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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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IMGP8235-1.jpg今日は十字式の施療と買物のために札幌まで出かけてきました。ついこの間まで肌寒い日が続いていましたが、ここ数日のうちに気温が一気に上がり、今日は札幌で真夏日になったそうです。

写真は北大構内のサクシュコトニ川の水辺の光景です。木陰が日差しをさえぎり、その下で人々が思い思いに午後の一時を過ごしていました。


施療を終えてから買物までの間、久しぶりに北大の構内を散歩しました。気温は高めでしたが緑あふれる構内を心地よく風が吹きぬけて、その中をキャッチボールをしたり地べたに座って談笑している大学生を横目に見ながら歩いていると、平和そのものと言った雰囲気を満喫できました。

ついこの間に読み終わった小説が大学を舞台にしたもので、主人公がちょうど今日の光景と同じような穏やかな昼下がりのキャンパスを歩いていると、自分以外の人間がみんな幸せそうに見えて、そんな光景とは裏腹に孤独感を募らせるという描写がありました。そのことを思い出しながら今日の穏やかな北大の構内を歩いていると、たしかにその小説の主人公のような感傷的な気分がもたげてくるのも肯ける気がします。

そこで、この空間を満たす幸せな雰囲気と、そこにいる自分以外の他者がみんな幸福に満ち溢れているように感じられることについて、ちょっと文学チックな思索に耽りつつ考えてみました。たぶん、ぼくを含めてこの空間にいる人たちのうちどの一人をとっても、何の悩みも憂いも無いような純粋な幸福の中にある人はほとんどいないでしょう。それどころか人知れず深刻な悩みや苦しみを抱えている人もいるかもしれません、そうでなくても日々や先々のことがらに追われてとても穏やかとは言えない日常を送っている人も多いと思います。

それにもかかわらず、こういった公園のような人々が憩う空間で幸福感に満ち溢れた雰囲気が醸し出されるのはよくある光景で、公園でなくともある種の空間にはそういった雰囲気が見出されるものです。この実体のないままに醸し出され感じ取れる雰囲気と、個々の人たちのありのままの実態との間にある距離と違和感は何なのでしょうか?それを解く鍵として、最初に思いついたのが一人一人の人生における本来的な幸福の小ささです。


ぼくは自分自身の人生や他の人たちの人生について考えてみると、一人一人が得られる幸せは実に小さくささやかなものであるということに気が付かされました。そして、今ここでぼくがはっきりと思うことは、人が現実に手に入れられる幸福は常に今ある小さな幸福であり、先々の期待の中にあるような大きな幸福ではないということです。

誤解なきように補足しますが、別に将来に大きな幸福を求めることがいけないと言う意味ではありません、むしろその中にこそ希望や向上心を見出すことができるわけですから、その意味では大事なことです。それでも小さな幸福にこだわるのは、たとえ人並みならぬ努力の末に人生の偉業を成し遂げて大きな幸福を具現化できたとしても、またそれに及ばずとも世間一般における人並みの幸福を何一つも欠くことなく手に入れることが出来た場合でも、最後にはごく小さな幸福に帰ってその中で本当の満足が得られるものだと思うからです。そしてまた、人は大なり小なりこの大小二つの幸福の間を往ったり来たりするものだと思います。

小さな幸福というのは、例えば衣食住に事欠かないことであったり、病気をしないことであったり、家族や友人、恋人など愛する人が健やかであれることなど、あるいはもっとささやかに、今日のような穏やかな光景に出会ったとき素直に心地よさを感じられることだったりするのではないでしょうか。そういう一見あたりまえの幸せが続くことがいかにあたりまえではないか、悲しいことにそれらが途絶えてしまってから初めてその”小さな幸せの大きさ”に気が付くものなのかもしれません。

でもそういった小さな幸せが途絶えてしまうことが避けられないことが、どんな人の人生にも起こりうるものです。そんな辛い現実に直面した時、大小の幸福の灯火はあっけなく消えうせてしまうかもしれません。それでも、たとえどんなに絶望や虚無が迫ってきても、今ある現実を耐え忍び、希望につなげて明日を信じて生きてゆけるような境地を得られることが究極の意味での幸福なのではないか、そんな風に考えることもあります。


こんなことをとりとめもなく思い描きながら、大学内を歩き、立ち止まり、カメラを構えたりして、大学を出て家電量販店で買物をし、電車に乗ってもなお漠然と考えながら家まで帰りました。そしてこのブログを書きながら、ゆっくりと結論をまとめてみることにしました。

今日のような穏やかな空間に立ち込める雰囲気は、そこにもとからある自然の普遍的な心地よさと、そこに憩う人たちの様々なレベルの幸福感を足しあわせて反映したような、それを大きな一つの塊として感じとることによって生じるものではないかと結論づけました。若い時はその”幸福感の塊”に惑わされて、多大な幸福がすぐにでも我が物になるのが当然のように錯覚したり、そこから見えない幸福を追いかけて駆けずり回り、疲れて、虚無に陥り、他人をねたみ、いらぬ憎しみや嫌悪を抱いてしまうようなこともよくあることだと思います。


自分自身の欲望の反映と、その迷いから離れて足元の幸せに目が行くようになったとき、そしてその小さな幸せを守り抜こうと心に決めた時、人は大人になるのだと思います。つい先ごろまで読んでいたあの青春小説もそんなことを語りかけていたのだと思います。



IMGP8198.jpg[追記]
これは火曜日におなじみ一番町のルピナス畑で写した一枚です。

前日の雨でルピナス畑もかなりダメージを受けて、だいぶくたびれた姿になっていました。そこで苦し紛れですが、持参した200mm望遠で切り取ったのが左の一枚です。これで今シーズンのルピナス畑の撮影も終了です。

今年は天候が優れない日が続きましたが、それでも晴れ間がのぞくこともあり、シャッターチャンスにも恵まれて印象的なシーンを沢山おさめることができました。来年も体調をしっかり整えて挑戦したいものです。





これからは自転車にも慣れてきたので、もう少し足を伸ばして美原大橋付近で撮影したいと思っています。そのために、今はしばし休息をとって次なる挑戦に備えたいと思います。


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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