神経疲労が蓄積している状態では、それをやってしまうと逆に体調を崩し後戻りしてしまいます。
それでも先週は、不調の中でも様子を見ながら1シーン分を新たに書き上げました。
見直しではない、久しぶりの新規作成でしたが、作業自体は思いの外スムーズにこなせて、出来栄えもこれまでの中で一番良かったです。
こういった時、ちょっと前までの自分なら、イケイケでその先も書き進んでしまうのですが、今回はそこでいったん筆を休めて様子をみることにしました。
書いている最中はまったく苦痛を感じずあふれるように言葉が浮かび気持よく書き進めるのですが、問題は書き終えたあとで、調子が良ければ良いほど神経の疲労が濃くなり、それまでとは打って変わって体調が絶復調になります。
毎回、集中しすぎて神経がまいってしまうためか、自律神経がヤラれて週の後半は下痢と腹痛の3連発に見舞われてげっそりしていましたorz
去年から今年にかけて冒頭部分を書き上げた時は、そういった体調不良を無視して、耐えられるところまで一気に書き進めて完成させましたが、そのツケがたたって、腹痛や自律神経失調だけではとどまらず、歯を3本抜いて半年近く炎症に苦しめられる結果になりました。
こんな有様ではどんなに良い文章が書けても、せいぜい短編小説一つくらいが関の山で、長編や複数の短編をコンスタントに書き進めていくことはできません。
今取り組んでいる長編「N」の執筆においては、その作品としての出来栄え以上に、自分の許された体力の範囲で無理をせず書き進められるスタンスを確立することが目下の課題です。
作品作りに集中すると神経にある程度の負荷がかかるのは避けられないことなので、今は書き進めることよりも体調を優先しながら、それでも書けるときに少しづつ書き進めていくというスタンスでやっていこうと思っています。
PS)
ちなみにこの独り言つぶやきブログの記事も文章を書くためのウォーミングアップと頭の整理を兼ねております(^_^;)
近所の桜がようやく開花しました。
さすがの北海道でも例年にないくらいに遅い開花です。
本州ではもう夏を意識する頃なのでしょうが、こちらでは春と初夏が一緒に訪れた感じです。
もっちもすっかり大きくなって窓際の特等席でうたた寝しています。
というか、家中もっちの特等席だらけで専有されています。
とりあえずの出来ですが、何とか見れるようになりました。
今年は何事も手間を掛けずに省エネで済ませることがテーマです。
つい数年前までは桜の季節になると一眼レフを持ちだして、運動がてら列車とのコラボを狙いに行きましたが、今年に入ってからはもっぱらケータイ写真ばかりで、一眼レフを持ちだしてまでの撮影はほとんどしていません。
写真を撮る気そのものが失せてしまったわけではないのですが、執筆作業が本格化してからは二足のわらじを履く余裕はほとんどない状況です。
その執筆作業も体調管理を優先して足踏み状態が続いていますが、じっくり身体と向き合って折り合いをつけながら進めていこうと思っています。
そんな状況でも少し進展があって、先日行った原稿の読みながら再確認の際、最後のほうでどうしても納得出来ない部分があったので、その部分だけ思い切ってその場で書き直してしまいました。
そうすると思いのほかスムーズに言葉が出てきて以前よりもうまくまとめることが出来ました。
書き直した部分を読んでみると、自分でも少し成長を実感することが出来ました。
長年撮り続けてきた写真はこの先もずっとライフワークの一つとして続けて行きたいと思っていますが、これまでの自分が撮ってきたようなスタンスは卒業して、次にまたカメラを持って撮る時は以前とは少し違ったスタンスで被写体と向き合いたいなと思っています。
小説の執筆と本気で向きあうようになってから、あきらかに自分の意識が変化していくことを感じているので、その作業を進めていく中でもっと自分の意識が進化成長した頃には、自然に違った趣の写真が撮れるようになっている気がします。
もう次のシーンを書き進める準備は出来ているのですが、なかなか体調面でゴーサインが出せません。
あともう少し馬力と元気が出せるようになればきっと良い文章が書けるはずなんですけど、、、
あとちょっとの辛抱だと自分に言い聞かせております。
ようやく暖かい日差しが感じられるようになって来ましたが、つい一昨日くらいまで肌寒い日が続いていたので、いつものことながら急激な気温の変化には要注意といった感じです。
昨日は札幌の狸小路にある、とある鍼灸院へカラー治療というものを受けるために初めて行って来ました。
お灸と整体と合わせて身体の悪い部位を診断しながら、その患部やツボの症状に対応した小さな色紙の紙片を張り付けていくという治療法です。
人間の身体の皮膚にはツボなどを通して全身の臓器の健康状態が微弱な電気として反映しているそうで、その発する電気の波長=周波数に対応した色を感じ取り、その病んだ波長の色を打ち消す色を患部に貼ることで自然治癒力を呼び覚ますという治療法です。
手術や薬のように強い副作用を伴わない身体にやさしい治療であることが特徴で、きちんと医療行為として認められているものです。
受けてみた感想としては、最初に人差し指に紙片を触れさせる診断の時から身体に変化が起きていることが感じられ、徐々に気持ちよくなりました。
また、普段は凝りすぎて感じなくなっている不調も徐々にあぶり出されるような感じがして来ました。
受け終わった後は、身体のリズムがゆっくりと穏やかになった感じがして、久しぶりに軽やかな感じがして少し戸惑いました。
こういった治療法を受けることで身体に良い変化が起きることは十分に予想していました。
ただ、その効果が不調の根をしっかり摘み取ってくれるところまで辿りつけるかどうかはこれからの経過次第です。
施術の先生の話でも、やはりある程度続けなければ本当の効果は出にくいということでした。
今日は、昨日の施術の効果で好転反応が出ているのか疲れが出ていますが、身体の回復しようという動きと元々ある不調の根がせめぎ合っているような感じがします。
1週間ほど様子をみた後、再度治療を受けに行こうと思っているので、それまでにあまり無理をせず、身体を休めて体調を整えようと思っています。
PS)
創作再開の準備として、これまで書いた原稿の一部を声に出して読んでみました。やはり書き出しの部分ほどややギクシャクした部分も目立ち、最終的に細かな改良が必要そうです。それでも根本的に書きなおす必要があるほどダメな部分はありませんでした。時間を置いてからあらためて見なおすことで見えてくるポイントがたくさんあり、この先のシーンを書き進めるにあたって改良したほうが良い点、注意スべき要点をまとめているところです。一つは文章のリズムと密度についてで、冒頭部分特有の初出の人物像や舞台像、先のストーリーに繋がる要点や様々なディテールなど、数多くの情報量を効率よく詰め込むために、文章の密度が高く込み入った印象になっています。もう一つは、そのかなり込み入った情報量を詰まらせずに分かりやすく読み流せるようにするため、ストーリーの流れるテンポを早足にして、映画の冒頭のダイジェストのように軽く読み流せるように工夫していました。しかし、このまま本編も同じような高密度と早足なストーリ展開が続いては読む気がなくなってしまうので、これから書く本編は冒頭部に比べてテンポと密度共に2/3程度に抑えて、かつ、一つのシーンにあまり重層的な意味合いを持たさず、単相のあっさりとした描写を目指して書こうと思っています。全体的に、もっとゆったりとしたリズムで文章が書けるようになると良いなと思っています。ここ最近の創作活動の途中経報告でした。
どういったわけか、今日はなんだか、意味もなく気分が高揚するというか、いつもなら沈み込んだまま浮き上がってこないような沈鬱な気分で過ごすことが多いのに、どうにも前向きな気持が勝るのです。
素直に喜べば良いのでしょうが、どうもいつもと違う感覚になると、それが好ましいものでも、変に疑ってしまう癖があります。
体調も相変わらずヨコバイですし、特別良いことがあるわけでもなく、本当に人の気分というものは妙なものです。
ただ、一つ良いことがあったとすると、遠い将来に書く予定の歴史小説の原案について、とても良いアイディアがいくつも浮かんだことです。
この小説は戦国時代を舞台にした歴史娯楽活劇で、完全に想像上の主人公兄弟が立身出世と、乱世の時代において、安定した生活の基盤と一族の安寧を勝ち取るまでのサクセス・ストーリーです。
そういった娯楽時代小説に自分ならではのテーマを織り込もうと思っていましたが、今日、突然ふいに、新聞のある記事を読んでいて思いついたのです。
それは安土桃山時代という、歴史上において動乱の最中でありながら様々な文化が花開き数々の偉人たちが闊歩した、華々しくも苛烈な一時代だからこそ織り込めるテーマです。
そのポイントは、日本の歴史上、他に類を見ないほど文化的にも思想的にもオープンでタブーが少ない特殊な一時代だったということです。
そこに、戦国武将を中心に据えた戦と政治史ではなく、民衆の中に深く浸透した、ある文化的習慣に焦点を当てた構成にしようと企んでいます。
今はまだ種明かしをせずに大事にしまっておこうと思いますが、このテーマは古くて新しいもので、ちょうど今を生きる現代人が抱える、人生と生活と価値観にまで及ぶジレンマとぴったりと重なりあうものです。
何分、歴史モノを書くには現代劇以上に知識と資料が必要で、まだまだ勉強不足です。
なので、この”歴史物”は今ある作品の原案の中でも、おそらく最も後にまわるものかもしれません。
他の現代劇をいくつか完成させた後、技量を磨き実力を養ってから、あわよくばホンモノのモノカキになった暁に満を期して取り組みたい作品です。
多分、ぼくにとって書くことの出来る唯一の中世時代物になるかもしれませんし、それで全て書ききれてしまうような気がします。
こんなふうにして、書くべき作品のアイディアは次から次へと浮かんできて、おそらく書くことが思いつかなくて困ることはほとんど無いかもしれないというほどですが、問題はそれらを手際よく描き上げる力量が無いことで、全ての作品を描き上げるためには、絶えず課題と向き合い、自己進化して乗り越えて行かなければいけないということです。
一時期はこんなに作品のアイディアばかり思いついて、その反面、一向に書く要領を得られず、これで自分は本当に大丈夫なのかと、非常に焦りと不安に駆られていましたが、ここ最近、ちょっと待てよと気づくことがあり、考えてみれば書くことに事欠かないほどアイディアが湧いてくるということは、一生書くべきことに困らない、少なくとも人生の目的を失うことはないという財産をすでに得たということではないかと思い至りました。
なので、少なくとも以上のような点においては、全然焦る必要は無かったと納得しました。
とはいえ、遠い未来に書く予定の作品の数々を無事書き終えることが出来る保証はどこにもないわけで、しかもそれらについて客観的な評価を頂けるかどうかもわかりません。
今は遠い未来の目標に夢をはせつつ、これから書こうとする1シーンを何とか描き上げることに集中しようと思っています。
ホント、先々の作品の構想やアイディアは沢山浮かぶのに、直近のシーンのキーワードがなかなか降りてこない・・・。
今書いている長編「N」において、冒頭の終わりと本編の始まりを告げながら、その本筋の流れとは全く関係ない人物と主人公が短く対話する、いわば楽譜における休符の役割をするシーンですが、作品全体における主人公の内面のテーマを暗示させる場面なので、なかなか簡単に割りきってしまえない場面です。
あまりこだわり過ぎて足踏みばかりするのもよくありませんが、もう少し根気強く降りてくるのを待とうと思います。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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