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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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※以下、ある人物像の背景としての考察。


人生の目標は二重構造になっている。


一つは表面的なもので、常識的および社会的認識に適ったものだ。


もう一つは、その表面的な目標の影に隠れた、ごく個人的かつ内面的な意識によるもので普通は漠然としている。


もう少しわかりやすく言い換えれば、表面的な目標、それも一生をかけるような大きなテーマとは限らず、日常の生活の中でごくありふれた、繰り返される些細な行動目標や欲求の対象に至るまで、そういった大小の目的意識を伴うすべての対象に向けて当てられる充足感の感情的なモノサシと言うこともできる。


内面的な人生とは、表面的な社会的目標の影に隠れた小さな欲求として芽生え始めるものかもしれない。


意識して取り組む大小の目標物に対して、無意識の感情は常に自分にとっての充足感の如何によってジャッジしているとも観察されるが、はじめはそういった影の欲求意識というごく小さな存在として意識に締める程度にすぎないが、一定の時間とその中での大小様々な経験を経ることで欲求判断が一巡すると、心の充足を求めることが徐々に難しくなっていく。


心の充足の基準に従い、様々な経験や対象を追い求めても、そのスパイラルを一巡、二巡、と繰り返していく内に欲求は肥大化し、かつ現実の物理的限界による制限を増すことで相対的に充足感は減じていく。


普通、個人の人生の可能性は有限であるから、この欲求の肥大化に反比例して減じていく充足感の著しい減少を誰しもが受け止めなければならなくなる。


この時、一つの選択の可能性が生じて、その飢餓感を誤魔化す方を選択せずに、その欲求の根底にあるモノの正体と向きあおうとするならば、先に記した表面的人生の目標と、ある漠然とした内面的人生目標の逆転というチャンスが訪れる。


漠然とした自己充足欲求に過ぎなかった内面の意識が俄に明確な意味を求め始めるのである。


その時、人は始めて内面の人生を生き始めるスタートラインに立ったと言える。


自己の内面の感情的欲求に過ぎなかった幼い意識に、明晰な知恵と意味を与えることによって、本当の自分という存在を確認することが始めて可能となり、それは単に欲求に従っていた古い自分との緩やかな決別であり、新しい自分自身の創造と発見でもある。


ここまでたどり着かなければ人はついに自分自身すら知らないままで終わることもある。


何らかの理由で社会的人生に行き詰まりを感じている時が転換の合図かもしれない。


なぜこのようなことをわざわざ書くのかというと、今がちょうど時代の転換点で、これまでの常識的価値観による社会性が、それにしたがって生きる多くの人たちに対して人生の明確な目標と到達点を提示できる力を失いつつあるからだ。


しかし、本当は社会の情勢と内面的人生観は一切関係ないのだ。


なぜなら、たとえ社会が順調な良い時代にあったとしても、その時代の中で先を進むような、あらゆる分野において多くの人たちの目標となる結果を生み出してきたような人たちの多くは、その過程において外なる世界の放浪を経て内なる世界の構築に気が付きその中から自分自身の進むべき道を見出してきたからだ。


その過程はおそらくこれからも変わらず有効だろう。


ただ一つ、これからの時代に困難になりつつある問題は、表面的な社会性と内面的な充実を図る生き方の調和が難しくなるということだ。


もしその両立が困難な状況になった時、両者の選択および一種の乗り換えが必要になる。


それはひとりひとりの自由意志による選択に任されている。


一般に、内面的人生を優先して生きるということは純粋にオリジナルな生き方をするということであり、周囲や社会からの理解と承認を無条件で受けられるわけではなく、また他者の人生や外の世界に完全な解答を期待しても得られることはなく、文字通り全くの手探り状態から自分自身の意志と力で築き(気づき)あげていくほか道はない。


それでも、自分の生き方を貫きながらもそれが他者に貢献できる要素が本質の中にあれば、周囲の理解と承認を得ることと社会性を同時に獲得する努力は無駄にはならない。


ある人にとって社会性が提示する人生の目標が頭打ちで限界を感じさせるものでしかないならば、勇気と準備を備えた人から、内面的充足を超えた生き方を求めるコースへ順次乗り換えて行かざる負えなくなるのは自然の流れといえる。(時代の転換点においてはそれが半ば強制的に起きる場合もある)


内面的人生の探求といっても決して大げさなものではない。


最も簡潔に言い換えれば、外の世界(社会)から獲得することを基準とした人生から、内面のビジョンを基にした創造的(生産的)人生への転換である。


現在の社会の行き詰まりの根本要因は、社会の中で生み出される”真の意味で”生産的な価値よりも獲得競争(奪い合い)のほうが著しく優ってしまっているアンバランスにある。


その時代のアンバランスを是正するためには全体の変革によってではなく、個々人の意識の転換と進化によってのみ実現されるだろう。


その個々人による意識の転換をはかるためには先に上げた”逆転の過程”を経る必要があるのだ。


その秘めた意味と価値を体験して認めることができた時、それまでのすべてが決して無駄ではなかったと思えることも付記しておく。


また、一旦内面の人生に舵を切った者に対しては、ある不思議としか言いようのない導きを感じることも多々経験するということも言われている。


それは本当の意味で失われることのない希望が存在する道を選択できた時に生じる普遍的な充足感からもたらされるものだろうと推察される。


以上は目新しい主張ではなく古くから言われてきた事の簡単な焼き直しである。


時代の性質は何度でも繰り返されることの顕れにすぎない。



10月10日の今日を記念して、駄文終了。



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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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