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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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RIMG8329.JPG今日はちょっとこだわり派の映画館として知られるシアターキノまで表題の作品を見に行きました。

「牛の鈴音」は韓国のドキュメンタリー映画で異例のヒットを記録した映画です。スター俳優が登場する娯楽映画でも無いのに300万人を動員したそうで、その点に興味をひかれて勉強の意味でも見てみようと思いました。




内容は韓国の農村地帯で農業を営みながら暮らす老夫婦と年老いた農耕牛の生活をたんたんと追いかけたドキュメンタリーです。普通の農耕牛が15年ほどで寿命を迎えるのに対して、おじいさんの牛は40年の天寿を全うしました。映画ではこのメスの老いた牛が最後を迎えるまでの様子を追いかけます。映像は若干の編集以外は脚色を最小限に抑えてBGMも僅かしか流れません。そこには、かつて日本の一時代前の農村にも存在した機械化される以前の素朴な農民の生活がありのままに描かれています。

谷合の沢筋に小さな田んぼと畑があって、そこから斜面に沿った坂道の上に老夫婦が暮らす小さな韓国式の住居があります。春は田植と種まき、夏は草刈、秋は収穫、そして日々老夫婦と共に汗水流して働く年老いた牛との恊働が季節の移ろいにあわせて規則正しく繰り返されていきます。そんな一見かわりばえのしない日常の中にも、無口で頑固だけれども心根の優しいおじいさんと、いつもおじいさんの拘りに振り回されて愚痴ばかり言っているおばあさんとの掛け合いが絶妙なユーモアを醸し出して見る者を飽きさせません。そんな老夫婦に40年付き添って働いてきた牛をおじいさんは何よりも愛情を注ぎながら労り、かたやおばあさんに対しては牛の世話と重労働を押し付けてばかり・・・。おばあさんが事あるごとに愚痴をこぼすのも無理はありません。ラジオから流れる昔の流行歌を聞きながら「私の青春を返して欲しいわ」と半ば独り言のように、半ばおじいさんに投げかけるように呟くシーンは象徴的でした。

このように説明すると何だかヒドイ話のようにも聞こえますが、そこは長年苦労を共にしてきた夫婦の無言の信頼というものなのか、阿吽の呼吸と飾らない本音のやりとりによって醸し出される雰囲気が何とも言えない味わいに満ちていました。おじいさんに世話をいつも押し付けられるばかりで、恨めしさと妬ましさがいり混じった思いを抱き続けてきたおばあさんも、とうとう牛の最後を看取らなければならなくなったときに浮かべた涙に、あぁ、人間てこういうもんだよなぁ~、と妙に納得した心持ちになりながらも素直な感動がこみ上げてきました。


この映画はあれこれ難しいことを考えながら見るのではなく、心の赴くままに見てみようと思っていました。そして見終わってからも、そのとおりの印象が残る映画でした。韓国でクチコミで拡がり、やがて社会現象になるまでの動員を記録したのも分かる気がします。この映画で描かれているおじいさんとおばあさん、そして一頭の年老いた牛との生活は、映画の紹介で言われているとおり余計なものが全く存在しない、ある意味では現代人の生活とは対極的な世界です。あらゆる付加価値を求めて、常に全力で時に血眼になりながら頑張っている多くの人たちが、ふと心の隙間を感じて立ち止まりたくなったときに見たくなる映画なのかもしれません。たんたんと繰り返される老夫婦の素朴な日常にあるものは、何の飾りも装いもない本音のやりとりだけです。でもそこには温もりと確かな安心感があります。

出来上がった自分を装うことが半ば義務のようになってしまった今の人にとっては、人と人の繋がりの中でこういった掛け値なしの温もりに触れることはもはや難しいことなのかもしれません。でも一度立ち止まって、自分の身の回りと心のなかをもう一度見つめ直してみると、本当は必要のないこだわりや執着の種がいくつか見つかるかもしれません。それらを思い切って捨てることができれば、ひょっとするとおじいさんやおばあさんのように、素朴だけれども潔い、ささやかだけれども心の満足の得られる生き方を見つけることが出来るのかもしれない、そんな気持にさせてくれる映画でした。



RIMG8369.JPG
映画の帰りにハンズに寄って、ちょっとヨケイナカイモノをしてしまいました(^^A)

見てのとおり銭湯でよく見かける懐かしい風呂桶です。以前にハンズで売っているところを発見してからずっと欲しいと思っていました(笑)

札幌の下町?で生まれて、小学校に上がるまでは家風呂が無く銭湯通いでした。



今思い出しても、木造モルタルの二階建て、トイレは和式の古~い家でしたね。近所には小さな商店とクリーニング屋さん、八百屋と市場もありました。そして市場の隣が行きつけの銭湯だったのです。一体いつの時代の話だとツッこまれそうですが、ぼくが生まれ育った時はまだかろうじて昭和の生活感が残っていたのです。今となっては、銭湯の熱い湯船に浸かりながら我慢して100を数えたことも、近所のおじさん、おばさんとの裸の付き合いも貴重な体験でしたね。風呂上りの瓶入りフルーツ牛乳や大瓶に入ったポカリスエットがたまらなく美味しかったことも懐かしい思い出です。他にも10円玉でローラの付いた腕が上下に動くマッサージチェアや巨大なツボをひっくり返したようなドライヤー、なぜか掲げられていた丸瀬布の雨宮21号のポスターなんかが記憶に残っています。そして、洗い場にはいつもこのケロリンのオケが山積みされていたんですね~。

このケロリンオケはMy風呂桶として使っています。いつもの味気ない家風呂でも、風呂桶一つかえるだけで懐かしい銭湯気分に浸れますね(^^)



PS,ハンズのバス用品売場で1,300円ほどで売っています。

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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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