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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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PTの原案をシナリオとして組み立てる作業をしています。

その作業は残念ながらはかどっていません。

構想以上シナリオ未満で宙に浮いているような状態で行ったり来たりしています。

まさに頭脳戦と神経戦ですが何とかして早く突破口の糸口を見つけたいものです。

シナリオの組み立て方がわからないのではなく、この作品にぴったりあった納得のいくシナリオの形がなかなか思いつきません。

ストーリーや必要なシーンや要素はある程度出し尽くしたのですが、これらを一つの標準的な小説の枠組みの中で効果的に引き立たせるようなはっきりした形がほしいのです。

クリスマスまで自力で思いつきそうもなければサンタさんにお願いしてみます。

猫の手もトナカイの足も借りたいくらいです。

今の自分にとってシナリオ構築の不得手さが最大の弱点の一つだと思います。

シナリオはいわば作品の骨格であり形そのものであると理解していますが、この作品としての明確な形が出来上がれば、あとは一つ一つの場面を順番に描き上げることだけに専念できるので作業はぐっと捗るようになります。

かといって決められた型を繰り返し使いまわした作品を何作も書いていくということはしません。

一作ごとにその作品に最も相応しいシナリオの形を一から自力のアイディアで作り上げていきます。

そういう自分の頑固な主義主張があるので世の中のいかなる優れた作品やセオリーも参考にはしてもそれに頼ることは一切しません。

その頑固一徹さが自分自身の作品に他の誰かの手による作品にとって代わられようのない完璧なオリジナリティを持たせることが出来ると考えています。

安易に優れた成功法の解決策を外部の知識に求めたりはしません。

そういう既成品の知識で頭のなかがいっぱいになるくらいなら、いっそのことまるっきり無知のまま書き進めたほうが下手でも独特な味のある小説が書けると思います。

とにかく自分にはどうにもならないほど頑固なこだわりがあって自分自身でそれと闘い常に苦悶を強いられているというおおよそ賢くないことばかり繰り返しています。

とにかくバカでもスカポンちんでもなんでもいいから早く自分の作品の形を完成させたいです。

それでも参考にしているのは先に記事で取り上げた映画「駅STATION」の構成です。

駅STATIONの構成はとても小説的で映像よりもそのまま小説にしたらとてもわかり易い優れた構成だと思います。

それを少し意識していて自分なりに現代の男女の人間観に沿った形に置き換えていこうと思案を重ねてきました。

もちろんオリジナルの原型は全く別個に考えていたものなので出来上がった作品は似ても似つかない全く印象の異なる作品になります。

そこで困っていることは現代の価値観に沿う人間観と言っても、今まさにその現代の人間観が古く腐食し賞味期限切れを超えて食えるかどうかというところまでキテいることです。

食えなくなった食い物は残飯として捨てられるのが道理です。

自分としては食えなくなるところはもちろん残された食えるところまで一気に始末して全く新鮮な風味を味わえる作品になるまで磨き上げようと考えています。

それはまったく一筋縄ではいかない孤独な頭脳作業の連続でいつも神経がヒリヒリしてきます。

こう心境を吐露しながら書きなぐっていくうちにちょっとだけ頭のなかがスッキリしてきたので何かいい端緒が思いつきそうです。

理想は物語が立体的に立ち上がるような構成のシナリオです。

作品を最後まで読み終えた時にその人の脳内に主人公たちの人生がはっきり生きている様子で存在していることです。

自分にはそれを書き上げる力があると確信しています。

あとはバカな自分の意識をもっと締めあげて少しでも賢くなるように手懐けるだけです。



PS.)
今まで普通すぎて誰も気にかけなかった自分にとっても他人にとっても互いに人間ならば絶対に変わりようのない人間としての絶対条件が変化し場合によっては崩れさろうとさえしています。これは社会経済における全体的な変化よりもはるかに大きな一人一人の個人の内面で起きている得体のしれない巨大な変化です。これまで人それぞれ個性が異なり一人としてこの地球上で全く同じ性質の人間は存在しないと言われてきました。それは一方で人間ならば基本的に変わりようのない共通した土台に根ざしているという共通の認識に基づいてという但し書きがありました。この共通の認識と土台の存在が薄らいでいます。同じ物事や性質でも人によって受け止め方が異なる以上にその物事の性質まで人によって異なってしまうという結果が徐々に見られ始めています。古い年代の意識と価値観はまさにこの確固とした共通の認識を土台とした共感意識によって成り立っていました。この人間関係において古くから馴染みのある誰しもが何も意図しなくとも容易に共感に基づいて互いに認識し合える気軽な関係が消失しようとしています。神様はあえて人間同士を簡単に理解し合えないようにしたのかもしれません。創作作品を通した書き手と読み手の関係も同様の変化にさらされていると考えています。誰しもが感動し共感しあえるようなお決まりの安直なパターンは廃れていくでしょう。人間は人によって根本的な成り立ちが最初から異なっていてその原点まで遡らなければ相手も自分自身のことさえも正確に認識することが覚束なくなるということを誰しもが肝に銘じなければならない時代になりつつあります。善悪の基準でさえ人によって根本的に異なることが昨今の世の中における人々の善行悪行両極端な行為に如実に現れています。そのうち万人に通用する善悪の基準や道徳観まで廃れて完全に消失してしまうかもしれません。全てはその人の内面に拡がる意識の中の物差しだけが唯一の基準となるような気がします。創作においてもその点をしっかり踏まえて対応できる新たな人間観に基づいた関係性を追求していきます。共通の基準が通用しなくなればなるほど人々の意識の分離は進み容易に分かり合えなくる一方で無理に昔からの古い基準を持ちだして一方が他方に向かって無理やり当てはめようとすれば摩擦が生じて望まぬ険悪な事態を招くようになります。自分がそうなら無条件に相手も同じようにそうだろうという同等意識も過去のものになりつつあります。自分自身はどこまで行っても自分自身でしか無く同じように相手も相手でしかないのです。自分と他人の間には大きな価値観の溝があるのが当たり前なのです。その大きな違いを認め合って人と人どうしの和を保つために今まで以上に高度で深い認識力が他人に対しても自分に対してもお互いに要求されるようになります。その高度な認識力とは物事の因果関係を正確に理解し誰にとっても明確な言葉で説明できるようになることです。自分自身をありのままに認識できる能力がどのような性質の他人との関係でも一貫して理解出来るようになる一助になります。
 
 

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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