北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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久しぶりに熱出してダウンしてます、、、orz
夏風邪は油断大敵。
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※表題の通りインチキヘリクツ記事を途中まで書いていましたが、熱を出してからストップしてしまい時間もだいぶ経ってしまったので、後日改めてまとめの記事を書こうと思っています。
今の複雑な時代について、自分なりにあれこれ考えながら理解しようと務めていますが、分かれば分かるほど事態は深刻かつ複雑であることが実感できましたし、一方で思ったほどに悲惨な事態にならないのではないかという希望的な観測も出来る気がします。
昨今の社会情勢ついて、現段階でははっきりしたことが分からない状況ですが、なぜ今のようになってしまったのかという原因については、ある程度客観的に理解しています。ですが、いかんせんそれをキチンとしたかたちで説明できる能力が足りません・・・orz
ぼくは何か独自の主張や情報を自ら発信しようという気は全然ありませんが、ただ自分なりにこの先の変化の時代を可能な限り先読みした上で、その後の時代に備えていたいという気持ちはあります。何よりも、この先の時代の変化がある程度見通せない限り、自分自身の人生設計をより一歩具体的に前へ進めることが出来ないからです。
一度、時代の変化の火蓋を切られると、今この時に居合わせている人々全員が、あらゆる立場や身分に関係なくその変化に晒されるでしょう。
そして、もう二度とそれ以前と同じ状況に戻ることは無いでしょう。刀とちょんまげの時代が終わった明治維新、勇ましい軍国主義がおびただしい犠牲と共に終わりを告げた終戦、、、それらの時代の節目を通過した後、二度とそれ以前の状況に帰ることはありませんでした。
そして今度は、経済競争と消費を謳歌し尽くした戦後現代社会です。その終わりと新しい時代の節目は、いつか必ず訪れます。それがいつかはぼくには分かりませんが、でもそう遠くない様な気がしてなりません。なぜなら、その時代の成長と拡大を可能にした全世界をめぐるお金の流れとその価値が飽和しようとしているからです。
ぼくのインチキでヘリクツな記事では何一つ確かなことは言えませんが、そろそろ自分の判断で考え、リサーチし、準備をしておく時期になりつつあると思います。
(2010/11/1)
前回に引き続き、経済関連の屁理屈記事を書こうと思います。
今日はアメリカ社会の現状と実態についてまとめてみようと思います。
前回の記事で、リーマンショックのあらましについて書きましたが、おりしも、そのアメリカ金融市場を規制する法案にオバマ大統領が署名して成立したようですね。
この1,500ページにも及ぶ金融改革法案がいったいどういった代物なのか、素人のぼくにはまったく見当もつきませんが、1930年代以来の抜本的改革ということで、それ相応の意義のある法案なのでしょうね。
ただ、この法案は適用される範囲が広範に及ぶために、実際に施行された時にどういった効果を発揮して、どのような結果をもたらすかについては未知数な部分が多いようです。
そういったウォール街を中心とした、いわば上層社会の変革が動き出す一方で、底辺の労働者層では失業率の高止まりが続き、街には長期失業者が溢れかえっているという有様です。統計によると、アメリカの全国民のうち8人に1人が食料配給制度で食いつないでいるという、日本を遥かに上回る貧困格差が生じています。
そういった底辺層の実情が待ったなしの状態まで悪化してきたために、金融改革法と合わせて失業保険延長法案が可決されたり、先日、難産の末に成立した国民皆保険法などと合わせて救済策が急ピッチで進められています。
★
アメリカの産業は1980年代以降、国内の製造業が軒並み人件費の安い日本に移動し空洞化が進みました。それと引換にして、ウォール街を中心とする金融産業が急速に成長して1990年代以降のアメリカ経済を支える主要な産業となりました。
世界中の貿易の決済や、あらゆる財やサービスの取引の基準通貨としてのドルを武器に、先に述べた規制緩和と金融システムの進化によって莫大な富をアメリカ社会にもたらすことになりました。
隆盛をきわめたウォール街では年収が日本円でゆうに1億を超えるサラリーマンが闊歩するようになり、CEOなどの重役にいたっては100億を超える報酬が貰い過ぎとの批判を浴びています。そのウォール街から産み出される豊富な資金を元手に、ハイテク、軍事、石油関連産業などが発展しました。こうした産業に携わる人々がアメリカ社会の上流層を成し、そういった人々の旺盛な消費によって日本を含む世界中の国々の輸出産業を支えてきました。
しかし、そうした上流層はアメリカ社会のごく一部で、そういった人々の生活や経済活動を支えるためのサービス業や物流などの産業を大多数の底辺層の人々が担ってきました。そういった、日本で言うところの3K+非正規雇用をアメリカではスレーブ(奴隷)産業と呼ばれています。
そういった産業に携わる人たちは2つから3つの職業を掛け持ちして何とか人並みの生活を維持していますが、不況で職を失ったり病気で仕事を続けることが出来なくなった場合、これまでは失業保険も健康保険も民間の高額なものを除いて充分な公的保険はありませんでしたから、民間の保険に入る余裕のない低所得者層はとたんに生活に行き詰ってしまいました。
日本では当たり前のように思われている失業保険や国民健康保険が、アメリカでは長年に渡る上流層の負担増反対を押し切ってようやく成立する運びとなったことは歴史的な成果と言っても過言ではないのです。
★
こういった格差社会の構図は、ここ最近の日本の情勢とも重なりますが、日本の場合は衰退し始めたとはいえ、まだかろうじて中産階層が社会の主要層として支えています。ところが、アメリカ社会が決定的に違っているのは、国内の製造業各社が人件費の安い中国やアジア諸国への生産部門の移転が日本以上に進んでいるために、大手製造業を中心とした中産階級がほとんど消滅してしまっていることです。その結果、高学歴者が占める社会の上流層と低所得者層の間が無くなり完全な2極化が進み、それが定着することで世代を超えて格差が固定される社会構造になりました。
世界一の先進国アメリカの社会が抱える格差の度合いは発展途上国並と言われています。一説によると、先日サッカーワールドカップが開かれた南アフリカと比べて、治安の悪さと格差の極端さにおいてはそう大差無いとまで言われています。
★
ここで気が付くべきことは、アメリカが世界で一番の物質的繁栄を謳歌しながらも、その繁栄に必要な物や財のほとんどを外国に依存し、自らはごく一部しか産み出していないという事実です。
それを可能にしているのが、再三申し述べている通り、金融市場と基軸通貨ドルを主体としたグローバル経済の仕組みですが、それが今、構造的に行き詰まりうまく機能しなくなってきています。
自ら汗水流して働いて何かを生み出すことをしない人たちが、知識と知恵を働かせてお金をかき集め、そういったことが可能な一握りの人間だけが繁栄と豊かさを教主し実権を握る、一方で、そうなれない残りの大多数の人々は貧しさと、さらなる脱落の恐怖で押さえつけられる、さらにそれのみならず、差別という楔を打ち込まれて貧しい者同士が互いに憎しみ合い暴力を振るうように仕向けられている、そんな世の中がアメリカ社会の真の実体です。
経済的に恵まれた家庭に育ち、能力素養にも恵まれて、努力を怠らず暗い脇道にそれることもしないで大学を卒業し、名の通った企業に就職しキャリアを重ねる・・・晴れて社会の上層部のポジションを獲得したとしても、その足元の社会の実体は上に述べたようなものです。そして、自分が立っている社会の明るい一面、一見すると前途が洋々と照らされているように見える世界も、その表の皮を一枚めくれば腐敗と欺瞞に充ち満ちています。
グローバル経済とは、より貧しい者たちが住む世界から、より豊かな者が暮らす世界に半ば自動的に富を吸い上げて実権を奪うものです。その不正と言っても差し支えない、巨大な富の流れの力を借りて築いた虚構の繁栄が、まもなくその寿命の限界を迎えようとしています。
★
そういった虚構の繁栄と豊かさに長く浸りきっていると、たとえ元々がごく普通の善良な人であっても、やがて魂と精神が侵されて腐っていきます。いったん享楽の味を知ってその虜になり、精神が脱落の恐怖と猜疑に絡め取られてしまうと、そこから抜け出すことは至難の業です。アメリカ社会に酒と暴力とドラッグが深く根を張り続けているのも頷けることです。
そして実際に、リーマンショックの前後からエリート上層組に属していた人たちの脱落が急激に増え始めました。最初は飽和し始めたIT技術者層がより低賃金なインド系に取って変わられたことで、リーマンショック後にはその本体であるウォール街の金融大手社員を含む証券、銀行系社員、ショックの煽りを受けて経営が行き詰まったアメリカ自動車業界ビック3による従業員大量解雇etc...
これまで年収数千万円以上稼いでいた高所得者が一転して低収入の不定期雇用を掛け持ちするようになったり、それでもまだ仕事を確保できる人は良いほうで、ひどい場合は食料配給で食いつなぐだけのホームレスにまで転落する人たちもいます。また、アメリカでは掛金を運用するタイプの年金が一般的なために、リーマンショック後に運用益が激減し老後の生活設計が成り立たなくなる事例も相次いでいました。こうした、社会を支える主要層の脱落が止まらない状況に対して、何とかしてほしいという期待を一心に受けてオバマ政権が誕生したことは記憶に新しいところです。
ちょっと驚きましたが、721系初期車も登場から20年くらい経っているわけで、そろそろ更新されてもおかしくないかな?とは思っていました。今年度の事業計画にあった近郊電車の更新費用はコレのためだったんですね。
711系試作車登場以来、北海道専用電車の伝統であったサイリスタ位相制御による直流モーター車の歴史も終焉に向かいつつあるようですね。
まさかのタイムリーでしたが、こういう時に限ってコンデジすら持っていない始末、、、orz
仕方無しにオンボロケータイカメラでの記録に。まァ、無いよりはマシということで・・・。
さっそく、更新後の乗り心地を確かめながら乗車しましたが、いつもの低周波っぽい唸りが全く聞こえてこないので違和感がありますね。インバーターの変調音で機器名が判別できるほどの知識は持ち合わせていませんが、ビーと濁ったような変調音が聞こえたので、おそらく731系最終増備車と同じ2レベルコンバーターではないかと思われます。
今回の改造で最も目立つものは、サイリスタ時代のクモハ721-7が電装解除されてクハ721-2107に改番されたことだと思います。車内を確認する限り特徴だった雪切室の出っ張りもそのままで最小限の改造しかされていないようです。外のルーバーもそのまま残されていました。客室の内装も特に変わった様子も無く、床が綺麗になっていたことから、床材は新たに張り替えられたようです。RM誌で紹介されているように、屋根の抵抗器もカバー諸共撤去されていました。
いよいよサイリスタ車の時代も終わりに近づいてきたかと思うと感慨深いですね。711系から781系、そしてJR型である721系に到るまで、あの独特な唸り声のようなモーター音こそが電車の音だと刷り込まれて育ったようなものですから、いざそれが聞かれなくなるのは寂しいことですね。唸るわりにはなかなか加速せず、反対に高速域に達すると安定した走りに様変わりする、そのおおらかなリズムが乗っていて心地良い感じがするものです。
対して、最近の標準であるインバーター車は加速も減速も鋭い上にスピード感がありますが、変調音の甲高さが耳につくこともあって少し神経質な印象を受けます。電気的にも高周波のノイズがより強く出ているのではないかと思われます。
不思議ななことですが人間が開発した技術は、より新しく効率的なものよりも時代を遡ったより古い技術のほうが、なぜか人にとって優しく感じられるものが多いですね。電車よりもディーゼル、さらにはSLという具合に、同じ電車でも最新のインバーター車よりも、サイリスタや電機子チョッパなどの半導体制御車、さらに古典的な抵抗制御車のほうがゆったりとした感覚を味わえます。
それでも登場から20年以上経た721系がインバーター制御として装いを改めたことは素直に喜ばしいことですね。剛性感たっぷりのステンレス車体はまだまだ傷みも目立ちませんから、さらにあと20年くらいは活躍できそうです。内地では同世代かそれよりも新しい成田エクスプレス用253系や205系、209系などが大量に廃車されています。それに比べると、生まれ落ちた会社がたまたま裕福ではなかったために大事に使われて生きながらえることが出来るわけですから、車両の運命もそれぞれですね。今まで慣れ親しんできた車両が、これからも元気な姿で活躍する姿を見られることは文句なしに嬉しいことです。
何でもかんでも経済効率優先で使い捨てられるご時世の中でも、鉄道車両くらいは限り有る貴重な資源として出来る限り長く有効活用して欲しいものです。
ここ最近の世の中の情勢はホントに先行きが見えてきませんね。
テレビ、新聞などの報道では、政治と財政の行き詰まりを伝える一方で、経済においては部分的な好材料を意識して取り上げているようにも見受けられます。
今は一段落したようですが、異常気象による集中豪雨の被害などが連日のように報道されていますし、そうでなければ相撲界の騒動や、いいかげん聞きあきた政治と金の問題など、お決まりのネタが繰り返し報道されているだけです。
ネット上では、そういった閉塞感を受けてか、明日にでも何か危機的な事態が発生するかのような論説が飛び交っています。
そういった個人レベルの確証も保障もない(当ブログも含む)発言の中にも、理屈の上では否定することの出来ない一定レベルの可能性が含まれていたり、公共のマスコミでは決して取り上げられないような、マイナーだけれども確信を突いた情報なども少なからず見受けられるために、単に胡散臭いからといって一方的に無視できないものがります。
2012年やアセンション、UFOの到来など、現時点では否定も肯定もし難い、確認のしようもない内容については、もはや飛躍のし過ぎではと疑問を問いかけるだけにしておきますが、それも含めて今の時代の不透明さを現す一つの側面なのだと思います。
個人的にはオカルトもスピリチュアル系もけっこう好きな方なので、そういった目線で色々と想像をかきたてながら世の中の変化を見定めていくのもアリだと思います。
でも、なるべくながら、あらゆる情報や価値観を踏まえながらも、そういった事柄にあまり振り回されずに、冷静な判断で結論を導き出すように心がけているのですが、なかなか難しいことですね。
★
そう言いながら当ブログでも、あまり具体的すぎる内容は避けつつも世の中の情勢について今後、何らかの変化が起こりうるのではないか、という発言を繰り返してきました。
もちろん、ド素人のぼくが一般の人達がフツーに見聞きできる以上の何かを知っているわけではありませんし、ましてや超能力や透視能力を使って世の真相を見極めることも出来ません(^^A)
それでも、ネット上や世の中の論調を注意深く観察していると、何かしらの変化の兆しや気配のようなものをかすかに感じ取ることが出来ます。
それは決してあやふやな気分や感覚によるものではなくて、一定の可能性と内容を伴ったいくつかの理屈なのですが、それらを矛盾と誤解なくきちんと伝えることは、今のぼくの乏しい表現力ではなかなかもってして難しい課題です。
以下にその部分的な概要について、大雑把でもニュアンスだけは出来るだけ正確に伝わるように書いてみようと思います。
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昨今、危機が近づいていると盛んにはやし立てられている事柄の中心は、各国政府の財政危機や金融危機による経済破綻の可能性が現実化していることにあると思います。
日本の経済状況や財政状況が深刻な状態にあることは、最近の世の中の情勢を見れば一目瞭然ですが、問題なのは、そういった深刻な状況にある国々が、日本のみならずアメリカやヨーロッパを含む先進諸国の殆どが同時に陥っていることです。日本がバブル以来の放漫財政でこうなってしまったのは頷けますが、それだけに留まらずアメリカやヨーロッパを含む全世界的に連鎖してるのは何故なのか、なかなかもって想像しがたいことです。
その理由を一言で表してしまえばグローバル経済の行き詰まりということになると思いますが、その辺りについてド素人解釈ですが考えてみたいと思います。
その上で経済における難しい理屈は一切抜きにして、単純にお金の流れを中心に今の情勢を読み解いてみると少しは解かり易くなるのではと思います。
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市場主義経済は発展の見込みを先買いすることで成り立っていますが、その見込みに対してお金を剃りすぎたことで金余りが生じている、つまりバブルですね。
見込みで剃られたお金でも、市場に流された時点で銀行、企業、投資家などいずれかの持ち主が所有しているわけで、これらのお金の価値に確かな裏付けをするために、その価値に値する何らかの実体ある財に結び付けなければなりません。
そのために株券や国債、債券などの有価証券や土地や建物などの不動産、石油や金属などの資源、食料などなど世の中のあらゆる価値ある実体が取引の対象になります。
そこで投資家や証券マンたちが日夜、世界中の市場で画面に映る相場グラフと睨めっこしながら、自分の持分を減らさず少しでも増やすために売買に明け暮れているわけです。
それでも全ての投資家が損をせず得することが出来ないのと同じく、全ての企業や事業が見込み通りの利益を上げてくれるわけではありません。ある企業による事業が全く期待はずれで失敗したり倒産してしまった場合、その企業の株券や債権は全く価値を失い紙屑になってしまいます。そういったことが世の中全体で連鎖することが不況で、逆に見込み以上の収益を上げ続けることが好景気です。
市場主義経済では、世界中の実体ある価値の総和以上に見込みの価値が上回ります。見込みの価値が先行することで、実体経済がそれに追いつくよう発展を促す効果がある一方で、膨らみすぎた見込みの価値に実体が追いつかず、実は思っていたほどの価値が無いと確定してしまったとき、その上澄みの価値が消えて無くなってしまうというリスクが付きまといます。
★
当然のことですが、世の中の資産家や起業家、経済学者などは市場経済におけるメリットを最大限に引き出して、逆にデメリットを最小限に抑える術を考えだそうとしたわけです。それが金融工学と呼ばれる複雑な数学的理論によって編み出された方法論です。
市場経済では一度大きなバブルが弾けると、あったはずの資産が消えて無くなるだけでなく、企業が次々に倒産することで失業者が溢れ、多くの一般人の生活に深刻な影響を与えます。1929年の世界恐慌が最たる例ですが、巨大なバブルが一度弾けると、その国の経済だけでなく世界中の国々の経済を連鎖的に不況へ追い込み、第二次世界大戦の遠因にもなりました。
その教訓から、実体経済に対して見込みの経済が先走って暴走することを食い止めるために、一定の規制をかけて巨大なバブルを予防するようになりました。ところが、金融工学と呼ばれるリスク回避法が発達したことで1980年代以降、その規制が取り払われていきました。簡単に言えば、バブルが膨らみ続けても割れないようにすれば良いという発想です。そうすることで経済の発展を促してそれをより早めようとしたのです。
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90年代以降、それは非常にうまく行っているかのように見えました。見かけ上の経済は膨らみ続け、それに引っ張られる形で実体経済の発展も進み、それまでには考えられなかったようなハイテク技術が次々に実用化されて急速に発展していきました。その中で最も世界に変革をもたらしたものはIT技術によるネット社会の構築でした。
金融の世界においても、IT革命は新たな力をもたらしました。日進月歩で進化していく金融工学理論を、IT技術を利用することでさらに高度なレベルで実践することが出来るようになりました。金融工学の本来の目的であるリスク回避に留まらず、いかにすれば見込みのお金を最大限に膨らまして巨額の利益を挙げられるかに応用されていきました。その結果、ウォール街では過去最高の収益記録を更新し続けました。
そうして際限なく膨らんでいく見込みの資産=投機マネーに対して、バブルが弾けないように実体ある資産に結びつけるために、半ば捏造された資産の一つがサブプライムローンでした。おさらいですが、サブプライムローンは返済能力が見込めない低所得者層に高額なローンを組ませてプール庭付き一戸建てを次々に買わせて、不動産価格の高騰を演出、一方でそういった限りなく不良債権に近いサブプライムローンを細切れに分割して優良証券に紛れ込ますことでリスクを揉み消そうとするものでした。
しかし、それは酒樽の中の腐った酒を他のまともな酒の樽に少しづつ混ぜてごまかそうとするようなもので、その結果、まともだったはずの酒樽もみんな腐ってしまったのです。そうした信用不安に火が点いて世界中に飛び火した結果、あのリーマンショックが引き起こされました。
★
リーマンショックについて、その引き金となったサブプライムローンの悪質性ばかりが注目されていますが、アメリカ住宅市場の高騰も含めて、それらはあくまで引き金に過ぎません。問題の核心は、80年代の規制緩和以降、膨張を続けた投機マネーが行き場を失い、2008年の時点でもはや限界に近づいていたことと、そういった投機市場に依存しなければ世界中の経済が成り立たなくなっていたことにあります。
2008年のリーマンショックからまもなく3年を迎えようとしていますが、これまでの各国による財政出動が功を奏して一旦は経済が持ち直したかのように思われていましたが、皮肉にもその財政出動にかかった出費が財政を悪化させて次なる危機の火種になりつつあります。そして、この3年の間にはじけ飛んだはずの投機資産は再び息を吹き返しリーマンショック直前の水準を回復したと伝えられています。
こういったことから、世界中の専門家や識者がリーマンショック級の第二波がいつ来てもおかしくないと警鐘を鳴らしていますし、それらを大なり小なり受けてネット上の個人が連呼して危機を叫び続けているのも頷けることです。
★
一方で来るぞ、来るぞ、と言われ続けているのに世の中の情勢や市場の動向を見ていても、明日にでもそれが来てもおかしくない条件が整っているにもかかわらず、不思議なほど静かに推移して今日に至っているわけです。
これはどういうことか考えてみると、これまで市場を操作することで莫大な利益を産み出してきた金融工学システムが、今度は市場の崩壊を食い止めるために一役も二役も買っているのではないかと思われます。一秒間に100回の注文を裁いたり、ある銘柄の売買が集中したときに急激な値動きを抑制するために自動的に対応することも可能になっていると言われています。
もはや直接人間の手による操作では考えられないような調整が、現在の高度に発達した金融システムでは可能になっていて、その恩恵で前例や理屈の上ではすでに崩壊状態にある経済を自動的に支え続けることを可能にしているのかもしれません。それでも、膨らみに膨らんだ投機バブルはいつかは弾けるのが自然法ですから時間の問題であることに変わりは無いはずです。
★
2008年のリーマンショックの衝撃は、理論や前例に当てはめれば、その時点ですぐに世界恐慌クラスの大ドミノ倒しを引き起こすほどの威力があったのかもしれません。もしそうなっていれば、今頃はすでに世界中の経済がドン底まで落ち込んだ暗黒状態になっていたでしょう。
それが、かつてない高度な金融システムのおかげで免れて延命されているとすれば、すでに現時点で全く前例のない時代に突入していると言えなくもないと思います。
もし今の世界経済の不気味な均衡をビジュアル的に表したらこんな感じかもしれません。
これを見たとき、人間という生き物は、これほどまでにキモチ悪いものに情熱を注ぐことが出来るものかと、半ば呆れ果てながらも感心してしまいました・・・。
次回以降、こういった世界経済の情勢が、只今、世間で問題になっている日本の巨額の借金問題にどのようにして結びついて行ったのかを着地点にして書き進めてみようと思ます。
(その二へつづく)
RMのポータルサイトで日程とダイヤが公開されていましたが、情報規制が厳しくなった昨今では珍しいことですね。
野幌駅を予定通り11時過ぎに通過していきました。
DEは鼻筋が短いこちらのサイドの方が好みです。
久しぶりにカメラを取っての撮影でしたが、正面はやや後ピン気味・・・ちょっと感覚が鈍っていますね(^^;)
今日はこの後を追いかけて撮影したい気もしましたが、午後から家にいなければならない用事があったのと、どうも気合を入れて本気モードで撮影するほどの気力もなさそうなので挨拶程度の記録撮影で終了となりました。それでも、野幌駅の高架工事をバックに走る同列車の構図が撮れたので、それなりに意味のある記録になった気がします。
例年、32度以上の気温になると運行される可能性がある散水列車ですが、去年は試運転のみでシーズンを終えたようですし、近年の運行回数は多いとは言えないようですね。今年は一度でも本番運転があるのでしょうか?
いつか気力体力が充実したときに本番の散水シーンをモノにしたいという意欲はありますが、ここ最近の停滞モードでは難しそうですorz
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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