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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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先日の記事でお伝えした赤い電車を保存しようプロジェクトが今日から始まりました。

赤い電車の解体がすでに始まっており待ったなしの状況です。

北海道を47年間走り続けて道民から愛されてきた赤い電車は他の都道府県には一台もない特別な電車です。

おそらく赤い電車の存在を後世まで姿形有る状態で残せる最初で最後のチャンスだと思います。

赤い電車が登場して以来もっとも縁のある岩見沢の地で再び人々の憩える場として活用されます。

北海道の残すべき遺産として赤い電車の保存を実現するために、どうか心ある方々のご協力をお願い致しますm(_ _)m


赤い電車保存活動の受付ホームページ https://readyfor.jp/projects/akaidensya


先ほど個人的にもささやかながら出来る限りの金額を寄付させていただきました。

寄付された全員の名前が車内に記載されるそうです。

ぼくとしても自分の名前が他の同好の方々と共に記されることを楽しみにしています。

全国の赤い電車が好きな方々へ一緒に思い出の続きをこれからも見てみませんか?



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今日の道新朝刊記事に朗報が掲載されていました。

道内有志の方たちが立ち上がったようです。保存費用の不足分をインターネット上で募るようです。

取り急ぎ報告いたしました。








前回の記事の続きで今回の記事で完結です。
 
雪原を走る復刻色S-110編成の撮影を終えたあと、寒風吹きすすさぶ国道12線の凸凹歩道をヨタヨタしながら歩いて最寄りの光珠内駅までなんとかたどり着きました。

無人駅の待合室は暖房はついてなく殺風景ですが先程のバス停小屋や吹っきさらしの野外よりは格段に暖かく快適です。

30分ほどの待ち時間をつつがなく過ごして新鋭?721系の普通列車に乗って岩見沢まで戻りました。




事前の計画ではここで終了の予定でしたが、体力的にまだ余力が残っていたことと、なんといっても今日が自分的には本格的に赤電車を追いかけられる最後の日になる予感がしていたので撮影行を続行することにしました。

岩見沢に戻っても次の赤い電車まで1時間30分ほどの待ち時間がありましたが、ひたすら何もせず待ち続けました。



 
もう何度目かの乗車になる岩見沢駅15時27分発旭川行き普通列車に乗り込みました。

先週末に同じ列車に乗った時は鉄的人たちの群衆でごった返していました、今回は地元の人たちのなかにちらほら混じっている程度で楽に着席することが出来ました。

岩見沢を発車して一駅目の峰延を過ぎるとまもなくして先ほどの撮影ポイントを通過します。

午前中のイワホで購入したポプラHMグッズで遊んでみました(^_^;)






終着の旭川までこのまま乗って行きたいのは山々でしたが、時間と体力とそれから懐事情的にも無理をしたくないので短距離乗車で下車しました。

ここまで乗ったS-113編成はある意味で復刻色編成よりも個人的に浅からぬ縁がある編成です。 





下車した駅は光珠内の一つ先の美唄駅です。

上の写真にすでにこの駅で下車した目的が写り込んでいます。

この駅のホームが撮影の目的地のため下車後すぐに改札を抜けて切符を買い再び改札を出てホームに戻ります。

朝から同じような場所を繰り返し行ったり来たりするなど忙しない行動ばかりですが、撮影を主目的に移動を繰り返しているといつもこのようになります。

居合わせた同好の方としばし談笑している最中に想定外の白ボウズ付きオホーツクが通過していきました。

次の茶志内にて先ほど乗車したS-113編成と離合ツーショット演じているはずですが、鉄的レアシーンよりも個人的なこだわりの一枚を収めることが主目的と決めていたので何も悔やむことはありません。

折り返し乗車する岩見沢行き普通列車の入線が近づいてきたのでホームに出て待つことにしました。




チャンスは入線時の一回きりでした。

昨年の小樽発旭川行長距離鈍行乗り通しの旅の時に偶然に車窓から見つけた石川啄木の記念歌碑と赤い電車とのツーショットカットです。

この日をもって最後の復刻色、歌に詠まれた雪の日の赤色、昨年乗車したその車両との文句なしの一枚です。




 

目的の一枚を撮り終えて結果を確かめる間もなくデッキに入るとドアが締まりました。


ガラス越しに過ぎ去る美唄駅を何枚か収めてほっとすると赤い電車はスピードに乗って加速し始めました。


ちょうど地元高校生の下校時間だったため3両編成の車内は結構な乗車率でした。






 
通学の足として日常的に利用してきたこの電車が今日のこの列車を最後にお別れであることを知っている人はこの高校生の中にはたしているのかなどと、ありきたりで若干貧弱な鉄ヲタ的空想に耽っていると、先ほど滞在した光珠内駅に停車し発車するところでした。通い慣れた雪原にビニールハウスの骨組みを見つけると来たる季節が近づいてくる実感が湧いてきます。




峰延を過ぎて夕暮れ間近の原野を見つめていると岩見沢の街並みが近づいてきました。

何度も繰り返し目にしてきた風景ですが今日に限って一際に感慨深い思いなどは不思議と湧いてきませんでした。 





 
岩見沢駅手前でぐっとスピードが落ちて右に左に揺られながら渡り線のポイントを通過していきます。

いくつかの踏切と跨線橋の下をくぐり抜けて視界にレンガ造りのレールセンターが見えたところで記念に一枚。終点岩見沢駅のホームはもうすぐ目の前です。




 
いつものように夕方の下校列車が岩見沢駅に到着しました。

赤い電車を降りた乗客は改札口を目指す人も乗り換える人も一斉に跨線橋の階段を目指して足早に移動します。ありきたりな日常の光景を一枚ずつ記録していきました。






折り返し待ちとなりしばし静寂が訪れたホームを行ったり来たりしながら、ときたま思いついたようにシャッターを切りました。

まだ十分に輝きと温もりを宿した汽車窓の赤い車体を収めた時、なにか納得が行ったような気がしました。





人影まばらな跨線橋の階段を登って窓から去り際の一枚を撮って改札を抜けました。

帰りの電車まではまだ時間が許すので折り返し旭川行を撮るために駅を出ました。

朝の到着列車をサイドから撮ったレンガ敷のだだっ広い歩道を通りぬけて駅東側の古い歩道橋までたどり着きました。

古いレールをたくみに組み合わされて造られた歩道橋は近未来的な自由通路が出来る前まで線路を挟んだ両側地区を結ぶ主要な架け橋でした。




歩道橋のへりに立ち夕暮れ時の空を見つめながら露出を見計らいます。午後5時ちょうどに発車する旭川行き普通列車が来るまで10分ほど待つ間に辺りはみるみる暗くなっていきました。

復刻色の赤い電車はそのシルエットと夕光が重なる時をゆっくりと通過していきました。





最後は構図を定める手の力も怪しくなっていました。

何はともあれ、これで全て撮り終えたという気持ちで来た道を駅まで戻りました。

夜の列車のバルブ撮影も一瞬頭をよぎりましたが今日は朝から追いかけ続けて疲労がピークになりそうなのでここで潔く撤収することにしました。

今日何度目かの改札をICカードで通り抜けて一番奥の7番線に停まっている札幌方面行きの普通列車に乗り込みました。

はたしてこれまでにベストな記録を尽くせたのかどうか不安もよぎりましたが、とりあえず運休が続いている中でもほとんど待つこと無く帰りの列車へ乗れたことに安堵しました。




 
これを持ちまして赤い電車の引退間近の個人的な撮影記を一応の完結としたいと思います。

次の日は奇跡的に早起き出来たおかげで岩見沢を朝に発つ札幌行き144Mに本当に最終乗車を果たせた時の様子はすでに記しました。

ほぼ半世紀近い47年間の長期に渡り北の電化路線を走り続けた赤い電車711系の最後の輝いた姿を垣間見れたことは忘れられない思い出となりました。本当に長い間お疲れ様でした。そしてありがとうの一言を送りたいと思います。







PS)
赤い電車と共にトワイライトエクスプレス、定期北斗星も運行を終了するなど今年の3月は大きな別れの月となりました。これら去りゆく寝台特急に注目が集まる中でも平凡な普通列車である赤い電車711系のラストランウィークも相当な注目を集めました。限られた時間と機会の中でどちらに重きを置くか少しだけ悩みましたが答えは赤い電車を最優先に収めることでした。結果的に今年に入ってから寝台列車にカメラを向けたのは1度きりで最終運行の際も出かけませんでした。寝台特急に関してはごく最低限の記録を昨年中に済ませていたことと、この期に及んで慌てて撮り歩いても決して良い結果は残せないと踏んだからです。それよりも数年来暖めてきた季節を行く赤い電車の連作を出来るだけ完成に近づけるために未挑戦の冬の構図を順番に収めていくことに集中することにしました。結果は時間不足と天候のタイミングや足が及ぶ範囲を超えるなど条件的にどうしても収めることができなかった構図がいくつか残ってしまいましたが、なんとかギリギリ意図した流れを表現できるレパートリーが揃いました。出来の差や視野の狭さなどに目をつぶれば、ぼく自身にとって赤い電車は主要な活躍の線区を四季を通して記録できた唯一の被写体であり、これまでのあまちゃん撮り鉄人生の集大成と言っても過言ではないテーマとなりました。そこまでやり通して一区切り着いたことにホッとしていると同時にこの経験を新たな意味で文筆の世界の中で表現出来ることに向けて今からワクワクしています。これまで撮りためた未編集のカットはゆっくり時間をかけながら仕上げていずれ小さな記録アルバムにまとめたいと思っています。




 

 
 
前々回の記事の続きです。


唯一の復刻色S-110編成が岩見沢以北の運用に入る最終日の3月11日の撮影行記録です。

午前は2本の到着便を岩見沢駅で撮影しました。

朝の運行を終えた2本の赤電車は岩見沢駅の車庫へいったん引き上げて午後以降の運行に備えます。

正午過ぎの滝川行き普通列車に予定通りなら復刻色編成が入ることを念頭に午後からの目指す場所を決めていました。



 
銭函~朝里間で発生した土砂崩れの影響で岩見沢から札幌方面の列車に多数の運休が発生していました。

手稲までの折り返し運転を強いられている影響で反対の折り返し駅である岩見沢の電留線にも普段以上に電車が停留していました。






運行系統が分けられていることから午後からの赤い電車に影響は出ないだろうと思われましたが、運用順序の差し替えや天候の急な悪化による運休の可能性も否めない状況でした。

最悪運休で振られたとしても、今日が泣いても笑っても目指す場所で撮影できる最後のチャンスなので計画通り実行することにしました。

目指す撮影地は岩見沢とは目と鼻の先の近い場所ですが、駅と駅のちょうど中程にあり、列車を利用した場合は歩く距離と待ち時間ともに大きくロスするので別の移動手段で向かうことにしました。

岩見沢駅を出てすぐ隣のバスターミナルから美唄行きの路線バスが出ていてそれに乗り込むことにします。

赤い電車よりも一時間以上早く出発しますが現地へ到着してから移動して待ち時間を合わせると調度よい按配です。

すでにこれまで数回の原野詣での帰りに利用しているバス路線なのでかって知っている上に降りる停留所も決めていたのでターミナル内の券売機で先に切符を買っておきました。

こうすることで降りる時にまごつかなくてすむので気が楽です。



 
岩見沢ターミナルを発車してから30分ほどで目指す場所の最寄り停留所へ着きました。

小屋付きのバス停だったことがあとで功を奏すことになりました。

撮影場所はバス停から歩いて5分もかからないところにあります。



 
撮影ポイントに到着するとタクシーを使って駆けつけた先客が三脚を立て終えて待っていました。

その方とは踏切を挟んで反対側の場所で、一本の木をアクセントに出来る場所で構図を定めました。

ちょうど踏切が鳴り出して通過した札幌行きスーパー宗谷の後追いでテスト撮影しました。



このあとに通過する予定の岩見沢行きキハ40形普通列車を撮って赤い電車通過まで40分待つことも考えましたが、あいにくの天候で気温は高めなものの非常に風が強く、何も遮る物のない場所でこのまま突っ伏していたら風邪を引きそうなので、先ほどのバス停小屋まで一時避難することにしました。

扉一つ無いただの小屋とはいえ、寒風吹きすさぶ外とは比較にならないほど暖かいです。

ここで持参していたアンパンをかじりながら30分ほど待ちましたが、先ほど決めていたポイントの足場が気になって早めに出ようかと外へ出ても、相変わらず強い風に押し返されるように小屋の中へ戻りました。

もうそろそろちょうどよい時間だと思い、意を決してバス停小屋をあとにして先ほどの撮影場所へ急ぎます。

風がますます強く吹きすさぶなか国道をそれて左へ曲がり踏切前に止まっているタクシーの前を通り過ぎたところで意外な光景が目に入ってきました。

先ほど目星を付けておいたポイントのちょうど目の前に一台のライトバンが停めてあり構図を完全に塞いでいたのです。

すぐにライトバンの運転席に駆け寄り交渉しようと思いましたがそこには誰もいなく、これで万事休すかと思いましたが、踏切を挟んだ反対側の同業の方に話しかけてみると車の持ち主だということで事情を説明し移動してもらえないかお願いしてみると、すぐにこちらの意を汲んで快く移動してもらえました。

おかげさまで数ヶ月越しの末に温めていた構図をものに出来る最後のチャンスを諦めずにすみました。

この場を借りてあらためてお礼申し上げたい所存です。

赤い電車通過まで残り10分を切っていましたが、あとは先ほど自分で定めた構図の場所で足場を決めて最終確認を繰り返すだけです。




ここまで時間をかけてたどり着いて待って撮った結果はご覧のとおりです。

シンプルな構図ですが葉っぱの落ちた木とあずき色の復刻色3両編成が程よく収まりました。

直後の欲張り連写であと2コマほど上手くいきました。




 
同好の方たちが撤収したあとも、しばらくその場に留まりやや弱まった風に吹かれながら冬の雪原をただじっと眺めていました。

後片付けも終わってこれ以上の用がなくなったところでこの場を後にし踏切から国道に戻り光珠内駅を目指して歩き始めました。




光珠内駅に辿り着き待合室で30分ほど待ってから赤い電車の後釜で運行されている岩見沢行き普通列車乗り込みました。

終点まで短い距離を揺られている間に夕方の行程をどうするか思案していました。


次回以降につづきます。






赤い電車引退フィーバーの期間中、岩見沢駅を拠点に周辺の撮影ポイントを回りながら撮影に勤しんでいましたが、やはり予想通り同じ目的の同好の人たちがどの場所にも数人ずつ、多い時は十人以上の単位で集まっていました。

赤い電車が引退してかつてのDD51貨物も無き今となっては撮り鉄を引き寄せる人気の的は急速に潮が引きつつありますが、それでも鉄道を中心として栄えた歴史を誇る岩見沢駅周辺の魅力は埋もれたまま放置されるにはあまりにも惜しいものがあります。




 
火災で消失した旧駅舎に変わり、異例の一般公募案で建設された新駅舎は今なおハイセンスな建物です。

この日も駅構内の吹き抜け広場にて、どこからの視察団を案内している様子が見受けられました。






一面ガラス張りの踊り場は眺めがよく骨組みには各年代の古いレールが使用されています。

鉄道を中心に栄えた岩見沢のアイデンティティを強く表明した手法として有名ですね。

循環式の暖房が行き届き館内のどの場所にいても肌寒さを感じることはありませんでした。





改札を出て各ホームに繋がる跨線橋と真ん中の3,4番ホームは旧駅舎以来から使われているもので相当古いものです。

岩見沢の歴史を象徴する農耕ばん馬の木像と赤い電車のオリジナル復刻色のおなじみの取り合わせが見られるのもこの日が最後でした。





再び改札を出てすぐの2階待合室の隣の棟は駅北側へ繋がる長い自由通路になっています。

SL時代からの機関区だった広い構内とともに遠くの山々まで見渡せるちょっとした景勝地となっています。





岩見沢駅は夕日の名所としても売り出し中らしく、天候とタイミングが合えば夕暮れの陽光が差し込むことで生じるスリット状の美しい縞模様を目撃することができます。列車待ちの時間にここで過ごすと不思議と暇を持て余すことがありません。





かつては跨線橋を大きく迂回しなければ辿り着けなかった駅北側も自由通路が出来たおかげで簡単にたどり着けるようになりました。南北の往来が便利になったことで駅北の開発も進むと期待されていましたが、新駅完成後数年を経た今でも空き地ばかりが目立ち有効活用されているとは言えない状況です。





駅北地区には北海道炭礦鉄道時代の星印が残る現在のJR北海道レールセンターの荘厳なレンガ造りの工場棟が残っています。100年以上にわたる岩見沢と北海道の鉄道の歴史を象徴する貴重な歴史的産業遺産です。今は純粋に工場棟として現役ですが、一般の見学者が出入りできる一角などを用意して駅北地区に人の流れを呼びこむために有効活用できないものかと思ってしまいます。




岩見沢駅は大変立派なものに進化しましたが、そのハイセンスな新駅舎だけが過疎化にあえぐ街並みの中でぽっかり浮かび上がってしまったような印象を受けます。

正面北口の駅前広場を一歩町の方へ繰り出しても古い建物のアーケードが連なり空き店舗のシャッターも多いです。

再開発を期して取り壊された建物の一角は広い空き地となっていて新しい建物が作られる気配は感じられません。

立派なハコモノを作るだけでは地域の根深い問題を解決されるわけではないという言われつくされた現実をここでもはっきりと示されているように思われます。

岩見沢はもともと何もない原野に鉄道が通ったことで運転上の簡易な停車場が作られたことで始まった街です。

三笠の幌内炭鉱を始め空知地方沿線の石炭を大きな港がある小樽や室蘭方面へ輸送するための中継基地として発展しました。

最盛期には多数のSLや電気機関車を配置する二つの機関区が設けられ、関東以北では最大規模の巨大な操車場も操業していました。

それらは全て石炭産業の斜陽化と国鉄の解体後に過去の記憶の中へと消えていきましたが、その名残としての雰囲気は今なお随所に色濃く感じ取ることができます。

そういった岩見沢という街の固有の生い立ちと100年を超える鉄道の街としての歴史を観光や人の往来と交流に活かそうとする機運は新駅舎完成後も残念ながら活発に行われている様子は見受けられません。




一過性の出来事とはいえ、今回の赤い電車の引退はメディアからも大きく取り上げられ日本全国から多くの鉄道愛好者を岩見沢周辺に呼び込みました。それは単なる名残惜しみのお別れイベントとしてではなく、もっと人を魅了してやまない本質的な魅力があったからだと思われます。






その証拠に赤い電車が引退することを表明されるよりも以前から、コンスタントに北海道入りしてその走る姿を追いかけたり、小樽から旭川にかけての風光明媚な車窓を赤い電車に乗って楽しもうとする人たちが思われている以上にかなり多く存在していたからです。

その理由はいずれ無くなるという終了ブームや昭和的レトロ指向ブームを超えて、ここ北海道の主要幹線である函館本線電化区間でしか存在しない希少価値と共に、北の大地の独特の風土と完全に調和した言葉では言い表せない本物の魅力を醸し出す存在だったからです。

今、全国的にその地域に根ざした鉄道の文化を遺産として後世に残し、同時に貴重な観光資源として有効活用しようという機運が高まっています。

先日華々しく開業した北陸新幹線の糸魚川駅では、新幹線駅建設のためやむを得ず撤去するほかなかったレンガ製の機関車庫の一部を新駅舎の外壁の一部として移築し、その内部には地元の大糸線で活躍して人気を集めた国鉄型キハ52形気動車をピカピカに整備したうえで展示するという、鉄道のもっとも先進的な新幹線と地域の歴史を融合した魅力ある施設を設けて集客をはかる戦略を打ち出しています。

こういった事例は全国的に広がりつつあり、しなの鉄道の急行型電車の保存事例や、新津市の新幹線とSLの同時展示、さらに西日本まで目を向けると岡山県津山市ではSL時代の扇形機関車庫を丸ごと文化遺産として保存し、その中に全国的に希少となったディーゼル車両を集めて将来的に鉄道博物館として観光文化の目玉にするという一大プロジェクトが進行中です。




岩見沢駅から歩いて20分ほどの国道沿いの公園に地元で活躍したSLが二台同時に展示されています。日本の鉄道路線上で現役として最後まで活躍していた旅客用のC57型とD51型が同時に見ることのできる全国的にも珍しい鉄道スポットです。

特に北海道で活躍したC57型は独自の寒冷地仕様の装備で雪原を疾走する姿から大変な人気がありました。貨物用のD51型に比べてスレンダーなボディと対称的な大きな動輪を組み合わせた優美な姿から貴婦人の愛称で親しまれてきたことは有名なエピソードです。




赤い電車とも肩を並べて走っていた時期のある貴重なC57とD51ですが、駅から離れた公園の中に展示され、ありきたりな遊具の一部のように埋もれてしまい、しかも冬季はビニールシートで覆われて見ることがかなわないといった状況のためわざわざ訪れる人は滅多にいないようです。

もしもこれらの貴重な鉄道車両が全国の好例のように現役の鉄道駅の周辺施設として整備展示されたなら、どれほど魅力的な観光スポットに生まれ変わるだろうかと思わずにはいられません。
 
ここで鉄道遺産を中心とした町興しを実践している事例として四国の伊予西条市にある四国鉄道文化館を取り上げてみようと思います。

規模こそ大宮の鉄道博物館や京都に新たに建設される博物館に及びませんが、JR四国に保管されていた車両を中心に地元四国に縁のある貴重な車両を取り揃えることで独自の魅力を全国に向かって発信するほどの強力な観光スポットに成長しつつあります。

近年増設された南館には最新の可変軌道新幹線の試験車だったフリーゲージトレインの先頭車から、赤い電車711系とほぼ同時期に開発された急行用強馬力気動車キハ65型など四国の鉄路で活躍し、かつここだけでしか見ることのできない貴重な車両を大変良好なコンディションで保存展示されています。

そしてこの新たに建設された南館の目玉として展示されているのが上で紹介したC57型SL貴婦人で、しかも元々は縁もゆかりもない北海道の岩見沢で活躍した44号機です。

岩見沢の公園で侘びしく余生を送っている対称的な144号機とは同僚だった機関車で、同じく同僚だった日本で最後の現役旅客列車を牽引した135号機は大宮の鉄道博物館の中心で今も訪れる多くの人たちの注目の的となっています。

このようにC57型貴婦人は特別なカリスマ性を持った蒸気機関車として今なお人々の注目を集める強力な存在です。

(※ちなみに日本から遠くな離れた台湾では日本統治時代に導入されたC57型と全く同型のCT273号機が動態復元され大変な人気を博しているようです。貴婦人の魅力は国境を超えて台湾の人々を魅了し、そんな彼らが北海道に観光で訪れた際にはきっと縁のある本場の貴婦人を一目見てみようという気持ちになっても不思議はありません。)


北の鉄道の街として一世を風靡した岩見沢が、鉄道文化遺産の街としてこれほど多くの逸材を持っていながら、それらの埋もれた価値が全く省みられること無く歴史の彼方へ還すほか為す術がないことへ残念な気持ちが募るばかりです。

日本全国で現役路線と鉄道遺産を組み合わせた名所めぐりが観光の一大ジャンルに成長しつつある熱いブームの最中で、完全に乗り遅れてしまった感のある北海道の鉄道文化の現状を嘆くほかないのことは悲しい限りですが、もしも、今からでも建設的な議論が始まり、今存在する北海道独自の貴重な鉄道文化遺産の破壊が喰い止められて全国的な盛り上がりと連動した前向きな方向へかじを切ったなら、未来の地域に大きな正しい遺産を残すことに繋がります。

もしもの空想ですが、レンガ調で統一された岩見沢新駅舎と対になるような展示施設を駅北地区のレールセンター近傍の空き地に建設され、その中でピカピカに整備された北海道型C57貴婦人と赤い電車が同時に並んでライトアップされながら展示されたなら、どれほど日本全国の鉄道愛好者を惹きつける魅力を発信することになるか想像できます。

おそらく、そういった配慮の行き届いた魅力的な展示がなされたなら、今後最長で20年を超えても鉄道好きの観光客を集客できる優良施設に発展するでしょう。

なぜなら鉄道に関係した遺産というものは、たとえ50年以上経って僅かな痕跡しか残されていなかったとしても完全に忘れ去られることがないからです。

かつてのSLブームの伝説が最たるものですが、そういった現役時代の生きた姿を直接知り得ない若い世代でも過去の遺産や記録に触れることで興味をいだき、かつて存在した時代の息吹を想像し追体験するという現象が起こります。

そうなると子や孫ほど離れた世代でも古い時代の記憶を偲んで追体験するために残された鉄道文化遺産を定期的に訪れるようになります。


北海道の鉄道や自治体を取り巻く厳しい現状を考えると本州各地のように理想的で前向きな展開は夢物語に過ぎないのかもしれませんが、北海道新幹線を他県のように本気で成功させたいと望むのなら、そういった機運を高めるため一つの有効な手段として今一度、北海道に残された貴重な鉄道文化遺産の高い潜在価値を顧みて有効活用しようという機運が生まれてほしいと思わずに入られません。

北海道だけが本州から取り残されて埋もれてしまはないように建設的な議論と行動がなされることを願っています。




 



赤い電車完全引退の二日前、3月11日は復刻色S-110編成と相方のS-113編成が岩見沢以北のメインルートを走る最後の一日でした。

この日は未消化の構図を収めるべく朝から夕方まで日中の運用を岩見沢~美唄間を中心に撮影することにしました。

雪原の中を走るS-110編成の最後の姿を中心にこの日に収めた写真を紹介します。



 
午前8時45分頃、江部乙駅始発の2150M岩見沢駅到着から撮り始めました。

一番線の端からオーソドックスな構図で収めました。何気ない構図ですが岩見沢らしい感じのする一枚になりました。





この後、列車は3番ホームへゆっくりと滑り込み、その場に居合わせた同業の方々共々移動します。

乗客を降ろしホームから退避するまでの間、S-110編成3両のそれぞれの形式写真を撮ったり各部を観察するなどして過ごしました。

改札を出て待避線へ引き込むシーンを撮ろうとしましたがタッチの差で間に合わず撮り逃してしまいました。

ホームでの記念撮影に時間をかけ過ぎてしまったことが敗因でしたが、悔やんでもしかたがないのですぐに気持ちを切り替えました。




一度、駅の待合室に戻って30分ほど過ごしてから再び駅横の広場まで出て、かき分けられた小高い雪山の上に登りました。

旭川始発、午前9時45分到着の2158Mをサイドから待ち構えます。手持ちのレンズの狭い画角でなんとか構図にまとめることが出来ました。




岩見沢駅横の入線シーンはこちらの現行色が本命だったので満足です。

再び駅へ戻り改札を出てホームに停車中のS-113編成との記念撮影などを行いました。

回送時の撮影は特に予定していなかったので早めに改札を出て一番線横のイワホへ向かいました。



 
 岩見沢駅1Fのイワホ店内に入るとすぐに奥の展示物に目が行きます。

各種ヘッドマークの下には未発売の新旧赤い電車6両編成の玩具が飾ってありました。旧色の方はさらに手が込んでいて、先頭車3両の試作車編成の特徴を上手く再現しています。由来を知っている者としては思わずニヤリとしてしまう一品です。




ちなみにこれらの元ネタは98年の試作車さよなら運転後の回送を兼ねた普通列車で一度だけ当地を走った組み合わせです。

その時の試作車編成の真ん中の車両に若かりし頃の自分が乗り合わせていました(汗)
 
許可を頂いて展示物越しに停車中の本物の赤い電車を撮影させてもらいました。

赤い電車が発車した後も備え付けのテーブルコーナーの椅子に座り長居させてもらいました。

左手には道内地元在住の写真家の作品を中心としたミニギャラリーが開かれていて素晴らしい傑作の数々がディスプレイされていました。

地元に密着して通い詰めなければものに出来ない作品ばかりでどれも目を奪われます。

自分としても撮ってみたかったシュチュエーションがいくつもありました。

展示された作品からいろいろと刺激を受けながらも、なおのことこれから撮りたいと思う自分の視点で捉えた未挑戦の構図に一枚ずつ集中しようと思いました。

次に向かうべき12時30分発滝川行き2175Mまで相当な待ち時間があるので注文したコーヒーを飲みつつ作品と駅構内の様子を交互に見ながらしばしの休息時間を楽しみました。


この続きは次回の更新でお伝えします。
  
  

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男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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