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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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_IGP2417-1.jpg今日は夜に札幌まで出かけてきました。

今年一杯でLoftが閉店となり、レンガ造りの西武百貨店ビルは完全に空きビルになってしまいます。

明りが灯っているうちに何とか撮影しておきたかったのです。




_IGP2434-1.jpg向こう側にイルミネーションが灯る赤レンガストリートも良い雰囲気を醸し出していました。

レンガ造りの欧風な路地が、冬の札幌の街にピッタシだと思うのですが、、、経済の浮き沈みにはかなわないのでしょうね。





_IGP2441-1.jpgその後、列車に乗って岩見沢へ行きました。

いつも降りる野幌の駅を通りすぎるのは変な感じがします。乗った列車が珍しく滝川直通だったのでかなりの乗車率でした。江別を超えてもそこそこの込み具合で席に座るのも大変でした。

左にライトアップされてぼんやり浮かんだ美原大橋を眺めながら、豊幌、幌向、上幌向とひた走り岩見沢に着きました。向かいにアベックがいましたが、男のほうがマスクもせずに咳をゲホゲホとしていて、横の彼女は明らかに嫌そうにしていたので、あれでは後々険悪になるのではといらぬ老婆心をいだきました(^^A)






49e7437e.jpeg改札を出て駅舎を出ると、この季節の名物ともなっているライトアップされたメタセコイアの木がクリスマスツリーになっています。今年は新駅舎が経産省のデザイン大賞を受賞したので、LEDの数がこれまでよりも増量されているそうです。

ロマンチックにはてんで縁がありませんが、それでも美しいと感じる光景です。この新しい駅舎のデザインは傑作だと思います。


去年は真冬にも関わらず雨が降り注ぎ積雪ゼロでしたが、今年は気温が氷点下9.5℃までさがり雪も積もっていたので本当にクリスマスらしいクリスマスでした。撮影しているとカメラが心配になるくらいの寒さでしたが、足を踏み出す度にキビキビと音が鳴り、乾いた感触が冷たさとともに足まで伝わります。この寒さがくるとついに冬本番が来たか~とネガティブな気持ちがもたげてくるのが常なのですが、最近の温暖化による異常な気象を鑑みれば、かえってこのくらい寒くなってくれると本来の北海道の冬という気がして安心するのが不思議です。

予定よりも撮影に時間を費やしたのと、夜遅かったので帰りの列車まで30分以上待つ事になりました。幸い新駅舎の暖房は暖かくいきわたっていたので、寒い思いもせずに快適でした。こういった不意に訪れる待ち時間も、夜の街の景色をただボーッと眺めながら何かを考えつつ過ごすのも悪くはありません。思ったよりも退屈もせずに帰りの列車の時間となりました。がら空きの721系6連の座席にゆったり持たれながら帰路に着きました。
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RIMG8200-1.JPG今日はクリスナスイブの前日、映画「This is It」のアンコール上映が行われていたので、せっかくなのでもう一度映画館まで足を運び観てきました。

地元のワーナー・マイカルシネマでは上映していないので、普段は滅多に降りない地下鉄東西線白石駅で下車して、最寄のディノスシネマまでやってきました。映画館はゲームセンター内の2Fにあり、これまた普段はまったく出入しない、やや騒々しい空間にビックリしながらカウンターにたどり着きました。余談ですが、僕はゲーセンで自腹を切ったことがほとんどありません、、、次から次へと100円玉を投入するのがもったいなくて、もったいなくて、、、(^^A)


館内に入って設備の質素さにちょっとびっくり、どこかのコミュニティーセンターのステージにスクリーンを備え付けたような小ぢんまりとした佇まいでした。音響装置に眼をやると、一般的な天井スピーカーにスクールスピーカーを思わせる外観のケルトン式と思われるスピーカーでした。ケルトン式はスピーカーとしては古典の部類に入る古い方式ですが、滑らかで豊かな低音が出る良い方式です。音響面からすると、現在主流のデジタルシネコンというよりは、館全体の作りが昔の町の映画館の様式を色濃く残しています。内装は今風にリフォームされていますが、建設された時期はおそらくバブル期でしょう。バブル時代は物の形、デザインが一変した時代ですが内容は古い時代の方式を受け継いでいることも多く、この時代の物を見ると新旧の時代の移り変わりが現れていて興味深いです。

小さな館内はそれなりの客入りで、思ったよりも賑やかでした。やっぱりなんだかんだいってマイケル・ジャクソンの人気は衰えていないことを再確認しました。上映が始まると予想した通り、柔らかくマイルドな音質で江別のシネコンよりもずっと心地よい音でした。スクリーンも客席の直ぐ目の前にあるので、まるで等身大のマイケルが目の前のステージで歌って踊っているような感じで、世界一のスターが少しだけ身近に感じることが出来ました。

今回は2回目ということで、初めて見た時よりも冷静に各シーンを観察することが出来ました。リハーサルに望むマイケルやダンサー、歌手、スタッフの表情や仕草から様々なニュアンスを感じ取ることができました。やはりマイケルは天才的で、集まったメンバーがいかに世界トップクラスでもマイケルの求めるクォリティに即座に応じるのは難しいらしく、そういったメンバーに対して何かと気遣うマイケルの姿があったりして、そういったところでもかなり神経を使っている様子が伺えました。やはり表現の世界で生きていくというのはシビアなものですね、まして世界の超一流となればなおさらです。そんな気苦労が重なったせいか、後半になると明らかにマイケルも消耗してしまった様子で、前半ではパワーに満ち溢れていたのが、わずか数カ月の間に別人のようにやつれていました。ひょっとすると、その頃にはメンバーの中でもしかしてという予感があったのかどうかはわかりませんが、後半では単なるリハーサルを超えた緊張感が満ちているように感じました。マイケルはそんな最中に急逝してしまったわけですが、残されたメンバーは結果的にマイケルの最後の遺産を引き継ぐ選ばれた人々であったかのようです。

マイケル・ジャクソンについて知れば知るほど、彼の想像力は世界で唯一無二の本物だったことが分かります。彼の表現には装いがありません。ふつうありがちな表現者とその表現の間にあるギャップが彼と彼の表現の間には全く感じられません。そして、彼のパフォーマンスは観る者の想像力を掻き立たせてくれます、これはぼくにとって物凄い刺激になりました。今さらですが、彼の類まれな創造力ゆえに感性を鼓舞された人々は世界中にどれほど沢山いるのでしょうか。マイケルが命を削るようにして伝えようとしたことは何だったのか、映画を通して一つ感じられたことは、彼を慕って世界中から馳せ参じて選ばれたダンサーやミュージシャンに対して「次は君たちが創造する番だよ」とマイケルが最後のパフォーマンスを通して語っているように思えたことでした。それはそのままスクリーンの前にいる一人一人に届けられたメッセージのようにも思えます。


RIMG8215-1.JPGディノスシネマをあとにして、再び東西線でサッポロファクトリーに寄ってきました。ちょっとした買い物をして、名物の巨大ツリーを見てきました。イブ前日なせいか人出はそれほどでもありませんでした。外の煙突ではサンタさんが登り始め、その前で外国人観光客に記念撮影を頼まれました。外の気温は高めでしたが、雪が舞い始めていたので観光客にとっては嬉しいのでしょうね。そんなイブ前夜の光景を見ながら帰路につきました。


国と地方の借金を合わせて1,000兆円の大台を超えているようですね。今年は歴史的な政権交代が起こり、その後の鳩山政権による事業仕分けによってようやく税金の無駄使いに歯止めがかけられ始めました。今更言うまでもありませんが、国、地方あわせて無駄な公共事業や無数の天下り団体による予算の食いつぶしなど、はたから見ていてもとうてい納得できない有様です。当然、国民の大多数の人たちがそういったことに対して怒りを燃やしているわけですが、多分それは自分たち国民から吸い上げた血税をあんなワケの分からない事業や連中に好き放題浪費されていることに対して許しがたい思いからであると思います。

ここで少し冷静になってよく考えてみると、そういった道義的責任よりもはるかに現実的な問題があることに気付かされます。国の借金は、まず一般国民が払う税金のうち多くの割合が返済に当てられます。それは国がこれまで増やしに増やしてきた借金のツケ(国民一人当たり800万円強)を払わされること以外の何者でもありません。もちろん毎年それだけでは足りないので借金を返済するための借金を毎年重ねています。かくして借金は増える一方で減らす見通しはまったく立っていません。これらは国の借金によって国民が直接的に損を被る部分です。しかしこれ以外にも、これまで国民が気がつかないうちに大きな負担を強いられ続けています。そしてそれは今の経済状況が続く限りますます重い負担となって国民の肩にかかってきます。

借金がこれほどまでに膨れ上がってしまったわけですから、それが返済することが不可能なことが確定した時点でXデーを迎えます、つまり国家の財政破綻です。そうならないために世の中の上層部は官民上げて血眼になっているわけです。具体的には大企業にハッパをかけて業績を上げさせて、それによって景気を上向かせ何とか税収を確保しようとすることです。大企業は利益を上げるために必死になります、人件費など必要なコストを削り最大限の利益を上げようとします。得た利益はより一層の競争力強化と株価対策の配当に回され、一般社員の給与にはほとんど回されません。そういったことが大から小、上から下へ、グローバル企業から地域の地場産業に到るまで連鎖していきます。

多くの国民が非正規雇用や時間外労働などで馬車馬のように働かされている理由がここにあります。また、一方で働きたくとも働けない雇用難の理由もここにあります。天文学的な数字に膨れ上がった返す当ての無い借金の返済と国の体制を維持するために国民の労働の対価を当て続けるしかないのが現状です。こういった傾向は今に始まったことではありません、日本という国が明治の幕開けとともに近代国家を目指して走り出した時から今に到るまで本質的には変わっていません。つまりそれは、先々の発展を担保に借金をして投資をはかり、利益が得られれば次なる借金をしてさらなる発展を図るという、常にリスクと負担を背負いながら上昇し続ければならないというやり方です。それは本来小さな島国で資源も少ない日本が背伸びに背伸びを重ねて現在の経済大国の地位に上り詰めた代償であるともいえます。

戦前の投資対象は軍備の拡張と他国の領土の侵略でした。借金をして軍備を拡張し、いざ戦争となれば是が非でも勝って賠償金なり領土なりを得なければ国が立ち行かないという時代でした。それはやがて破滅的な戦争へと突き進み、あまりにも多くの人々の命と焦土の代償を払いようやく停止するまで続きました。戦後の時代は高度経済成長を通して奇跡的な復興と大発展を遂げました。軍事力による侵略という手段は捨てましたが、相変わらず先々の発展を当て込んだハイリスクな上昇戦略をとり続けた成果でした。でも、そろそろ歴史から学ばなければならないのは、本来小さな島国に過ぎない日本が無理を重ねて大国であり続けようとすれば、遅かれ早かれ行き詰る時が確実にやってくるということです。今、世の中は再び長期のデフレに突入しようとし、戦後まもなくの1946年以来の借金が税収を上回るという事態になっています。これらの事実からも、日本が長年にわたってとり続けた”成長戦略”が寿命を迎えつつあることが伺えます。

日本だけではありません、これまで世界中で主に先進国とそれを追いかける新興国も同じように先々の発展を担保に競いあうように投資を続けてきました。そうしてグローバル市場経済を確立していったわけですが、それもほころびが見え始めてそれが徐々に大きくなっています。それらにブレーキをかける地球規模の環境問題や政府の財政難と雇用難、またリーマンショックやドバイショックなどいつ起こるか分からない突発的な経済危機に対する懸念など、どこの国も同じような出口の見えない末期状態を呈してきています。それはかつての帝国主義が行き詰まり、出口を見失った時代とよく似ているように思います。

おそらく年が開けてからは、明日には何が起きているか分からないという時代に突入すると思います。そしてそれは時間の問題でもはや避けることは出来ないように思います。せめてあまりにも急激な変化を避けて、スムーズに軟着陸ができるように祈るばかりです。こういった悲観的で込み入った話をすると眉をひそめる人や、いまだに景気が良くなりさえすれば全てうまくいくと思っている人も多いと思います。特に後者については、他でもない景気が良いときに官は経済発展のためと称し大規模で無駄な公共事業を乱発し、民は大きなリスクに手を染めながら金儲けの大事業を見通しも立てないまま次々に打ち出し、それらのために官民上げて国民からいかにお金を巻き上げて、さらなる労働と負担を強いるかを画策してきたのですから、単純に景気が上向いたからといって一般庶民の生活が決して良くなったりしません。それはここ最近の時代を見ても、例えばバブル崩壊後や小泉政権下の規制緩和と”戦後最長の好景気”のあとに、はたして大多数の国民生活が良くなったかどうかを見れば分かることだと思います。

そういった現実が目の前に迫ってきていると分かっていても、大多数の人は妙に楽観的で現実感が持てないでいるように思えます。しかし、それも無理もないことだと思います。そういうぼくも、もしそういったことが現実に起きたときに何が起こるか予想しようとしても、あまり的を得た推理はできそうもありません。大切なことは、たとえ何が起きても絶望して希望を見失わないことだと思います。これも歴史から学べる真実ですが、時代の谷間を通り抜けると必ずそれ以前よりも良い時代が姿を現します。たとえ今の世界経済が立ち行かなくなって一時的に大混乱に陥っても、必ず落ち着くところに落ち着きます。その時、日本はもはや経済大国では無くなっているかもしれませんが、逆に本当の意味で豊かで成熟した国に生まれ変わるチャンスでもあると思います。これからの時代は足るを知り、今あるものを大切に活かすことが重要になります。一人一人がそういったことを実践することができれば、時代の谷間も恐れることなく乗り越えることができると思います。


PS.ちょっと内容的にフライングな感じもしますが、来たるべき年に向けてこれくらいの覚悟と気持ちの用意が出来ていればかえって良いように思います。



_IGP2333.jpg今年の大きな話題の一つに”King of Pop”ことマイケル・ジャクソンが急逝したことが上げられます。ぼくは彼とその音楽について、これまで特に意識したことがありませんでしたが、それでも彼が亡くなったと聞いたときはけっこう大きな衝撃を受けました。彼の音楽は好きとか嫌いとかではなく、日常のどこかで必ず耳にしている、例えるならぼくがこれまで生きてきた時代のBGMのようなものです。


彼が亡くなった事を機に彼の音楽を再び耳にする機会が増えました。改めてしっかり聞いてみると新鮮です。たしかに彼はその時代の音楽、リズム、音そのものを創造してきたのが実感できます。彼が自身の最後のステージと銘打った「This is It」のリハーサルを編集した映画も見に行きました。彼のアクティブなパフォーマンスから想像していたイメージと異なり、全体に静かで粛々とした流れで、それでもそのパフォーマンスはマイケル・ジャクソンそのままの力強さが健在で、すぐにその世界に引き込まれてしまいました。

そのパフォーマンスと同時に心に残ったことは、彼と一緒に仕事をするために全世界から馳せ参じたミュージシャンやダンサーの様子が描かれていることでした。マイケルは一緒に仕事をするダンサーやミュージシャン、スタッフに対して別け隔てなく謙虚に接しているところが見て取れました。劇中で彼ら一人一人にマイケルについてインタビューしたコメントでも、異口同音に彼の誠実さを讃え感謝の言葉が溢れていました。そしてそれは表面的な行為に留まらず、ステージ上の彼らのパフォーマンスにはっきりと現れていました。マイケルは自身の表現力の類まれさだけでなく、一緒に表現するすべての人やモノの潜在能力を引き出す力があるのだと感じました。


私生活では奇人変人のように取沙汰されていた彼が、それでも世界中の多くの人々を魅了し続けていることに頷けました。あの有名な、コンサート中に卒倒した女性が次々に担ぎ出されるシーンや、世界中で彼が行くところ至る所へ追っかけ回して大騒ぎしているファンの大群など、最初は理解に苦しむところもありましたが、今ではそれも十分に納得のいくところです。そういうぼくもすっかり魅せられてにわかファンに転向した一人です。しっかりCDも買って一人税にいりながら聞き入っています。さすがに追っかけはしませんしもう出来ませんが、、、(^^A)


それらはすべて彼が持っている大きな愛の賜物だったと思います。人を愛するということは、単純なようで実は一番難しいことのように思います。自分の願望や欲求が反映された存在を愛するのは容易いことです、でもそれは”愛している”のではなくて”愛されたい”という渇望がただ在るだけなのかもしれません。そういうところからすっかり離れ去って愛するということを見つめなおそうとしても、残念ながらぼくも含めて多くの人は視界に何も見出しえないのではないかと思います。

彼が愛に対して完全な人物であったとは思いません、むしろ彼ほど人から愛されたいと願っていた人はいないのではないかと思います。でも彼は愛されたいと望むことだけに留まらず、だからこそすべての人を愛そうとしたことが偉大だったのだと思います。彼は結局それ以外のことは何も望んではいない人だったように思います。もちろん、彼は愛されたいと思っても愛され得ない、愛そうとしても愛し得ない悲しさと孤独を誰よりも知っていた人だと思います。だからこそ、彼の歌とダンスが理性を超えたところであれだけ多くの人の心に直に響いたのだと思います。

マイケル・ジャクソンの歌声とその魂の叫びに耳を傾けていると、日頃の自分が理屈と拘りに縛られて生きている姿が見えてきます。もし彼のように、心の中のある面において自由に表現しながら生きることができるならば、それはどんなにか素晴らしいことかと思います。彼は目に見えるこの世界から旅立ってしまいましたが、どうもいなくなってしまったような気がしません。こういった唯一無二の個性を発揮して愛された人が旅立った際に感じる共通の印象かもしれません、そして魂は永遠の存在であることをぼくは信じています。彼の魂の表現に少しだけ触れることができて、ぼくの停滞しがちな気持ちもわずかながらも前に押し出してもらえたような気がします。そういった世界中の無数の小さな存在たちに、大小さまざまな勇気と励まし、慰めと癒しを与えたマイケルに感謝の意と”ありがとう”の言葉を贈ります。



_IGP2328-1.jpg気がつけばブログを初めて1年が経ちました。

相変わらず大したことが書けないヘボブログですがなんとか一年続きました・・・。

いろいろ書きたいことはあるのですが、自分の言葉で表現するのはなかなかもって難しいものですね(--,)



これからも少しづつ書きたいこと、伝えたいことを文章で表現できるように精進したいものです。また、どうしても体調に波があるためコンスタントに更新できないことも多いですが、体力の向上とあわせて頑張りたいものです。今見てくれている方、これから何気に立ち寄って見てくれる方へ、ささやかなりとも何か伝わるような文章を書けるようになるといいのですが、、、(・・;)


_IGP2320.jpg最近、パワーストーンのような鉱物に興味があります。その方面のサイトに色々立ち寄って勉強しているうちに、自然に欲しくなり一つ買ってみました。

右下の黄色い玉が連なったブレスレットがそれです。左のガマ口巾着はケース用です、国鉄バスを思わせるつばめマークが思わず気に入って買いました(^^)



シトリンという石で11月の誕生石です。ぼくは5月生まれなのでその点は関係ありませんが、お店で見つけて手に取ったとき一目惚れして買いました。主に金運向上、健康にも良いらしいですが、ぼくはそういったご利益よりも単純に天然石の持つ輝きと質感が好きです。

また、こういった天然の鉱物は何かしらの電気的な波動を出しているのは事実なので、身につけることによって体の電気的特性を改善する効果はあると思います。ぼくは生まれつきの体質なのか、はたまた病気のせいかけっこうな帯電体質で、気候や気圧の変化や電磁波などでいつも体調を崩しがちです。そういった、もろもろの体調不良に対して効果があればいいなと思います。

それにしても天然石の輝きは見ていて飽きませんね。もともとこういったモノに興味はあるほうでしたが、今回ふとしたことがきっかけで手にすることができました。これからちょっとしたマイブームになりそうです(笑)
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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