北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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これから言うことは科学的に何ら根拠のない100%主観的な判断なのでハナシ一つでスルーしてください。
昨日夜に外を歩いていると異様に地面が硬くなっているような感覚を受けました。
それも一昨日までは地面の感じが柔らかかったにもかかわらず急に硬くなったような感じです。
実は以前にもこれと同じような感覚を経験したことがあります。
それはもうかなり前になりますが、釧路沖のでっかい地震が起きる直前の1週間ほどの間、やはり地面が歩いていると異様に硬く感じられ、いざ地震が起きたあとは逆にゆるゆるになったような柔らかい感じがしました。
余談ですが、その釧路沖地震の前日に西野幌の原野の上空で雲がかかった部分と青空の部分が一直線に定規でひっぱったかのごとく数十キロにわたり分離している模様を目撃しました。
その次の日に地震が起きたので、それが地震雲であった可能性が高いことに気づいたのですが、それがきっかけで地震と関連のある自然現象に意識が向くようになりました。
それ以後も地面から足元に伝わる硬さが変わることが数回ありましたが、必ずしも大きな地震と連動しているとはいえず、単に周期的に変化しているだけのようにも思えます。
詳しく調べて記録しているわけではないのではっきりしたことは言えませんが、遠方の地震と関連していることもあり、かなり離れた地域で地震が起きたあと地面が柔らかくなった時は「ああ、この地震のエネルギーだったんだね」と気づくこともありました。
どうも太平洋方面からの影響を受けやすいのかな~という気もします。
以上は何ら根拠のない感想なので話半分でスルーしてください。
ただ6月以降は再び地震活動が活発になる予想も一部で出されているので普段からの防災意識の継続は重要です。
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昨日と29日に相次いで見送り鉄に出かけましたが、そういった口実を作り気分転換に出かけるときはたいてい、精神的にちょっと詰まっていたり、目下取組中の作業で壁にぶつかっていたりする時だったりします。
ちょっとした汽車旅で脳内がリセットされるのはありがたい限りですが、そうしているうちも懸案をすっかり忘れ去ることができるのかといえば決してそうではありません。
ほんのささやかな旅の道中ですが、色々と考えさせられる光景に出くわすこともしばしばです。
昨日の帰りの車内で男女の大学生の会話を聞きました。
聞くところによると男性は浪人上がりの年上で、女性のほうは同級生ながらも年下の組み合わせだったようです。
まだ付き合っているという段階ではなく気の合う二人組といった面持ちです。
最初は大学の抗議やレポートの話題などありきたりなことばかり話しているようでしたが、途中から女性のほうが男性に向かって将来の展望や高校時代の経緯を聞くようになり、次第に同棲についてやちょっとした恋愛論などを話すようになりました。
どうやら女性のほうが男性の方に気があるらしく、それとなくアプローチをかけている最中のようでした。
う~ん青春しちょるなぁ~とか内心思いつつ聞き耳を立てまいなどと抵抗しようにも30cm背後で語られては自然と耳に入ってきます(^_^;)
それで男性の方はというと(女性との交際について)あれば正直嬉しいが、ないならないでそれもまた良いという気持ちのほうが強いという返事でした。
そういう優柔不断な男性に対してその女性は「そんな事言わないであなたは絶対子孫を残すべき」とかなりストレートな発言で応戦していました(汗)
こういった会話をはからずも聞いて思ったのは、女性の方もけっして下世話な考えで誘っているのではなく、その人なりに人生について真剣に考えた結果、その一人の男性を思い続けているんだろうなぁーということが伝わって来ました。
老婆心ながら思うことは、男女がそれぞれ異性との人生に対して真剣に考える時期は微妙にズレがあるもんだということです。
その男性も今時の大学生にしては珍しく物事を自力でしっかり考えられる人のようでしたし、でもそれゆえに要領の良さだけを求められる世の中の流れには遅れがちで不器用な一面もあるようです。
つまり男性のほうが相手との人生を真剣に考えられる段階にまだ至っていないということですね。
人生は何事もタイミングが難しいという実例のハナシでした~orz
実例といえばもうひとつ。
同じく岩見沢からの帰りの車中で出くわした大学生男女4人組。
こちらは例の狭い711系のBOXシートでスマオを片手に男女4人がわいわい騒いでうるさかったのですが、その中のムードメーカ的な男が向かいの膝つき合わせた清楚系な女性に気があるのかさんざんちょっかいかけていましたが、女性の方は嫌だという意思表示が出来ないタイプのようで終始視線をそらしていました。
それでも男性の方はスマホのカメラでどう見ても嫌がっているであろう女性の写真を撮りまくって、あげく落書きアプリでゾンビ顔かなんかに加工して見せびらかして喜んでいました。
これはどう見ても脈はありそうもないなぁ・・・。
大学生の恋愛模様にもけっこう格差があることを垣間見た実例のおハナシでした~orz
PS)
表題とは全然関係ない話題に飛んでしまいましたが、6月に入り世の中の微妙な空気の流れが少し荒れてくるような気配が感じられます。引き続き災害に対して注意意識が必要なのと、人々の中にも精神が荒れがちな者が多くなってきている気配がしますので、これについては外部の者に対して警戒するよりも、むしろ自分の内面に荒んだ気持ちを持って外部のそういった意識に同調しないよう心持ちをしっかり持つことが肝要です。一説によると6月以降は人それぞれの心持ち次第で良い状況を呼び込むか悪い状況を呼び込むか分化が進みやすいとのことです。これは意識が状況を生み出していくという単純な法則によるものです。
今日は明日の学園都市線電化を控えた従来ダイヤ最終日ということで、札幌15:00発浦臼行き普通列車に乗車してきました。
写真は札幌駅入線の様子で最終運行日ということもあり同業者さんが数人ほど駆けつけていました。
札幌駅構内の電光掲示板で一日に一度だけ表示される浦臼行きの文字も今日で見納めです。
再びホームに上がって一枚。
周辺ではちょっとした撮影会のようになっていましたが、お別れセレモニーの時のような喧騒はなく静かな見送りといった風情でした。
最後尾のキハ141-5の面構えです。
今日の編成はキハ40-402を先頭にキハ141+142の8と5の2ユニットを引き連れた総勢5両でした。
今日は先頭の浦臼直通用キハ40-402ではなく、当別切り離しのPDC編成一番後ろのキハ141-5に乗車することにしました。
昨日の夜、時間を作って岩見沢まで出かけて旭川行き石油列車の最終便8373列車を見送って来ました。
一応写真をとったのですが、ご覧のとおり粗々の粗末な出来上がり、、、それでも参考程度になれば幸いです。
驚いたのが後部に連なる石油タンク車の両数でわずか1両でした。(車号タキ243737)
まさに最末期の様相ですが前部のLNGガスコンテナ車はまとまった両数で今後もそれなりの需要があるようです。
最後に黄昏時のキハ40&711系の国鉄型コンビを。
写真はメタメタでしたが最後に見送ることができてなんだか気持ちがすっきりしました。(天狗まんじゅうもゲットできたし)久しぶりの岩見沢でしたが、空知のゆったりとした時間をつかの間味わうことが出来ました~(^^)ノ
危機感を持ち続けるということはただ不安を抱き続けることではありません。
むしろそのやっかいな不安の種をなくすことはできなくても、その根本をしっかり理解した上で受け入れることです。
ただいまの世の中の雰囲気を見ても何か漠然とした不安感から来る苛立ちのような気配を随所で感じられます。
そして意味もなく物事に反感を抱くような意識に陥り正しく判断できなくなっているような人も見かけます。
それはおそらく言葉に表せない漠然とした不安感やストレスが、ここ最近の不透明な状況が続く中でたまり続けて、自分でも気が付かないうちに行き場を失っているかのように思われます。
そこでその不安の根本と向き合ってその正体を掴むことが出来れば、たとえその不安やストレスの原因を今すぐに取り除くことができなくても、何もわからずただ漠然と恐れている状態よりはずっと重荷が減るはずです。
ただ、ここ最近の状況を察するとその不安を抱かせるものの正体をはっきり見定めることはまだまだ困難なように思えます。
ぼく自身取り組んでいる作業との兼ね合いで常に世の中の掴みどころのない一面を先読みしようとしているのですが、その実感としてはもうしばらく時間が経てば何かはっきりと分かってくるものがあるように感じています。
このブログの中で再三にわたり経済や通貨のことについて何かと言及してきましたが、今の不透明な世の中の掴みどころの無さの中で、そういった分野から最も早く具体的な影響を表すと前々から感じていたからです。
お金や経済がこれからの変化の本質ではありませんが、今の現状ではそのお金や経済がこの世の中のあらゆる分野で関係してそれがなければ全てが成り立たない状況です。
ところがそのお金の価値そのものが大きく揺らいでいます。
ちょっと想像しがたいことですが、ある日から財布の中にある1万円札の価値が揺らいでくるということが現実に起こりつつあります。
つまり自分の持っている1万円札の価値が今日と昨日と明日で異なっているという日常が起こりうるということです。
今までの世の中においてはお金の価値ほど安定した価値判断の基準はありませんでした。
それが常に揺らぐ相対的なものにすぎなくなってしまうのがおそらく近い将来の姿です。
そういった価値判断基準の変化の影響は物価や社会的な問題にとどまらず、その中で生きて生活している仙人以外のすべての人々の人生に影響します。
その大きな変化に対応できるように今のうちに心のあり方を変えておくことが肝要です。
変化に対応できる心を備えておけば移り変わりゆく外の世界の変化に自分自身の根本まで脅かされずに済みます。
そういったことを考えてみると、今の漠然とした不安感の空気の正体は変化に対する本能的な恐れの蓄積にあるように思えます。
たとえ世の中が大きく変化しても人間としての生きる基本は何一つ変わらないとぼくは信じています。
その要の一つが生かされていることに対する感謝です。
こういうと馬鹿にされるかもしれませんが、漠然とした不安に襲われた時、そこからリカバリーする一番の特効薬は何でもいいからとりあえず感謝の念を抱くです。
人間が不安に陥るときは、実は潜在的に一番自分のことだけにとらわれている瞬間であり、その自己中心的な意識のオリを打ち破るには、その正反対にあたる自他の区別がない意識である感謝の念が一番有効なのです。
お金に基づいた意識はとかく自己中心的になりがちです。
当然、お金を中心にそれを一番信じているような状態では不安感は倍増します。
別にお金が悪者なのではなく、それに向き合っている個々人の心のあり方が反映するだけです。
なので、自分の心をシフトすることでお金の持つ意味も変わり状況もシフトします。
この先の時代もお金の存在そのものが無くなったり無価値化することはないと思いますが、その持つ意味やもたらされる価値の性質は大きく変わっていくと思います。
今日は思いついたことを取り留めもなく散文的に書いてみました。
いよいよ今月末の石油列車旭川便及び帯広便の廃止が間近に迫って来ました。
そして石油列車廃止の煽りを受ける形で終端の十勝鉄道と北旭川の側線も命運を断たれる形となりました。
※写真は新札幌で撮った札幌便の後ろ姿です。
石油列車の札幌便はかろうじて存続されて全廃を免れましたが、おそらくそれもあと数年以内にタンクローリーに移行する体制が整い次第廃止の運命でしょうし、2年弱後の石北貨物存廃の結論が出されれば道内の鉄道貨物輸送網は一昔前では考えられないほどの縮小期を迎えます。
さらに長い目で見ればコンテナ輸送も安泰とは言えず、末端区間の釧路、富良野のみならず大動脈の道内~本州路線も新幹線の開業による並行在来線の経営分離問題などにより運航コストの増大による減便や撤退などもありうることだと思います。
こういった鉄道衰退の流れが国鉄解体以来の”時代の流れ”の一括りですまされてしまうことに最近では疑問と違和感を抱くようになっています。
というのも鉄道貨物輸送は国鉄末期に車扱い貨物が大整理されてコンテナ輸送が主流となり、JR貨物発足後も合理化が続けられ現在では相当な効率化が達成され、これ以上縮小するよりもむしろ鉄道貨物輸送の自動車輸送比1/10ともいわれる省エネルギー大量輸送を生かした利用拡大を図る時期に来ていると思います。
にもかかわらず、なおも鉄道が貨物輸送のみならず旅客も含めて年々縮小を余儀なくされている理由は採算性や需要減といった理由以外にも何かありそうな気がしてなりません。
そこでひとつ考えられることは道路利用の拡大と自動車産業の振興との兼ね合いです。
もともとこの国の物資輸送の多くは近代国家として成立した直後から鉄道が大部分を担って来ましたが、戦後の経済発展と道路整備の進展とともに自動車輸送に切り替わっていきました。そして、そういった時代の流れはやがて自動車産業が国の経済を支える輸出産業の柱となるほど成長させ、更にその背後では自動車利用の右肩上がりの増加とともにほとんど無制限に道路を建設できる公共事業天国を現出させました。
つまり鉄道輸送を切り詰めて自動車と道路の需要を増せば経済の発展がはかれるという図式が長らくこの国全体で適用されてきたということです。
しかし、その図式が目論見通り上手く通用したのは経済が右肩上がりの成長を続けられたバブル崩壊前までで、リーマン・ショックを経た世界同時不況の現在ではメリットどころか国全体の借金が雪だるま式に増え続けるという、かつての国鉄財政赤字をはるかに凌ぐ構造的弊害の大きな要因となっています。
かつての国鉄も含め鉄道や今話題になっているHACの問題など、それらの赤字や採算性の問題を掲げられるとさぞ社会の足を引っぱり国民の負担になっているかのように思わされますが、実際にはそれらの桁10個分以上の負担を強いてきたのが道路やその他の巨大なハコモノ公共事業だったことは見逃してはならない事実です。
鉄道は赤字まみれな一方で道路には赤字が存在せず一方的に利益のみを生み出してきたということは現実的にありえません。
鉄道はそれ自体が独立した事業としてみなされ収支が算出されますが、道路は純粋な公共インフラとしてその経費は国全体の収支の一部として扱われます。
なので日本全国すみずみまで道路を建設し毎年のようにアスファルトを引き直しても赤字とはみなされず全て国全体の予算経費としてどんぶり勘定です。
そのどんぶり勘定を支えてきたのが他でもない燃料税やら重量税などあらゆるレベルで徴収される国民の税金なのですが、ついでにいえば一般税からも賄われますから自動車を使うかどうかにかかわりなく無差別負担ですね。
しかし、そういった身の丈を全く考えずに広められた道路網やその他の公共インフラを今後も同じ水準で維持管理することがほぼ不可能になりつつあることが最近の算出によって明らかになってきました。
これからは便利な自動車による新しい時代が来ると言われ続けているうちに見えない赤字が膨らみ続けて国民全員がそのつけを払わされる日が着実に近づいているようです。
国鉄が民営化されてから鉄道は特定の補助金以外は税金を投入されずに何とか維持運営されてきました。
来るべき経済大縮小時代にはかつての国鉄時代とは異なり、かえって財政にやさしい輸送機関として鉄道が復活を遂げる日がくるかもしれません。
PS)
今日の記事は何やらかなり鉄道擁護論に傾いてしまいましたが、今までの社会の現実がそれ以上に傾いた状態で長年推移してきたことを鉄道にかこつけて記したかったからです。いま日本の社会全体で高度経済成長期以降に作られた道路や河川、ダムやトンネルや橋、上下水道に至る公共インフラ全てがのきなみ老朽化して更新時期を迎えており、それらの費用を算出すると今の国や自治体の財政ではとても賄い切れない規模の額で、このまま行くと10年先には日本中でこれらの老朽化した施設があちこちで使用不能に陥り修理できずに打ち捨てられるようになると言われています。今後こういった問題がマスコミなどに取り上げられ一般に周知されるようになる頃には今の年金問題を凌駕する大問題になっているはずです。そしてそういったツケの支払いは増税や公共サービスの低下といったものに収まるほど生易しいものではなく、最終的にはデフォルトや円通貨の暴落も含めた大変な混乱を伴う事態も想定されます。もうそこまで行ってしまうと世の中全体の価値観はひっくり返って今までの常識的価値判断基準はことごとく通用しなくなります。そしてお金や経済の価値もすっかり変わって今まで発展とみなされてきたものがそうではなく衰退をもたらし、逆にこれまで軽んじられていた分野が重きを置かれるようになったりします。そういった大変換がいつ起きてもおかしくないという状況を踏まえた上で鉄道という一分野を見つめ直すと今までとは違った社会の側面が見えてくるかもしれません。
今日の記事は何やらかなり鉄道擁護論に傾いてしまいましたが、今までの社会の現実がそれ以上に傾いた状態で長年推移してきたことを鉄道にかこつけて記したかったからです。いま日本の社会全体で高度経済成長期以降に作られた道路や河川、ダムやトンネルや橋、上下水道に至る公共インフラ全てがのきなみ老朽化して更新時期を迎えており、それらの費用を算出すると今の国や自治体の財政ではとても賄い切れない規模の額で、このまま行くと10年先には日本中でこれらの老朽化した施設があちこちで使用不能に陥り修理できずに打ち捨てられるようになると言われています。今後こういった問題がマスコミなどに取り上げられ一般に周知されるようになる頃には今の年金問題を凌駕する大問題になっているはずです。そしてそういったツケの支払いは増税や公共サービスの低下といったものに収まるほど生易しいものではなく、最終的にはデフォルトや円通貨の暴落も含めた大変な混乱を伴う事態も想定されます。もうそこまで行ってしまうと世の中全体の価値観はひっくり返って今までの常識的価値判断基準はことごとく通用しなくなります。そしてお金や経済の価値もすっかり変わって今まで発展とみなされてきたものがそうではなく衰退をもたらし、逆にこれまで軽んじられていた分野が重きを置かれるようになったりします。そういった大変換がいつ起きてもおかしくないという状況を踏まえた上で鉄道という一分野を見つめ直すと今までとは違った社会の側面が見えてくるかもしれません。
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HN:
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年齢:
43
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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