北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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一枚目は高砂駅の近く、住宅街の切れ目にある芋畑からオホーツクを撮影。
ちなみに、邪魔な障害物を除くためトリミングしてあります。
この場所は55mmでは尺が足りず、角度を工夫しなければ障害物が写りこんでしまいます。中望遠まで対応したズームレンズがあればベストな構図が得られそうです。
明日から天気は下り坂なので、また天気が良くなるまで家でおとなしく過ごします。
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まず最初の印象はとにかく小さい、写真で事前にイメージしていたサイズよりもさらに一回り小さい感じでした。どこかのレポートにもありましたが、持った感じはエントリー機のK-mに近い感じです。本体はマグネシウム製ですが、思っていたよりも重量感は無く、冷やりとした金属的質感もあまり感じませんでした。
グリップは前作K20Dからかなり改良されているらしく、全体に小ぶりながらよく考えられた造形で指が余ることもなくしっかりおさまり良好なホールド感でした。スイッチを入れて視野率100%のファインダーを覗きながら試写、シャッター音は非常に柔かく拍子抜けするほど静でした。続いて連射モードにしてシャッターを切ると、音が静かで分かりにくいのですが、PENTAXのデジ一では今までに聞いたことが無いような小気味よいリズムで連写されます。
いつも使っているK10Dと比較すると、指のおさまりがイマイチなグリップも改良されてデジタル水準器も装備して水平が格段に出しやすくなっていました。また、これもいつも不満だったシャッターレスポンスの悪さも改善され、高速移動する物体を撮影しても失敗する確率がかなり低減されると思います。持った時のバランスが良いせいか、K10Dよりも格段に軽い持ち味で、サイズの小ささも手伝ってかなり軽快に取り回すことができそうです。
今日初めて店頭で触れただけなので正確な比較対照は出来ませんが、K10Dは巷で言われているとおりけっこうじゃじゃ馬なカメラ、対してK-7は小型で取り回しが良く、手の感覚がストレートに伝わって常に意のままに操れる、例えて言うなら飼い主にどこまでも忠実なワンコ?のようなカメラです。今回は初めて手にとってみた全体としての感想は、前評判に違わぬ出来の良いカメラだな~というものです。今までに小型でこれだけの内容を備えたカメラは無かったので、これから市場でK-7がどのように受け入れられるか非常に楽しみです。正直、もしお金に余裕があるなら欲しいカメラですぅ~←贅沢(゚д゚lll)
これまで新製品のK-7をベタボメして、わが愛機K10Dについてはさんざん欠点をあげつらってしまいましたが、それでも発売当時は世界三大カメラ賞を総ざらいした銘機です。K-7はK10Dに比べて全ての面において格段に進化した魅力溢れるカメラですが、仮に今持っているK10DのかわりにK-7を手に入れられるとしても、K10Dはけっして手放したくないカメラです。
でもそういったマイナス点が逆に魅力的に感じる時もあります。K10Dは決して使いやすいカメラではありませんが、だからといって表現力のないカメラというわけではありません。むしろ、じゃじゃ馬なところがある分、使い手はより意識的にカメラと接する姿勢が求められます、それがかえって撮影の際の集中力を高めて結果として作品のクオリティを高めてくれるような気がします。
ペンタックスのカメラはどちらかと言うと家庭向きのやさしいカメラという印象を持ちますが、実際に使ってみると、使い手の手元の加減一つを敏感に察知してシビアに結果に反映させる、例えて言うならスポーツカーのステアリングのような繊細な表現力を備えたカメラだと思います。新製品のK-7は、そんなペンタックスのカメラが持つDNAを受け継ぎながらもジャジャ馬さを躾け直した、鋭さと使いやすさを兼ね備えた完成度の高いカメラと言えそうです。
写真は北大構内のサクシュコトニ川の水辺の光景です。木陰が日差しをさえぎり、その下で人々が思い思いに午後の一時を過ごしていました。
施療を終えてから買物までの間、久しぶりに北大の構内を散歩しました。気温は高めでしたが緑あふれる構内を心地よく風が吹きぬけて、その中をキャッチボールをしたり地べたに座って談笑している大学生を横目に見ながら歩いていると、平和そのものと言った雰囲気を満喫できました。
ついこの間に読み終わった小説が大学を舞台にしたもので、主人公がちょうど今日の光景と同じような穏やかな昼下がりのキャンパスを歩いていると、自分以外の人間がみんな幸せそうに見えて、そんな光景とは裏腹に孤独感を募らせるという描写がありました。そのことを思い出しながら今日の穏やかな北大の構内を歩いていると、たしかにその小説の主人公のような感傷的な気分がもたげてくるのも肯ける気がします。
そこで、この空間を満たす幸せな雰囲気と、そこにいる自分以外の他者がみんな幸福に満ち溢れているように感じられることについて、ちょっと文学チックな思索に耽りつつ考えてみました。たぶん、ぼくを含めてこの空間にいる人たちのうちどの一人をとっても、何の悩みも憂いも無いような純粋な幸福の中にある人はほとんどいないでしょう。それどころか人知れず深刻な悩みや苦しみを抱えている人もいるかもしれません、そうでなくても日々や先々のことがらに追われてとても穏やかとは言えない日常を送っている人も多いと思います。
それにもかかわらず、こういった公園のような人々が憩う空間で幸福感に満ち溢れた雰囲気が醸し出されるのはよくある光景で、公園でなくともある種の空間にはそういった雰囲気が見出されるものです。この実体のないままに醸し出され感じ取れる雰囲気と、個々の人たちのありのままの実態との間にある距離と違和感は何なのでしょうか?それを解く鍵として、最初に思いついたのが一人一人の人生における本来的な幸福の小ささです。
ぼくは自分自身の人生や他の人たちの人生について考えてみると、一人一人が得られる幸せは実に小さくささやかなものであるということに気が付かされました。そして、今ここでぼくがはっきりと思うことは、人が現実に手に入れられる幸福は常に今ある小さな幸福であり、先々の期待の中にあるような大きな幸福ではないということです。
誤解なきように補足しますが、別に将来に大きな幸福を求めることがいけないと言う意味ではありません、むしろその中にこそ希望や向上心を見出すことができるわけですから、その意味では大事なことです。それでも小さな幸福にこだわるのは、たとえ人並みならぬ努力の末に人生の偉業を成し遂げて大きな幸福を具現化できたとしても、またそれに及ばずとも世間一般における人並みの幸福を何一つも欠くことなく手に入れることが出来た場合でも、最後にはごく小さな幸福に帰ってその中で本当の満足が得られるものだと思うからです。そしてまた、人は大なり小なりこの大小二つの幸福の間を往ったり来たりするものだと思います。
小さな幸福というのは、例えば衣食住に事欠かないことであったり、病気をしないことであったり、家族や友人、恋人など愛する人が健やかであれることなど、あるいはもっとささやかに、今日のような穏やかな光景に出会ったとき素直に心地よさを感じられることだったりするのではないでしょうか。そういう一見あたりまえの幸せが続くことがいかにあたりまえではないか、悲しいことにそれらが途絶えてしまってから初めてその”小さな幸せの大きさ”に気が付くものなのかもしれません。
でもそういった小さな幸せが途絶えてしまうことが避けられないことが、どんな人の人生にも起こりうるものです。そんな辛い現実に直面した時、大小の幸福の灯火はあっけなく消えうせてしまうかもしれません。それでも、たとえどんなに絶望や虚無が迫ってきても、今ある現実を耐え忍び、希望につなげて明日を信じて生きてゆけるような境地を得られることが究極の意味での幸福なのではないか、そんな風に考えることもあります。
こんなことをとりとめもなく思い描きながら、大学内を歩き、立ち止まり、カメラを構えたりして、大学を出て家電量販店で買物をし、電車に乗ってもなお漠然と考えながら家まで帰りました。そしてこのブログを書きながら、ゆっくりと結論をまとめてみることにしました。
今日のような穏やかな空間に立ち込める雰囲気は、そこにもとからある自然の普遍的な心地よさと、そこに憩う人たちの様々なレベルの幸福感を足しあわせて反映したような、それを大きな一つの塊として感じとることによって生じるものではないかと結論づけました。若い時はその”幸福感の塊”に惑わされて、多大な幸福がすぐにでも我が物になるのが当然のように錯覚したり、そこから見えない幸福を追いかけて駆けずり回り、疲れて、虚無に陥り、他人をねたみ、いらぬ憎しみや嫌悪を抱いてしまうようなこともよくあることだと思います。
自分自身の欲望の反映と、その迷いから離れて足元の幸せに目が行くようになったとき、そしてその小さな幸せを守り抜こうと心に決めた時、人は大人になるのだと思います。つい先ごろまで読んでいたあの青春小説もそんなことを語りかけていたのだと思います。
今年は例年よりも一月遅れで来道してくれたおかげで、ルピナスのシーズンとも重なってこのようなコラボが実現しました。いろいろな偶然が重なったり、ある人の親切によってこんなに良いカットを撮ることが出来ました。とりわけてぼくの普段の行いが良かったわけではないのですが、、、今日の幸運には素直に喜びと感謝を捧げたいと思います(^_^)
East i-Dはご存知のとおりJR東日本が所有する総合検測車です、このディーゼル仕様のDタイプのほかに見た目がそっくりな電車タイプのEと「こまち」に似た新幹線仕様があります。JR北海道は国鉄以来の軌道検測車マヤ34型は所有していますが、架線や信号などを検測できる車両は持っていません。そこで毎年一度、JR東日本からこのEast i-Dを借りて道内主要路線の検測を行っています。ところがダイヤが非公開なため、毎年来ることは分かっていても、なかなか捉えるのが困難な列車です。去年も一昨年もスルーして、今年は三年ぶりに会うことが出来ました。来年も出来ればどこかで会えるといいのですが、それは来年の運しだいということですね。
それにしてもこのEast i-Dは他のどの車両にもない個性的な外観をしています。普段目にするJR北海道の車両はステンレス製で角ばったデザインに塗装もクールな寒色系ですが、East i-Dはアルミ製の丸みを帯びた車体で白の全面塗装に赤のライン、低床運転台の個性的な顔など、ことごとく対照的で新鮮な印象を受けます。検測車ですから当然装備も特殊なもので、気動車なのに付いているパンタグラフや屋根上の測定窓、キクヤの測定用台車などに目が行きますが、キヤに付いている通常仕様の台車も他に例がないオリジナルなものです。JR東日本の電車や気動車の台車は209系以来、無駄を極限まで省いたシンプルな構造の台車を採用していますが、East i-Dの台車は重心を下げた太いフレームに小ぶりですがしっかりとした軸箱支持装置を装備していて、ブレーキも車輪表面にディスクを装備した立派なものです。このような足回りとなった理由は、おそらく内部に搭載している精密な測定機器群を振動から守るための措置ではないかと推定しますが、その分乗り心地もかなり良いのではないかと想像してしまいます。
その個性的なデザインといい、足回りの仕様といい、East i-Dをこのまま非営業の検測車で終わらせるのは勿体無い気がします。まったくありえない妄想ですが、このデザインで2両編成くらいのローカル線快速用のハイグレードな気動車に仕立て直して量産すれば、見て格好よし乗って快適のステキな列車になると思います。そんな列車が、札幌と山線のニセコや富良野方面などの観光輸送用として走ったらいいのになぁ~と夢見てしまいます、子供じみた発想ではありますが・・・(^^A)
短焦点ではどうしても構図に制限がつきますが、手元で自由に画角が変えられるズームを活かして普段は撮れない構図を積極的に試すことが出来ました。
あいにくの空模様でしたが、ネガの深い発色にも助けられてルピナスの色合いがキレイに出てくれました。デジタルに比べていろいろと不便ではありますが、たまにフィルムカメラでスローに撮影してみるのも良いものですね。
今日はレンズを望遠から準広角に持ち替えて撮影しました。線路際手前のルピナス畑もピークをむかえ、原色先頭のDDとイイ感じでコラボしていると思います。
今日は同業の方とご一緒の撮影で、しばし歓談となりました。写真の原色DDの話題をはじめ、ここ最近の興味深い話を聞くことができてとても楽しかったです。残り3両となった原色DDのうち1064号機が休車状態で、稼動しているのは僅か2両というほんとうに末期状態らしいです。来年も運良く1080レがDD重連で残ったとしても、おそらく原色はもういないでしょうから、ぼくにとって今日のカットは後々に思いで深い大切な一枚になっていると思います。
完全引退が間近に迫っている原色DDだけではなく、写真後ろのA更新もそう遠からず何らかの動きがあるようなので、近い将来に北海道における貨物のDDはB更新のうち必要な分だけが残るという状態になりそうです。それでも長らく続いたDFの新製が来年度は2両に止まり、それ以後は打ち止めされるという噂もあるらしく、もうしばらくは北の大地におけるDD貨物の活躍が見られそうです。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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