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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日は若干病み上がりの体でしたが、今年も年に一度の機会がめぐって来る日で体調の加減も思ったよりも悪くなかったので、恒例の近場までカメラを持って出かけてきました。




向かった先は市内の自宅から反対にあるいつもの場所です。

今年はちゃんとおがってるかなあと心配しましたが、いざ現場に着いてみると去年以上に元気よく勢力範囲を守っているようで一安心。毎年この季節になるとこの場所に一度は訪れないとどこかしっくりこないのです。





 
例の列車が通過すると思われる予想時間まではまだしばらく間があります。

一定の間隔で行き交う普通列車や区間快速を撮りながら構図を見定めます。晴れた青空のもと江別を発車したキハ201系区間快速も気持ち良さそうに加速していきます。





本番は35mmの広角レンズを使いサイドから収める構図を取りました。

遠くから気の抜けたラッパのような聞きなれない独特の汽笛が聞こえてからしばらく待つとあの白い列車がほぼ予想通りの時刻に姿を見せました。





 
バックショットもどうにかなんとかまとめることが出来ました。

カメラのファインダーを覗きながら追いかけている時間はあっという間の一瞬です。最後の去り際に手を降った時にはもう白い列車の姿は見えませんでした。





バスを降りてからいつもの撮影場所へ向かう途中の庭先でにゃんこちゃんと遭遇。木陰に向かってとぼとぼ歩いて横切ろうとしていましたが、こちらがカメラを取り出してちょっと一枚撮らせてと声をかけたら振り返ってポーズをとってくれました。最近、猫となんとなく意志創通が出来てしまうことがたまにあります。一言お礼を言って立ち去りました。






ちなみに今日の本番の撮影は先日の記事にちらっと紹介したクラシック一眼レフカメラといつも使っているオールドレンズの組み合わせで撮りました。その他のカットはサブ機のコンパクトデジカメです。

リサイクルショップで安値で転がっていたところを拾ってきたカメラですがフィルム一本分を無事トラブル無しで撮り切ることが出来ました。

懸念していた光漏れや巻き上げ不良によるコマ落ちも全く無く、これでとりあえずは実用品として使えることが判明したので一安心です。

今日の撮影でちょうど全て撮りきることが出来たので、帰る途中にあるカメラチェーン店に立ち寄りそのまま現像に出しました。

いったん帰宅してから再び来店し出来上がったネガとCD-ROMを受け取って確認してみると思ったよりも良好な画質クォリティーにとても満足しました。

とくに35mmレンズで撮ったカットが発色、解像度ともに良い出来で感心しましたが一歩立ち止まって考えてみると、カメラ本体と同時期に同じメーカーで製造された純正品の組み合わせですから、これで本来持って生まれた使われ方でその性能を発揮しているわけなので当然といえば当然な結果なのでしょう。

今回はカメラの健全性を確かめるためのチェックということで24枚分をなるべく早く撮りきるようにしましたが、このペースでいつもいつも撮りまくっていたら、プリントを注文しないことでいかに費用を抑えようともお財布の余裕が無くなってしまうので使うべき時をじっくり考えて判断しながら撮らなければなりません。

とはいえ、世の中の写真用途のほとんど全てがデジタル化した今となってはフィルム撮影による写真が一般からいつの間にか絶滅してしいることも十分に有り得ることです。

フィルム写真には被写体の存在の際まで写り込むような独特な質感と存在感が醸しだされているような気がします。

以前からフィルム写真を再開したいと密かに思い続けていましたが、まだ一般の市場に手頃な価格で買える商品として各種のフィルムが並び、撮り終わった後の現像も近くのお店で短時間で出来る今が丁度良い頃合いなのかもしれません。

鮮明な画像が手軽で確実に撮れるデジタル写真とは一味違った表現手段として新たな視点からフィルムによる写真撮影を活用出来ないか模索を始めようと思っています。



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ここ最近、更新が滞り気味ですが、原因は神経疲れによるおそらくはヘルペス菌?か何かによる痛ダルい風邪のような症状と来たる植物アレルギーの季節到来のダブルパンチです、、orz

多分、今月いっぱいから来月前半にかけて重だるい症状が続くことが確定的です。

毎年相も変わらず訪れる嫌な季節ですが、これも因果な宿命の類いだと思って観念しています。

そんなテンションの上がらない状態でも、体調の優れない時と次の波のほんの隙間を縫って出来ることに取り組もうと思っています。

どんなに体調が悪い時期が続いても、創作に対する意識と集中だけは途切れさせないという自負も少しはありますが、気が付かない内に疲労が蓄積していたのか先日はさすがに完全ダウンしてほぼ一日中布団の中から出られませんでした。

どうにか病院の薬に頼らずに養生して回復を図っています。

今回は高熱が出たりはしていないのでそんなに深刻な症状ではありません。

ただ、前述のとおり、これからアレルギーの季節が本格化することから、この身体の重だるさだけはそう簡単に抜け出せそうもありません。

創作活動の方は執筆本番に向けて具体的なプロットをようやくまとめられる段階までこぎつけましたが、ここで作品の根幹を左右する新たな課題にぶつかったので、作業の前進を一旦停止しています。

表題にある通り、主人公の親子関係(母娘)をどう描くかという問題です。

ここは作品の根幹となる大事な支柱の一つと考え、出来るならなるべくシンプルで前向きなメッセージとポジティブな結末に持って行きたいのです。

この小説の仮題「PT」の構成は主人公(女性)の視点から準主人公(男性)=テーマの主人公の生き様を描くというやや古典的ですが比較的凝った構成を採用しています。

どうしても男性の主人公の生き様はポジティブなものばかりではないので、女性の主人公の生き方とのバランスの中でポジティブさを見出したいのです。

空想の世界ではなくバリバリの現実社会の中で登場人物たちが生きている設定なので、それぞれの人生の中身は一筋縄ではいかない問題や課題を抱えていることになります。

それをそのままリアルに描いただけでは創作物としての感動や醍醐味は生まれないので、取ってつけたような理想や願望の類には走らずに、本質的な人生のポジティブさをここで明言すべきだと思い至りました。
 
物語の序盤から登場する主人公と母の場面を描く段階で基本的な筋書きを決めてかかるべきだと踏んでプロット作成作業を進めています。

母娘の同性同士の親子の友情を描くのか、または生きた年代や世代を超えた確かな人生観の継承なのか、そのテーマ性と織り込むメッセージはまだはっきり決められていませんが、この時間を有効活用して深く掘り下げてから決めていこうと考えています。

ネガティブまみれの否定意識ばかりがはびこる人間社会できらめくようなポジティブな感動場面などウソ臭くなく描けるものかと厭世的に捉えがちですが、やはり創作物にはそういった単純明快な前向きさがどこかに必要だと書く側の立場に立ってようやく合点がいきました。

親友同士の命を賭した真の友情模様を描いた古典の名作と言えば太宰治の「走れメロス」が思い立ちますが、個人的には学校の授業で習った時に教科書で読んだだけで特別これといった感銘を覚えた記憶はありません。

反対にネガティブな内面吐露を延々と赤裸々に綴った「人間失格」の方は割りとまじめに読んで少なからず共感できた記憶があります。

あの少し漫画っぽい古代ローマ時代を背景としたメロスとセリヌンティウスの友情物語は、この作品が書かれた軍国主義一色の戦争へひた走る人間性も地に落ちつつある暗黒の時代にさなかで、憲兵の検閲に引っ掛からずに人間性あふれるメッセージを内包した小説作品を世に送り出すための苦肉の寓話作だったのではないかと、個人的に類推するようになったのは大人になって色々な社会事情を歴史的背景から理解できるようになってからです。

いずれにしても、しがない作家志望とはいえ、一創作物を記して世の中の人々にいずれは披露したいと思う者にとって、その時代のリアルな背景がいかなるものであったとしても、可能な限り人間的でポジティブなメッセージを最低限一つ以上は織り込もうとする努力は、小説作品を届ける名も知らぬ人たちへ向けて真にポジティブな影響と前向きに生きる力の糧となれるようにするための作家として必要不可欠な取り組み姿勢だと考えています。

今日は相も変わらず体調不良の愚痴といつも変わり映えしない途中経過報告でしたが、作業は着実に進んでいて身体の重さとは裏腹に気持ちは軽く前向きでイイカンジです。

何よりも冒頭から序盤にかけてのまとまった分量の構成が具体的なプロットとしてまとまりつつあることは嬉しい事です。

序盤までは破錠のないストーリー運びで書き出せる準備が整いつつありますが、中盤から後半にかけて、さらに作品全体を最初から最後まで貫く主要な幹線が幾つかあることを発見したので、これをしっかりと見定めてから決めないと、後々辻褄が合わなくなる迷走の原因にもなりうることから、ここはより慎重に作成作業を進めていこうと思います。

とにかく今は養生しながら適当に症状をあしらいつつアレルギーの季節を乗り越えることが先決です。







いつものリサイクルショップのジャンクワゴンで出会った懐かしい一眼レフカメラ。

相当こすけて薄汚れていたけれど、丁寧に磨いてやると輝きを取り戻した。

巻き上げレバーを恐る恐る引いてみると確かな手応えとともに回転した。





シャッターは小気味よい音とともに落ちた。

布幕横走りフォーカルプレーンシャッターは先幕、後幕共に元気よく問題はないようだ。

低速シャッター用のスローガバナーも若干の鳴きを伴いながらもきちんと動いている。

これは使えると踏んでごくフツーの24枚撮り一本を買ってきた。

スリットにフィルムの先端を差し込んで位置を定めてから巻き上げレバーを引いて空シャッターを切るを2度繰り返して裏蓋を閉じた。

ミラーショックを受け止めるモルトは交換してある。

アルコール清掃と簡単な補修を施しただけのこの古い機械式一眼レフカメラが無事ノートラブルで一本のフィルム分を撮りきれる保証は無い。

とにかく試し撮りあるのみ。

久しぶりのフィルムによる写真撮影の感触を楽しもうと思う。

まだ何をどう撮るかは決めていない。

カメラのフィーリングがそれを教えてくれるだろう。




 




先週中、いつもの日課で部屋の掃除をしていたら、急に掃除機の電源が点いたり消えたりを繰り返すようになり、やがてウンともスンとも言わなくなりました。

どうやらご臨終のようです、、(-人-)ちーん。
 
日立のごく安価なサイクロン式掃除機、導入してから9年目のある日に起きた突然の出来事でした。

普段から使い慣れていた家電がダメになった時、いつも軽いショックと喪失感に見舞われるものです。

毎日かかさず使っているほどマテではないので、そんなにハードな使い方をしていたわけではないのですが、買ってから9年ほど使えたということは最近の白物家電としては平均的な寿命なのでしょうか。

 
 

そこで先週末、地元のドリフからマルコな電器店に変わったケーズに出向き、予算内で収まる中から新しい後釜を選んできました。

ほとんど瓜二つの日立製サイクロン掃除機を買いました。

手前が新型で奥が壊れた旧型です。色とかたちが若干違うだけで、本体からホースまで同じ構造とデザインです。





中のダストボックスは入れ替えて使えるほど同じものですが、さすがにフィルター部分が改良されているようで若干形状が変更されていました。

最近流行りの2段ブースト式サイクロンの近未来的なデザインの製品にも惹かれましたが、構造が凝りすぎていて扱いが神経質そうなのでオーソドックスでリーズナブルなこのカタチに落ち着きました。

サイクロン式掃除機といえば某英国製舶来品の特許技術による強力な吸引力と微細なチリも完璧に除去する空気清浄機並みにクリーンな排気も凄いですが、標準的な国内メーカー製の2倍以上の値段がする上に耐久性も2倍以上というわけではないでしょうから、ごくしがない庶民の感覚としては消耗品の家電にそこまで費用を投じることは難しいなと思うところです。

この日立製のシンプルなサイクロン掃除機の使っていて良いところは、ダストボックスの中にティッシュを挟むことでゴミ処理が容易なこととフィルターも含めてボックス自体を丸ごと水洗いできることです。

ボックス内のゴミはほぼ毎回捨てなければすぐに一杯になり、フィルターは2回ごとに掃除しなければ目詰り気味になるなど、従来の紙パック式に比べて処理に手間暇がかかりますが、長年使った掃除機に特有の嫌な匂いが排気から勢い良く吐出されることがほとんどないことが最大の魅力です。

半病人の自分を筆頭に家族全員が何らかのアレルギー体質らしいので、この排気の清潔さは重要です。

3回から4回に一度はボックス全体をバケツの中で水洗いします。

そうすると中の細かい汚れがキレイに流れ落ちるので清潔です。

旧型のサイクロンが壊れた原因は水洗いしても繰り返し使えるフィルターの劣化だったのかもしれません。

予備のフィルターを一個用意して2個体勢で使い回していましたが、そのどちらも長年の使用で目詰まり気味で、知らないうちに吸引抵抗が増していてモーターに過負荷が生じていたのかもしれません。

繰り返し利用可能とされているフィルターも出来れば3~4年経った時に新品に交換すべきだったと思います。

前回購入した9年前は予備のフィルター自体が補修用部品扱いで、購入した量販店から注文扱いで手配してもらいましたが、今は正規の予備部品としてカタログにも乗っているのでネット通販で買えるようになりました。

移り変わりが激しい家電製品の中で、10年近く前から変わらないデザインのオーソドックスな製品が生産中止にならずに今でも新品で購入できることは、使い慣れた製品を長く愛用したいと考える自分のような者にとっては喜ばしいことです。

おまけに今回購入した掃除機が安価なものにもかかわらず国内工場生産だったのも嬉しいことでした。

日常の掃除の頼れる相棒として活躍が期待されます。



 



ここ最近、出不精が続いていたので重ダルさを振りほどいて午後から出かけてきました。

向かった場所は千歳線平和駅隣接の札幌貨物ターミナル駅近傍です。

貨物会社所属のDD51型機関車最後の1両が入換機代用をこなす姿を名残惜しみに撮影した昨秋以来の訪問です。

地元駅から札幌方面へ各駅停車に乗車して1、2、3、4駅目で乗り換えて少し戻るかたちの隣駅で下車、改札を出て細長い階段を登り駅内を出ると貨物ターミナルを横断する南北自由通路に出ます。

発着する長大な貨物列車や広い操車場の風景を一望できる自由通路ですが、窓ガラスの曇り汚れが年々激しくなっておりせっかくの隠れた眺望の名所も型無しの状態です。

そんな按配なので、通路上での撮影は早々に諦めてスルーしました。

自由通路を抜けてしばらく歩くと札幌新道上からのビューポイントへ繋がる階段の前までたどり着きました。




階段を登り切った踊り場から撮影開始です。

最後のDD51が火を落としたのと入れ替わるように最新型のハイブリッド機関車HD300型の寒冷地仕様車が導入されました。一冬を無事に乗り越えて今春からは元々の主だったDE10型へも完全に引導を渡してあっという間に世代交代を完了させました。




視点を遠くへ向け直すと、今年の3月で御役目を終えた定期北斗星用青い客車群が大量に縦列駐車していました。

海外譲渡を念頭に置いた一時的な保管措置というのがもっぱらの予測ですが、実際は海外輸送時の手配の関係などから中止されることも考えられます。




気を取り直して視線を手前に戻すと、目の前に遅咲きの八重桜が見頃を迎えている様子が目に止まります。以前からのこの場所の桜は電車の車窓から目についていたので気になる存在でした。もとの主だった国鉄型機関車たちが活躍しているうちには間に合いませんでしたが今日ようやくハイブリッド機関車とのコラボを撮影することが叶いました。





発着する貨物列車の出し入れが一段落すると定位置に駐車し一休みとなります。

わずかトラックほどの馬力しかない発電用のエンジンとバッテリーに蓄えられた電力だけで重量級の貨物編成を出し入れする姿に軽いショックを受けながらも感心しながら見ていました。

つい最近まで貨物ターミナル駅構内のいたるところで鳴り響いていたV型12気筒エンジンの吹き上がる咆哮の音に代って、聞こえてくるのは物静かな交流モーターの控えめな唸る音だけという変化に移ろう時代の流れを実感します。




せっかく普段来ることのない場所まで来たので、撮影を程よく中断してあたりのショップなどを散策しました。

それからまた元いた場所まで戻り夕方まで観察し満足したところで帰路につきました。

国鉄時代からの古強者は去りましたが、赤い小さなハイテクロコが行き交う風景もまたヨシかなという気持ちで帰りの列車の車窓から彼らの姿を見つめていました。

今日は相変わらず重くかさばるカメラバック一式を担ぎながらの行動でしたが、途中、長い階段の昇り降りや街中の散策を楽しむなど、いつも使われず惰眠を貪っている身体にとっては確実に良い刺激と適度な負荷となりました。

いつも家の作業場に引きこもったまま今詰めていると頭の中も徐々に煮詰まってきてよくありませんが、たまに他所の場所まで出かける目的をもって行動してみると、意外に新鮮な刺激となって思わぬアイディアが浮かんできたり、今までずっと整理がつかないままだった事柄が知らぬ間にスッキリまとまっていることさえ起こります。

これからも多少の体調の浮き沈みがあっても積極的に外の町まで出かける機会をもうけたいと思っています。
 





今年もこの日がめぐってきました。

現時点での人生行路を再点検しながら見なおしてみる一日です(-_-;)

もうすでに特別お祝いすべき年齢は過ぎていると思いますがケーキ買ってもらえました(;_;)

そして、ささやかながら自分自身へのご褒美としたことは、今日一日だけ残りの分量を気にせず好きなだけ青汁を飲みまくることです、、、orz



 
何もないと絵面がさびしいのでテキトーに庭のタンポポの写真なんぞを貼ってみました。

黄色い雑草花の輝きが眩しいくらいです。

自分の人生こうありたいものだとまでは思いませんが、そういえばタンポポってお茶にもなるんだっけと思ってみたり。





特別これといった感慨はないのですが、三十路の道に入り込んでから早三周年ということで、あらためて自らの思いのたけを確認したいといったところでしょうか。

毎年歳を重ねる毎に悲壮感とやらが募っていくのかと思いましたが、予想に反して気分が軽やかになってきたというか、二十歳代の頃まであった根拠のない無謀な自信過剰や自意識が消えて無くなったかわりに、今度は妙に根拠のない精神的な余裕のようなものさえ感じられるようになりました。

どちらにしても根拠の乏しい内面的な実感なのですが、確かに、若い時に在りがちな余計な思い込みからくる強い錯覚に縛られなくなったようで、わりと物事や自分の置かれた状況をありのままに近く見渡せるようになってきました。

もう少し分かりやすく言い換えると、自分の置かれた状況や関わる物事との関係に社会的な良し悪しはあまり関係がないということに思い当たったということでしょうか。

もっと単純に言えば他人の考え方や判断を気にする必要は無かったということです。

自分に自信がないと知らず知らずのうちに他人様の判断基準や考え方を仰ぎ見てしまうものですが、一見して自分とは正反対に自信満々に見える他の人の行いや考え方も、実はその人自身が必ずしもしっかりとした考え方や信念に基づいてそうしているのではなくて、その人もまた他の人からの視線や評価を仰ぎ見ながら、恐る恐る旗色をうかがうことで自信に代えているといった様相が透けて見えてくるようになったりもしました。




そんな未だ甲斐性のないアホンダラな飼い主を黙って見つめているにゃんちょんさん。

ちゃんとこちらの体調加減や機嫌の良し悪しまで推し量ってくれる飼い主とは似ても似つかぬほどお利口さんです。いつも無条件に寄り添っていてくれるにゃんちょんさんには言葉には言い表せないほど感謝しています。





創作活動の方は思いのほか順調に推移しています。

物語の骨格と主要な人物像のカタチがようやく固まってきました。

序章の一部分だけでも実際の原稿に書き出せる日は近いです。

一番の課題は体調管理で、それに次ぐ課題は書き手である自分自身の心境の変化によって作品の表現スタンスが二転三転してしまうことでした。
 
 世の中の流行の先端を追いかけるようなことは最初から考えていなかったので、その点ある種のブームやトレンドに乗り遅れるのではないかという不安や焦りに陥ることはありませんでした。

次に懸念されたのは、ここ最近の予想を上回る勢いでめまぐるしく変化する社会情勢に呼応するように、人々の価値観の在り方や趣味趣向の矛先が微妙にかつ断続的に変わり続けているという難しい情勢が上げられます。

ついこの前まで輝いていた比較的に有名な作品のストーリーパターンや人物描写が急に色褪せてしまったように魅力を感じなくなったり物足りなさを覚えるようなことが立て続けに起きています。

ある意味、創作家を志望する者にとっては残酷かつ高難易度な時代になったと言えます。
 
自分自身の作品の構想に向き合う段階でも、いったいどういった方向性と視点からストーリーを決めて人物像を描き出せばよいのか、迷いながら手探りで思考し続けるしかありませんでした。

そういった出口の見えない長いトンネルの中を進むような時期が続いた後、どうにかして自分なりの対応策と主に自分の内面の意識構造を見直すことで、この激しい変化の時代にも意識的に追い付いていける道筋が見えてきました。

よく作品の中の人物が一人歩きを始めるというようなことが言われますが、作品それ自体に生命が宿るように、半ば自動的に物語の構成と登場人物たちが動き始めるようになれば理想的です。

一昨年の全く勢いだけで書いた短編作の執筆時は途中で作風や人物像がブレて変わってしまうことを懸念するあまりに、合間の休息を極力避けて気合と根性で一息に書き上げるといったスタンスを採りました。

結果は理想には程遠い出来栄えだったことは以前の記事の中で吐露しましたが、今回はその反省を十分に踏まえた上で新たな対応策を練って名づけて”牛歩戦術”を採ろうと考えています。

一つの作品の構想につき、ほぼ無限とも言える視点と書き方のスタンスが存在します。

この最初の選択の違いで同じ構想と人物像の作品でも全く別な個性を持った異なる趣向の作品に変化します。

それは作品の最終的なクォリティーをも決めてしまいます。

自分が長年かかって生み出し育んできた作品の構想のどれ一つとっても無意味な駄作で終わらせたくありません。

これまでは失敗しないことに重きをおいて来ましたが、これからはもう一歩積極的に、どの一つの作品をとってもベストを尽くして傑作レベルを貪欲に狙っていけるように一層のレベルアップを心がけていきたいと考えています。

牛歩戦術を実施することで、執筆作業を1シーンずつ細かく区切りそれぞれの作業に専念し、疲れたら合間をおいて十分な休息をとり、体調が回復してから執筆作業を再開することで出来るだけ良好なコンディションを維持しながら作業を継続していきたいと思います。

一見してもっとも効率の悪い方法のように思えて出来れば避けたいと考えていましたが、作業の中断によるモチベーションの低下や作風の乱れさえ予防できれば、かえって慣れてリズムを掴んだ頃には効率よく書けているような気がしています。

頭の中で次から次へとランダムに湧いてくるアイディアを創作ノートに書きとめながら、未完成の断片がグシャグシャな状態で溜まっていく状態を繰り返すよりはずっと効率的で生産的だと思われます。

まあ、今のところはそんな感じですが、とりあえず今回の記事をもって三々三十路突入時の所信表明のようなものとさせていただきたいと思います。

今後もあまちゃん創作家の前途と成り行きを木陰からこっそり見守っていただけたら幸いです。
  
 

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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