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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日はなんだか蒸しています・・・。


ここ最近のオーバーワークのせいか頭が重いです。


頭痛持ちではないので珍しいですが、首肩は慢性的にコリコリなのでその延長かもしれません。


小説書くのも結構エネルギー使います。


思いの外文章がスラスラ出てきて自分でも驚いていますが、まだまだ序盤なので本当の山はこれからです。


少し体を休めてコンディションを整えてから再び書き始めます。


外界では外の外から変化が始まっているようです。


なるべく外側へ外側へと注目する必要がありそうです。


でも自分のやるべきことで精一杯なので外の世界の出来事は関係ありません。


今は自分の小説を書き進めるだけです。


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人間は大雑把に二種類に分かれるそうです。


自分の心の中で思うことに責任を持とうとする人とそうでない人です。


本当は人間を区別することはいいことでありません。またそれを理由に裁いたりするべきでもありません。


でも現実社会では、こういった見えない領域の問題でストレスを感じている人は多いものです。場合によっては不幸な結果をもたらしかねない人間関係が見落とされていることもあります。


意識が進んだ人や本物の信仰心を持っているような人はほとんど気づいていることですが、人間にとって本当に大事なことは表面的に整った体裁や他人からの評価ではなく、むしろ他人からは一切見られない自分の心の内面のあり方だということです。


こういった意識を持って生きるということは、自分自身に大変厳しい自己評価基準を課すということです。


人間はそういうことが分かったからといっていきなり清い心になれるはずもなく、庭に例えると絶えず茂る雑草を日々狩り続けるとか、またレンズで例えると気づかぬうちにカビが生えて悲鳴を上げながらアルコールで拭きまくるなど、日々自己の内面と葛藤するという修行状態になります。


なんだかんだ言っても、やっぱり人からよく思われたいという欲はありますし、自分の何かが評価されて注目を集めると気持ちがいいものです。


そういったところまで厳しくジャッジしてしまうとヘタをすると自己嫌悪に陥ります。


それも度を越すと知らぬ間に歪んだ意識を他者に転嫁してブツけているということにもなりかねません。


ようはバランスが大事ということなのですが、ここでも大事なことはやはり心の内面を中心にとるか表面の行いと他者の評価を基準にとるかという選択です。


後者の基準で生きる最も大きな間違いは、自分の心のなかで思うことが他者には何ら関係はなく、また見られて知られることもないし、ゆえに恥ずかしくもなく損することもなく、逆にいくら心でいいことを考えたり思ったりしても何の得をすることもないという意識に陥ることです。


さらに他人と比較することで自分はそれほど悪くない、もっと悪くて醜い人はいくらでもいるとか、人間なんて化けの皮を剥げばみんな自分と一緒みたいな逃げ口実や正当化をはかったりします。


でもこれは本当は損なことなんです。


昔からの哲学にすべての現実は人間の思いによって創られる、ゆえに人間の思い次第で現実を良くも悪くもできるという考え方があります。


これによればよりよい心の状態を保てば自然に良い状況が自分に訪れます。


反対に心のなかを雑草ボーボー状態の荒地にしているとそっくり同じような状況が自分に訪れます。


つまり運気も自分の思い次第で創り出せるかもしれないということです。


そして現実社会の中では稀ですがそういった厳しい意識で自分を律している人たちがいます。


そういった人たちはまずオーラが違いますし、有名無名、外からの評価の高低も関係ありません。


そしてもうひとつ現実社会の中で見落とされがちな偉人たちが存在します。


それは自分の心にとことん正直なありのままの自分をさらけ出しながら生きている人たちです。


自分の心をありのままにさらけ出すということは、美しさ以上に醜さがまさる人間の本性を表に出すということですから人から好かれたり高い評価を得られないことのほうが多いものです。


そういった人たちの中でも一握りですが、そのことを恨まず憎まず他人に転嫁せず、ただ受け入れて生きている人たちがいます。


こういう人のことを昔の例えで隅の親石といい、これにつまずく(ないがしろにする)ことは神様からバチが当たりやすいと言われてきました。


元来、人はみな他人との人間関係を円滑に運んで高評価を得られる能力に恵まれているわけではありません。


人はみな自分が持って生まれた力量と条件の中でベストを尽くす他なく、たとえ乏しい中でも活かし切ることが修行であり人生の目標となっている人たちが沢山います。


そういった生き方をとおして自分の内面の乏しさを満たし醜さや未熟さを昇華していくことが人生です。


だからどんな人も馬鹿にしてはいけませんしそれが心にかなったことです。


それに反して、自分の心と向き合わず他人の評価と整った外面ばかりを求める生き方は人の意識からそういったことを簡単に忘れさせます。そして自分の醜さも他人のそれで埋め合わせをしたり自己正当化をはかることで帳尻が合わせられると勘違いします。


でも人間は自分の心だけには嘘はつけません。


すべては自分の心が覚えていますし、そこから逃れることは出来ないものなのです。


結局はそういった自分の嫌悪から逃れるために意識をそらすばかりにエネルギーを使い、知らない間に刹那的な人生を歩むことになってしまいます。


心をないがしろにして生きると最終的にその人自身が一番不幸で損をするようにできているのです。


聖書の物語の中でイエスはこういった人たちを表面は白壁のごとく美しいが中身はガイコツと言って激しく非難するとともに嘆き悲しみました。


結局、イエスはそういった人たちに十字架にかけられて、不本意ながら身を持ってそういった人たちの過ちを示すことになったわけです。


どんな聖人や救世主でも他の人の心を変える力を持っているわけではありません。


自分の心を変えることができるのも、その結果に責任を持てるのも自分自身しかいないということです。


真の自由とはそういったことを意味します。






今日から小説を書き始めました(^_^;)


完成まで3年近くかかったシナリオです。


長編三部+番外一部の大作だったりします。


これひとつでデビューできるほど甘いものではありませんが、自分にとっては試金石になる大事な作品です。


とりあえず第一部の大半を今年中に書き上げることが目標です。


そのあとは単発中長編をたくさん書いていく予定です。


長期戦ですので、リズムを取りながらコツコツやっていこうと思います。






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昨日、札幌貨物ターミナルへ向かう途中でつかまえた列車を紹介します。

まずはフツーに731系を野幌駅で撮ったものからです。

今日はとある獲物を捕まえようと待ち構えていたのですが・・・。




_IGP2129.jpg
アルミちゃん初ゲット~!

ようやく735系アルミ車をきちんと撮ることが出来ました(^o^)/

北海道新幹線用車両の試験車両として2010年に導入されたJR北海道にとって初のアルミ製電車です。




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後ろ姿もなかなか凛々しい感じです。

写真で見るよりも現物はなかなか美形ですね。

登場後長らく試験に供され今年の5月から営業運転を開始しました。




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午後の赤熊貨物はまさかまたかの単機。

今日は獲物が来ないのが確定したのでまた明日、、と思っていたのですが帰って調べてみると通過したのは昨日でした!

というわけでまた来年までお預けとなりましたorz




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気を取り直して折り返してきたアルミちゃんA-102編成に初乗車して平和駅へ向かいます。

アルミ車体&ノンステップ底床車の乗り心地はいかにといったところです。基本は731系と同じような音がしますが細かな振動は格段に減り重心が低いためか立っていても楽でした。





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千歳線に乗り換えるために白石駅で途中下車しましたが、次の普通列車まで30分待ち。どこのローカル線!?とつっこみを入れたくなる瞬間。

それでも待ち時間の間にもう一つの新鋭733系とも遭遇。後ろからですがこちらも初ゲット!




_IGP2161.jpg
反対側のホームで予期せぬ入線アナウンスが聞こえた後やってきたのはノースレイボーEXPでした。

予期せぬ来客にちょっと得した気分~♪






CA3J0382.JPG
停車ごしばらくして発車して札幌方面に去って行きました。

見慣れたジョイフルトレインですが昨今の流れから考えるといつ引退してもおかしくないので撮れるときにきちんと記録しておかねばと思いました。





_IGP2175.jpg

背後から近づく江別方面行き721系普通列車も撮っておきました。


高校生の帰宅列車といった風情ですね。




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ふだんはまじめに撮らない快速エアポートもしっかり撮っておきました。

通過用中線を全速力でぶっ飛ばしていくさまは迫力があります。

このあと普通列車に乗車して次駅の平和で降りて前記事の記録活動に移りました。



_IGP2300.jpg
平和駅で思い出の車両たちにお別れをすませたあと来た道と同じ経路で野幌まで戻って来ました。

列車降りてすぐにホームから出ず少し待って夕方の赤電車も見送りました。先日旧国鉄色をまとって出場したS-114あたりを期待しましたがやってきたのはフツーの3ドア車S-115でした。




それでもこの赤い電車を見ると何かホッとするものを感じるのが不思議なところです。

ご老体にムチ打って頑張っていますが最新型の733系や735系に混じりながら末永く走っていてもらいたい名車です。

以上で昨日短い時間に出会った列車たちの紹介を終わります。





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先日のダイヤ改正でお役御免になったPDC非冷房車+キハ48計10両がミヤンマーへ輸出するため室蘭港に向けて日付をまたいだ明日の深夜に出発します。

それにしても素早い処置に驚きます。きっと最初から計画されていたのでしょうね。




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先頭のキハ48-301です。

キハ40の片運転台使用便所付き北海道使用車でわずか4両しか製造されず、そのうちの3両が現番号のまま学園都市線で使用されてきました。





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反対サイドから撮った一枚。

車端部の便所用水タンクとベンチレーターが並ぶオリジナル非冷房車の屋根が特徴です。

このキハ48-300番台には少なからぬ思い入れがあります。




_IGP2194-001.jpg
障害物が邪魔ですが、撮れるだけ撮ってきたので載せておきます。

キハ141-7です。

検査後まだ間がないのか屋根がキレイです。




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先ほどのキハ141-7とユニットを組むキハ142-7です。








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続いてキハ141-8とキハ142-8のユニットです。

このあとにキハ48-300が一両続きますがちょうど陸橋に下の位置で番号は確認していません。





_IGP2200-001.jpg

陸橋の反対サイドからキハ141+142の9番ユニット+10番ユニットと続きます。







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最後尾はキハ142-10で回送用カンテラが取り付けられています。

この車両は先日の記事で紹介した珍台車、穴あきDT-22の持ち主です。




_IGP2241.jpg
DD51もタンク車も居ない札幌貨物ターミナルのガランとした着発番線に佇む学園都市線気動車編成。

場違いな感じ全開ですが明日の早朝には東室蘭操作上に到着、来月中には船積みされるものと思われます。






とにもかくにも今までお疲れ様でした、そして彼の国でも末永く活躍することを祈っています~(/_;)





う~ん、昨日あたりで約1/3くらい書き上げたのですが、いよいよハナシの核心部分に至るというところで迷ってしまい立ち往生しています。


こういう時は悩み立ち止まることも過程の一つですから、別に深刻に考えすぎることはないのですが・・・。


最初にほうにも書きましたが、この文章は心から書きたくて書いているものではなく自分の頭の中でつっかえている塊を一旦外に置きたくて書いているものです。


なので、読んでいて楽しいものではありませんし書いていても正直疲れるだけで時には苦しくもなります。


ならば書くのを止めるのも手なのですが、その決定は最後にするとして、たとえ全て書き終えても内容を見なおした上でお蔵入りするかもしれませんし気がすんだら削除するかもしれません。


ぼくはこのブログで書いている独り言をそのまま多くの人に読んでいただき広めたいという意思はまったくありません。


やはりその目的は自分の本分である小説を通して伝えていきたいものです。


それでもなぜ今書いている文章を手放せないかというと、その内容が期せずしてこの現実社会の知られざる実像をつかんでしまっているからです。


それは他のネット上で発信されている主張や情報に比べて特段深くもなくセンセーショナルで衝撃的なものでもありません。


ただ、ぼくの書いている文章の内容が他のもっとスゴイことを書いている人たちの文章と何処が違うのかというと、文章に色気があるとかそういうことではなく(最初からないねorz)ごくフツーの常識的思考の範疇で、もっと平たく言えば新聞やニュースで言われてる出来事や言葉の組み合わせだけで、現時点でほとんど誰も気がついていない世の中の矛盾の核心をあらかた説明できてしまうことです。


それは決してわかりやすい上手い表現とは言えませんが、物事の流れを読める人ならばすぐに腑に落ちると思います。


なら早く書けばいいじゃんと心のなかのコビトさんが囁いてきますが、それでもなぜ乗り気になれないかというと、現時点でそういったことを解き明かそうとしてみたところで一体何の意味があるのかということです。


もともとこのブログで自分の考えを世の中に広めようなどという意思は全くないので、そもそもが99.9%意味のないことなのですが、それでもその結果について考えてみると、仮にぼくの文章を全て読んで理解してくれた人がいたとします、ぼくの文章がその人にとってはたしてどれほど良い影響を与えられるかというと、多分良い影響はほとんど与えないだろうと予測できます。


ハッキリ言って世の中の矛盾の構造の核心を理解できたところで、自分自身でもそれを何とか良くする方法はないものかと考えましたが、理解が深まれば深まるほどそのままではもうどうにもならないから行き着くところまで行った後もう一度新たな方向を向いて這い上がってくるしかないという結論に至ります。


むしろその実情を正確に理解しただけで思考が止まってしまうと、打ちどころが悪ければ絶望感に浸ってしまうかもしれませんし、そこまで真に受けなくても100%滅入るだけの内容です。


そこで、そういった負の意識が優らないように必要な要素は何かないものかと求め続けた結果2つの答えが浮かび上がりました。


それは変化の先の未来に対する希望のビジョンと人間が人間らしく生きていく上で必要不可欠な普遍的な愛の存在です。


そこでそういった変化の後に必要とされるであろう価値観を内包した小説を今のうちに書いてしまおうと日夜奮闘しているのですが、そのためにどうしても先に挙げた”世の中の矛盾の核心”が避けて通れない壁として立ちはだかります。


その矛盾の壁を完全に区別して人間愛だけを追いかけた物語を書けばいいのかというと、それはいずれ古くなって役に立たなくなります。


それが絵空事にすぎないと誰にでも分かってしまうからです。


また、一人ひとりの人間が持つ普遍的な欲求という観点からも避けては通れない課題であることがハッキリと分かってきます。


人は誰しも自分が自分らしく生きたいと思う強烈な欲求を持ちながら生きています。


それはたとえ現実的な諸条件を考えて無理だと納得させても心の奥底で燃える思いを完全に消すことは誰にもできないものです。


本当は生まれてくる人たちのほとんどが、その自己実現の欲求を叶えるための力を秘めているのですが、他人との比較や見栄などの余計な欲求に阻まれるなどして発揮できずに終わってしまいます。


そして、そういった要らない欲求やしがらみを正しく見ぬいて制するためには真の客観性をもつ必要があります。


さらに自分の夢をこの現実社会で実現させるためには、その社会そのものを正しく理解することが必要不可欠です。


今まではみんなが考えている常識を理解して自分が所属する組織や立場から要求される条件に適合できるようになることで自己実現を果たすことが出来ましたが、これから大きな変化を経過した後は状況が一変しているかもしれません。


ひとたび世の中が変化するともう二度と元の状態には戻らないことは歴史が証明しています。


そのために、これから自分の人生を決めようとするぼくより若い世代は時代が変化するという前提で備えておく必要があります。


そこでぼくが今書いている文章が役に立つと言いたいところですが、なにぶん内容がエキセントリックすぎて役に立つどころか効きすぎてかえって逆効果になると思います(多分)。(特に常識的価値観のみを信じ込んでいるような真面目な人には刺激が強すぎます)


こう書いてくると例の文章はとりあえず書いておくだけで蔵にしまっておいたほうがいい気がしてきました。


あと、もうひとつ懸念していることは、ぶっちゃけて言えば今の人たちの多くはこういった内容に興味を抱かない以前に理解する能力が欠けてしまっているということもあります。


今の人たちは自分の欲求が求める対象以外は2時間以上同じ事を継続して考え続けることができなくなっている人がほとんどです。


悪く言っているだけように聞こえるかもしれませんが、それは環境がそうさせたもので、今を生きるほとんどすべての人たちは小学生の頃から細切れの勉強に慣らされ、大学を出て社会に出ても忙しい時間の中でめまぐるしく変わる状況に切り替えながら対応しなければならず、拘束時間を解かれた後もプライベートの生活や娯楽でストレスを紛らわせながら日々を送ることが習慣になっています。


そういった条件の中で社会全体の成り立ちや歴史について深く理解した上でその流れをを把握し続ける事の出来る人は、それ自体を好んでするような物好きな変人と時間的にゆとりのある人だけに限られます。


なのでこういった話をそのままストレートに拡めようとしても世の中にはほとんど響かないまま終わるほうが多いのです。


それにいつの時代にも言えることですが、こういった込み入った真実を必ずしもすべての人が理解しなければ幸せになれないかというとそうではなく、知らなくても自分の人生をしっかり生ききれる人は沢山いました。(かつてスイスの哲人が”わかった者は遠ざかれ”と言っていましたが、こういうことを指して言ったのかもしれないですね)



ただ、ぼくのようにいったん社会の循環から脱落した人間はより詳しく知っておいたほうが有利かもしれません。


どちらにしろもはや自分自身で生きる道を探さなければならない身ならば人並み以上の知識と知恵は必要です。


そして今現在どういった立場の人であれ、この先の時代に欠かせないものは深い知識や情報以上に”物事を正しく理解する力”です。これだけは絶対に欠かせません。


ここまで思いの丈を書いてみて気持ちの整理もついてきました。


例の文章は公開するかどうかは別にして、気が向いた時だけ書き続け同時に小説の完成を急ぎたいと思います。


一日一日いっぱいいっぱいの毎日ですが、自分の目標に向かって努力できる時間と環境が自分に残されていることに感謝しながら頑張ります~(^^ゞ



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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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