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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りいたします。



今年に入ってからブログの更新を控えていましたが、今日のこの特別な日に限って、上手く言うべきことをまとめられるかどうか自信はありませんが、それでも何かしらの感慨を書き記しておこうと思います。


あの衝撃的な惨状をテレビを通して目の当たりにしてから三年の月日が経ちましたが、未だに勢いを得られないままでいる復興の現状に対して、安穏な部外者の立場からでもやはり憤りの類を抱きながら、この時期に限って集中的に報じられるテレビ番組を神妙な面持ちで眺めています。


あの時の直後に感じ取ったパニックにも似た激しいショックと高揚感の入り混じった強い感傷はどこかへ去り、所詮、幸運にも安全な立ち位置から傍観することが出来た者にはどうあがいてみても共有しえない厳しい現実の数々が、いまだその地に重く深く横たわっている様子を冷静に見つめている自分がいます。


巷でよく言われているよう、あの時を境目にしてこの国や人々の意識が変わってしまったという感慨を僕自身もまったく同じように抱いていますが、ではその意味するところは一体何なのか、あるいはその変わってしまった何かはたった今も変わり続けている最中で、それはいつまでそう変わり続けるものなのか、まるで安っぽい思索の堂々巡りのように、それでいて明確な答えを見出すことを最初から期待していなかったことを何処かで後ろめたく感じながらも、思いの丈は止めどなく浮かんでは沈むことを繰り返し流れていきます。


あの時を挟むよりもっと以前から繰り返してきたこの止めどない思索の繰り返しの矛先は拡がり続けて、このちっぽけで何ら責任を持たない自分の存在を通り超えて、ある時は社会全体から世界に及び、ある時は時間と海の枠を超えて大陸の国々の文化と歴史に思いを馳せてみたり、またある時は今この時期起きつつある社会と時代の変化をいち早く察知して備えようとする自分がいました。


そのような道徳不在の態度の中からでも、この幾年かの期間の中ではっきりと学び得たこともあります。


それは全ての人が同時に幸福にもなりえないし、同じように不幸にもなりえないという単純な事実に気づいたことでした。


これまで世の中全体にそういった雰囲気が表面的に長く漂っていたせいか、あるいは僕自身が単に幼い性格だったためにそういった甘い認識でいただけなのかは今となっては区別しようがありませんが、まったく無意識に自分の外側の世界は自分の個人的な心理とは一切関わりなく常に幸福に満たされているように思えましたし、また反対にいかなる不幸の類もそれが世の中の注目を集めるほどの大きな出来事ならば、それはまるで世の中全体が我が身に起きた出来事のように同情し共感できるものであって自分もまさにその一部なのだと、その結果としてその不幸な出来事は世の中全体の中で共有され癒され解決に向かいそして可能な限り取り戻されるはずなのだと思っていました。


あの日の出来事を目の当たりにしてから今日に至るまでの長い時間をかけて自分の内面の意識がゆっくりと傾きながら、やがて完全に反転するまでそういった感覚を何ら疑うこともなく信じ込んでいたそれまでの自分の姿に唖然としてしまうような不可解な感傷が今も沸き起こり続けています。それまで自分以外の全てが幸福の内に完結しているようにさえ思えたかつての自分がにわかに自分でさえなかったように思えてしまいます。しかし本当の現実はそうでは無かったようで、ただそのために作られ醸しだされた親しみやすい一種の幻想の類をほぼすべての人々が互いに無意識の内に共有している最中で、その中の一人の人間のうちの幸福もその反対にあるものの全てにおいても、そのどちらとも果てしなく絡み合いながら続いていくような光景だけが僕の脳裏には浮かんで見えます。


再び立ち返って今とこれから自分に出来る事は何なのかと、これまで絶えることのない念仏のように日々自問し続けてきましたが、この不道徳で何ら実りのない営みから生み出された何かを、他者にとって少なからず役に立つ有意義な存在へと昇華出来るような創作を試み、ゆくゆくは道徳的で社会的な実りを得られる結果を手にしたいという手前勝手な理想に邁進するほかないということが、今の自分にとって当面有効そうな仮初の答えのような気がします。


もう一つ明確に自覚できたことがあります。


自分を救うことは世界を救うことであり、自分が救われることと世界が救われることは等しく同じことだったということです。


こう言ってしまうと空想の飛躍が過ぎるように聞こえるかもしれませんが本当のことです。


反対にこの世でたった一人しかいない自分が救われないままで世界が真に救われることはありえないとどこかで聞いたことがあります。


ゆえに自分自身を犠牲にしたまま他の誰かを救うことも出来ません。


なので何よりもまず自分の心と魂が救われることを願うことは他者にとっても自分にとっても本当に必要な希望を見出すための第一歩です。


たとえそのことに罪悪感と後ろめたさを感じながらでも勇気を持って前進するべきです。


また、一人一人の人間が自分の意思と力で互いに助け助けられながらも一人づつ希望を見出せないままに、社会においていかなる高度な手段が講じられ大きな状況の改善が図られても真の意味での復興は成し得ないままでしょう。


この三年間、遠くからですが目の当たりにしたことをきっかけにして自分自身ととことん向き合ったことで、全ては本当にどこまでも自分次第だったことに気がつくことが出来ました。


自分をないがしろにしたまま無理を重ねても何も出来ませんし誰のためにもなれないとさとりました。


最後になりますが大震災の被害に遭われた方々の未だに続く困難な状況が幾分ばかりでも速く改善されることを願って今日の記事を終わりにしたいと思います。


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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