北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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赤い電車引退フィーバーの期間中、岩見沢駅を拠点に周辺の撮影ポイントを回りながら撮影に勤しんでいましたが、やはり予想通り同じ目的の同好の人たちがどの場所にも数人ずつ、多い時は十人以上の単位で集まっていました。
赤い電車が引退してかつてのDD51貨物も無き今となっては撮り鉄を引き寄せる人気の的は急速に潮が引きつつありますが、それでも鉄道を中心として栄えた歴史を誇る岩見沢駅周辺の魅力は埋もれたまま放置されるにはあまりにも惜しいものがあります。
火災で消失した旧駅舎に変わり、異例の一般公募案で建設された新駅舎は今なおハイセンスな建物です。
この日も駅構内の吹き抜け広場にて、どこからの視察団を案内している様子が見受けられました。
一面ガラス張りの踊り場は眺めがよく骨組みには各年代の古いレールが使用されています。
鉄道を中心に栄えた岩見沢のアイデンティティを強く表明した手法として有名ですね。
循環式の暖房が行き届き館内のどの場所にいても肌寒さを感じることはありませんでした。
改札を出て各ホームに繋がる跨線橋と真ん中の3,4番ホームは旧駅舎以来から使われているもので相当古いものです。
岩見沢の歴史を象徴する農耕ばん馬の木像と赤い電車のオリジナル復刻色のおなじみの取り合わせが見られるのもこの日が最後でした。
再び改札を出てすぐの2階待合室の隣の棟は駅北側へ繋がる長い自由通路になっています。
SL時代からの機関区だった広い構内とともに遠くの山々まで見渡せるちょっとした景勝地となっています。
岩見沢駅は夕日の名所としても売り出し中らしく、天候とタイミングが合えば夕暮れの陽光が差し込むことで生じるスリット状の美しい縞模様を目撃することができます。列車待ちの時間にここで過ごすと不思議と暇を持て余すことがありません。
かつては跨線橋を大きく迂回しなければ辿り着けなかった駅北側も自由通路が出来たおかげで簡単にたどり着けるようになりました。南北の往来が便利になったことで駅北の開発も進むと期待されていましたが、新駅完成後数年を経た今でも空き地ばかりが目立ち有効活用されているとは言えない状況です。
駅北地区には北海道炭礦鉄道時代の星印が残る現在のJR北海道レールセンターの荘厳なレンガ造りの工場棟が残っています。100年以上にわたる岩見沢と北海道の鉄道の歴史を象徴する貴重な歴史的産業遺産です。今は純粋に工場棟として現役ですが、一般の見学者が出入りできる一角などを用意して駅北地区に人の流れを呼びこむために有効活用できないものかと思ってしまいます。
岩見沢駅は大変立派なものに進化しましたが、そのハイセンスな新駅舎だけが過疎化にあえぐ街並みの中でぽっかり浮かび上がってしまったような印象を受けます。
正面北口の駅前広場を一歩町の方へ繰り出しても古い建物のアーケードが連なり空き店舗のシャッターも多いです。
再開発を期して取り壊された建物の一角は広い空き地となっていて新しい建物が作られる気配は感じられません。
立派なハコモノを作るだけでは地域の根深い問題を解決されるわけではないという言われつくされた現実をここでもはっきりと示されているように思われます。
岩見沢はもともと何もない原野に鉄道が通ったことで運転上の簡易な停車場が作られたことで始まった街です。
三笠の幌内炭鉱を始め空知地方沿線の石炭を大きな港がある小樽や室蘭方面へ輸送するための中継基地として発展しました。
最盛期には多数のSLや電気機関車を配置する二つの機関区が設けられ、関東以北では最大規模の巨大な操車場も操業していました。
それらは全て石炭産業の斜陽化と国鉄の解体後に過去の記憶の中へと消えていきましたが、その名残としての雰囲気は今なお随所に色濃く感じ取ることができます。
そういった岩見沢という街の固有の生い立ちと100年を超える鉄道の街としての歴史を観光や人の往来と交流に活かそうとする機運は新駅舎完成後も残念ながら活発に行われている様子は見受けられません。
一過性の出来事とはいえ、今回の赤い電車の引退はメディアからも大きく取り上げられ日本全国から多くの鉄道愛好者を岩見沢周辺に呼び込みました。それは単なる名残惜しみのお別れイベントとしてではなく、もっと人を魅了してやまない本質的な魅力があったからだと思われます。
その証拠に赤い電車が引退することを表明されるよりも以前から、コンスタントに北海道入りしてその走る姿を追いかけたり、小樽から旭川にかけての風光明媚な車窓を赤い電車に乗って楽しもうとする人たちが思われている以上にかなり多く存在していたからです。
その理由はいずれ無くなるという終了ブームや昭和的レトロ指向ブームを超えて、ここ北海道の主要幹線である函館本線電化区間でしか存在しない希少価値と共に、北の大地の独特の風土と完全に調和した言葉では言い表せない本物の魅力を醸し出す存在だったからです。
今、全国的にその地域に根ざした鉄道の文化を遺産として後世に残し、同時に貴重な観光資源として有効活用しようという機運が高まっています。
先日華々しく開業した北陸新幹線の糸魚川駅では、新幹線駅建設のためやむを得ず撤去するほかなかったレンガ製の機関車庫の一部を新駅舎の外壁の一部として移築し、その内部には地元の大糸線で活躍して人気を集めた国鉄型キハ52形気動車をピカピカに整備したうえで展示するという、鉄道のもっとも先進的な新幹線と地域の歴史を融合した魅力ある施設を設けて集客をはかる戦略を打ち出しています。
こういった事例は全国的に広がりつつあり、しなの鉄道の急行型電車の保存事例や、新津市の新幹線とSLの同時展示、さらに西日本まで目を向けると岡山県津山市ではSL時代の扇形機関車庫を丸ごと文化遺産として保存し、その中に全国的に希少となったディーゼル車両を集めて将来的に鉄道博物館として観光文化の目玉にするという一大プロジェクトが進行中です。
岩見沢駅から歩いて20分ほどの国道沿いの公園に地元で活躍したSLが二台同時に展示されています。日本の鉄道路線上で現役として最後まで活躍していた旅客用のC57型とD51型が同時に見ることのできる全国的にも珍しい鉄道スポットです。
特に北海道で活躍したC57型は独自の寒冷地仕様の装備で雪原を疾走する姿から大変な人気がありました。貨物用のD51型に比べてスレンダーなボディと対称的な大きな動輪を組み合わせた優美な姿から貴婦人の愛称で親しまれてきたことは有名なエピソードです。
赤い電車とも肩を並べて走っていた時期のある貴重なC57とD51ですが、駅から離れた公園の中に展示され、ありきたりな遊具の一部のように埋もれてしまい、しかも冬季はビニールシートで覆われて見ることがかなわないといった状況のためわざわざ訪れる人は滅多にいないようです。
もしもこれらの貴重な鉄道車両が全国の好例のように現役の鉄道駅の周辺施設として整備展示されたなら、どれほど魅力的な観光スポットに生まれ変わるだろうかと思わずにはいられません。
ここで鉄道遺産を中心とした町興しを実践している事例として四国の伊予西条市にある四国鉄道文化館を取り上げてみようと思います。
規模こそ大宮の鉄道博物館や京都に新たに建設される博物館に及びませんが、JR四国に保管されていた車両を中心に地元四国に縁のある貴重な車両を取り揃えることで独自の魅力を全国に向かって発信するほどの強力な観光スポットに成長しつつあります。
近年増設された南館には最新の可変軌道新幹線の試験車だったフリーゲージトレインの先頭車から、赤い電車711系とほぼ同時期に開発された急行用強馬力気動車キハ65型など四国の鉄路で活躍し、かつここだけでしか見ることのできない貴重な車両を大変良好なコンディションで保存展示されています。
そしてこの新たに建設された南館の目玉として展示されているのが上で紹介したC57型SL貴婦人で、しかも元々は縁もゆかりもない北海道の岩見沢で活躍した44号機です。
岩見沢の公園で侘びしく余生を送っている対称的な144号機とは同僚だった機関車で、同じく同僚だった日本で最後の現役旅客列車を牽引した135号機は大宮の鉄道博物館の中心で今も訪れる多くの人たちの注目の的となっています。
このようにC57型貴婦人は特別なカリスマ性を持った蒸気機関車として今なお人々の注目を集める強力な存在です。
(※ちなみに日本から遠くな離れた台湾では日本統治時代に導入されたC57型と全く同型のCT273号機が動態復元され大変な人気を博しているようです。貴婦人の魅力は国境を超えて台湾の人々を魅了し、そんな彼らが北海道に観光で訪れた際にはきっと縁のある本場の貴婦人を一目見てみようという気持ちになっても不思議はありません。)
北の鉄道の街として一世を風靡した岩見沢が、鉄道文化遺産の街としてこれほど多くの逸材を持っていながら、それらの埋もれた価値が全く省みられること無く歴史の彼方へ還すほか為す術がないことへ残念な気持ちが募るばかりです。
日本全国で現役路線と鉄道遺産を組み合わせた名所めぐりが観光の一大ジャンルに成長しつつある熱いブームの最中で、完全に乗り遅れてしまった感のある北海道の鉄道文化の現状を嘆くほかないのことは悲しい限りですが、もしも、今からでも建設的な議論が始まり、今存在する北海道独自の貴重な鉄道文化遺産の破壊が喰い止められて全国的な盛り上がりと連動した前向きな方向へかじを切ったなら、未来の地域に大きな正しい遺産を残すことに繋がります。
もしもの空想ですが、レンガ調で統一された岩見沢新駅舎と対になるような展示施設を駅北地区のレールセンター近傍の空き地に建設され、その中でピカピカに整備された北海道型C57貴婦人と赤い電車が同時に並んでライトアップされながら展示されたなら、どれほど日本全国の鉄道愛好者を惹きつける魅力を発信することになるか想像できます。
おそらく、そういった配慮の行き届いた魅力的な展示がなされたなら、今後最長で20年を超えても鉄道好きの観光客を集客できる優良施設に発展するでしょう。
なぜなら鉄道に関係した遺産というものは、たとえ50年以上経って僅かな痕跡しか残されていなかったとしても完全に忘れ去られることがないからです。
かつてのSLブームの伝説が最たるものですが、そういった現役時代の生きた姿を直接知り得ない若い世代でも過去の遺産や記録に触れることで興味をいだき、かつて存在した時代の息吹を想像し追体験するという現象が起こります。
そうなると子や孫ほど離れた世代でも古い時代の記憶を偲んで追体験するために残された鉄道文化遺産を定期的に訪れるようになります。
北海道の鉄道や自治体を取り巻く厳しい現状を考えると本州各地のように理想的で前向きな展開は夢物語に過ぎないのかもしれませんが、北海道新幹線を他県のように本気で成功させたいと望むのなら、そういった機運を高めるため一つの有効な手段として今一度、北海道に残された貴重な鉄道文化遺産の高い潜在価値を顧みて有効活用しようという機運が生まれてほしいと思わずに入られません。
北海道だけが本州から取り残されて埋もれてしまはないように建設的な議論と行動がなされることを願っています。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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