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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日の記事のつづきを書きたいと思います。


頭のなかがいつもオーバーヒート気味ですが、今日は少し落ち着きを取り戻しながら書いていこうと思います。

もともとシナリオの構成作業はてきぱきと要領よくこなせばいいという作業ではなく、もっと地道に粘り強く時間と手間をかけてじっくり煮詰めてく作業だと思います。

ここが忍耐のしどころと思い直してもう一度、創作ノートの上で大まかなシナリオ構成から書き直す作業を始めています。

これまでもシナリオらしきものは何度も何度も創作ノートの上で展開してきましたが、そのどれも曖昧さがいたるところに残った詰めの甘い代物でした。

自分が書きたいこと小説作品を通して伝えたいメッセージは最初から定まっていて決して揺らぐことはありません。

でも、その伝えたいメッセージを的確に一番よい表現で伝えるための適切な手段を見出すことに苦戦を強いられ続けています。

その原因は常に自分の内側の未消化な感情のなかにあることは気がついています。

しかし、この感情という生き物が一筋縄でいかない強敵で理論に基づいた知性だけでは調伏できないやっかいな存在です。

感情に基づいた思念は一度表に出してその正体を露にした上でその存在を理解し認めることではじめて解消させることが出来ます。

ぼくの中に居座る感情体の敵の正体は複雑な怒りの思いの塊です。

それは誰かが何かが世の中が悪い憎いといった単純なものではありません。

この生まれ落ちた時代の哀れな運命の避けることの出来ない末路に対する呪詛のような思いです。

ぼくはそれがどこからどのようにしてやってくるものなのか正確に知っています。

感情にとらわれるということは醜いことです。

それが決して好ましいことではないことも理解しています。

でもこれはおそらくぼく一人の個人的な感情のエネルギーだけではないと思っています。

それは時代の集合意識それ自体が蓄積してきた怒りと怨念のエネルギーの塊だとぼくには感じ取れます。

それは人が本来あるべき意識レベルから遠くかけ離れた低い次元までしか到れないまま潰えて消えていくことの繰り返しから生じる膨大な量の悲しみと無念の蓄積でもあります。

人間は本来もっと穏やかで賢く洗練された存在になるまでその人生を生き通して登って行くことができるように設計されているとぼくは考えています。

人間にはつきものだと長らく思われ続けてきた自己の醜さや惨めさから開放される時が刻一刻と近づきつつある静かな足音と確かな気配が感じられます。

やがて来る新しい境地にたどり着けるようなるためには誰もが避けて通ることの出来ない心もとないほど細く険しい道程が待ち構えています。

しかもその道程は人それぞれ全く異なっていて、たとえ誰かがその道を通り抜けることに成功したとしても、他の大勢がその同じ道筋をどんなに一生懸命になって辿ろうとしてもかえって迷子になって行き倒れてしまうだけです。

すべては自分の力と意志で自分だけの道程を探し求めて進む決定をくだす必要があります。

そのために難しい理屈は必要ありません。

今の自分の在り方のなかに全ての道標が備わっています。

難解な哲学や真理も必要ではなく、ただ今この時の自分の在り方に素直に向き合って確かめる作業を怠らずに継続し続けるだけです。

日々、今この時における自分の在り方を知るための確認作業の繰り返すことよる変化の軌跡がそのまま自分だけの進むべき道筋になっています。

この内省の作業に集中できるかどうかが全てのカギとなります。

これは決して自己批判や反省のための苦行の類ではありません。

ただ自分という存在が常に変化しながら永続的に進化成長していくことを感じ取れればいいのです。

自己の存在の継続に全幅の信頼を置けるようになるとやがて生死の境目に対する極端な恐れが静かに消え去っていきます。

そこまで至る途中までにたくさんの苦しい障壁にぶつかることもまた事実です。

それらの内面から生じる障壁の数々は外側の存在の姿を借りて自分の目の前に現れてくるかもしれません。

それらの外部の存在、特に他人の悪い行いや欠点を通して見せられる自分自身の避けがたい課題の存在を見抜いて正直に認めるための高い境地の認識力が必要です。

外界から絶えず迫り来るように思われる自分の内面の反射に対して正しく見抜くための透徹した知恵を学び取るためだけに人生のあらゆる苦難の数々が存在していると言っても過言ではないかもしれません。

この知恵を見せかけの知識ではなく生きた存在として自分の内側に携えられるようになることは決して容易いことではありません。

一度きりの人生ではとても習得できるようなものではないという意味で輪廻転生という思想が昔から定着してきたのかもしれません。

自分の真の実情を認識して受け入れられるようになるはるか手前で他者からの反射や実生活の骨折り苦労にかき消されたり、お互いの憎悪と因縁に足を取られ合った末に、元々の自然で素直な自分の在り方を見失ったまま時間の忘却にただ流されていくことが今までの殆どすべての人たちがたどった生き方でした。

夢と希望の一つ裏側で人生の労苦に対する恨み節と苦悩が常に背中合わせで存在しました。

すでに役割を終えた自らの影を潔く断ち切るための剣を自らの怨念の集積に向けて振り下ろす時が今この時だと告げられているような気がします。

人間の逃れられない苦悶と重い足かせからの単なる逃避行ではない、本当の素直な自分の人生の道程を歩むことでそれを十分に成し遂げられる可能性をこれからの小説作品を通して表現していきます。

原稿に向かう前のシナリオの段階で全てを織り込んで小説以前の作品として完成させることを目指します。

静かな心境を保ったまま文章を書き続けることは今の自分にとってはとても難しい作業の一つです。


決して覚りすましたような上出来な人間ではないからです。
  
  
  
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PTの原案をシナリオとして組み立てる作業をしています。

その作業は残念ながらはかどっていません。

構想以上シナリオ未満で宙に浮いているような状態で行ったり来たりしています。

まさに頭脳戦と神経戦ですが何とかして早く突破口の糸口を見つけたいものです。

シナリオの組み立て方がわからないのではなく、この作品にぴったりあった納得のいくシナリオの形がなかなか思いつきません。

ストーリーや必要なシーンや要素はある程度出し尽くしたのですが、これらを一つの標準的な小説の枠組みの中で効果的に引き立たせるようなはっきりした形がほしいのです。

クリスマスまで自力で思いつきそうもなければサンタさんにお願いしてみます。

猫の手もトナカイの足も借りたいくらいです。

今の自分にとってシナリオ構築の不得手さが最大の弱点の一つだと思います。

シナリオはいわば作品の骨格であり形そのものであると理解していますが、この作品としての明確な形が出来上がれば、あとは一つ一つの場面を順番に描き上げることだけに専念できるので作業はぐっと捗るようになります。

かといって決められた型を繰り返し使いまわした作品を何作も書いていくということはしません。

一作ごとにその作品に最も相応しいシナリオの形を一から自力のアイディアで作り上げていきます。

そういう自分の頑固な主義主張があるので世の中のいかなる優れた作品やセオリーも参考にはしてもそれに頼ることは一切しません。

その頑固一徹さが自分自身の作品に他の誰かの手による作品にとって代わられようのない完璧なオリジナリティを持たせることが出来ると考えています。

安易に優れた成功法の解決策を外部の知識に求めたりはしません。

そういう既成品の知識で頭のなかがいっぱいになるくらいなら、いっそのことまるっきり無知のまま書き進めたほうが下手でも独特な味のある小説が書けると思います。

とにかく自分にはどうにもならないほど頑固なこだわりがあって自分自身でそれと闘い常に苦悶を強いられているというおおよそ賢くないことばかり繰り返しています。

とにかくバカでもスカポンちんでもなんでもいいから早く自分の作品の形を完成させたいです。

それでも参考にしているのは先に記事で取り上げた映画「駅STATION」の構成です。

駅STATIONの構成はとても小説的で映像よりもそのまま小説にしたらとてもわかり易い優れた構成だと思います。

それを少し意識していて自分なりに現代の男女の人間観に沿った形に置き換えていこうと思案を重ねてきました。

もちろんオリジナルの原型は全く別個に考えていたものなので出来上がった作品は似ても似つかない全く印象の異なる作品になります。

そこで困っていることは現代の価値観に沿う人間観と言っても、今まさにその現代の人間観が古く腐食し賞味期限切れを超えて食えるかどうかというところまでキテいることです。

食えなくなった食い物は残飯として捨てられるのが道理です。

自分としては食えなくなるところはもちろん残された食えるところまで一気に始末して全く新鮮な風味を味わえる作品になるまで磨き上げようと考えています。

それはまったく一筋縄ではいかない孤独な頭脳作業の連続でいつも神経がヒリヒリしてきます。

こう心境を吐露しながら書きなぐっていくうちにちょっとだけ頭のなかがスッキリしてきたので何かいい端緒が思いつきそうです。

理想は物語が立体的に立ち上がるような構成のシナリオです。

作品を最後まで読み終えた時にその人の脳内に主人公たちの人生がはっきり生きている様子で存在していることです。

自分にはそれを書き上げる力があると確信しています。

あとはバカな自分の意識をもっと締めあげて少しでも賢くなるように手懐けるだけです。



PS.)
今まで普通すぎて誰も気にかけなかった自分にとっても他人にとっても互いに人間ならば絶対に変わりようのない人間としての絶対条件が変化し場合によっては崩れさろうとさえしています。これは社会経済における全体的な変化よりもはるかに大きな一人一人の個人の内面で起きている得体のしれない巨大な変化です。これまで人それぞれ個性が異なり一人としてこの地球上で全く同じ性質の人間は存在しないと言われてきました。それは一方で人間ならば基本的に変わりようのない共通した土台に根ざしているという共通の認識に基づいてという但し書きがありました。この共通の認識と土台の存在が薄らいでいます。同じ物事や性質でも人によって受け止め方が異なる以上にその物事の性質まで人によって異なってしまうという結果が徐々に見られ始めています。古い年代の意識と価値観はまさにこの確固とした共通の認識を土台とした共感意識によって成り立っていました。この人間関係において古くから馴染みのある誰しもが何も意図しなくとも容易に共感に基づいて互いに認識し合える気軽な関係が消失しようとしています。神様はあえて人間同士を簡単に理解し合えないようにしたのかもしれません。創作作品を通した書き手と読み手の関係も同様の変化にさらされていると考えています。誰しもが感動し共感しあえるようなお決まりの安直なパターンは廃れていくでしょう。人間は人によって根本的な成り立ちが最初から異なっていてその原点まで遡らなければ相手も自分自身のことさえも正確に認識することが覚束なくなるということを誰しもが肝に銘じなければならない時代になりつつあります。善悪の基準でさえ人によって根本的に異なることが昨今の世の中における人々の善行悪行両極端な行為に如実に現れています。そのうち万人に通用する善悪の基準や道徳観まで廃れて完全に消失してしまうかもしれません。全てはその人の内面に拡がる意識の中の物差しだけが唯一の基準となるような気がします。創作においてもその点をしっかり踏まえて対応できる新たな人間観に基づいた関係性を追求していきます。共通の基準が通用しなくなればなるほど人々の意識の分離は進み容易に分かり合えなくる一方で無理に昔からの古い基準を持ちだして一方が他方に向かって無理やり当てはめようとすれば摩擦が生じて望まぬ険悪な事態を招くようになります。自分がそうなら無条件に相手も同じようにそうだろうという同等意識も過去のものになりつつあります。自分自身はどこまで行っても自分自身でしか無く同じように相手も相手でしかないのです。自分と他人の間には大きな価値観の溝があるのが当たり前なのです。その大きな違いを認め合って人と人どうしの和を保つために今まで以上に高度で深い認識力が他人に対しても自分に対してもお互いに要求されるようになります。その高度な認識力とは物事の因果関係を正確に理解し誰にとっても明確な言葉で説明できるようになることです。自分自身をありのままに認識できる能力がどのような性質の他人との関係でも一貫して理解出来るようになる一助になります。
 
 




今日の朝刊でショッキングなニュースが報じられていました。

予想はしていましたが思ったよりも早く決着がついてしまったようです。

すでに来春の廃止が決定しているトワイライトエクスプレスと時同じく北斗星まで一斉に廃止されることが本決まりしたようです。

覚悟はしていたことなので静かにその事実を受け止めたいと思います。

 
 

白石駅を通過する下り北斗星の最後部の姿です。

終点札幌まであと少しのラストスパートです。

深い青色の編成美で統一された最後の正調派ブルートレインもとうとうその命脈を絶たれる時が来てしまったようです。





不思議と今この悲報に触れてもあれこれ言う気になれません。

今まで沢山の夢と憧れを運んでくれて心からありがとうの声をかけてあげたいです。

そして来春までの長そうで短い冬の雪景色の中を行く姿をあと数枚のカットだけ記録と記憶のアルバムに加えることができればと思っています。






他人の善意に期待しない生き方。

世の中の善意にも期待しない生き方。

別に世の中も他人も信じるなとかそんな極端に寂しいことを言おうというわけではありません。

世の中や人に善意を期待しても、たとえその人に善意がしっかりと備わっていたとしても、その期待に応える余裕を誰しもが持っているわけではない世の中になりました。
 
期待感に期待して生きることが苦労の継続の始まりという意外な事実があります。

期待していたことに裏切られた時の落胆の精神的ダメージはそれなりに大きいものです。

期待し続けていたことがいつまでも期待通りに実現しない状況が延々と続く状態も辛いものです。

人生の真ん中に期待感を据えて生きると間違いなく損をします。

期待したことが期待どおりに叶うのは3割未満だと思っていたほうが賢明です。

たった1割でも叶えば感謝すべきことです。

ただ期待するよりも自分の意志と力で実行できることに期待しましょう。

見返りを期待することはなおさら期待しない方がいいです。

これだけ苦労しているんだからそれ以上に報われたいという意識も期待感で生きることの変形です。

自分が人にこれだけ尽くしているんだからという意識も危険です。

その人はそっとあなたから離れていきます。

人にこれだけ期待されているんだからもっと一所懸命に頑張らなければという意識はもっと危険です。

そんな人のよくてデキるあなたに期待感だけで生きている烏合の衆どもが寄ってたかってあなたに期待ばかり寄せて重荷を背負わせようとします。

その勢いに全く手加減はありません。
 
あなたの耐久限度いっぱいまで頑張らせてもまだまだもっともっと評価という見返りをチラつかせながら新たな重荷と期待を寄せてきます。

他人から良く思われたい、評価されたい、認められたいという願望と欲求の期待感がそういう状況を自ら引き寄せます。
 
もう限界だからそろそろ止めにしたいと態度で示しても理解と助けを求めて周囲に期待しても無駄です。

そんなあなたのSOSは徹底的に無視されるのがオチです。

もう我慢の限界を越えたあなたが勇気を振り絞って言葉と態度で直接示したその瞬間からあなたは自分勝手な悪者にみなされてしまいます。

あんなにみんなから必要とされているのになに一人で自分勝手なこと言ってるの、他のみんなだってあなた以上に苦労してるのに!

大して苦労していない人のほうが全員の苦労を代表して雄弁に語るところが非情に滑稽です。

そうやってあなたが倒れるその時まで最大限の負担をあなたに背負わせようとするかもしれません。

そうやって自分の背負う負担と苦労を最小限に節約するのが人間です。

自分が期待していない何かと向きあわされるのは誰しもが嫌なものです。

真面目な苦労が報われるとは限らないのです。
 
人がよくてもデキない人は徹底的に八つ当たりのサンドバックにされてイジメられることもあります。

お前のせいで仕事がはかどらないからこっちは迷惑してんだよ、わかってんのかゴルアっ!

そんな言い草が大体の決まり文句です。

デキないあなたが犠牲になることで大勢の人たちのストレスを発散することに貢献できます。

よりタチが悪ければ言葉の暴力だけでなく実際に殴られます。

もしそうなったら泣き寝入りしないで然るべき行動に打って出て自分自身を守ってください。

イジメる人間にイジメないで仲良くして欲しいと期待したらますますイジメられます。

イジメる人間は人が良くてもすぐに恐れや怒りにとらわれて耐えることの出来ない者を嗅ぎ分ける嗅覚を持っています。

予め餌食にされる人の条件があるものなのです。

予備知識として知っておくだけで自分や大事な人の身を守ることができます。

他人の惨めさを見下ろすことで自分の惨めさから逃げられると期待する人たちが大勢います。

残念なことですがこれが何時も人の世の現実です。

期待感は人間の内側に仕込まれたまるで吸血鬼のようです。

酷い目に合わないためにあなたの意識の中から余計な期待感と依存心を全て消し去ってください。

そして自分の能力をもっと磨いてください。

意識を鍛えてもっと強くなってください。

見返してやろうなんて下らない復讐心にとらわれないでください。

恨み憎しみが強ければその分だけ引き戻されてしまいます。

憎しみや恨みもその悔しさを誰かに分かって欲しいという期待感の裏返しです。

もっと自分の生きる道に集中して自由になってください。

同じような人間にはなるまいと歯を櫛歯って耐えて頑張ったあなたを見ている誰かが必ずいます。

その苦労が報われるために今少し以上の耐え抜く力が必要です。

恨みや憎しみにとらわれない生き方で最後まで耐えぬいた者が真の勝利者です。

これが「PT」の主人公の一人に歩んでもらう大まかな道筋の原型です。

まだ具体的に煮詰めなければならない作業が山ほど控えていますが必ず書き上げます。

これからの時代に向けて少しでも意義のある小説を書ければと思います。
 
期待感は依存心の裏返しでありエゴの一種でもあります。

行き過ぎた期待感にまみれきった人間の群が世界をこれほどまで汚しました。

見た目だけ知的で裏側にドロドロしたものを抱え込んだ今の世の中に期待ばかりしていても時間とエネルギーとなけなしのお金を吸われつくされるだけです。

そして最後は精神と健康まで害されます。

自分の中の他人と外の世界に対する過剰な期待感と幼い依存心が真の敵です。

外部の存在に過剰な期待感を抱かずとも生きられる術を身につけるための弛まぬ努力と人生のあらゆる苦労と負担に対して適切に向き合い続ける知恵を学ぶ必要があります。

幼い期待感はそのまま放置していると年齢を重ねるごとに少しづつ重荷に変わっていきます。

幼い期待感に縛られたまま歳だけとると自然な老いに対抗できる能力を養うことができません。

文句を言うだけでなお期待ばかりしている人たちは誰からも何も期待されないまま放置されます。

詐欺師から電話越しに愛する親族の危機を囁かれた時、そのでっち上げられた危機を次の詐欺師にすぐ解消してもらうことを期待した瞬間その術中に嵌ります。

一番助けが必要な時に期待しても誰も助けてくれない誰も助けられない時代になりました。

寂しさと孤独から救われたいと期待したら悪魔に毒を盛られて殺されることさえあります。

その悪魔でさえも残された遺産というお目当てに自らの幸福を期待していました。

それもこれも人々が無垢な期待感ばかりを積み上げ続けた結果なのかまでは分かりません。

数億の期待感が国も人も全て疲弊させて行きます。

期待感にどれだけ資金や労力を投じても一時だけ大勢で大きな夢を見られるだけです。

それを際限なくやり続けたら最後はどうなるかは言わずもがなです。
 
世の中のあらゆる期待感で成り立つ物事に期待し過ぎないことが賢明です。
 
オリンピックに期待しても、スポーツに期待しても、テレビに期待しても、芸能人に期待しても、政治に期待しても、経済に期待しても、企業に期待しても、科学に期待しても、新幹線に期待しても、宗教に期待しても、オカルトに期待しても、ネットに期待しても、それらは全て期待感の他の何者にもなりえません。
 
それらに期待するのではなくそれら全てから何かを学び取ることに意味と価値があります。
 
世の中と人生に期待することに倦んで恨みばかりを抱く孤独な時間が最後の学びの機会にならないことを祈ります。

人生は自分自身で意図して一所懸命に継続したことだけが実現するというシンプルな法則で貫徹されています。

余計な期待感が実現しない主な要因がそこにあります。

あなたは何かに一生懸命ですか。

それとも何かに一生懸命に期待していますか。
 
お金ですか。

お金を得ることで人生の充足感や心からの安心感までも得られると期待していませんか。

仕事ですか
 
どんな仕事もつらいものですが仕事を通して世界と人生を変えていくことができます。

それが仕事のあるべき姿です。

仕事のつらさを恨む気持ちがあると仕事の醍醐味を感じとることができなくなります。
 
勉強ですか。

勉強は人生の土台を築く作業です。

自分の意思で進んで取り組むことではじめて意味のあるものになります。

イヤイヤやらされているうちは何も身につきません。

楽しいことですか。

楽しい時間は一瞬で過ぎていきます。

好きなことですか。

好きなだけでは他の誰かに必要とされません。
 
努力することですか。

努力することで結果と見返りまで期待していませんか。

愛することですか。

愛されることまで期待していませんか。

祈ることですか。

祈ることで何かを期待できますか。

神様ですか。

神様に期待したら何かいいことがありましたか。

宝くじですか。

もしも3億円当たったら何を買いますか。

友達ですか。

友達に期待されたことにあなたは応えていますか。

恋人ですか。

恋人が期待するあなたに成りきれますか。

結婚ですか。

何を期待すべきかよく分かりません。

子供ですか。

子供の意識の中に親の期待に応えなければという義務感と劣等感が生じます。

親ですか。

期待する以上に期待されます。

ジジババですか。

お年玉をくれるでしょう。

世の中の進歩ですか。

あなた自身が進歩成長しなければ世の中の進歩に一人取り残されるでしょう。

未来ですか。

未来のあなたもそうやって期待ばかりしているかもしれません。

何かに期待することに期待し続けますか。

それとも世の中にも他人や自分にさえも一切期待などしないで生き通しますか。

どんなことにも期待しない生き方に期待するのが一番です。




 





先週末の29日夜遅く札幌駅まで出る機会があったのでカメラ三脚を携えて青森行き急行はまなすをバルブ撮影しました。久しぶりに三脚を使った撮影に感覚が戻るまで少し時間がかかりました。まだ冷え込みが本格化する前なのでシャッターを押す指がかじかんでヒリヒリすることもありませんでした。




 
入線直後に撮った最後部のスハフ14です。隣の5番線に入線したキハ40回送列車とあわせて貴重な国鉄型コンビです。

日本最後の定期夜行急行列車である同列車にあとどれくらい触れることができるでしょうか。






クリスマス商戦前の札駅通路を人々が足早に通り過ぎていきます。

安田侃さんの彫刻「妙夢」をアクセントに長時間露光をかけると行き交う人々の姿は影絵のように消えてしまいます。






 
翌日の30日午前中、島松沢の千歳線沿線まで出かけて北斗星などを撮影しました。

ダイヤが乱れ気味で本州方面から来る寝台列車が軒並み遅れていました。背景の恵庭岳は霞んでほとんど見えませんでした。来年まで少し課題を持ち越してしまいました。
 
 







好ましいこと、キレイなこと、都合の良い物事だけを見て知っているだけでは豊かになれない。

面白くないこと、難しいこと、きな臭いこと、汚らわしいこと、興味のないこと、世の中の政治経済ネタ、世界の変化、どうでもよいようで無視できないこと、自分には関係ないと思われること、など。

全てコインの裏表のような関係にあるのだから、両方の図柄を知っていなければ一つの物事として完結しないのは道理だ。

不景気、不景気と何かとあれば連呼されるようになって一体何年経つのだろうか。

そのうち地方や末端にも恩恵が行き渡り元気になると10年前のあの人の時も言われていたような気がするのは気のせいですか。

穴のあいた袋に水を流し続けても貯まることはない。

栓をし忘れた風呂にお湯を貯めようとしても結果は同じこと。

この20年の間に穴は増え続け拡大した。

貯めようとした側から外に流れ落ちる水を眺めている滑稽さ。

穴を埋める布アテはまだですか。

穴から落ちた水を汲み取ることは可能ですか。

穴を開けたネズミはどこへ行った。

地球は暖かくなっているというけど本当ですか。

外はとても寒いですよ。

今は冬だからそれは当たり前のことだけど。

コインの裏表。

一枚の五円玉。

ひっくり返しても真ん中に穴が開いていますね。

穴の中から覗いてみたらそこは裏ですか、それとも表でしたか。

裏表で一枚の五円玉。

表と裏で10円になっていたのは世の中の秘密の秘密。

今度50円玉でやってみよう。

表と裏で100円になったら安いジュースが買えちゃうんだから。




 
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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