北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日まで病気の顛末について書いてきましたが、そこでは書ききれなかった「不安」というものについて今年の総括とあわせて書いてみたいと思います。
バセドウ病の原因はまだはっきりと解明されていないということは昨日までの記事に書きましたが、まったく不明というわけではなく、いくつかの因子と関わりがあることが明らかになっています。そのうちでもっとも大きく影響しているものの一つにストレスがあげられています。ぼくの体験からも、発病から一貫してストレスが影響していることは間違いないことだと思います。
ストレスにも欲求不満や緊張などいろいろ種類がありますが、なかでも不安が人にとってある意味一番厄介で手強いストレスと言えるかもしれません。ぼくもこれまで病気と向き合いながら生活してきましたが、今に至るまで不安に苛まれない日は一日として無かったと思います。また、その不安によるストレスがクリティカルに作用し確実に病気を悪化させてきたことは疑いようもない事実です。
これまでぼくにとって病気を治すことは、すなわち不安とどう向き合うかの試行錯誤の繰り返しでもありました。でも結論から先に言ってしまえば不安を無くすことはほとんど不可能だと思います。ぼくは不安を否定し遠ざけることはせず、本当に辛い時はありのままに受け止めることを心がけ、そうすることに何かしらの意味を見出すように努めてきました。そのように考えながら一喜一憂して時には深く落ち込むこともあったけれど、これまでどうにかこうにか希望を失わずにやってこれました。
不安というものはいつのまにか人の心を支配しているものだと思います。誰にでもあることですが、先行きが見えない不安、健康の不安、経済の不安、人間関係の不安、自分の存在に対する不安、失うことへの不安、、、全てをあげることはできませんが考え始めたら尽きることがないと思います。これらを目の前にしたとき、ぼくもそうですが、一づつその芽を摘むようにあれこれ考えながら時には血眼になって何とか原因を取り除き不安を打ち消そうと努めるのではないでしょうか。でも自分の力で一体どれだけその不安の芽を摘むことができるのか、そんなことをぼくは真剣に考えたことがあります。まったく暇で者好きな人間だと言われればそのとおりなのですが、病気で健康を失いかけ自分の力の根源に疑念を持たずにいられなかったぼくにとっては切実な問いでした。
深く考えるまでもないことですが、実際には全ての不安を自分の力だけで打ち消すことはとうていできることではありません。それでも不安の力は強力でなかなか人の心を離さないものだと思います、それゆえに人は不安から逃れたり、反対に全力で打ち消したりすることが前向きな生き方であると時に錯覚することがあるのではないでしょうか。ぼくもそういった錯覚に長くとらわれていた一人だと思います、でも不安に基づいた生き方は本当の意味で前向きな生き方ではないと思います。自分が不安に基づいて行動しているとき、知らず知らずのうちに利己心が強くなり自己中心的な価値観の人間になってしまっていることに気づかされました、同時に自分の心を自ら縛ることにもなっていたと思います。不安は知らぬ間に人の心を自己中心的にさせて心の自由を縛る力があるのだと思います。
これからは多くの人達がこれまでになかったような不安に直面する時代になると思います、そのときまた多くの人達が そういった不安を解消しようと努力するでしょう。不安は自己防衛と裏表の関係にあると思います、でもそうすることに何の疑問も抱かずに自己保身だけに終始すれば、不安を避けようとしてかえって不安を現実のものにしてしまうことも多いと思います。自分で充分に分かったつもりでも、そいった矛盾に陥いりやすいところが不安の持つ力の恐さだと思います。
ぼくもこの一年、体調が改善しているにもかかわらずこれまでの病の苦しさのためか一種のトラウマにとらわれて、気づかないうちに前向きに行動することを阻まれてきたように思われます。でも、その一方でこれまで散々述べてきた不安のしがらみから解かれるためのヒントを得られた一年でもありました。自分の中ではほぼ確信しているのですが、まだ明確に説明できるまでには至りません。ただ分かることは、疑うことからは疑いしか生まれず、そうすることから信じることへ心を転換する必要があるということです。
右肩上りの神話が生きた時代は、たとえ不安が生じても近い将来の発展の中にそれを昇華することができました。でもそれは何か依存性を含んだ不確かな希望でしかなかったように思います。そういう心の拠り所となる外部の神話が崩れようとしているこれからの時代は、自分の心の内にどれだけ確かな信じうるものを持ちえるか、そこに希望が持てるかどうかにかかってくるのではないかと思います。
これまで書いてきた愚痴っぽい文章は今年のうちに置いておき、来年は不安に縛られた生き方とサヨナラしてもっともっと前向きに行動しようと思っています。来年がみなさんにとって希望ある一年になりますように、それでは良いお年を!!
不安というものはいつのまにか人の心を支配しているものだと思います。誰にでもあることですが、先行きが見えない不安、健康の不安、経済の不安、人間関係の不安、自分の存在に対する不安、失うことへの不安、、、全てをあげることはできませんが考え始めたら尽きることがないと思います。これらを目の前にしたとき、ぼくもそうですが、一づつその芽を摘むようにあれこれ考えながら時には血眼になって何とか原因を取り除き不安を打ち消そうと努めるのではないでしょうか。でも自分の力で一体どれだけその不安の芽を摘むことができるのか、そんなことをぼくは真剣に考えたことがあります。まったく暇で者好きな人間だと言われればそのとおりなのですが、病気で健康を失いかけ自分の力の根源に疑念を持たずにいられなかったぼくにとっては切実な問いでした。
深く考えるまでもないことですが、実際には全ての不安を自分の力だけで打ち消すことはとうていできることではありません。それでも不安の力は強力でなかなか人の心を離さないものだと思います、それゆえに人は不安から逃れたり、反対に全力で打ち消したりすることが前向きな生き方であると時に錯覚することがあるのではないでしょうか。ぼくもそういった錯覚に長くとらわれていた一人だと思います、でも不安に基づいた生き方は本当の意味で前向きな生き方ではないと思います。自分が不安に基づいて行動しているとき、知らず知らずのうちに利己心が強くなり自己中心的な価値観の人間になってしまっていることに気づかされました、同時に自分の心を自ら縛ることにもなっていたと思います。不安は知らぬ間に人の心を自己中心的にさせて心の自由を縛る力があるのだと思います。
これからは多くの人達がこれまでになかったような不安に直面する時代になると思います、そのときまた多くの人達が そういった不安を解消しようと努力するでしょう。不安は自己防衛と裏表の関係にあると思います、でもそうすることに何の疑問も抱かずに自己保身だけに終始すれば、不安を避けようとしてかえって不安を現実のものにしてしまうことも多いと思います。自分で充分に分かったつもりでも、そいった矛盾に陥いりやすいところが不安の持つ力の恐さだと思います。
ぼくもこの一年、体調が改善しているにもかかわらずこれまでの病の苦しさのためか一種のトラウマにとらわれて、気づかないうちに前向きに行動することを阻まれてきたように思われます。でも、その一方でこれまで散々述べてきた不安のしがらみから解かれるためのヒントを得られた一年でもありました。自分の中ではほぼ確信しているのですが、まだ明確に説明できるまでには至りません。ただ分かることは、疑うことからは疑いしか生まれず、そうすることから信じることへ心を転換する必要があるということです。
右肩上りの神話が生きた時代は、たとえ不安が生じても近い将来の発展の中にそれを昇華することができました。でもそれは何か依存性を含んだ不確かな希望でしかなかったように思います。そういう心の拠り所となる外部の神話が崩れようとしているこれからの時代は、自分の心の内にどれだけ確かな信じうるものを持ちえるか、そこに希望が持てるかどうかにかかってくるのではないかと思います。
これまで書いてきた愚痴っぽい文章は今年のうちに置いておき、来年は不安に縛られた生き方とサヨナラしてもっともっと前向きに行動しようと思っています。来年がみなさんにとって希望ある一年になりますように、それでは良いお年を!!
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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