北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日は札幌まで出かけてきました。
学園都市線電化後ということで733系や735系新車組に会えるかな~と期待していましたが、見かけたのはフツーに731系や721系ばかりでした。
写真の731系は医療大学行きです。
今日はテツしに来たわけではないので早々引き上げることにしました。
先行する千歳行きに乗って苗穂に途中下車。運転所の気動車の様子はあまり変わらず、それでも全て冷房車で固められ非冷房車は側線に留置中でした。
ホームから工場の方もチラリ見物できました。
案の定、学園都市線気動車の非冷房組が大挙して留置されていました。その他にもSL旧客や散水タンク車など賑やかな顔ぶれでした。ここには写っていませんが来ないではPDCの転用改造が行われていました。
以前はこの時間帯に入線することのなかった学園都市線運用の721系+731系編成。
今回のダイヤ改正は暫定的なもので気動車時代と変わらないはずですが、こうやって苗穂入出区の調整をしているのですね。
不意を突かれて反対方向の函館線上り区間快速の735系が通過して行きました。
なんとか切り出してみましたが酷い画像です(-_-;)
これが735系の初撮りになってしまいましたorz
運転所横の留置線にはお座敷編成と、先日の浦臼行き最終便で乗車したキハ142-5+141-5他が留置されていました。
たしかキハ142-201とキサハ144-101と背後に1両だったと思われます。
以上、苗穂からのプチレポートでした。
PS)
いまこのブログ内でとあることを題材にした文章を無い脳みそを絞りながら書いています。その内容は興味のない人にとってはどうでもいいことなのですが、いずれ少なくとも数年後以内には多くの人たちにとって無視できない重要な意味を持つことになっている可能性がある内容です。人によっては血眼になってその答えを探しだそうとするかもしれませんが、その時になってからでは慌てふためくだけかもしれません。まぁ、フツーの庶民のぼくにとってはとりあえず知っておく程度で後は流れにお任せ状態で野となれ山となれですが・・・。それでも必要な人にとっては役に立つ予備知識かもしれないので今のうちに書いておこうと思いました。ただ、自分が書いた文章を読み返してみてもさっぱり楽しい文章じゃないので、どうしても知りたいという人以外はスルーしたほうが良いかもしれません。
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前説では今起きている出来事と今後について少し触れましたが、これから書くことは今後どうなるかではなく、どのようにしてここに至ったのかということを個人的な感想も交えながら書いて行きたいと思います。
今後どうなるかについてはぼくにもはっきりしたことはわかりません。
おおよその流れは把握していますが具体的にいつどこで何が起きるかについては全く白紙の未来であり、そういった予測についてはその筋の専門家やネット上にあるあまたの情報判断にお任せしようと思います。
個人的な経緯について振り変えることから始めてみますと、そもそもぼくがなぜ素人分際で社会や経済についてこれほど粘着して考えてきたかというと先日の記事にも書きましたが、人生の本質を理解するために様々な人生訓や宗教、哲学、歴史などを学んでいうちに、そういった古くから変わらない人間の一面を理解する一方で、現代の複雑な社会の中で一人の個人の人生がどういった影響を及ぼされ関係を持っていくか正確に理解する必要性を感じるようになったためです。
多分、そういったことに興味を抱くようになったのは高校の時お世話になったあるエキセントリックな教師による影響だった思いますが(授業を半分しか行わず社会情勢や芸能裏話、今で言うスピリチュアルな話題など一年を通してみっちり教えてくれる先生でした)潜在的な意味では中学校時代に人の考えていることと現実の有様のギャップに悩んだことや、幼児期に今考えればちょっと他の子と違った感覚で生きていた子だったようで三つ子の魂百までもと言うことだったのかもしれません。
最初のうちは社会情勢そのものを深く追求あするつもりはほとんど無く、小説を書こうと決めた時からはよりリアルな人間像に迫るため社会における個々人の有様を客観的に理解しようと努めましたが、その過程と並行して世の中は同時多発テロから始まった戦争の流れやリーマン・ショック前夜のアメリカにおける住宅バブルの様相など自然と社会的背景の大きな変化にも目が向くようになりました。
もともと社会の先行きに対して漠然とした懐疑を抱いている方ではありましたが、それがはっきりとした意識として認識できたのはリーマン・ショック以後の社会経済の流れでした。
世界全体の経済がアメリカの怪物のような消費力一点で支えられていたことや、中国の急速な発展もそれがは早まれば速まるほど危ういことも理解できましたし、各国の巨額の財政出動により目先の世界経済が急速に建てなおされたように演出される一方で、わずか三年にも満たない内に市場のバブルがリーマン・ショック以前の水準をこえてしまうなど、そういった経緯を知れば知るほどこの世界は一体いつまで持つのかという意識に傾いて行きました。
その時期、個人的には病気の回復をはかりながらどこかへ進学して自分ができることを身に着けて社会復帰を果たそうとまじめに考えていましたが、病気が回復する見通しもたたず経済的にも特別豊かな家庭ではないので無理に進学してかえって体調を崩し治療費と学費を払うだけで休学という結末に至らないためにも現状維持を選択しました。(その選択は結果的にベストではありませんでしたがベターな意味では正解でした。その当時は今の3倍体調が悪く無理して何かを出来る状態ではありませんでした)
そしてこの先自分は社会の中で順当に生活するために最小限必要な世の中のスケジュールに合わせて行動できる能力を欠いたまま生きていかざるおえなくなるかもしれないという想定のもと、たとえアンダーグラウンド(良い意味で)だったとしても何か自分のペースで出来る創作的なものを仕事にしようと思い、いずれは文筆で生計を立てられるようになることを目標と考えるようになりました。
なぜ特別得意でも好きでもない文章書きを目指したかというと、たとえ世の中がひっくり返って様変わりしても言葉と文章の需要は人間が人間である限り失われることはないでしょうし、もし自分の境遇が最底辺まで落ち込むことがあってもノートと鉛筆と辞書と若干の情報に自分自身のこれまでの積み重ねさえあれば、たとえ寝たきりでも(意識さえあれば)橋の下でも継続できる分野だと思ったからです。(聖書の中の”言葉は神とともに在る”という言葉の影響も大きかったです)
そうやって自分の内外の世界の認識が深まるに連れてこの世の中の変化の実相のより深い部分にも自然と意識が向くようになっていきました。
そうなってくると自分でも驚くほかない、これまであまり知られることのなかった世の中の仕組みについて、多くの人達が思い描くような事実とは異なる実体像を理解するに至りました。
それを踏まえた上で、さあ自分はどうしたらよいものかと思い悩み立ち止まる時期を経てたどり着いた答えがより普遍的な人生の有様を今後の時代の変化でも失われないような継続可能なかたちを小説で描き出すことでした。
(つづく)
世界的に見ると欧州の債務危機がとうとうスペインに及びギリシャの総選挙の結果次第ではEU離脱がいよいよ現実味を帯びてくるなど風雲急を告げつつあります。
日本国内でも消費税増税に向けて大きくかじを切られようとしていますが、これは単に財政予算の不足という国内問題だけではなく、欧州各国の債務危機の火種となった格付け会社による格下げが今後日本にも及ばないためにはったりでも財政収支を改善したように見せかけなければならない事情が見え隠れします。
こういった経済の大変動がいずれ起こるとこのブログの中でもおりにつけ囁き続けてきましたが、これまで断片的な事情にしかあえて触れずお茶を濁してきましたが、その背景にある関連性について少しずつ出来るだけ簡潔に説明すべき時期に入ったと思いキーボードを打つことにしました。
上に書いた国内外の事象は氷山で言うところの水面から現れた頂点にすぎず、その巨大な本体ははいまだ水面の下に隠れたままとなっています。
ここで誓って言いますが、これから書こうと思う内容位は不安や怖れを煽って強めるために書いておくものではありません。
これから起こる水面下に隠れた変動にいざ向き合うとき、タイタニック号のごとく何の予備準備もしないままあわてふためいてパニックに陥らず変化の本質的構造を理解した上で行動対処できるように思考の整理をするためです。
ようは防災意識と同じで備えていれば最小限の被害で災難をかいくぐることが出来るということです。
東日本大震災の時も日本で起こりうる地震の被害がそれ以前の阪神大震災クラス以上は起こり得ないという認識が被害をあれだけのものにしてしまったことは否めない事実です。原発の安全対策についてのお粗末さは言うまでもありません。
これと同じことが今の日本や世界の経済情勢にも当てはまり、日本の経済はオイルショックやバブル崩壊後の混乱程度しか想定されていないことによって深刻さが増さないよう今のうちにしかるべき人たちが想定対処の準備をしてくれていることを願うばかりです。
前置きからかなり深刻な調子になってしまいましたがぼく自身はまったく深刻には考えていません。
起こるべくして起こる変化であり、その変化が通り過ぎたあとにはまったく新しい道筋が見えてくると確信しているからです。
なのでこれからどんなことが起きても冷静に見極めて静観しようと心に決めています。
(つづく)
東京のお台場にある科学未来館というところで開催されている「世界の終わりのものがたり」といういささか奇妙なテーマの企画展のサイトを見つけました。
そこにはリアルタイムで幾つかの質問の答がリアルタイムに上がってくるのですが、最初は奇妙な感じしかしませんでしたが、しばらく眺めたり自分でコメントしたりしているうちに、今の人達のリアルタイムの心情が浮かび上がってくるようでけっこう参考になりました。
文字通り明日で終わってしまう企画展ですがちょっと覗いて見る価値があるかもしれません。
PS)
なんで今、それも世界の終わりを想定するなんて奇妙なテーマの企画展をやっているのか不思議ですが、それも宇宙飛行士の毛利さんや爆笑問題や脳科学者の茂木さんなど各界のそうそうたる顔ぶれをゲストに招いていることから、単なる趣味の悪いオカルト展ではないようです。おそらく、そういった究極の終末を起点に置くことで世の中の多数の人から本音の価値観を引き出して、今の社会の平均的な意識を取り出して研究しようとしているのではないか思います。予想通り、大震災後のショックからか前向きな言葉が多い一方で不安のニュアンスがやたらと目立つコーナーも見受けられました。ぼくが感じたところによると、日々不安や恐れと向き合い身構えている人が多いという印象を持ちました。う~ん、もうちょっと柔らかく構えて受け流すようにしたほうが不安は和らぐのに~とも思いましたが、逆にこういった企画を通してネガティブな思いを吐き出せることも良いことではないか思います。世の中が息苦しくなるのは本音が言いづらくなったことも一因だと思います。
今までこのブログで単に”作業”とか”創作活動”と称していたのは実は小説を書くことでした。
いきなりカミングアウトしても誰かが関心を持っていてくれるわけではないことは百も承知ですが、自分の気持の整理がようやくつくようになり、まだ自信を持って宣言できるレベルではありませんが、ありのままを報告しようと思いました。
自分がなぜ小説を書こうと志すようになったかというと、もともと文才があったわけではなく(それはこのブログの駄文を読んだだけでお分かりいただけると思います・・・orz)、もともと読書が特別好きだったからでもなく、ではどうしてかというと自分がこれまで10代の頃から考え続けてきた(ほとんど悶え苦しむほどに・・・汗)もろもろの人生観や哲学?を他者に誤解を与えることなく伝えられる最も適切な方法だと思ったからです。(※中二病の延長と思われても仕方ありませんね、、、。)
でも一番の理由はそういった理屈ではなく、ぼくが自分の人生で一番苦しく生きる希望を失いかけていた時に救いの手を差し伸べてくれたのが幾人かの作家による小説の中に記されたメッセージだったからです。
もちろん、ぼくが同じ道を志したからといって偉大な作家のように誰かの人生を救えるような小説を書けるとは思っていませんが、それでも最低限、読者の鑑賞に耐えうるクォリティを保ちつつ読んで単純に楽しめる娯楽作品とし、それでいて人生に直接役立つメッセージを織り込んだ作品を仕上げることを目指しています。
かれこれ、この道で生きていくことを目指そうと決意したのは5年ほど前のある出来事でしたが、それからその決意を両親以外に打ち明ける勇気が持てたのはつい最近のことです。
当初は3年ほど集中すれば満足行く一作品を仕上げられると思っていましたが、そんな甘いものではなく、結局満足の行く作品どころか5年経ってようやく納得の行くシナリオ構成と人物設定を終えたところです。
シナリオとストーリーはほぼ完成しているのですが、ここで壁にぶつかり一体どういった視点で描けばいいのかが決められずにいました。
そして、さらに問題なのは物語を描く視点が定まらなければ主人公や登場人物たちに作者である自分が上手く感情移入できない状態におちいり、彼らの価値観にどう共感してよいか連日暗中模索しています。
それでも、書き始めることが出来なかった理由は創作上の問題ではなく、自分の内面にいまだ未消化な部分が残っていて、そのことに長らく気づけなかったことにあると思い至るようになりました。
それは自分の価値観を正しい視点に置きたいという願望を捨てきれずにいたことです。
自分の言っている主張が正しいという前提で書かれた文章など誰も読みたがるものではないということは頭では分かっていたつもりでしたが、理解した事柄を伝えようとするあまり(このブログなどでは特に)つい感情的主張に走る傾向があったと思います。
そして自分自身の創作に対する自信の無さから、ついつい世の中の矛盾に目を取られ、そこに目くじらを立てながら自己正論を主張することで真意を伝えるかのごとく安直な逃げ道に陥っていたと反省しています。
本当はきちんとした小説を一作書き上げてから作家志望であることを公言しようと考えていましたが、壁にぶつかって足踏みしている自分自身にハッパをかけるために、あえて恥を忍んで大それた夢を語ることにしました。
そして創作活動に限らずぼくの人生全般において前へ進むことを拒ませていた病気以外の要因があることにも気が付きました。
それは上手く説明するのは難しいことなのですが一言で言えば人生と社会の公平性に対する疑問とこだわりです。
ぼくは自分が病気やその他の成り行きによって自分の人生を思うように選択できなくなってから、人生やこの世の中の公平や正当性はいったいどこからくるものなのかということを、自分のみならずできるだけたくさんの人たちの人生や考え方、また歴史や哲学、宗教などの中からも見出そうとしました。
一時期は運命や前世の悪行など(それはあったかもしれない・・・)のせいではと考えたり、またそういった不遇を社会の矛盾のせいにしようとは一切考えたことはないにせよ、昨今の世の中の世知がなさを見るにつけ、やはり個人の自己責任だけでは済ませられない全体の矛盾があることは否定出来ないことにこだわり続けてきました。
ぼくは重ねて言いますが、自分の不遇を世の中のせいにしたり、この世の中をそのものを恨んだりしたことは一度たりともありません。
ゆえにぼくは世の中も他人も家族も一切恨むことなく自分の置かれた境遇をありのままに受け入れて生きる希望を見出すことに全力を尽くしてきました。
そしてそれは可能であることをぼくなりに確信することが出来ました。
とはいえ、それはこうすればいいよと誰かに気安く説明できるようなものではありませんし、ただ単にぼくがそうしていくなかで納得できただけで、他の多くの人にとって一様にこうすればいいといえるものでもありません。
なので小説の世界の中でぼくの分身ではない主人公や登場人物たちが精一杯生きてもらうことを通してそれぞれの希望の形を一つ一つ伝えていければいいなと思っています。
ぼく自身の意識の中の奥深くで最後まで抵抗していた者の正体は今の社会の正義を着ることで自己の満足を得ようとすることに対する根深い嫌悪感でした。
こういった嫌悪感は一般的に青臭いと評される大人になりきれない、まさに中二病の延長線のような、社会で生きている人なら誰しもが感じて乗り越えなければならない当たり前の感情ですが、ぼくは今まで恥ずかしながらこういった感情を受け入れて乗り越える時期を逸してしまっていたことに最近になって気が付きました。
それが頭では分かっていても受け入れることができるほど内面が成長するまでに普通の人以上に時間がかかってしまったということです。
しかし、ただ迎合するだけで解決してしまっては安易な妥協で終わってしまうので、ぼくはその青臭い思案の期間に十分に納得の行く単なる妥協ではない答えを用意することが出来ました。(もちろんそれも小説のテーマとして織り込むつもりです。)
その青臭い考え方から見出された答えがこれから先に必要とされてくると思っています。
ここで誤解なきように書いておきますが、ぼくは小説の中で社会性の云々について直接的に訴えることは一切せず、B級娯楽の中で純粋に人間愛や人生について語るだけでその答えを表現しようと思っています。
長々と取り留めもなく書き続けてしまいましたが、一応の決意表明ということで書き記しておきました。
先日のダイヤ改正まで長らく学園都市線の主力として走っていたキハ141系PDCグループですが、そのうちの2エンジン車キハ142型の10番だけ少し珍しい台車を履いています。
昭和30年代に登場したキハ55系、キハ20系から採用された気動車用標準台車で、以後長きにわたって製造され続けたベストセラー台車です。写真はごく普通のDT-22でキハ142-8のものです。
続いての写真は表題のキハ142-10の前位側の台車で、何が違うかといいますと、軸受と枕バネの間のフレームに肉抜きの丸穴が開けられています。この穴は電車用の台車には普通に開いているものなのですが、気動車用では他に見たことがありません。
ほんの小さな差異にすぎませんが大の気動車好きとしては見逃せないポイントです。
特に細かなディテールの違いを追求する模型鉄の方にとっては重要な部位ではないでしょうか。
キハ142-8の形式写真です。
1エンジン車のキハ141と原則ペアを組んで運用されます。客車列車の廃止で余剰となったオハフ51型客車にエンジンと運転機器を搭載して誕生しました。
その際、エンジンは直噴式DMF-13HS型250PSを新製し変速機と台車は廃車されたキハ56、27、22などのものが再利用されました。
件のキハ142-10が履いている穴あきDT-22もいずれかの旧型気動車が履いていたものですが、それがどういった出自のものか突き止めることまでは難しそうです。
DT-22台車は国鉄時代の標準形台車として日本全国の気動車に搭載され、その内の多くが未だ現役として使われています。
ところが雪が降る寒冷地ではコイルバネの隙間に雪がつまりサス効果が失効する欠点があり、北海道ではキハ40系以降空気バネ台車が採用されPDC一般型が引退した場合、ノロッコ号などを除きコイルバネを装備した列車はなくなることになります。
実は北海道において、レールの継ぎ目が残る田舎の線路のストレートな揺れを伝えてくれるコイルバネ台車を備えた列車は貴重なものだったのですね。
PS)
昨日の夜に北海道南西沖で小さな地震がありましたが変な予感もこの程度で済んでくれるといいですね。あと来週は台風が近づいてきますがその進路と気圧との兼ね合いもあるかと思います。
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HN:
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年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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