北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今年は沢山の尊敬された人たちが旅立っていった一年でした。
ここ数年間は旅だった人たちが特に多かったような気がします。
それはごく自然の摂理の結果ですが時代がいよいよ終わっていくようでとてもさびしい気がします。
まるで時代の真ん中にあった何かが抜け落ちていくようです。
こういった人たちに共通した徳目はどの人も自分の後に続く若い世代のことを常に気にかけて導こうとしていたことです。
自らの人生を通して築き上げた功績のみにとどまることなく未来の若い世代のために積極的に関わり鼓舞し続けた行跡が光り輝いています。
それゆえに多くの人達から世代や性別を超えて尊敬され最後まで惜しまれる人生となったのかもしれません。
現代の時代と文化の礎を築いた多くの分野における功労者となった方たちが相次いで去られていますが、こういった惜しまれる人たちの多くが大なり小なり戦争の時代をそれぞれの立場で経験した人たちでした。
戦争の時代を直に体験するということは当時を生き抜いた人たちの精神的な背景に多大な影響を及ぼしたのだろうと推察します。
大勢の若い命が消耗品のようにあっけなくすり潰されていった時代の苛烈さと無念さがどれほどのものであったか今のぼくには正確に推し量ることができません。
戦後という時代はそういった戦争の時代の反省と悔恨の思いを背景に形作られていったのではないかと思います。
平和な戦後の時代の中で生まれた有形無形のあらゆる文化や物質的な豊かさが次に生まれてくる新しい世代の幸福を願って創造され、その前向きな息吹が社会全体に満たされた結果が一億総中流と謳われ記憶された古きよき懐かしいあの時代だったのだと思います。
そして時代は巡り回って今一度不透明な不安と不穏な空気に満たされる次節を迎えつつあります。
なぜあの決して繰り返してはいけない暗黒の時代と同じような空気が再び満ち始めなければならないのか考えてみました。
戦後という一時代の文化と精神の土台を築いたのは戦争以前の世代であり、その新たに造られた時代の先端を走り牽引するのは常にその時々の若い世代の中から選ばれたカリスマ的なエリートという構図がありました。
時代の先端に踊り出る若者の檜舞台を誂えることが出来たのは古い世代の人たちの持つ力と一歩先を見定められる見識の明でした。
古い世代と若い世代の連携が出来て初めてその時代は活力にあふれた力強い時代として存続することが出来ます。
一つの時代が一定期間を超えて長く継続するとその時代の真ん中を締める中心世代の若返りの新陳代謝が滞り始めます。
それは時代の中心を締める中堅以上の世代が後に続く世代のために進むべき方向を示し活躍出来る場所を一歩下がって譲ることをしなくなることで起こります。
未来の世代が今の時代を継承して新しい時代を若い世代が自らの力で切り開いていくよりも、自分たちの存在の優位さと価値観が中心にある時代が永続することを望むという欲望の塊がそうさせます。
その普遍的な背景は若い時期にあらかじめよく準備された活躍の場において大きな充足感を得られたことでいつまでもそれを維持して自分たちが輝いていたいという単純な欲望です。
かつてその無邪気な悪意に基づかない幼い欲望にとりつかれた世代があれだけ悲惨な戦争を引き起こしたのです。
暗黒の時代が生じる時は必ずそういった世代間の背景にある隠れた見えにくい因果も一緒にまき起こるものです。
勝つ見込みの全く無い戦争に国全体を巻き込んでいった張本人は、それ以前の時代の輝かしい戦果として記録された日露戦争前後の勇躍に国中が湧き上がった当時の若者が年を経て中高年になった時期に世の中の中枢を担った世代でした。
彼らは自分たちの主義主張を国の権威としてそれをもって自分たちよりも若い世代を洗脳し何も考えさせないまま選択の自由も全て取り上げて辺境の戦地へ送り込み続けました。
若い世代の意識は思慮浅く判断力に乏しいですが、その集合は世の中を真に前進させ発展継続させるエネルギーに満ちています。
その貴重な若い世代が持つエネルギーと存在自身を時代の中心から遠く隔たれた戦地で無残に潰えさせた結果、その暗黒の悪しき時代は膨大な犠牲と悲劇を伴いながらあっという間の短期間で消滅しました。
自分たちの価値観と行為こそが無条件に唯一の絶対正義であり真実だと思い込んだ世代が切望した自分たち中心の世界がまかり通る時代の永遠の存続という狂った願望が成就することはついに叶いませんでした。
それをやってのけた軍部中枢にいた責任ある立場にあった人たちが戦後の時代を通してはるか21世紀まで大勢で存命していたことをNHKのドキュメント番組で知りました。
彼らが戦争を始める決断をしたその時すでに彼らの時代と価値観はすでに老い始めていました。
強力な軍隊を用いて植民地を拡張しながら豊かな国を築く帝国主義が当時すでに時代遅れとなっていたのです。
すでに時代遅れな価値観と意識の腐敗を覆い隠すために頼ったものが当時最新鋭だった軍事技術による戦艦や戦闘機などの優れた兵器の存在でした。
ところが戦争が終わってしまえばそれら最新技術による戦闘兵器は全て無用の長物と化しました。
明治維新の功労者たちが教え導いた昭和における戦争推進世代が次の若い世代のための賢明な世代継承を怠り自らの価値観の延命を若者に押し付けてその命運を強制的に断ちました。
ここにどこか今の時代が直面しているジレンマに相通じる見えざる教訓が潜んでいるように思います。
時節柄、気になることですが、とりわけて政治権力者の心理的背景にある歪みの本質は今も昔も何ら変わらないものがあります。
ここ最近の世の中の様子をつぶさに振り返ってみると時代の意識や価値観の停滞が甚だしく続いているように思います。
戦争の悔恨と反省に立った古い世代の人たちが築き上げた新たな社会という舞台に踊りでた戦後生まれの当時の若い世代が、その舞台の上でそれぞれの花を咲かせることを競いあうように豊かで華やかな時代を醸造することに成功したあと、その戦争を知らない若者だった世代が一斉に老いるとともに戦争を体験した古い世代も一斉にこの世を去っていくという状況の今この時期に一体どんな変化が世の中で起きようとしているのでしょうか。
現在の時代において若い世代の多くは精神的にも物理的にも時代の中心の外側に拡がるドーナツ状の外環部へ追いやられているといえます。
今の現役以上の世代の多くが期待する自分たちにとって居心地の良い社会の継続と健やかな老後の保証を支える力はこれからの若い世代から消えつつあります。
ドーナツの外環部へ押しのけられた若い世代の多くはその中でどうにか生きていくのがやっとの厳しい状況に曝されて消耗し続けていきます。
時代の中枢を占め続ける中高年の世代よりも先に若者の生きるための生活力の方が潰えてしまった時、同時にこの時代も存続する力を失うでしょう。
それは歴史の因果の教訓が証明している事実です。
時間を遡って古い時代の例を取り上げてみましょう。
江戸時代が終わり明治の世が開けたのも当時の若い世代の意識が幕藩体制の封建社会のなかにはなく年老いた世代の意識が中心だったためです。
不公平な封建身分社会である江戸時代が速やかに終わったおかげで急速な西洋化と富国強兵が可能になり欧米列強からの植民地化の圧力から影で大きな代償を払いながらもかろうじて独立を維持することになりました。
さらに歴史をさかのぼり戦国時代の終焉においても同じような因果の法則が見いだせます。
常に戦を中心に天下を動かしてきた戦国武将の世代が老いた時、徳川家康は戦に頼らなくとも世の中を動かすことの出来る若い官僚型の武士の育成とルール作りに勤しんでいました。
世の中の中心から長年に渡り繰り返された戦を追い出すことで庶民の生活の場の不用意な荒廃を止めることが狙いでした。
最後まで戦に頼ることしか出来なかった古い意識の武将たちは豊富家に集結させられてまとめて刈り取られていきました。
家康、秀忠、家光の三代で大阪夏冬の陣、天草四郎の乱、由井正雪の乱などの最後の戦を通して戦しか能の無い古い意識の武士を徹底的に根絶し260年続く太平の世の礎を築き上げました。
平和な時代を安定した状態で継続させるためにはその時代の一つ先を見据えた賢明な世代継承の継続が必要不可欠であることを数多の歴史的教訓が証明しています。
歴史の中で見られる事例の中には現代の状況にも当てはまるものがたくさんあります。
とりわけて古い時代から全く新しい時代の移行に際してはその当時の若い世代の意識的な支持のあるなしに必ずと言っていいほど左右されます。
これは善悪では推し量れない時代の法則でもあります。
善悪の判断や道徳観だけで今の時代の推移を推し量ろうとしても結果を見誤ります。
起こっている状況に善悪の違いはもはや関係ないからです。
時代の行く末に対する不安をその場限りの善悪の判断にすがってやり過ごそうとすれば深刻な盲目状態に陥ります。
そしてまた最新の科学技術や文明の利器に頼ろうとしたところで人間の自然な老いと時の経過と連動した時代意識の老朽化からは誰一人として逃れられません。
かつて戦争の時代を推し進めた世代が最新兵器の力に物理的にも心理的にもすがろうとしましたがその曇った盲目意識を補うものにはなりえませんでした。
同じように経済発展一辺倒の最新のテクノロジーによる工業先進国としての技術力や経済力に頼ろうとしても、すでに世界は日本の工業力なしでも十分にやっていける水準まで進化しています。
来たるべき時代の中心に工業技術による経済競争というお金の戦争を据えても豊かな発展も平穏な暮らしの継続も期待できない時節になりつつあると言えそうです。
それらの形ある人類の英知の結晶はどれも一つの終わりゆく時代意識の老いた姿を一時的に糊塗する以上に役立つものではありません。
今の時代は見た目の先進性だけでその中身は急速に老いています。
それは時代の中心に若者の姿がいないことから明らかです。
自分の意識が老化していくことを忘れた世代の人々がその時代を終焉へと導いていきます。
人間の意識が時代の状況を適切に捉えてコントロールできるのはせいぜい五十歳代くらいまでです。
その閾を超えればそれまで生きてきた時代に影響された意識の偏りが大なり小なり生じてきます。
その考え方の誤差のあるなしに関係なくエネルギーのレベルで一方的に消耗しながら終りを迎える方向に進むものです。
常に若い世代の新しいエネルギーを時代の真ん中に取り入れて活性化させる理由がそこにあります。
若い世代を差し置いてでも自分たちの満足する道を人生の最後まで追求し続けるか、それとも若い世代が躍動しながら前進出来るための豊かな土壌を耕すことに残された人生を捧げる生き方をとるのか、今の時代に対して責任ある立場の世代の人たちはその行為の結果の反射を持ってシビアに問われ始めるでしょう。
若い世代の集合意識はドーナツの外環部から時代の中心部の有り様を、ただ無言で見つめながら結果が出るまで待ち続ける他に何ら働きかけるすべを持たない脆弱な存在としてとめ置かれたままでいます。
傲慢な世代が容赦なく根こそぎ一掃されるという記述を古代の神話の行間に繰り返し見られますが、現代の世界がその記述にある通りの末路を辿らないために今一度謙虚になって考えるべきことがあると思います。
PS.)
書いているぼく自身もいつまでも若い世代の代表みたいなつもりでいられない微妙な年頃になってきました。ぼくが中高年になった頃には少なくとも今よりもマシな状況になっていることを一応希望してみますが現実は難しいかもしれません。そんな微かな希望に望みを託すよりもいっそのこと大きな変革を経て一から新しい時代が始まった方がぼくらよりも若い世代にとっては幸せかもしれません。いずれにしても現状にただ期待しているだけでは個人的にも人生を切り開ける状況にないので出来る限り精進して結果を残すことが大切だと思っています。今回は意識の老いというテーマについて書いてみましたが、実際には実年齢とは関係ないことが多く、たとえお年をめしていてもより若々しい意識でいられる人もいます。反対に実年齢が若くても意識のなかに固定観念や否定の思考が多くあると精神が若々しいとはいえないかもしれません。意識の中身が否定の要素ばかりで一杯にならないように注意が必要です。特に物語について考える際はより瑞々しいストーリー展開を編み出せるようできるだけ風通しのよい意識でいたいものです。ぼくが物語を通して次の世代に残していけるものは今までの時代で起きた出来事の意味を出来るだけ明確な記憶と教訓の形で書き残すことです。そして同時代を生きた世代に向けては同じ意味で少しでも納得のいく解釈を提供することです。そうすることで時代にとっても個々人にとっても前進するためのささやかな糧となる小説を目指して今日もシナリオ作りに精を出しています。ここで述べている細々とした理屈を消化しながらいい意味でそれらを無視した単純明快な物語になればいいなと思います。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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