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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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最近、短時間のショートながらプチ撮影に出かけていますが、撮影のメインがデジタルからフィルムにいつのまにか逆転している状況が続いて釣果をリアルタイムでアップできないでいます。



昭和のアナクロ機械式フィルムカメラも今のところ好調なようで、2本目に装填した36枚撮りのフィルムを撮り切れるまであと少しというところです。

先週末はタイミングがよろしくなく、家で諸事をこなしながら待機中でした。






列車の走行写真も撮りたいということでISO200のフィルムを探しましたが、カラーネガフィルムはこのコダックのゴールド200しかないということでヨドバシで購入していたものです。

フジの200はとうに生産中止で、渋い色彩と描写で有名だったコニカのセンチュリアもすでに市場から消えて久しくなりました。

一番常用されるISO400のフィルムはフジとコダックの二枚看板がそれぞれ高級仕様と通常品を出していてまだ十分な選択肢があります。

ただ、ISO400のフィルムは特有の粒状感が目立ち過ぎてデジタルで読み込んだ際に画質的に良くない印象を持っていたので、できればISO100の低粒子のものか、その間を取ってISO200あたりを使いたいと思っていました。

デジタルでも使っているレンズの常用F値と動く列車を止められるシャッタスピードの組み合わせが出しやすいISO200の設定は比較的に多用してきました。

ということで、レンズは今まで使っていたものでカメラ本体だけがデジタルから機械式フィルムカメラに移行しただけで、実際の取り回しはそれほど変わらない条件となりました。

カメラ本体に内蔵されている露出計は販売が中止された水銀電池使用で代用方法はありますが、実は一度も電源を入れたことがなく、露出はもっぱら外部の簡易な判断方法によって適当な値を手探りで求めながら撮っています。

それでも大きく外すことがないのは結果がその場で分かるコンパクトデジカメのアシストと、露出がシビアなポジやモノクロでは適用されないカラーネガのオーバーよりな露出でもそれなりに写ってしまう幅のある特性によるところが大きいです。

コダックのゴールドシリーズはもともと安価で低廉な写りのシリーズで、昨今の超高精細な高級デジタルカメラの画質とはどう逆立ちしても太刀打ち出来るものではありません。

ケータイカメラから超高画素のプロ機に至るまで原理的に可視光帯域以外をスッパリ完全に切り落として記録するデジタルカメラに比べて、3つの色の感色層を異なる性質の化学薬剤の微妙な変化で記録するフィルム写真の画質は、目に見えるか見えないかの境目を越えた先も曖昧なまま記録し続けているようで、そこで写し出された被写体の複写像はどこか現実のそのものよりも独自の実在性を主張しているさまが写し出されるような気がしています。
 
時代の変化は避けようがないと今年に入ってからはなおのこと感じ入っていますが、せめて去りゆく時代の実像を写真として記録に残す際に、今の現実が過去の記憶とかした未来になって振り返った時に、その記録の中に存在する者たちの姿形から新たな意味と価値観を導ける何かを一緒に封じ込めておきたいと思うのです。

まだこれまで撮った30枚ばかりのカットの出来栄えは判明しませんが、狙い通りかそれ以上に撮れたカットもあれば手ブレやピンぼけで撃沈なカットもあるかもしれません。

それとここ最近フィルム写真に意識をフォーカスし始めたためか、より撮影においてあると便利な品々がどういうわけか手元に次々と集まりつつあります。

撮影の結果が分かるまでにはまだしばらく間がありそうですが、出来上がった写真ともどもそれらの新戦力についても少し触れる機会があるかもしれません。



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先日に引き続きスピーカー関係の話題です。


一応のメインシステムである小型PAスピーカーがあるのですが、以前一時的に家具の配置換えでステレオ装置を撤去していた時期がありまして、その時の保管方法が杜撰すぎてスピーカーのエッジにカビが生えてしまい劣化が進行してしまいました。

まさに不注意による痛恨のミスという感じでしたが、まさかレンズのようにカビが生えるとは思いもよりませんでした。

ダンボールの中にそのまま仕舞いこんで部屋の片隅に長期間置いていたことが原因でした。

普段からレンズの保管には気を使っていましたが、これを教訓にオーディオ装置の保管にも気を使わなければと反省しました。

PAスピーカー=拡声用スピーカーということでコーン紙に簡易防水処理が施されているので多少ラフに扱っても大丈夫だろうという判断が甘かったようです。

防水処理が施されたコーン中心部は清掃だけで全く問題ありませんでした。

ところが周辺のエッジ部に生えたカビが表面の紙をボロボロにして裏地の素材が一部露出しているような有り様でした。

エッジ自体は裏面の布がしっかりしているのでウレタン製のように全体がボロボロになって崩壊するようなことはなく音も問題無く鳴らせる状態でした。

しかし表面がボソボソになってダンプが効かなくなった分、音が少しカサついたような感じがして、このまま放っておいて劣化が進行するとユニットそのものを交換するかオリジナルとは違う代用素材で新たにエッジを貼り直すしかなくなると思われることから補修方法を考えました。

最初に思いついたのは木工用ボンドを水で極薄にしたものを筆で塗りこむという古典的な処方でした。

でもそれではボンドが固まった後に頑丈な皮膜ができても、柔らかさと同時に適度な弾力性が保てずスピーカーのエッジとして求められる機能性が損なわれてしまいます。

硬くなったエッジでは劣化の進行を抑えることができても音が痩せて元の豊かな響きは2度と出せなくなってしまいます。

そこでスピーカーの補修方法を便利なネット検索で色々調べてみると、新品の代用素材へ張り替える方法や市販のシリコンシーラントを盛って整形する方法など、テープを駆使したかなり強引な力技まで様々な手法を見つけることができました。

その中でヴィンテージオーディオを専門に扱う会社のページに辿り着き、その会社が独自に販売している補修材を見つけました。

高級オーディオ用品に在りがちな”塗るだけで音質アップ2万円”みたいなことはなく、必要な分量だけの小瓶販売で850円というとてもリーズナブルで良心的な価格でした。

補修材の詳しい説明を読んでみると水性塗料のように筆で塗りこむだけでよくエッジの強度を向上させる効果が期待出来るということで早速注文を入れました。





すると次の日の午前中に届いてしまいました。

石狩市の花川という場所で営業しているファンテックさんという会社のお店です。

そんな地元の近場でディープでマニアックな商品を扱うお店があったとは驚きです。

外から荷物が届いた時恒例の匂いチェックが済むと開封です。





 
中身はこんな感じで今回使用するのは左のグレーの小瓶です。丁寧に筆まで付いてきて新しく買う必要が無くて助かりました。右の白い小瓶の方は水性の接着剤でスピーカーのコーン紙が剥離した場合に使うものです。

性質は木工用ボンドに似ていますが、乾燥後も完全に固まること無く弾力性を維持するところが異なり、これもこの会社で独自に開発したものとのことです。

今後、スピーカー補修用以外にも使うことがありそうなので一緒に購入しておきました。





にゃんちょんさんの顔やひげにダンプ剤が着いて取れなくなったら困るので狭い玄関に新聞紙を敷いて作業することにしました。

即日で作業に入るのは少し忙しない気もしましたが準備も一通りできていたので早速始めることにします。






塗り終わって乾燥中の画です。と言っても元が黒一色なので画像ではほとんど違いは分かりません。原液のままでは弾力が強すぎるので田宮模型の塗料皿に必要量だけ移してスポイトで水を加えながら調度良い加減になるまで薄めました。筆先の加減で適当に混ぜていましたが大体原液7水3くらいの割合になったと思います。それでも乾いたあとは結構強い皮膜を形成していました。





塗りこんでから1時間くらい自然乾燥させて表面を手で触れる程度の半乾きの状態になるとアンプにつないで早速音出しをしてみます。

この時点では水分が完全に飛びきっていないので本来の音で鳴ることはありません。

耳で微かに聞こえる程度の微小な音量でCDをかけ続けました。

ダンプ剤が乾いて固まるまでに音の振動を僅かに与えることで振動パターンを”記憶させる”というおまじないです。(はたして効果あるかどうかは定かではありません)

翌日になって完全に乾いたことを確認してから徐々に大きな音量で鳴らしてみると以前の瑞々しい元気のあるサウンドが蘇っていました。

半乾き時点の音では若干ダンプ効果が効きすぎた感じで抑揚のないつまらない音になってしまったように感じましたが、乾燥が充分に進んで水分の重さが飛んだ後はこのスピーカーが本来持っている溌剌とした音に戻っていました。

正直なところ、こういった補修材を一度用いると本来の音質から変わってしまい、ある程度損なわれてしまうことは避けられないだろうと思っていましたが、予想に反して以前よりも音の暴れ方が減って明瞭な聞こえ方がするようになり結果的には大成功だったと思います。

さすがに名品オーディオ機器を専門に扱う会社が手がけた補修材だけあって音質への影響を吟味され尽くして造られたことが補修後の良好な音質からもうかがえます。

今回補修した比較的ありふれた拡声スピーカーならいざしらず、ジャズといえばJBL、クラシックといえばタンノイなど、その方面では言わずと知れた50年以上前の名機を現在でも良好なコンディションを保って鳴らし続けることは相当な苦労と配慮がなければできないでしょう。

今回お世話になったエッジ補修用ダンプ材にしても音質への影響を最小限にとどめながら元の素材に無害な性質の最適な配合を求めるだけでも相当な試行錯誤を要したことが想像されます。

長らく気にいって使ってきた拡声用スピーカーが元のいきいきとした音質を取り戻すことができて本当に良かったです。
  
  





タイトルが過去形なのは音が出なくなってしまったからです。

購入してから10年目になりましたが、ある日動画を視ていると、突然片方のチャンネルから音が出なくなりました。それから色々復旧を試みましたが回復することはなく、これ以上手をつくしても無駄ということでミニター横の定位置から撤去しました。




ボーズのコンパニオン2というパソコン用アンプ内蔵スピーカーで、このクラスの製品の中では音が良いことで評判のスピーカーでした。

そういった良い評価の一方で製品としての作り自体は価格相応という感じで、特にボリューム回りや左のスピーカと右スピーカーのアンプ部をつなぐ端子部が貧弱で買った直後からトラブる例も少なくないようです。

うちの場合もご多分に漏れず、ほんの少しプラグの差し込み具合が悪いとすぐに左のスピーカーが鳴らなくなる症状がありました。

ただ、これは加減の問題で調度良いところを探せばきちんと音が鳴るので初期故障というほどではありませんでいた。

今回故障したのはよくある左チャンネルの症状ではなく、反対のアンプを内蔵した右チャンネルから音が出なくなるというものでした。

スピーカーユニット以外に何も入っていない左チャンネルはおまけみたいなものですが、アンプ部を内蔵した右チャンネルはいわば製品の心臓部ですから軽症ではありません。

電源は問題なく入りますし左チャンネルからは問題なく音が出るので完全に死亡したわけではないようです。ちなみにヘッドフォン出力は左右とも問題なくなります。

そのような症状で考えられることは何らかの安全装置が右チャンネルのスピーカー出力だけ働いてしまったと考えられることからしばらく電源から外して放置していました。

こうすることで内部の回路のコンデンサーが放電され安全装置がリセットされることがあるのです。

三ヶ月近く放置してみましたが、久しぶりに電源を入れてみても結果はまったく変化なしでした。

こうなれば保証期間もとうに過ぎた製品ですからレッツ分解でゴーとなるはずなのですが、この製品に限ってそれができないようになっているのです。

プラスチック製の筐体は正面と後ろのモナカ構造なのですが、これを分離するためのネジ類が入力端子固定用の一本だけを除いて一切無いのです。

つまり強固に接着されたハメ殺し構造なのです。

後は馬鹿力に任せてこじ開けていくしか方法が無いのですが、そうすれば弱いプラスチック製の箱は変形するのは目に見えていますし、下手をすれば完全に割れてしまいそうです。

これがメーカーの方針なのか、ユーザーによる不用意な分解を予防するとともに自前修理を不可能にして速やかに買い換えさせる意図がありありと覗えます。

中を開けて基板さえ確認できれば、アンプ部が完全に死んでいないことから、きっと信号出力に直接入る一個100円もしない電解コンデンサーが飛んでるだけといった程度の症状だと思われます。

ちょっとしたハンダ付けの技術と予備知識さえあれば簡単に修理できるものです。

また、基板の中でわざと寿命の短い部品を使ったり、取り回し上華奢な部分を作ることで強度を落としたり、接着によるハメ殺しを含めて構造をわざと複雑にするなどしてメンテナンス修理をしづらくすることで壊れたら即新しい製品に買い換えるように促すようになっています。

こういったメーカー側の意図を寿命の適正化と言い、1980年代頃から家庭用電化製品のみならず自動車や鉄道車両など大小様々な工業製品に取り入れられるようになりました。

メーカー側は暗に認めることはしないでしょうが、こうった寿命低下のための技術設計思想は今やあらゆる業種の製品メーカーに行き渡り、国柄やメーカーによってはかなり露骨なやり口があります。

最近のスマホやタブレットの分解不能な構造や予備バッテリーの交換さえ不可能な仕様もそうです。

カメラ関係ではプラスチック化と全自動化が盛んに行われた90年代のC社のゴムダンパーの溶解によるシャッター開閉不良が大々的に起きたことが有名です。

家電製品ではS社の製品がとりわけ壊れやすいという印象が広まったせいか◯ニータイマーという都市伝説的フレーズも生まれました。

鉄道車両では主に90年代に登場した車両が軽量化のやり過ぎによる強度不足で想定外の歪みや亀裂が生じて半分以上の寿命を残したまま早期廃車になった事例があります。

また省エネとコスト半分を大々的に謳って登場した首都圏の(当時の)次世代型通勤電車が文字通り全ての窓が開閉不能のハメ殺し構造で、超満員のラッシュ時に起きた停電による緊急停車時に長時間にわたって空調が止まり蒸し風呂状態で放置された結果、多数の乗客が熱射病で救急搬送される事態が発生しました。

パソコン関係ではマザーボードのCPU回りに配置された電源供給用電解コンデンサーが某国製の粗悪品ばかりだったために使用後数年で破裂する事態を繰り返し以後信頼性の高い部品に交代するまで続きました。

ごく最近の製品でも高性能な新型コンデンサーという触れ込みでタンタルコンデンサーという壊れる際にほぼ確実にショートする部品を多用したメーカーの製品を見かけましたが、いつのまにか従来の手堅い選択である普通の個体コンデンサーに戻っていました。

タンタルコンデンサーが壊れるとかなりの確率でショートすることから本来流れてはいけない経路で強い電流が流れることで周辺の回路に重大な被害を与えかねません。

どうしてもタンタルコンデンサーを使わねければならない特殊な回路でない限り、ざっと基板を見渡してタンタルコンデンサーを多数発見したなら、その基板を積んだ製品はわざと寿命を短くしている可能性を疑ってかかるべきです。

自動車関係でも最近の異常なリコール件数の増加もこういった思想と全く無関係であるとは言い切れないでしょうし、低燃費化されたエンジンやベルト式のCVTミッション、起動と停止をせわしなく繰り返すアイドリングストップ機能やハイブリッド車の複雑な電気系統など、ユーザーの不用意な使い方次第で寿命に影響しかねないデリケートな機能構造が採用されています。

こういった一般のユーザーには分かり得ない設計者だけが分かる手口手法で寿命の適正化が図られている事例は無数に存在するでしょう。

そういう自社の製品の寿命をわざと削ることに熱心になりすぎると、製品の適正な寿命を迎える前に症状が大々的に表れて、重大な故障や事故の原因になって却ってリコール費用などで莫大な損失を出してしまう場合もありまさに諸刃の刃です。

製品の回転率を上げてより早く新製品を買わせることで産業界全体の利益を上げようという魂胆なのでしょうが、それによって生活必需品である家電製品や自動車などの高額な工業製品の買い替えが促進されて、その分だけ余計な支出を強いられているわけですから、私たち一般の消費者にとっては為す術がないとともに余計な負担を押し付けられていることになります。

まだ根本的には使える製品を短期間で廃棄しながら新しい製品を作り続けることで資源の浪費と産業廃棄物の増加、さらに地球環境を壊す汚染物質の放出など二重三重の意味で環境破壊を進行させています。

製品の買い替え需要が促進され経済の発展と税収の増加が見込めるという見方がこれまでは優勢でしたが、その製品を製造する大企業のほとんどがグローバル市場の競争に勝てないという理由から様々な優遇策や租税回避方法を駆使することで、法律が定める納税率よりも圧倒的に少ない税金しか収めていません。

そういった問題を指摘する専門家の説によれば、あれこれ理由付けをして納税回避を繰り返してきた大企業がしっかりきっちりと税金を収めていたなら、消費税を完全に廃止してもまだお釣りがくるほどで、今後増大し続ける社会保障費についても充分に対応できる額に上ると分析しています。

また海外の消費者の視点からも、信頼性が高く長持ちする日本製品という長年の積み重ねによって定着した良いイメージが安易な製品寿命の適正化によって、より安い中国製や東南アジア製の製品と比べても機能が充実しているだけで長持ちしないとなれば、2倍以上の価格で売られている日本のメーカー製品はセレブ向けの高級品として多数の一般消費者の選択から敬遠されれるという結果を招いてしまうでしょう。

現実にテレビや白物家電といった生活必需品としての家電製品の市場では日本メーカーは完全に敗北をきしています。

世界の家電市場における日本メーカーのシェアの大幅な縮小は今後も続き急速な再編と業績のさらなる悪化が避けられなくなりつつあります。

21世紀になった直後から始まったあらゆる市場のグローバル化の熱狂が世界を覆う巨大な蜃気楼に過ぎなかったという真の現実に今や地球上のほぼすべての国々がそれぞれの立場で直面しています。

目先の利益至上主義の弊害と毒が全世界に回り始めていると言えそうです。



PS)
小さなスピーカー1セットの話から随分大きな視野へと話が飛躍しましたが、あらゆる物事はマクロからミクロへとその正反対も含めて双方向に繋がりながら常に関係しているものです。今回壊れてしまったスピーカーはアメリカの有名音響機材メーカーの製品です。もともとは業務用の音響機材で有名なメーカーで店舗用のBGMスピーカーとしてよく見かけるブランドです。かなり特殊な用途のスピーカーも手がけているようで、この小さなコンパニオンシリーズに使用される小型スピーカーはスペースシャトルに搭載されたものと基本設計が同じという高性能なものです。故障の原因を探ろうと分解した例がないかネットで検索をかけたところ、別のシリーズの同型姉妹品の分解例が見つかり内部の様子を画像で確認することができました。基板を確認すると、やはりボーズという感じで普通のこのクラスの製品には見られない特徴が覗えました。まずパッと目に入るのが基板上の各部に散らばった鮮やかな黄色の小さな四角い部品です。これは高音域のノイズを減らしてスッキリとした音質に仕上げるためのフィルターコンデンサーです。直径が僅か5cmほどの小さなスピーカーユニットの性能を最大限に引き出すための専用のイコライザー回路が内蔵されているのもボーズ製品らしい特徴の一つです。一見すると貧弱で安っぽいだけのプラスチックの筐体も台形状の傾斜のついた箱にすることでパソコンに向かうリスナーの耳に直に音が届くようにするとともに、90度の直角だけで構成された真四角の形状を避けて音の発生源と設置場所との平行面をなくし、箱の内部でも定在波と呼ばれる音質をきつくしがちな共振現象が起きないように工夫されています。素材的には理想的な響きと強度を持つ木製のキャビネットでも真四角の箱状だと継ぎ目や平行面で不要な共振が起きて何の対策も施されていないと非常に聞き疲れする硬い音質になります。その点では安物とされるプラスチック製のスピーカーのほうが形状が遥かに自由度があり継ぎ目も少なく一体なので、見た目重視だけのデザインではなくしっかりと音質に配慮した設計がなされている場合はより聴き入りやすい明瞭な音質である場合が多いのです。このように専業の音響機器メーカーが手がけた製品として当然のことながら音質も1ランク上の良いものであるだけに壊れたからと言って使い捨てにするのが勿体ないのです。同じシリーズのデザイン違いの現行製品がありますが、こちらの製品は先に説明した回路上のイコライザー部が完全にデジタル化されたDSPに置き換わり電源用アダプターも音の良いトランス式から各国の電圧に対応したノイズの多いスイッチング式に置き換わっています。現行品はより臨場感が増した一方で自然でおおらかな音質という意味では旧製品に軍配が上がりそうです。信号の経路に余計なデジアナ変換が入ることが気になるのでそのまま買い換えることはしないつもりです。しばらくは予備スピーカー2号機による迂回経路のお世話となりそうです。






一昨日、赤い電車保存プロジェクトから引き換えの品が届きました。

当初の予定より若干遅れていたようですけれど500件近い応募があったそうで仕分けが大変だったことと思います。(※下のポプラ号HMマウスパッドは以前に自前で購入した品です。)





素敵な絵柄のポストカードと本屋さんで買わずに待っていた写真集が届きました。

店頭に並んだ時にちらほら中身を確認していましたがこれでゆっくりと鑑賞できます。

全体をざっと見ていくだけで赤い電車の生き生きとした表情が蘇ります。

四季を通じた鮮やかな色彩と赤い電車の強烈なインパクトの対比がこれでもかというほど伝わってきました。

47年間という短くない時間を道都札幌を中心とした道央の鉄路を駆け巡って来た存在感は決して小さなものではなかったことを、この写真集の中の一枚一枚の力作が雄弁に語りかけているようです。

風光明媚な港町小樽を出発し日本海沿岸の断崖絶壁の張碓、恵比寿岩付近の名景勝地を通り抜け銭函から先は大都会のベットタウンである星置、手稲へ至り、高層マンション群が連なる琴似、桑園の副都心を過ぎると最大のターミナルである札幌駅に到着します。

名実ともに北海道の政治経済文化の中心地である道都札幌を出ると右手にランドマークの赤いテレビ塔を横目に通り過ぎ、反対の左手にはサッポロビールの旧赤レンガ工場の煙突や共に明治期から続く道内鉄道網の中枢の要であるJR苗穂工場を見送りながらやがて急流の豊平川を渡ります。

白石、厚別、森林公園を過ぎて札幌市内を抜けると春は桜で有名な鉄道防風林沿いに大麻、高架の野幌、高砂、近郊列車の折り返し駅である江別を過ぎるとすぐに秋に鮭が遡上する千歳川を渡って石狩川沿いの平野部へ踊り出ます。

続いて茶色く濁った水面の夕張川を超えて豊幌を出ると石狩から空知へ行政区域が変わります。

幌向から上幌向まで左手の防風林と道内有数の幹線道路である国道12号線を右手に並行しながら遮るもののない一直線を走り抜けます。

やがて右手から石炭輸送用の短絡線を改修した現ルートの室蘭本線と合流し旧操車場跡の広大な空き地を見ながら古くからの鉄路の要衝、岩見沢駅へ進入します。

明治期の古レールを組んで造られたホーム上屋の下に馬橇を引いた姿の農耕道産子の木造が置かれた岩見沢で小休止を済ませると米どころの本場である空知地方のど真ん中をさっそうと走り抜けます。

広大な作付面積の田んぼや畑が視界の中をどこまでも続く峰延、光珠内を抜けると平行する国道の下をくぐり左へ大きくカーブを描き急に山が近づいて来たように感じます。

夕張と並ぶ空知地方の大きな産炭地の一つである美唄に到着、続いて茶志内、奈井江、砂川と田園穀倉地帯中を走りますが、これらの駅はみな大きな炭鉱の所在地か連絡駅でした。

先日、痛ましい交通事故による悲劇が起きた現場付近を通って国道沿いを離れると、遠く富良野盆地へ至る山間から流れ下った空知川を長いトラス橋で渡り終えると根室本線の接続駅である滝川駅に到着します。

滝川は赤い電車がデビューした1968年(昭和43年)当時の終着駅でした。

日高山地を真横に貫通する短絡ルートの石勝線が開通するまで道東方面へ向かう大幹線だった根室本線と別れて江部乙へ至ると周囲は菜の花畑で有名な丘陵地帯となり、左手に秀峰暑寒別岳を抱く増毛連山を思ったよりも近くに仰ぎ見ながら徐々に標高を上げ始めたところで初めて石狩川を渡ります。

再び田園穀倉地帯の中を通りぬけ妹背牛、留萠本線の接続駅である深川に停車、次の納内を過ぎると広大な空知の田園風景が終わりを告げて長いトンネルの中へ吸い込まれていきます。

小樽ー滝川間電化とともに赤い電車がさっそうとデビューした翌年、石狩川沿いの奇岩景勝地で古くはアイヌの時代から魔が潜むと言われる神居古潭をバイパスするために造られた神居古潭トンネルを抜けると終点旭川はもうすぐです。

氷点下30度を下回ることもある日本で最も酷寒の気候の中でも確実に走れる画期的な電車として産声を上げた赤い電車711系が47年間の長ききにわたって、そのほぼ全ての期間を過ごしたのが函館本線の小樽ー旭川間でした。

1980年には千歳線、室蘭線の電化が完成、この時から赤い電車は工業地帯や馬産地で知られる太平洋側へも進出を果たしました。

国鉄から民営会社へ移行した後も新千歳空港駅の開業とともに乗り入れを果たし最近の学園都市線電化後も短期間ながら活躍しました。

こうして振り返ってみると北海道中央部の主要な地域や文化圏を赤い電車がもれなく繋いでいたことが伺えます。

そして47年という長い活躍の間に道内の歴史文化や人々の生活スタイルがどれほど大きく変化したかを考えてみると、ある意味、実年齢以上に幅広い変化を経験した時代の中を走り抜けたと言えそうです。

1960年代といえば自動車(カー)、カラーテレビ、エアコン(クーラー)が3Cとか新三種の神器と言われていた時代です。

そう書いているぼく自身はもちろん生まれていませんしちょうど両親の子供時代で知り合ってもいない頃です。

もっとも梅雨もなく夏も比較的涼しい北海道では3Cのうちクーラーは必需品ではなく、どちらかと言うと贅沢品の類でしたでしょうから、当時の大方の人たちはせいぜい扇風機までで団扇や扇子だけで済ませる人も多かったはずです。

(そういえば赤い電車にクーラーが付いたのは21世紀に入ってからでしたがそれでも驚きました。しかし最後まで半分は国鉄印の扇風機のままでした。)

岩見沢駅ホームで見られる木像ではなく本物の馬橇がでこぼこの雪道を夏場は荷馬車が土煙を立てて通りを行き交っていた時代です。

便所といえば垂直ボットン重力落下方式が当たり前で(田舎の駅では一部現役、かつての祖父母の家がそれでした。)清潔な温水便座付きの洋式トイレが普及するのは大分先のことです。

そんなアナログ一色の時代からパソコンやネットが登場しケータイがスマホに進化する今現在まで走り通したわけですから、実は後にも先にもありえない希優な存在だったのかもしれません。

北海道のど真ん中を長期にわたって走り続け、時代や世代を超えて多くの人々から親しまれた赤い電車は名実ともに地域の風土と文化に溶け込み一体となっていったと思います。

そんな北海道の歴史と文化にとってかけがえのない赤い電車が無慈悲に解体処分されていく中で、民間から保存活動を立ち上げて先頭車2両を救い出すことに成功したことは今考えてみても奇跡的な出来事だったと思います。

個人的な一ファンとしても活動を立ち上げて下さった方々の決断と行動に感謝とともに脱帽です。

待っていた贈り物が届いたので、この後は実際の保存地への移送作業の進展とレストランのオープンを心待ちにしています。

また近いうちに機会を見つけて途中の様子をこっそり伺いに行ってみようかなと思っていますが、まだどうするかは決めていません。
 
ここであらためて写真集に収められた生きた赤い電車の姿を眺めていると、これらの光景が単に過去形の記憶のままで終わってしまっていいものなのか、激しく疑問に思う気持ちが沸き起こります。

古いものが役割を終えて去って行くことは逆らいようのない厳然とした約束事ですが、その去っていく者たちの残した功績や引き継ぐべき役割まで無視して、何もかも粗大ごみとして処分してしまうだけで良いものかと何度も考えてしまうのです。

鉄道の分野に限らず、いつの時代も斬新なものが次から次へと現れては従来品に取って代わりますが、それらの新しく登場したものが必ずしもそれまであった古いものが持つ魅力や機能、役割まで全て受け継いでくれるものとは限りません。

それどころか一つの画期的なものの登場の影で従来からあったものの中でこれからも必要とされるものがいくつも同時に、その存在の意味と価値を殆ど顧みられること無く歴史の闇の中へ次々と消え去っていく現実があります。

無節操な新し物への礼賛とあわせて行き過ぎた金銭的儲け主義のために人々の原始的な欲求を駆り立て続けようとする限り、こういった悲しい盲目的な風潮は終わること無く続いて、その結果として人々が本当に必要とする当たり前の物事が疲弊と消耗を繰り返しながらことごとく世の中から消えていくという負の連鎖へと導かれていきます。

最後の結末として訪れるのは人々が信じて夢見た豊かさでも大きな経済的な利益でもなく、その正反対の社会全体にうず高く積まれた負債=借金の夥しい山々の待った無しの精算です。

本当の意味で必要のないものや分野に投じられた資金が最終的に増えて帰ってくることはありえないのです。

それがすぐに儲けが出て発展していたように見えたのは単純に儲かっている一部分だけを切り出して見せられていたことによる大衆的な錯覚です。

世の中全体を見ても、もっと広く世界中を見渡しても、あるいはそのさなかで生活している私たち一人一人の生き方や在り方についても、あらゆる分野や方面で超えられない限度の一線に近づいている兆候が見られます。

最後にもう一度、赤い電車の走った姿を通して見えてきた時代の変化と人々の移ろいに目を向け直すと、このままでは多くの人々にとって本当に必要だった大切なものを何もかも気がついたら失ってしまうよと無音の警笛を鳴らされているような気がするのです。

人々の意思の繋がりで辛くも生き延びる道を得た2両の赤い電車が失いかけている大切な何かを思い出して取り戻すための拠り所となってくれるような気がします。


PS)
今は望むべくもないかもしれませんが、いずれは何らかの形をとって鉄道文化の本格的な見直しと再復興が真剣に討論される時期が来るのではないかと思います。その時に今現在、全国で盛んになっている引退した往年の名車両の保存活動などを通して残された遺産がこれからの鉄道の在り方にとって取り戻すべき要素や魅力は何かを探りだすための指標として一役買うことになると予想してみるのも妙案ではないかと思います。昨今主流になった徹底した効率機能追求仕様の鉄道車両の最大の欠点は人々を惹きつける魅力に乏しいことです。魅力が乏しければ利用する人々にとって積極的な意識を持って選択する対象となりえず鉄道から足が遠のきます。新幹線のように早く快適に目的地へ運んでくれるというメリットだけでは何かが足りないのです。グローバル化の進展と高速ネット環境の普及の結果、国内のビジネス出張利用は縮小し反対に少子高齢化の影響や外国人観光客の増加による新たな行楽客の需要が増えつつあります。単に移動の手段のためだけにとどまらない、その列車に乗ること自体が目的化されるようなコンテンツ性が特定のイベント列車のみならず一般の通勤通学列車やローカル列車にも求められるようになるでしょう。速達性や機能性ばかりで味気ない銀色の車両ばかり溢れかえる現状は早晩に見直される時期を迎えていると思えて仕方ありません。はるばる本州各地から行楽客を乗せてやってきた新幹線が青函トンネルをくぐり抜けて到着した直後に都会の日常と全く同じ通勤電車に乗せられるのは果たして気の利いたサービスだと受け止めてもらえるのか今から心配です。そういった観点からもいったんは役割を終えた赤い電車や終焉を迎えつつある寝台特急の存在と魅力は大きいものがあると思います。大きく空いてしまった隙間を埋めるような古くて新しい魅力をそなえた進化した鉄道の在り方が今後ますます求められていくでしょう。
 
 






前回、昼間の撮影からちょうど5日後の夜。来てくれるかなぁと地元駅までカメラ担いでいそいそ出かけてきました。

入場券でホームまで上がり待っていると予想よりも一本早く全速力で目の前を通過していきました。慌てて横に振って何とかお顔が止まってくれた一枚。




お見送りにもう一枚は遠ざかっていく小さめの後ろ姿。

予定ではこの後すぐに到着する普通列車の後追いのはずでした。それなら超低速の徐行で通過するので夜の低速シャッターでも余裕で止まってくれたはずなのでしたが、、。





イレギュラーな列車なので毎年確実に決まった時刻で運行されているわけではないようですね。

ここ何年間は道内に上陸してからほぼ決まったスケジュールで全道の主要路線を巡っているので地元近辺を通過する日時をある程度特定することができましたが来年は新幹線の開業が控えているので大幅な変更も予想されます。

とりあえず今年も二度地元でお見送りできたので満足しています。

来年は予想不能の中で出会えるかどうかという完全な運任せかもしれません。
 
 


 
 


初夏の新緑の谷間を通過するアノ青い列車。

久々に実見した青い客車寝台列車はやはり格別でした。

線路際からのささやかな対話も終わりが近づいていることは知っていますが、もう余計な言葉はいらないですね。

今はその走りと音と風格をファインダー越しに味わいながら最後まで見送り続けるのみです。







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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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