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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日、今日と午前中内のハーフタイムですが撮り鉄モード?とでも言いますか、純粋に列車を撮影することだけで行動してきました。

特に昨日は、非常に頑張って心身におけるダメージ・リスクをものともせず午前4時起きを決行し、朝一番の始発列車に乗って、途中駅での観察を交えながら一路朝の南樽駅を目指しました。

表題にもあるとおり、北の赤い電車こと711系近郊形交流電車が予定通りなら今年度中にも完全に引退する見込みで、その赤い印象的な車体と沿線に散在する桜の木の花々との魅惑的なコラボレーションは今年で最後ということになります。

そのことを今になって強調しても仕方のないことですが、それでもラストシーズンの記憶に残る記録の一枚を2日間の短期集中で追い求めてきました。



南樽=南小樽駅の駅前から線路の走る土手下の斜面に数本の桜の木々が根を下ろしていて、毎年4月下旬から5月の上旬にかけて花の見頃を迎えます。

今年はGW中に見頃を迎えましたが10日の昨日まで何とか持ってくれたようです。斜面の下へ目を向けてみると、散った花びらが地面を覆うように拡がっていてとても綺麗でした。




南樽駅の桜は見る分にはとても風情があって良いのですが、いざ列車と組合わせて撮ろうとすると思った以上にアングルの制約があってバランスの良い構図を見つけるのに苦労します。

そこを通過するもう一方の主役である赤い電車については、一日のうち日の当たる時間帯に走る列車は上下合わせてたった3本しかありません。




そのうち一本は朝5時台の小樽始発の列車で泊まりがけしないと不可能なので、事実上撮影が可能な列車は朝8時台の1往復しかありません。その僅かなチャンスをどこで捉えるかは最初から決めていました。駅構内の跨線橋からというイージーな選択ですが個人的には一番好きな構図です。





この場所は2009年にも一度トライしているのですが、その時はとある特殊な事象によって無残な結果に終わってしまい大惨敗でした。

今回は散り際ですが地面を覆う花びらの絨毯を絡めてフレームに収めることができたのでとても満足しています。

気合一発で早起きし朝一番列車で駆けつけましたが、意中の赤い電車があっさり行ってしまうと特にこれといった目的もなくなります。

いつもなら鉄モードから行楽モードに切り替えて小樽散策へと繰り出すところですが、今日は撮影を終えて集中力が切れたことと、体力的な消耗を避けるために早めに帰路につくことにしました。

それでも天気が良く心地よかったので少しだけ辺りを巡ってから帰ることにしました。



南樽駅から小樽駅方面へ入舟町の谷間を降りて登って10分ほどの花園橋まで行ってみました。ここも線路にかかる桜で知られた場所です。ちょうど満開を迎えて見頃でした。最初はここも撮影の候補に考えていましたが意中の南樽桜に絞ることにしました。行き交う列車を何本か撮りましたが、その気になればステンレスの電車でも趣のある一枚を収められると思いました。


 


行き交う列車へカメラを向けている合間に一人花見を洒落こみながらも意識の中を交錯するもろもろの思索を整理整頓する時間にあてたりしていました。

その内容についてあれこれ具体例を書き示すことは控えますが、ここ最近、今日このごろしきりに考え込んでいるテーマは”今まさにこの時に存在する”ということについてです。

これはカメラを被写体に向けてシャッターを切り静止した姿形を画面上に残すという行為の背景にも関連がありそうですし小説のテーマとしても考えていることです。

その発想のベースとして見知ったことですが、古神道の中で言われている今中の思想というものからヒントを得たもので、難しい理屈はなるべく用いずに言うと、往々にして人の意識は過ぎた過去の記憶とまだ見ぬ未確定の未来について思いを馳せすぎていて、肝心要の今ここに存在している自分の意識とその状態に心が向いていない傾向になりがちだというようなものです。

その弊害として、共に実体の無い過去の記憶と未来の見通しにばかり捕らわれて、唯一存在している今この時の自分の在り方を見失うことに繋がるという指摘があります。

心の余裕の無い状態に追い込まれた時の切迫感の後ろ側にも、こういった指摘の指す精神的構造が影を落としているかのもしれません。

気分の良い日にそんな深いことばかり考え込んでいても気がめいり始めるので、実際には手短に意識の矛先を切り替えて花園橋から丘の上へ向かう坂道を登り始めていました。

小樽聖公会の赤い屋根の尖塔を横目に急な石積み階段を登り切った先にも小さな桜の木が一本、大きな木立の影の下で守られているかのように細身の枝を四方へ伸ばして小ぶりの花々を咲かせていました。

そこから右に折れて短い坂を反時計回りに登り切った先に小樽水天宮があります。

小樽港を眼下に眺められる小高い丘の頂上に拡がる境内には大きな桜の木々が左右に別れて幾本も植えられていて満開の見頃を迎えていました。

観光に訪れていた数人のアジア人観光客の他に人出はなく、しばらく桜の木々を見て回ったあとお堂でお参りをすませてから境内をあとにしました。

来た道の階段には戻らず手前から降る別の急な坂道をややへっぴり腰気味で下り終えると先ほど通った入舟町の谷あいに戻り再び坂道を登って南樽駅へ戻りました。

駅前広場にも拡がる桜の木々の枝振りと満開の花々をもう一度一瞥してから駅へ入ると予定していた帰りの快速列車の改札に十分余裕を残して間に合いました。


後半は今日、近場で撮影した成果などを紹介します。
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恵庭方面にプチ行楽に向かう途中、島松沢に寄ってもらいました。

来るか来ないか分かりませんでしたが、快速や普通が何本か通過したあと石油返空9772列車がゆっくりとやって来ました。編成は繁忙期の約半分ほどでかなり短いです。





今月末で終焉を迎える道内石油輸送列車の記録が一枚増えて良かったです。

この場所は撮影適所が少ない千歳線沿線でも行き交う様々な種類の列車をワイド気味にスッキリ写せるポイントとして有名です。
 
昨今の撮り鉄ブームが起こるはるか前から馴染みのある場所でしたが、なぜかカメラを持って撮影に望んだことのない場所でした。

DD貨物も撤退し石油貨物も終焉間近というこのタイミングでようやく一枚撮りましたというのも我ながら微妙に遅れた感がありますが、同線を走り抜ける花型寝台列車群が文字通り走り去ってしまう前になるべく撮影に勤しもうと思います。

それでもあくまでマイペースを保ちつつ、あまり数を多く望まずに与えられた体力と調度良くめぐってきたチャンスの中でベストな写真を狙っていこうと思います。
 

 
 
 今日はどうしても捉えておきたい列車が走るので半ば封印状態だった一眼レフとレンズ一式を引っ張りだして久しぶりに撮影に出かけてきました。


というか今日は絶対に外せない、多少無理してでも這いつくばってでも(ちょっとオーバーかな、、)あの場所へ向かわねばならないと思いを募らせていました。


すでに同業の愛好者なら御存知の通り、昨日の札幌貨物ターミナル発苫小牧行き2082コンテナ列車を最後にDD51型ディーゼル機関車による定期貨物運行の長い歴史に幕を降ろしたものと思われます。


最後が確定的ではないのは、一応貨物所属のDD51型のメンテナンス体制がまだしばらく続くようなので、突発的な代走や札幌貨物ターミナル駅構内および苫小牧近辺の少運行などに入る可能性が全く無くなったわけではないからです。


とはいえ長らく続いた本線貨物牽引の使命を果たし終えたことに変わりはなく、今日の列車が最後の花道となったとしても何ら不可思議なことではありません。


あくまで自分の手が届くならぬ足が向く範囲の地元界隈においてですが、長らく道内貨物列車牽引のスターとして君臨してきたDD51型ディーゼル機関車最後期の活躍を記録してきた、その最後の締めくくりとしてどうにか撮影に繰り出せたのは幸いでした。


 

その向かった場所は千歳線において定番スポットに数えられる北広島市内から伸びるサイクリングロードの土手上からです。

列車通過一時間以上前に到着した時は自分一人でしたが、その後、同業愛好家の方々が集まり数人並んでその時を迎えることになりました。





その結果はご覧のとおりで可もなく不可もなくのごくありきたりな出来栄えですが、自分としてはその無難さが却って普段通りのDD貨物の雰囲気を残せて良かったと思っています。

また今日は快晴の暖かい日で、この春始まってようやく訪れた屋外活動日和とあって、手前の旧千歳線跡を利用したエルフィンロードというサイクリングロードにはチャリンコ愛好家の人々やランニング愛好家などタフな活動を好む人達がひっきりなしに往来していたことから、望みうるならばDD貨物最後の花道をゆく姿をスッキリと収めたいと願いつつも、多少の人々の映り込みは仕方がないと諦めかけていました。

ところがその場に居合わせた人達の共通の思いが通じたのか、ある意味奇跡的に(また大げさな)人やチャリンコの往来が途切れて理想的な背景の中をDD重連貨物が通過していきました。

シャッターチャンスの瞬間はわずか十数秒にも満たないですが誰しもが夢中でシャッターを切り続けていたのは言うまでもありません。

本当に呆気無くその時は過ぎ去り、おおよそ48年間続いたDD牽引貨物列車の最後になるかもしれない瞬間は嘘のように静かな幕引きでした。

確かな記録を残せた手応えとともに、これまで当たり前過ぎた光景をもう二度と現生で見ることはないという事実を同時に噛み締めていた時、不意にもう一度カメラを構えなおしました。




先ほどDD貨物が通過したその場所を今度はクリスタルエクスプレス車両を使用した代走臨時特急北斗がさっそうと通過していきました。

通過後やや間をおいてから考えると少し冷や汗をかいたような気がしました。





実は今日の2082列車は少し遅めの通過で、時間にしてあと30秒ほど遅れるか反対に臨時北斗がそれだけ早めに通過していたらファインダー越しのこの地点でクロスするところでした。そうなれば手前を横切るサイクリングロードの往来の有無どころではなくある種の悲劇的結果になっていたか、あるいは運が良くてもDDとクリスタルのなかなかありえそうにないコラボレーションカット?になっていたかもしれません。

当初予想外の臨時北斗とのニアミスでしたがすんなりとやり過ごせたのでこの点でも今日の撮影はツキに恵まれていました。



さらにしばらく間をおいて立て続けにやってきたのはもうひとつのDD51重連牽引列車、8002臨時列車こと大阪行き豪華寝台特急トワイライトエクスプレスです。

北斗星、カシオペア並びに急行はまなすの道内区間を牽引する通称青ガマと称される旅客会社所属DD51はまだ暫くの間活躍が継続します。





この後すぐ足元に転がっていた自分の荷物を片付けて軽い挨拶を交わしてその場をあとにしました。

今日は久しぶりの鉄道撮影であり節目の記録活動でしたがその成果に十分満足して帰路につくことが出来ました。

思い返せば、この輸送を主目的としておおよそ半世紀前に造り出された一つの機械を、何故かその存在から発せられる魅力に惹かれ続け、これでもかというくらいに感情移入して、それでいてそのことのみに夢中になるようなことがないようあえて一定の距離を保ちながら向き合ってきました。

そのことについて不思議と強い感慨は今のところありませんが、今後ゆっくりと自分のアルバムを整理しながら、その最後の締めくくりになるであろう今日の一枚を貼り終えた時、ああ自分にとってDDを通して追い求めてきたモノの正体はこれだったんだと自然と腑に落ちる時が来るのだと思っています。



 

毎年、雪が解けたあとの地面から顔を出しているふきのとうの若芽を見つけるとケータイでパチリと写真を撮ります。

今年は昨年末に新しく開通した高架下の道路の道端で見つけました。






今日は昨日までの体調の悪さとは打って変わって気分の良い晴天の日でした。

日課の運動コースを回ったあと(糖尿予備軍に入らないための自衛策としての運動です(^^ゞ)近所のコープへ消費増税後初の買い出しに繰り出してきました。

店内に入ると大規模な改装工事中なのもあってか客足のほどは予想通りちらほら程度でした。

買い出しと言っても、ほぼ数日おきの日課なので買うモノの数は多寡が知れています。

いつも買うバナナは絶対7本房を見つけ出すとか、30円引きのエリンギを見つけたら迷わず手に取るといったアンバイです。

それでも生鮮野菜などの産地には気をつけて、多少値段が高くても地元北海道産にこだわって買っています。

いつまでも風評の類を気にしすぎているわけではありませんが、未だにその手の害は確実に存在していますし、要は身体に取り入れる割合を減らすことが肝要で本来持っている自浄作用を超えないようにバランスを取ることを常に意識しています。

いずれにしましても8%増税後も家計が成り立つように、なるべく無駄な嗜好品の割合を減らしながらも必要不可欠な食品の質を落とさないように配慮しながら買い物を続けていくしかありませんね。

一番の節約は、将来大きな病院のお世話にならないように健康を出来る限り維持することかもしれません。

今は必要に応じて通うだけですが、以前は毎月3、4件の病院をはしごしなければならず、毎週決まった額の通院費用と薬代がかかって文字通りお金が羽が生えたように飛んでいきました。

そんな状態を数年かけて徐々に通う病院の数を減らし薬に依存する生活から抜け出しました。

それでも未だに頑固な体調不良には悩まされていますが、それは病院に通って薬三昧の時と大差ないばかりか却って良くなっているくらいです。

前向きな気持で粘り強く自助努力を続けていれば少しづつでも快方に向かいますし、いずれは自分でやりたいことを無理なく実現できる日も来ると思っています。

自分でもそういった生き方が継続できることはちょっとした奇跡であり賜物だとさえ思っています。

兎にも角にも今日も1日平穏無事であることに感謝するほかありません。




PS.)
今日、日本から太平洋を挟んだチリ沖で大きな地震がありました。先月末から太陽活動が活発だったのと北米大陸の西海岸で群発地震が続いていたことから予期していた人達もいるようです。この地震の被害が小さく住むことを願うとともに、その反動のエネルギーが反対側の日本まで及ばないか用心するに越したことはないと思いました。また今回の地震の震源が深さ10kmということで地球全体の地殻運動が活発化していることも伺えます。今まさに自然界においても大きな節目の運動が起きているようです。







今日から消費税8%がスタートしましたが昼間のニュースはそれに伴う値札一斉張替えの様子や消費者の反応といった話題でいっぱいといった感じでした。


日本各地の話題を順番に伝えるニュース番組ではいったい何店舗のイオンが紹介されたでしょうか。


御多分にもれず我が家も昨日まで生活必需品を中心にささやかな買いだめに励み、今日からは財布の紐をぎっちり閉めてこれからの8%時代を乗り切っていこうという覚悟です。


それにしても今このご時世に8%ですよ、単にこれまでの商品価格に8%に上乗せされるだけでなく、その商品を製造する過程のコストや流通コストにも8%に上乗せされるわけですから、いずれ商品全体の原価もじわじわ上がってくるはずです。


最近のアベノミクス的景気判断では物価が上がれば好景気とされるらしいですからかえって好都合なのでしょうか。


まあ、こんなところでこれ以上ボヤいても仕方ないのでこのくらいにしておきますが、もう一つこの時期に片付けなければならない面倒な出来事がありました。


これも地味に消費税に勝るとも劣らず世の中全体に影響しそうな問題ですが、個人的にはすでに解決策を講じているとしてもどこか納得のいかなさが残る話題です。




古いPC一式を久しぶりに引き出して仮設台の上にセットアップ。

電源を入れて無事起動することを確認してネット回線につなぎました。

さすがの我が家でもすでに第一線を退いていたXPパソコンの最終更新作業の様子です。

久しぶりに触れてみるともっさりとした動きと相まってやはり古臭さは否めません。




いまだに相当数が全世界で使われていると思われるウィンドウズXPパソコンですが、そのサポートがとうとう今週末の4月5日ごろに終わるそうで、それ以後はマイクロソフトのホームページから一切の更新プログラムのダウンロードができなくなるそうです。

旧式のディスカウントパソコンとはいえ、メモリー増設、HDD交換、珍しいHD動画対応AGPグラボ追加など、かなりの改造投資をしてきたのでそのまま粗大ごみ化してしまうのも忍びなく(最新のウィンドウズ8を入れてもギリギリ動きそうなうスペックです)OSの最終更新と合わせてアプリケーションソフトも最新状態にして保存しておこうと思っています。

とはいえこの旧式パソコン、内部の電解コンデンサーなどが劣化しているためか、使っているとノイズ感と電磁波感が凄まじく、すぐに肩が凝ったり眼の奥が張って顎が痛くなったりします。

今メインで使っているAMD製の超低性能=超低消費電力CPU付き基板で組んだキューブ自作PCはほとんどそういった不快感を感じることなく使用しています。

クロック周波数が1.65GHzと低く、また格安で買ったアルミ製キューブケースのアース電位安定効果のためか、とにかく身体に負担がかかりません。

正確な根拠はありませんが個人的経験則ではどうも2GHz後半あたり以上の高周波数のノイズは身体にあまり良くない影響を与えているのかもしれないと思います。

人体の調子を整える自律神経系等は微弱な電気でコントロールされていると言われています。

なので昔から静電気などは身体の調子に悪影響を与えると言われますが、パソコンやスマホなど最近になって急速に普及したデジタル機器からは、常にメガHz以上の高い周波数の電磁波やノイズが放射され、しかもこういった高周波数の電磁波はエネルギーとしては弱くともその場にまとわりついて居座る性質があるらしく、それゆえこれらに常にさらされるのが当たり前になった現代人の身体には相当の悪影響が及んでいると見ても間違いないのではないかと思われます。

現にこういったデジタル機器に触れ続けることが原因とみられる身体の不調も多く報告され電磁波過敏症というふうに言われ始めています。北欧などの国々ではすでに疾病に指定されて対策が進められているようです。

いずれにしても人類がこれだけ沢山のデジタル電子機器に囲まれながら生活するようになったのはわずかここ十数年にも満たないわけで、いずれこういった環境による人体に対する悪影響と弊害はもっと沢山認識されてくるはずです。

個人的にもかなり敏感な方なので、なるべく自己コントロールをしながら出来る対策を施してこれらの文明の利器と上手く付き合っていこうと思っています。


話が少しずれたのでまたXPパソコンの話に戻しますが、今改めてこのパソコンに初めて触れた頃を思い出すと基本的にとてもシンプルだったなあと思います。


当時はパソコン一式をセットアップしてネット回線につなぎ起動した後、各種初期設定とモデムとメール設定を終えればインターネットに繋がり、あとは基本的な使い方を順番に覚えれば良いだけでとっても楽だったなぁとつくづく思います。


それが今ではスマホやタブレットが普及しそれに合わせて無線LANも追加されシステム全体が格段に複雑になりました。


というのも、最近我が家でも家族共用のインターネット端末としてタブレットが届きそれに合わせて無線LANルーターも追加され、それらの初期設定にてんてこ舞いしています。


アンドロイドの使い方を覚えながらこれまでのPCとのファイル共有の方法や古いwifi非対応のプリンターで印刷できる方法の模索など、まだすぐには解決できそうもない課題に取り組んでいます。

別に期限が設定されている問題では無いのでぼちぼちやっていこうと思っています。
 
 
古いXPパソコンの更新もまだ掛かりそうですが、ホント個人的にはアンドロイドも無線LANも絶対に必要というわけでもなく、いささかの古臭さともっさり感に目をつぶり身体に害のない優しいパソコンであるならば、ネットに繋がるだけのシンプルなデスクトップパソコンだけでも十分なのにと思ってしまいます。

春なので部屋の大掛かりな片付けや冬囲いの撤去などに追われながらも体調の変化には気をつけてマイペースでやっていこうと思います。


 



東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りいたします。



今年に入ってからブログの更新を控えていましたが、今日のこの特別な日に限って、上手く言うべきことをまとめられるかどうか自信はありませんが、それでも何かしらの感慨を書き記しておこうと思います。


あの衝撃的な惨状をテレビを通して目の当たりにしてから三年の月日が経ちましたが、未だに勢いを得られないままでいる復興の現状に対して、安穏な部外者の立場からでもやはり憤りの類を抱きながら、この時期に限って集中的に報じられるテレビ番組を神妙な面持ちで眺めています。


あの時の直後に感じ取ったパニックにも似た激しいショックと高揚感の入り混じった強い感傷はどこかへ去り、所詮、幸運にも安全な立ち位置から傍観することが出来た者にはどうあがいてみても共有しえない厳しい現実の数々が、いまだその地に重く深く横たわっている様子を冷静に見つめている自分がいます。


巷でよく言われているよう、あの時を境目にしてこの国や人々の意識が変わってしまったという感慨を僕自身もまったく同じように抱いていますが、ではその意味するところは一体何なのか、あるいはその変わってしまった何かはたった今も変わり続けている最中で、それはいつまでそう変わり続けるものなのか、まるで安っぽい思索の堂々巡りのように、それでいて明確な答えを見出すことを最初から期待していなかったことを何処かで後ろめたく感じながらも、思いの丈は止めどなく浮かんでは沈むことを繰り返し流れていきます。


あの時を挟むよりもっと以前から繰り返してきたこの止めどない思索の繰り返しの矛先は拡がり続けて、このちっぽけで何ら責任を持たない自分の存在を通り超えて、ある時は社会全体から世界に及び、ある時は時間と海の枠を超えて大陸の国々の文化と歴史に思いを馳せてみたり、またある時は今この時期起きつつある社会と時代の変化をいち早く察知して備えようとする自分がいました。


そのような道徳不在の態度の中からでも、この幾年かの期間の中ではっきりと学び得たこともあります。


それは全ての人が同時に幸福にもなりえないし、同じように不幸にもなりえないという単純な事実に気づいたことでした。


これまで世の中全体にそういった雰囲気が表面的に長く漂っていたせいか、あるいは僕自身が単に幼い性格だったためにそういった甘い認識でいただけなのかは今となっては区別しようがありませんが、まったく無意識に自分の外側の世界は自分の個人的な心理とは一切関わりなく常に幸福に満たされているように思えましたし、また反対にいかなる不幸の類もそれが世の中の注目を集めるほどの大きな出来事ならば、それはまるで世の中全体が我が身に起きた出来事のように同情し共感できるものであって自分もまさにその一部なのだと、その結果としてその不幸な出来事は世の中全体の中で共有され癒され解決に向かいそして可能な限り取り戻されるはずなのだと思っていました。


あの日の出来事を目の当たりにしてから今日に至るまでの長い時間をかけて自分の内面の意識がゆっくりと傾きながら、やがて完全に反転するまでそういった感覚を何ら疑うこともなく信じ込んでいたそれまでの自分の姿に唖然としてしまうような不可解な感傷が今も沸き起こり続けています。それまで自分以外の全てが幸福の内に完結しているようにさえ思えたかつての自分がにわかに自分でさえなかったように思えてしまいます。しかし本当の現実はそうでは無かったようで、ただそのために作られ醸しだされた親しみやすい一種の幻想の類をほぼすべての人々が互いに無意識の内に共有している最中で、その中の一人の人間のうちの幸福もその反対にあるものの全てにおいても、そのどちらとも果てしなく絡み合いながら続いていくような光景だけが僕の脳裏には浮かんで見えます。


再び立ち返って今とこれから自分に出来る事は何なのかと、これまで絶えることのない念仏のように日々自問し続けてきましたが、この不道徳で何ら実りのない営みから生み出された何かを、他者にとって少なからず役に立つ有意義な存在へと昇華出来るような創作を試み、ゆくゆくは道徳的で社会的な実りを得られる結果を手にしたいという手前勝手な理想に邁進するほかないということが、今の自分にとって当面有効そうな仮初の答えのような気がします。


もう一つ明確に自覚できたことがあります。


自分を救うことは世界を救うことであり、自分が救われることと世界が救われることは等しく同じことだったということです。


こう言ってしまうと空想の飛躍が過ぎるように聞こえるかもしれませんが本当のことです。


反対にこの世でたった一人しかいない自分が救われないままで世界が真に救われることはありえないとどこかで聞いたことがあります。


ゆえに自分自身を犠牲にしたまま他の誰かを救うことも出来ません。


なので何よりもまず自分の心と魂が救われることを願うことは他者にとっても自分にとっても本当に必要な希望を見出すための第一歩です。


たとえそのことに罪悪感と後ろめたさを感じながらでも勇気を持って前進するべきです。


また、一人一人の人間が自分の意思と力で互いに助け助けられながらも一人づつ希望を見出せないままに、社会においていかなる高度な手段が講じられ大きな状況の改善が図られても真の意味での復興は成し得ないままでしょう。


この三年間、遠くからですが目の当たりにしたことをきっかけにして自分自身ととことん向き合ったことで、全ては本当にどこまでも自分次第だったことに気がつくことが出来ました。


自分をないがしろにしたまま無理を重ねても何も出来ませんし誰のためにもなれないとさとりました。


最後になりますが大震災の被害に遭われた方々の未だに続く困難な状況が幾分ばかりでも速く改善されることを願って今日の記事を終わりにしたいと思います。


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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