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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日の記事のつづきを書きたいと思います。


頭のなかがいつもオーバーヒート気味ですが、今日は少し落ち着きを取り戻しながら書いていこうと思います。

もともとシナリオの構成作業はてきぱきと要領よくこなせばいいという作業ではなく、もっと地道に粘り強く時間と手間をかけてじっくり煮詰めてく作業だと思います。

ここが忍耐のしどころと思い直してもう一度、創作ノートの上で大まかなシナリオ構成から書き直す作業を始めています。

これまでもシナリオらしきものは何度も何度も創作ノートの上で展開してきましたが、そのどれも曖昧さがいたるところに残った詰めの甘い代物でした。

自分が書きたいこと小説作品を通して伝えたいメッセージは最初から定まっていて決して揺らぐことはありません。

でも、その伝えたいメッセージを的確に一番よい表現で伝えるための適切な手段を見出すことに苦戦を強いられ続けています。

その原因は常に自分の内側の未消化な感情のなかにあることは気がついています。

しかし、この感情という生き物が一筋縄でいかない強敵で理論に基づいた知性だけでは調伏できないやっかいな存在です。

感情に基づいた思念は一度表に出してその正体を露にした上でその存在を理解し認めることではじめて解消させることが出来ます。

ぼくの中に居座る感情体の敵の正体は複雑な怒りの思いの塊です。

それは誰かが何かが世の中が悪い憎いといった単純なものではありません。

この生まれ落ちた時代の哀れな運命の避けることの出来ない末路に対する呪詛のような思いです。

ぼくはそれがどこからどのようにしてやってくるものなのか正確に知っています。

感情にとらわれるということは醜いことです。

それが決して好ましいことではないことも理解しています。

でもこれはおそらくぼく一人の個人的な感情のエネルギーだけではないと思っています。

それは時代の集合意識それ自体が蓄積してきた怒りと怨念のエネルギーの塊だとぼくには感じ取れます。

それは人が本来あるべき意識レベルから遠くかけ離れた低い次元までしか到れないまま潰えて消えていくことの繰り返しから生じる膨大な量の悲しみと無念の蓄積でもあります。

人間は本来もっと穏やかで賢く洗練された存在になるまでその人生を生き通して登って行くことができるように設計されているとぼくは考えています。

人間にはつきものだと長らく思われ続けてきた自己の醜さや惨めさから開放される時が刻一刻と近づきつつある静かな足音と確かな気配が感じられます。

やがて来る新しい境地にたどり着けるようなるためには誰もが避けて通ることの出来ない心もとないほど細く険しい道程が待ち構えています。

しかもその道程は人それぞれ全く異なっていて、たとえ誰かがその道を通り抜けることに成功したとしても、他の大勢がその同じ道筋をどんなに一生懸命になって辿ろうとしてもかえって迷子になって行き倒れてしまうだけです。

すべては自分の力と意志で自分だけの道程を探し求めて進む決定をくだす必要があります。

そのために難しい理屈は必要ありません。

今の自分の在り方のなかに全ての道標が備わっています。

難解な哲学や真理も必要ではなく、ただ今この時の自分の在り方に素直に向き合って確かめる作業を怠らずに継続し続けるだけです。

日々、今この時における自分の在り方を知るための確認作業の繰り返すことよる変化の軌跡がそのまま自分だけの進むべき道筋になっています。

この内省の作業に集中できるかどうかが全てのカギとなります。

これは決して自己批判や反省のための苦行の類ではありません。

ただ自分という存在が常に変化しながら永続的に進化成長していくことを感じ取れればいいのです。

自己の存在の継続に全幅の信頼を置けるようになるとやがて生死の境目に対する極端な恐れが静かに消え去っていきます。

そこまで至る途中までにたくさんの苦しい障壁にぶつかることもまた事実です。

それらの内面から生じる障壁の数々は外側の存在の姿を借りて自分の目の前に現れてくるかもしれません。

それらの外部の存在、特に他人の悪い行いや欠点を通して見せられる自分自身の避けがたい課題の存在を見抜いて正直に認めるための高い境地の認識力が必要です。

外界から絶えず迫り来るように思われる自分の内面の反射に対して正しく見抜くための透徹した知恵を学び取るためだけに人生のあらゆる苦難の数々が存在していると言っても過言ではないかもしれません。

この知恵を見せかけの知識ではなく生きた存在として自分の内側に携えられるようになることは決して容易いことではありません。

一度きりの人生ではとても習得できるようなものではないという意味で輪廻転生という思想が昔から定着してきたのかもしれません。

自分の真の実情を認識して受け入れられるようになるはるか手前で他者からの反射や実生活の骨折り苦労にかき消されたり、お互いの憎悪と因縁に足を取られ合った末に、元々の自然で素直な自分の在り方を見失ったまま時間の忘却にただ流されていくことが今までの殆どすべての人たちがたどった生き方でした。

夢と希望の一つ裏側で人生の労苦に対する恨み節と苦悩が常に背中合わせで存在しました。

すでに役割を終えた自らの影を潔く断ち切るための剣を自らの怨念の集積に向けて振り下ろす時が今この時だと告げられているような気がします。

人間の逃れられない苦悶と重い足かせからの単なる逃避行ではない、本当の素直な自分の人生の道程を歩むことでそれを十分に成し遂げられる可能性をこれからの小説作品を通して表現していきます。

原稿に向かう前のシナリオの段階で全てを織り込んで小説以前の作品として完成させることを目指します。

静かな心境を保ったまま文章を書き続けることは今の自分にとってはとても難しい作業の一つです。


決して覚りすましたような上出来な人間ではないからです。
  
  
  
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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