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今日は映画「20世紀少年」の最終章を見てきました。2月に第二部を見に行っていたので見ないわけにはいきません。
さっそく感想ですが、期待にそぐわないダイナミックな作品でした。でも完全に満足できたかというと、微妙に消化不良が残る気もします。前作、前々作にもまして悲劇的な出来事が起こり、ともだちによる人類滅亡計画も最終ステップに及ぼうとするのですが、当然、ケンヂ一派がそれを阻止するという筋書きです。第二部までに散りばめられた様々な要素がストーリーが進展するにつれて見事なまでに収束していきます。ともだちによる最後の総攻撃も阻止され、直後にその正体も暴かれて、ある者の手にかかって絶命するのですが、どうも腑に落ちない感じがするのです。その後に、人類の平和がみんなの下に戻って大団円になるのですが、本当にそれだけで良いのか?という疑問が残ってしまうのです。
上手く説明できないのですが、あれだけの惨劇とかつてない悲惨な時代の末にかろうじて戻った平和なのに、最後はみんなで大騒ぎして、みんなでハッピーで良いのかと、個人的には思います。全体的にあれだけ大きなスケールで、あれだけ深い展開を期待させながら、最後はすごく薄味になってしまったような気さえします。
ストーリーはそれだけでは終わらず、後日談まで続きます。それで真のラストを迎えるのですが、これは先の大団円を予想外のカウンターでひっくり返されたような、良い意味で”やられた~”的な最後でした。ぼくにとってはそれでも、この上手く例えられない消化不良感を満たしきるまではいきませんでした。幼いころの小さな罪が、後の大きな惨劇の根源だった・・・それを立ち返って償うというものですが、ここでもそれだけでいいのか?何か足りなくないか?という気がしてしまうのです。
ケンヂやカンナ、トモダチといった個性的な登場人物が様々な背景を背負って戦ったり、助け合ったり、憎みあったり、それらの線と線が絡み合って躍動し合う姿は見事に描かれていますが、その一人一人の存在の深いところにあるものがイマイチ見えてきませんでした。それはラストの”罪と償い”についても同じで、行為だけで存在が伝わらないのです。
どうでも良い感想をグタグタ書いてしまいましたが、決して嫌いな作品ではありません。むしろ好きな作品でかつレベルが高い作品だからこそ、その内容についてグタグタ考えてしまうのです。こんなぼくのつまらない感想なんか全く関係なく、面白くて楽しめる作品であることは間違いないので映画館へ見に行っても決して損はしないと思います。
入出庫線に沿って中に入ると、ササラ電車3号と3304号が展示されています。ササラ3号は旧タイプで、台車などは古い単車の流用です。モーターや制御機にいたっては70年以上前の米国製の舶来品です。
一通り見終わって、インフルエンザも流行っているので早々に電車事業所を後にしました。
ご存知のとおり三浦綾子さんは旭川出身の北海道を代表する作家の一人で、懸賞小説で「氷点」が入選して作家デビュー、以後「塩狩峠」や「泥流地帯」など多彩な作品を数多く残されました。キリスト教徒の綾子さんの作品は、一貫して聖書の教える人間観に基づいたテーマで書かれているのが特徴です。ぼくもこれまでに「氷点」や「泥流地帯」、「塩狩峠」、「羊が丘」、「天北原野」など多数の小説と「道ありき」などの自伝的小説やエッセイ集を読み、綾子さんの作品から多くのことを学びました。
三浦綾子さんの作品を読む前はタイトルが何となく重々しく感じられ、聖書の教えや原罪などに基づく作品ということで、小難しくて説教くさい古い小説という先入観を失礼ながら抱いていたのですが、読んでみると文章は平易で読みやすく、内容は解りやすい中にも人間の存在の根本にあるものまで描写した骨太なものでした。そして、どの作品に登場する人物も非常にリアリティがあって現代の目で見ても全く古さを感じさせません、綾子さんの作品が今も世代を超えて読み継がれている理由はその人物描写の色あせない新鮮さにあると思います。
企画展では、これまでに出版された本の展示や「氷点」や「塩狩峠」などの代表作の資料などが主だったもので、夫の光世氏による病身の綾子さんを思いやった短歌の実筆も拝見することができました。すでにお読みになった方ならご存知だと思いますが、「氷点」の主要登場人物の啓造、夏枝、陽子、村井の直筆設定ノートが展示されていて、個人的にはかなり注目していました。簡単にまとめると、殺人犯の娘であるという出生の秘密を持つ主人公の陽子、その陽子を幼い時に出生の秘密を隠したまま養子にした医師の啓造、その妻である奔放な性格で自己に執着する夏枝、優秀な眼科医で女好き、かつ冷酷な村井~といった感じで、各人物の人となりが深層心理まで含めて細かく設定されており、原作を読んだうえで対比すると、あの濃厚な人物関係と劇的なストーリー展開がここから生まれたのかと思うと感慨深いものがあります。
これだけを見れば、さぞドロドロした内容の小説だろうと思われるかもしれませんが、そんな中でも主人公の陽子は自身も複雑な出生の秘密を抱えながらも、真実な生き方を求めて一直線に成長していくので読んでいてかえって清々しい印象を受けます。氷点は登場人物たちの俗にまみれた営みと、そこから生じる人の心の闇、それに反して頑なに真実を求めて生きる主人公がやがて周囲を巻き込みながら浄化していく様子が描かれています。そのようなストーリーが醸し出すコントラストの深さが、この三浦綾子初期の傑作の最大の魅力なのかもしれません。
小さな企画展でしたが、三浦文学ファンのぼくとしては見応えがあって得るものも多かったです。文学館を後にして、中島公園を横切り電車通りに出て市電に乗って次の目的地、市電祭り会場の電車事業所へ向かいました。
(PS:)
どんな人でも自分の在り方や人間関係の不可解さなどに一度や二度、悩むことはけっして珍しくないことだと思います。そんなときに自分の限られた視野だけでそういった不可解さを見極めようと格闘してかえって悩みを深める結果になったり、それを誰かに打ち明けてみても理解が得られなかったことも多いのではないかと思います。また、自分自身の内に秘めた葛藤をどうにかして昇華しようと試みても、対象化できる存在を見つけられずに悶々としたまま過ごしている人も多いのではないかと思います。そういった精神的に息苦しさを感じがちな時こそ、三浦綾子さんの作品に一度触れてみることをお勧めします。今、自分が直面している課題に向かっていこうとする意思と、そこから目をそらさない勇気を持って読み進めれば、きっと何か力になるものを得られると思います。
明日は4年ぶりの衆議院議員選挙の投票日ですね。言うまでも無く、今回の選挙は国の行く先とぼくたちの将来の生活を賭けたこれまでにないほど重要な選挙です。若者の政治離れとか無関心による投票率の低下などが言われて久しいですが、若者は是非選挙に行くべきですね。自分の一票くらいで世の中が変るわけではないし、どっちになったからといって何か得するわけでもないからメンドクサイなどと言う人も多いですが、これは長い目で見ると若者みんなが損することになります。極端な言い方ですが、政治家にとっては票を入れてくれる国民だけが重要なのであって、それ以外の国民は用がないのです。若者だけが極端に政治に参加しなくなると、必然的に政治の対象も若者以外の世代に重きを置くようになって、若者に対して本来必要なはずの政策が為されなくなるばかりでなく、若者が不利になるような状況を押し付けるような政策も実施されるようになってしまいます。若者の雇用難と派遣労働の解禁による労働環境の劣悪化が最も分かり易い例です。
これは長年にわたる若者の政治無視と選挙離れの手痛いしっぺ返しでもあるのです。政治による若者冷遇や弱者いじめをこれ以上許し続ければ、若者のみでなく国民全体が今以上に大変な目にあうのは火を見るより明らかです。そういった、これまでの悪い成り行きを反省しつつ、政治家にこれ以上、国民無視の好き勝手な行いをゆるさないためにも、できるだけ多くの人達が選挙に行って一票を投じるべきだと思います。
巷で叫ばれているように今回の選挙は政権交代が最大の争点ですが、ぼく個人の考えとしてもそれに賛成です。60年の長きにわたって一つの政党が政権の座につきているのはどう考えても健全なことではありませんし、その長年にわたる弊害の蓄積は政治と官僚の癒着やその結果の800兆円にのぼる借金など目に余るものがあります。自民党の利益誘導型のバラマキ政治はもう完全に時代遅れです、それをこの先も延々と続けていけば国家財政も国民の生活も、そう遠くないうちに破綻してしまうでしょう。
また官僚という組織が一般企業などと決定的に違う点は、競争による自然淘汰がなされないことです。役所において一つの部署や事業が役割を終えて不要になっても、廃止されることも無く存続し、自分たちの存在理由を維持するためだけに無駄な公共事業を乱発し国民の税金による予算を食い潰し続けるのです。そんな腐った組織が増殖し続けて今でもこの国を蝕み続けているわけですが、それを止めるには本来官僚よりも強い権限を持った政治家が大鉈を振るって退治するしか方法はないのです。しかし、長年官僚と蜜月関係を結んで甘い汁を吸い続けて、官僚の手下のようになってしまった自民党の政治家にそれが出来るわけがないのです。
木の良し悪しについて判断する時は、その実の良し悪しを持って判断しなさいという諺がありますが、小泉政権の構造改革の是非についても当てはまると思います。改革には痛みが伴うと言いながら断行し、実際多くの国民が今もその痛みに呻き続けている有様ですが、この改革そのものの是非以上にその後の成り行きにこそ問題の本質があるように思われます。結局、あの改革で真っ先に恩恵を受けたのが、税制優遇や規制緩和で労働コストを削減して大利益を得た大企業ですし、その結果税収が上がってこれまでどおり利益誘導型政治による公共事業乱発をやり続ける見通しがついた政治家と官僚の便宜がはかられたにすぎませんでした。おまけに大企業はそれで得た莫大な利益を新規事業や株主配当にあてて残りは内部留保にあてて溜め込み、労働者の待遇を上げるなどして社会に還元しませんでした。一方、政府は財政改善のために無駄な事業を削減するといった大義名分をかざして、真に必要な医療や社会保障を削って、その裏で高速道路や新幹線の新規建設を推し進めるなどして、完全に国民を無視した政策を強行していきました。
国民の生活を全く省みない、大企業や官僚とそれに連なる政治家にとって理想的な社会体制が出来上がったかのように思われた矢先に、あのリーマンショックが起きて全て吹き飛ばしてしまいました。小泉政権も改革を断行したのち、重鎮政治家やそれに連なる大企業や官僚の便宜を図ることだけでなく、すみやかに痛みを伴った国民生活の改善のために手立てを打ったならば、本当の意味で名政権として歴史に名を残したかもしれませんね。
いずれにしても明日の投票日を持って全ての審判が下るわけですが、たとえ民主党の政権が誕生したからといって、すぐにバラ色の未来が開けるわけでもありません。むしろ、これまで以上に問題が噴出して社会全体がより混迷の色を深めることにもなるかもしれません。これからは国民生活と、大企業や利益誘導政治と官僚などの利害が鋭く対立する時代になってきます。そういったなかでぼくたちのような多くの一般国民の利益を政治家がきちんと主張しているかどうか、一人一人が政治に関心を持って目を光らせていく必要があると思います。そのための第一歩が選挙に行って、きちんと与えられた一票を投じることだと思います。
その手始めに、ようやく重い腰を上げて沿線までプチ撮影に行ってきました。場所は百合が原公園~篠路間です。ここには線路端にコスモスが群生しているので、それと行き交う列車のコラボを狙ってみました。
ピークが若干過ぎていたことと、天候不順も重なったためか花にあまり勢いがありませんでした。数年前に訪れたときは見事なお花畑だったのですが・・・。
もし来年のこの時期に工事が本格化していなければ再挑戦しようと思います。
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発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」