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ご存知のとおり三浦綾子さんは旭川出身の北海道を代表する作家の一人で、懸賞小説で「氷点」が入選して作家デビュー、以後「塩狩峠」や「泥流地帯」など多彩な作品を数多く残されました。キリスト教徒の綾子さんの作品は、一貫して聖書の教える人間観に基づいたテーマで書かれているのが特徴です。ぼくもこれまでに「氷点」や「泥流地帯」、「塩狩峠」、「羊が丘」、「天北原野」など多数の小説と「道ありき」などの自伝的小説やエッセイ集を読み、綾子さんの作品から多くのことを学びました。
三浦綾子さんの作品を読む前はタイトルが何となく重々しく感じられ、聖書の教えや原罪などに基づく作品ということで、小難しくて説教くさい古い小説という先入観を失礼ながら抱いていたのですが、読んでみると文章は平易で読みやすく、内容は解りやすい中にも人間の存在の根本にあるものまで描写した骨太なものでした。そして、どの作品に登場する人物も非常にリアリティがあって現代の目で見ても全く古さを感じさせません、綾子さんの作品が今も世代を超えて読み継がれている理由はその人物描写の色あせない新鮮さにあると思います。
企画展では、これまでに出版された本の展示や「氷点」や「塩狩峠」などの代表作の資料などが主だったもので、夫の光世氏による病身の綾子さんを思いやった短歌の実筆も拝見することができました。すでにお読みになった方ならご存知だと思いますが、「氷点」の主要登場人物の啓造、夏枝、陽子、村井の直筆設定ノートが展示されていて、個人的にはかなり注目していました。簡単にまとめると、殺人犯の娘であるという出生の秘密を持つ主人公の陽子、その陽子を幼い時に出生の秘密を隠したまま養子にした医師の啓造、その妻である奔放な性格で自己に執着する夏枝、優秀な眼科医で女好き、かつ冷酷な村井~といった感じで、各人物の人となりが深層心理まで含めて細かく設定されており、原作を読んだうえで対比すると、あの濃厚な人物関係と劇的なストーリー展開がここから生まれたのかと思うと感慨深いものがあります。
これだけを見れば、さぞドロドロした内容の小説だろうと思われるかもしれませんが、そんな中でも主人公の陽子は自身も複雑な出生の秘密を抱えながらも、真実な生き方を求めて一直線に成長していくので読んでいてかえって清々しい印象を受けます。氷点は登場人物たちの俗にまみれた営みと、そこから生じる人の心の闇、それに反して頑なに真実を求めて生きる主人公がやがて周囲を巻き込みながら浄化していく様子が描かれています。そのようなストーリーが醸し出すコントラストの深さが、この三浦綾子初期の傑作の最大の魅力なのかもしれません。
小さな企画展でしたが、三浦文学ファンのぼくとしては見応えがあって得るものも多かったです。文学館を後にして、中島公園を横切り電車通りに出て市電に乗って次の目的地、市電祭り会場の電車事業所へ向かいました。
(PS:)
どんな人でも自分の在り方や人間関係の不可解さなどに一度や二度、悩むことはけっして珍しくないことだと思います。そんなときに自分の限られた視野だけでそういった不可解さを見極めようと格闘してかえって悩みを深める結果になったり、それを誰かに打ち明けてみても理解が得られなかったことも多いのではないかと思います。また、自分自身の内に秘めた葛藤をどうにかして昇華しようと試みても、対象化できる存在を見つけられずに悶々としたまま過ごしている人も多いのではないかと思います。そういった精神的に息苦しさを感じがちな時こそ、三浦綾子さんの作品に一度触れてみることをお勧めします。今、自分が直面している課題に向かっていこうとする意思と、そこから目をそらさない勇気を持って読み進めれば、きっと何か力になるものを得られると思います。
読んだ感想を一言で言い表すと、物凄く陰気な小説です。読んでいて楽しくなったり愉快に感じる人はまず居ないと思われるような小説です。にもかかわらず、歴史に残る世界的な名作の一つに数えられている作品です。あらすじは、営業マンの主人公グレーゴルが出張に出かける朝、目覚めると巨大なイモムシ?のような昆虫に変身していて、それを家族や上司に発見されてから仕事を失い家族にかくまわれて生活するようになり、以後、主人公と家族間に葛藤が生じるといった内容です。
主人公が朝起きたらイモムシになっていたという設定から古典的なSFホラーのような印象を受けますが、その現実離れした設定を覗けば、現実の家庭に起こりうる様々な人間模様と心理が丁寧に描かれて非常にリアリティを感じました。巻末の解説でも似たような解釈が述べられていましたが、イモムシに変身するという非現実的な設定を除いてこの小説を読み解いてみると、まるで、ある日突然家族のうちに介護が必要な者があらわれて、そのほかの家族が否が応でもそれに当らねばならず、そこに生じる様々な葛藤がそのまま描かれているように思えるのです。
最後まで読んだ人なら分かると思うのですが、この小説は陰気を通り越して残酷な結末を迎えます。救いはある歪んだ形をしたものを除けば全くありません、正直、哀れな主人公に同情を禁じえませんでした。その歪んだ形の救いというのは、主人公の残酷な結末が残された家族にとって悲しみとはならず、むしろ確かな希望と救いに結びついているということです。ここに、ある人たちの幸福は同じ交わりの中にいる誰かの上に負わされた不条理の上にしか成り立たず、しかもそれは全く顧みられることがない、そんなリアルな現実を読む人に訴える作者の強いメッセージが読み取れます。
作者カフカがイモムシを執拗に観察している姿が目に浮かぶような描写とあわせて、こういった人間の根底的なエゴと人生の不条理を描ききった点に、この『変身』が単なる薄気味悪いホラー小説ではなく、世界的な名作たる理由があることを素人のぼくにも合点がいきました。それにしてもです、たしかにニヒリズムというのか悲観的な現実主義の観点から見れば、人生の不条理も人間のエゴも全くそのとおりなのですが、やはりぼくにはそこが人生の終着地点とは思えませんし、より高い到達点や真の希望といったものが存在するように思えてなりません。それはまだぼくが若いからそう思えるだけかもしれませんが、、、
「本物のプラス思考は究極のマイナス思考から」 (24章)
『他力 TARIKI~大乱世を生きる一〇〇のヒント』は全体を100の章で構成されており、上の引用はそのなかの24番目の章の表題です、この本のメッセージ全体を一番端的に現しているフレーズだと思い取り上げてみました。
そもそも「他力」とは他力本願という言葉で知られる日本仏教の浄土宗、浄土真宗の教えの中にみられる根本思想です。その内容については本文で詳しく述べられていますが簡単に説明すると、一般的に言われている無責任な他人まかせという意味ではなく、この世には個人の意思を超えた目に見えない大きな力が存在し、そこに御仏による全ての苦しむ人間を救おうとする意思(本願)が絶えず働いているという思想です。その他力本願の思想に基づいて、ただひたすら念仏すれば誰でも極楽浄土に導かれ救われるという信仰は、数百年前の生きることが今よりもずっと過酷だった時代の名も無き大衆に瞬く間に受け入れられました。以来、現在に至るまでその信仰は脈々と受け継がれてきました。
五木さんはその他力本願の思想に自ら帰依しながらも仏教思想の枠にとどまらず、他力の力を宇宙全体をつかさどる見えない大きな力として捉えています。他力をあらゆる宗教や信仰の有無を超えた普遍的作用として捉えることで、数百年前に成立した古い宗教論を、現代の複雑混迷化する社会や深刻化する心の荒廃などに光をあてる新しい理論として著しています。この『他力』という本はコテコテの宗教本ではなく、これからの時代を生きるための指標となる多くのメッセージが記された本です。(以下、つづく)
ブログのサブタイトルにもチラッと書いたのですが、ぼくがこれまで読んだ本の中で何か感銘を受けたり感動した本を紹介したいと思っています。とはいえ、ぼくには人さまに本を紹介できるほどの知識も教養もありません、また元手となる読書経験もほんの限られた程度しかもっていません。ですから、紹介の内容も拙い読書感想文ほどにしかなりませんし、ほとんど赤恥さらしにしかならないかもしれません。それでも、背伸びせずに自分がありのままに感じたことを書いていけたらいいなと思っています。
これから本を紹介することを通して、ぼく自身の本に対する理解をさらに深めていきたいと思っています、また自分の好きな本ばかりに偏らずにもっと色々な本を読むチャンスにしたいとも思っています。もし、ぼくの拙い紹介でもその本に興味を持って手にとっていただけたら嬉しく思います。
良い本には、それを読む人の人生を変えてしまうほどの力があると言われています。今まさに悩み多き時代ですが何か困難な壁にぶつかったとき一冊の本から希望を見出すことが出来ることもあります。今の時代を悩み迷いながら生きている多くの人達が良き本とめぐり合って少しでも希望を見出せることを願っています。
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発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」