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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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夢と希望・・・、大人となった今では子供時代の都合の良いフレーズの一つにしか聞こえないのが寂しいですね。ぼくが子供の頃はバブル真っ盛りで小学校に入学、バブル崩壊後の90年代に小、中、高と成長して21世紀の到来からまもなくして成人を迎えました。あの時代を振り返ってみると今とは随分と雰囲気が違いましたね、何と言ったら良いのか、みな根拠もなく妙にアップテンポでハイテンション、夢や個性という言葉が持てはやされて、望めば誰でも特別な存在になれるような錯覚と気分が支配しているような時代でした。そうゆう華やかで活気がある表向きの一面がある一方で、裏側には強い不安と漠然とした虚無感が占めているという暗い一面もあったような気がします。そういった内面の不安や恐れを表面的な活発さで打ち消そうとした反動から、あのやっかいな自意識過剰文化を生み出してしまったのかもしれません。

そういった空気の中で醸造されたぼくらも現実社会に出ることによって、自分たちが居たそれまでの価値観と現実のギャップの壁にぶち当たった人も少なくないと思います。いつの時代も若者の自意識過剰からくる都合の良い理想像と、現実の自分に対する扱いの厳しさに対するギャップはつきものですが、ぼくらの世代はとりわけてその温度差が激しかったような気がします。個人的な成長の過程でぶつかる壁だけならいざ知らず、世の中に出てから今に至る僅か10年にも満たない間に世の中がこんなにも急速に冷え込み、これまでの矛盾がこれでもか~と言わんばかりに吹き出して自分たちの身に降りかかってくるとは思いもよりませんでした。そしてその変化の波はこの先いよいよ崩壊的な激しさに変わっていくでしょう。そういった激しい変化に真っ先にさらされながら生きなければならないことは今の若者の共通の宿命だと思います。

それを口実に自分たちが一方的な被害者だと誰かに訴えたいわけではありません。というよりも、今はほんの少しこれまでの過去を振り返って心の中の整理をする必要があると思うのです。あれほどキラびやかで勢いがあった自意識過剰文化も、実は未来が全く無い刹那の虚飾に過ぎなかったことが徐々に明らかになってきました。ぼくはこれまでの若者文化と呼べるものを全否定して悪者だと決めつけるつもりはありません、それはあまりにも乱暴すぎます。ただそこには一時の流行りものに過ぎなかったものと本質的に意味がる”本物”とがあり、未来に貢献出来る価値の無いものは自然に淘汰されて消え去っていく運命にあるということを前提に書いているだけです。いま社会が混沌としてきたなかで、誰もが浮かれた価値観の中で愉悦に浸っている余裕が無くなってきました。見た目の綺羅びやかさで負の本性を覆い隠せる時代が終わろうとしています。



もはや虚飾の衣を被せることができなくなった後に残るものは何でしょうか。剥き出しになった現実社会の厳しさと、もはや限度を超えた矛盾と理不尽さは改めて書き連ねるには及びません。一人一人の心の負の側面、依存と弱さ、不安と恐れ、その反動である刺激と虚無の繰り返し、比較と評価、、、優越感と劣等感、、、誰しもが抱える心のジャンクたちを隠れ蓑にスルーしてきた幼さの克服という宿題、、、それらを虚飾で美化することは最も醜い逃げ道です。呪いの言葉を吐いているわけではりません、これから本格化する古い社会規範の崩壊と新たな生成の過程において、その中で生きる一人一人の人間も自らの心の負と闘い克服する過程を否が応無く体験することになると思います。その現実と真正面から向き合おうとすることが、誰もが望む人生の幸福と真の夢と希望に至る細道の入り口だと言いたいのです。


夢と希望が叶う人生は特別な条件を満たした一握りの人間のためにだけあるわけでは無いと思います。今までの時代は様々な雑念とあらゆる不純物によって、本来人が幸せになるために必要な様々な要件、特に"自分は何のために生きるのか"といういつの時代も普遍的で必要不可欠な問いを、古臭くて時代遅れのダサイ考え方、あるいは青臭くて未熟な考え方として封印してきました。しかし、その古くてダサくて青臭い問いに答えを出さずして夢と希望を本当の意味で叶えることができた人物をぼくは知りません。

一番大切なことは、何のために生きるかという問いの”何の”部分に文字通り何を置くかです。ハイテンションとアップテンションが手をつないで踊り歩いていたような時代では、単純に自分の願望100%+苦労しなくてすむ楽な道を追い求めれば夢が叶って幸せになれると信じ込むこともできました。冷静になって考えれば矛盾だらけな要求なのは明らかですが、熱病にのぼせ上がっていたような状態ではその点をしっかり認識できなかったのも無理はありません。では何が理想的かというと、やはり人々に本当に貢献出来る目標を立てることだと思います。そのような道を選んで進むことができれば、たとえ負わされる苦労が多くとも確実に幸せと充実感を手にすることが出来ると思います。人のためになることを積み重ねることが幸せへの一番の近道であるということは、今も昔もこれからも決して変わることの無い普遍の真理だと思います。


でも上の話は様々な条件を満たした上でしか実現しない理想像です。現実にはあらゆる苦労や試練を乗り越えた上で、自らの幼さ未熟さを克服して人間性と技術を磨きあげなければ本当に人々が求めている要求に応えることはできません。書いているぼく自身が最たる例ですが、心身ともに欠陥品で未熟な精神しか持ち合わせていない者は、やはり上の上の話、つまり自分を取り巻く現実と内面の負と向きあって克服する所からスタートを切るしかありません。それは、すでに理想的な道を得た人に比べるとひどく見劣りする道ですし、たとえその先に確かな希望があることを確信できたとしても半端でなく長く険しい道程です。でも、その険しさに恐れおののいて現状に甘んじていられる道を神様は用意してはくれません。

人生は絶え間なく進歩と克己を要求されるものだと思います。そこを避けて通る道ばかり選んでいるとやがてはジリ貧に陥入り過去のどの時点よりも乏しい現実しか与えられなくなってしまいます。何故なのか理由は分かりませんが、大昔から人の世はそのように出来ているようなのです。現実の情勢はますます厳しいものになっていくかもしれませんが、ぼくらにはまだかろうじて若さと選択の余地が残されています。ようは今のリアリティをどのように受け止めて進むか、一人一人がそれを選択する自由と責任が与えられているのです。


PS.近頃の天候のごとく取りまとめの付かない文章ばかり書き込んで恐縮ですが、これも不定愁訴気味の半病人が脳ミソの整理整頓のために吐き出した戯言だと受け流していただければ幸いです~m(_ _)m

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ようやく春の陽気も本格化してきました、今シーズンの冬は本当に長く感じました。ただ、明日にはまた寒気が入り込んできて寒くなるようですが、、、もうしばらく寒気と暖気の押し合いへし合いが続いた後、今度は桜の季節となりやがて新緑も芽吹いてきますね。今日、とりとめもなく話そうと思う内容は春の陽気にそそのかされたような全くの戯言です。暇つぶしのネタ程度に読んでもらえれば幸いです(^^A)


オリンピックがあったことが遙か昔のように感じられますが、世の中は相変わらず平静であるようで、それでいてどこか今までと違うような違和感を覚えるのはぼくだけでしょうか?世間に目を向ければ平均年齢70代の新党が立ち上がったとか、与党内閣の支持率低下と迷走ぶりがことさら報道され続けていたり、そうでなければ芸能やスポーツの話題がいつもどおり画面をにぎわしているといった按配です。でも、世界では水面下で大きく情勢が変わろうとしているのも事実なようです。特にアメリカの経済情勢は待ったなしの水準まできているようです。つい先頃、亀井大臣が発した郵政改革案の中で郵貯、簡保の上限額引き上げをめぐってすったもんだしていましたが、そのドサクサに紛れて郵貯資金をアメリカ国債購入に廻せる仕組みが作られたようです。これまで郵貯資金は日本の国債を買取る資金として優先的に運用されてきましたが、それゆえに国の財政がどんなに危機的な水準に陥っても間接的に国民の資産で買い支え続けるかっこうになり、国家の財政破綻という最悪な結末は回避できるという根拠になっていました。そこにアメリカが抜け目なく目を付けたわけですが、そうすることでアメリカの財政維持のために日本の虎の子が使われてしまうことになり、日本にとってはこの先数年後?に非常に困ったことにならないか心配です。

経済のことは難しいのでぼくには大雑把なことしか分かりませんが、それだけアメリカもなりふりかまっていられないくらい余裕が無いことは分かります。近い将来に状況がどのように変化していくのか予測することは難しいでしょう。でもここで少し長い目で先のことを空想してみることは必要かなと思います。半年先も分からない時に3年、5年、10年先を何となくでも予測するのは馬鹿げているような気もしますが、この先誰もがめまぐるしく変化する世の中で生活し続けることを余儀なくされるわけですから未来を想像しながら今を見つめるという姿勢を持つことも全く無駄だとは言えないと思います。


今の時期は進学、就職シーズンも一段落して多くの人々は新しい環境で一歩を踏み出している時期ですが、その一方で雇用情勢の一段の悪化、格差社会のさらなる拡大、中高年失業者の増加、自殺者の三万人超えなど、暗澹たる事象が取り上げたら切りが無いほど拡がり続けています。幸運にもそういったことにまだ無縁であったとしても、そう書いているぼくも含めて多くの人々が明日は我が身という不安を抱き続けながら生活しなければならない、そんな今のご時世は考えてみると全くもって不幸な時代と言わざるおえないかもしれません。

そうだからといって、悲観に暮れ続けたり批判に終始してばかりで前を向こうとしないでいては自分自身を取り巻く状況は悪くなるばかりで決して良くなることはないでしょう。本当に追い詰められていて苦しんでいる人に悲観するなとは言えません、でもまだ余裕があるのに批判に終止するだけで済ましてしまうことは大きな落とし穴だと思います。人間の心理の中には自分に手に負えそうも無い困難や不安を、他の対象を批判したりそこに原因を求めることで一時的な安心を得る性質があるようです。でもそれは根本的な解決にならないことはもちろん、問題を棚上げし続けることでまだあったはずの貴重な余力をいつのまにか失い、気が付いた時には本当に追い詰められていたという全く洒落にならない事態を自ら招いてしまいます。ここ数年、政治や経済が誹謗中傷合戦に終始して問題を棚上げし続けてきたことも、こういった心理が積み重ねに重なった結果だと言えなくもありません。例の高齢保守新党の旗揚げに際して、本気で国を憂いているのはもはや自分たちしかいないと声高に叫んでいた人たちの発言と、まるで自分たちだけが正しくて他の連中が間違っていたから日本はこうなったんだと言わんばかりの態度にもそれが表れていたような気がします。

でも上の指摘は他でもない書いているぼく自身にこそ向けられるべき戒めです。あの権力による個人に対する責任転嫁という呪われた呪文のような”自己責任”という言葉は大嫌いですが、自分の心の在り方を自分の意思で決めるという意味では、やはり自己責任という言葉がもっとも相応しい表現だと思います。自分や誰かの人生を判定するために自己責任論を振りかざすつもりは全くありません。ただ、これまで長い間に多くの人々がより良い変化と自由を求め続けた結果、個人が物心両面で厳しいプレッシャーにさらされ続ける状況を生み出した現実は受け止めるしかないと思うのです。そういった現実の避けがたいプレッシャーに即打ち勝つことは叶わなくとも、せめて自分の在り方を見失わない姿勢は守り続けたいものです。そして、いつかは自分にとって本当に相応しい生き方を築き上げたいと思います。そのためには今この時に悲観や批判に囚われているわけにはいかないのです。


今日も撮影に出かけてきました~。

絶好調っ!というわけでもないのですが、身体の方が運動した後に普通に疲れを認識してくれるようになってきたので、ちょっと前までのように疲れの代わりに生じる様々な体調不良が起きなくなってきました。

まだ体調が完全に一定になったわけではないので油断ができませんが、今のところ良好な状態を保っています(*^^*)


_IGP3826.jpgというわけで無理は禁物ですが、休ませすぎも身体に害なので調子が良いときはなるべく外出して身体に負荷をかけなければなりません。

今日の目的地は千歳線の上野幌、タンカートレイン5772レが標的です。ご覧のように雪はもう殆ど溶けて殺風景ですが、くもりを逆手にとって春先のうすら寒い風景を演出してみました、、、(^^;)



それにしても今日は寒い一日でした、天気予報では晴れ最高気温12℃だったのですが見事に騙されました~(--,)

上野幌駅のホームで北斗星を待っているときは強風に吹きまくられて真冬の風吹並の体感気温でした。もう4月だというのにマフラー、耳あて、カイロの三点セットが未だに手放せません、今年の春はなかなかもって足取りが遅いですね。


_IGP3845.jpg帰り際の厚別駅にて1080レをキャッチ。このころには予報どおり晴れ間がさしてきました。

それと今日の15Dオホーツクは白坊主くんが連結されていました。久しぶりに元気な姿を見ることができました。






明日からはしばらく天気が悪いので家の掃除などをしながらゆっくり養生しようと思います~。


_IGP3720.jpgというわけで撮影開始です(^^)

今日は新札幌で2082レから撮影となりました。

日の角度が微妙ですが、待っていて寒くないというのはありがたいですね~。





_IGP3722.jpg待っているとすぐに「トワイライト」もやってきます。

ちょっとシャッターが遅れてしまいました(--,)

まぁ、許容範囲以内ということで、、、(^^A)

このあと新札幌を後にしました。





_IGP3766.jpgそして平和駅で下車、札幌貨物ターミナルをまたぐ長い跨線橋から行き交う貨車を眺めながら目的地へ向かいます。

その場所は新道を越した先のJR貨物研修所の前の線路際。ここで到着した1080レを撮影、目の前で解決、入れ替えDEへの付け替え作業が見られることで知られている場所です。今日は原色1067号機でした(^^)




_IGP3777.jpg入替えDEも撮影。この場所は初めて来ましたが、来てみて冬限定の場所だということが理解できました。線路が道路よりもかなり高い位置にあるので、足場がほんの僅かしか無いのです。

この場所は引きが全く取れないので単焦点ではキツイですね。作業も早いのでレンズを交換しながら撮る暇もありません。あぁ~標準ズームが欲しいよぉ~(ボソ)



撮影を終えて、白石駅までトボトボ歩いて帰路につきました。今日は冬の運動不足を解消するための良い運動になりました(*^^*)


今日は前々から行こうと思っていた場所まで撮影に出かけてきました。場所は例によってまた近場ですが、函館本線と千歳線の分岐点近くに流れる厚別川の堤防です。真冬の川っぺりで長時間撮影するのはキツイので今まで避けてきました。今日はようやく春らしい日差しがのぞいたので、いつもより少し早いお出かけとなりました。


_IGP3542.jpg厚別駅から歩いて厚別川橋梁の下をくぐり抜けて到着。カメラをセットしている間もなく列車が来るので慌てて撮影、一段落してからポジションを探します。

背景が思ったよりも入り組んでいてポジションを探すのに少々手間取りましたが、何とかすっきりした写真を撮れる位置を見つけました。




_IGP3559.jpg撮影場所で振り返るとこんな感じです。ここは冬季の雪捨場になっているようで、冬の残骸が山積みされています。近くでは重機が一生懸命に雪割りをしていました。

春先とはいえ川っぷちの風は冷たく予想通り寒さが応えてきました。前もってカイロを忍ばせておいて正解でした。そんな中でも春休み中の小学生3人組が上下ジャージの薄着で釣りを楽しんでいました。



_IGP3635-1.jpg本日のお目当てはコレでした、おなじみDD牽引タンカートレイン5772レです。快晴の青空のもと気持ちよさそうに通過していきました(^^)

今度は場所を対岸のポイントに変えて狙ってみましたが何とか手持ちのレンズで対応出来ました。




この場所は初めてでしたが、今日撮った他にも色々なアングルがあって楽しめそうです。会心のベストショットを狙うには不向きかもしれませんが、構図を試行錯誤しながら撮影するにはうってつけの場所です。


_IGP3657.jpg寒くなったので早々に引き上げようかと思いましたが、少し待てば北旭川行きの貨物(列車番号失念)があることを思い出し、市道陸橋下のカーブで狙っていました。ここもうまい具合に雪山が足場になって柵や下草をパスできました。DFを予想していましたが、やってきたのはまたもやDDのB更新でした。





_IGP3680.jpg厚別を後にして札幌へ向かい、買い物と所要を済ませた帰りに森林公園へ寄り道、いつもの1080レをキャッチしました。今日三度目のB更新単機でした。森林公園はホームから午後順光で1080レを手軽に撮影できるポイントですが、列車がカーブを抜けてから下り勾配を加速しながら通過するのでタイミングを外しやすく苦手な場所です。今回も手すりスレスレのカツカツ構図になってしまいました(^^A)



今日は貨物メインのB更新祭りでしたが、久しぶりの撮影を楽しむことが出来て有意義な一日でした。


RIMG8329.JPG今日はちょっとこだわり派の映画館として知られるシアターキノまで表題の作品を見に行きました。

「牛の鈴音」は韓国のドキュメンタリー映画で異例のヒットを記録した映画です。スター俳優が登場する娯楽映画でも無いのに300万人を動員したそうで、その点に興味をひかれて勉強の意味でも見てみようと思いました。




内容は韓国の農村地帯で農業を営みながら暮らす老夫婦と年老いた農耕牛の生活をたんたんと追いかけたドキュメンタリーです。普通の農耕牛が15年ほどで寿命を迎えるのに対して、おじいさんの牛は40年の天寿を全うしました。映画ではこのメスの老いた牛が最後を迎えるまでの様子を追いかけます。映像は若干の編集以外は脚色を最小限に抑えてBGMも僅かしか流れません。そこには、かつて日本の一時代前の農村にも存在した機械化される以前の素朴な農民の生活がありのままに描かれています。

谷合の沢筋に小さな田んぼと畑があって、そこから斜面に沿った坂道の上に老夫婦が暮らす小さな韓国式の住居があります。春は田植と種まき、夏は草刈、秋は収穫、そして日々老夫婦と共に汗水流して働く年老いた牛との恊働が季節の移ろいにあわせて規則正しく繰り返されていきます。そんな一見かわりばえのしない日常の中にも、無口で頑固だけれども心根の優しいおじいさんと、いつもおじいさんの拘りに振り回されて愚痴ばかり言っているおばあさんとの掛け合いが絶妙なユーモアを醸し出して見る者を飽きさせません。そんな老夫婦に40年付き添って働いてきた牛をおじいさんは何よりも愛情を注ぎながら労り、かたやおばあさんに対しては牛の世話と重労働を押し付けてばかり・・・。おばあさんが事あるごとに愚痴をこぼすのも無理はありません。ラジオから流れる昔の流行歌を聞きながら「私の青春を返して欲しいわ」と半ば独り言のように、半ばおじいさんに投げかけるように呟くシーンは象徴的でした。

このように説明すると何だかヒドイ話のようにも聞こえますが、そこは長年苦労を共にしてきた夫婦の無言の信頼というものなのか、阿吽の呼吸と飾らない本音のやりとりによって醸し出される雰囲気が何とも言えない味わいに満ちていました。おじいさんに世話をいつも押し付けられるばかりで、恨めしさと妬ましさがいり混じった思いを抱き続けてきたおばあさんも、とうとう牛の最後を看取らなければならなくなったときに浮かべた涙に、あぁ、人間てこういうもんだよなぁ~、と妙に納得した心持ちになりながらも素直な感動がこみ上げてきました。


この映画はあれこれ難しいことを考えながら見るのではなく、心の赴くままに見てみようと思っていました。そして見終わってからも、そのとおりの印象が残る映画でした。韓国でクチコミで拡がり、やがて社会現象になるまでの動員を記録したのも分かる気がします。この映画で描かれているおじいさんとおばあさん、そして一頭の年老いた牛との生活は、映画の紹介で言われているとおり余計なものが全く存在しない、ある意味では現代人の生活とは対極的な世界です。あらゆる付加価値を求めて、常に全力で時に血眼になりながら頑張っている多くの人たちが、ふと心の隙間を感じて立ち止まりたくなったときに見たくなる映画なのかもしれません。たんたんと繰り返される老夫婦の素朴な日常にあるものは、何の飾りも装いもない本音のやりとりだけです。でもそこには温もりと確かな安心感があります。

出来上がった自分を装うことが半ば義務のようになってしまった今の人にとっては、人と人の繋がりの中でこういった掛け値なしの温もりに触れることはもはや難しいことなのかもしれません。でも一度立ち止まって、自分の身の回りと心のなかをもう一度見つめ直してみると、本当は必要のないこだわりや執着の種がいくつか見つかるかもしれません。それらを思い切って捨てることができれば、ひょっとするとおじいさんやおばあさんのように、素朴だけれども潔い、ささやかだけれども心の満足の得られる生き方を見つけることが出来るのかもしれない、そんな気持にさせてくれる映画でした。

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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