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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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ちょうど一週間前の土曜日と同じ場所で同じ列車を撮影するとこうなりました。見事に真冬のような景色ですが気温はそれほど低くなく根雪はまだもう少しだけ先です。

今日は朝一で札幌まで行く用事があり、少し早起きして雪景色を行く赤い電車をキャッチできました。


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これといった話題が思い浮かばない時の小ネタ記事として、今日もデジタル写真に関するうんちく記事を書いていこうと思います。これまでは主にデジカメ本体について触れてきましたが、今回からはいよいよデジタル・フィルム問わず写真撮影システムにおける核心中の核心であるレンズについて解き明かしていこうと思います。


  
  
  
ところがです。
 
なんといっても写真撮影用レンズの歴史は深くて長くてさらに奥深いことこの上ないものです。

それは一種の小宇宙を形成していると言っても決して言い過ぎではなく、その歴史を遡るとゆうに100年を超えてその間に数々のエポックメイキングな発明がなされて、同時にそれら写真機とレンズを手にした数々の有名無名の撮影者たちが歴史上の決定的な瞬間から何気ない日常の記憶までを切り取り多くの記録や作品として後世に残してきました。
 
写真の世界には伝説につぐ伝説が地層のように積み重なり一つの神話の体型をなすほど魅力的なエピソードが多く話題にことかくことがありませんが、そういった物語に彩られながらも一方では地道な技術開発の積み重ねによって今日まで進化し続けてきたものがカメラでありその眼となるレンズなのです。

そんな奥深い世界をたかだかにわか者の浅学な知識だけで語りつくせるはずもありませんが、その世界の基本中の基本におけるほんの触りの表面だけでも分かりやすく説明できたらいいなと思います。

何よりもこれから写真撮影を本格的に始めようとか、すでに写真にどっぷりハマっているけどもっとカメラやレンズ機材の仕組みを理解してみようという人にとって至極簡単な豆知識集のようになればいいなと思います。


まずはどこから手を付けてよいものか迷ってしまいますが、当たり前すぎて今さら言うに及ばずというところから触れていこうと思います。

そういう基本中の基本、イロハのイの部分をスルーしないほうが後々の込み入った部分を説明するときに分かりやすくまとめることが出来ると思います。


特別な図解はしませんが、写真撮影用レンズには大雑把に人の視野とほぼ同じ範囲が写る標準レンズと、実際にその場で見える視野以上にワイドに幅広く写る広角レンズ、普通の視野では小さく見える対象物を実際よりも大きく拡大したように写せる望遠レンズの三種類に分類されます。

さらに広角レンズには人間の視野を大きく越えた範囲を写せる魚眼レンズや背の高い建物を写す際に垂直と水平を揃えることが出来るシフトレンズ、主に標準から望遠レンズに属する虫や花などの細部を実物と同じ大きさ=等倍で緻密に撮影できるマクロレンズなど特殊な種類のレンズもありますが、まずは標準レンズ、広角レンズ、望遠レンズの三つがあることを念頭に話を進めていきます。

これら三種類のレンズをどこで判別するかといえば「焦点距離=レンズ中心点から撮像面までの距離(mm)」で表される数値の大小で区別されます。

焦点距離の値がより小さくなると広角、より大きくなると望遠よりということになります。

最も普及した135フィルムフォーマット=普通のフィルムのサイズにおいては標準レンズが50mm前後でそれより小さい35mmや28mmなどが広角レンズ、100mm、200mm、300mm、と大きいものが望遠レンズとなります。

(※フィルムが主流だった時代は使い捨てカメラから本格派の一眼レフカメラまでフォーマットのサイズが同じでしたが、現在のデジタル時代では前回のカメラネタ記事で少し触れましたが、デジタル一眼標準のAPS-Cサイズからコンデジ用の1/2.3インチサイズまで、さらに小さなスマホケータイカメラ用まで135フォーマットよりも小さなサイズが主流となっているので、それぞれに独自の焦点距離の基準があり一様ではありません。また135フォーマットよりも大きな中判カメラや大判カメラのフォーマットの場合も同じで、それぞれの比率の違いを掛けて135フォーマットの焦点距離に換算して表示されます。)

フォーマットの違いによるレンズ焦点距離の違いは後々の章の説明で必要になってくるのでここで触れておきました。

広角レンズ、標準レンズ、望遠レンズそれぞれの場合において、一つの焦点距離で固定されたレンズを単焦点レンズ、広角~標準~望遠まで焦点距離が無断階に可変できるレンズをズームレンズといいます。


後半は単焦点レンズとズームレンズの性質の違いについて書いていこうと思います。






今日は朝からプチ撮影運用に赴きました。

場所は厚別駅近くの100年記念塔を望める道路橋です。ごく近い撮影場所ですがこれまでこのアングルでは撮ったことがありませんでした。

朝にかろうじて一本だけ走る711系6連144Mがお目当ての列車です。

晩秋の唐松林と記念塔を遠くに見ながら縦構図で収めたカットを遊びで正方形にトリミングしました。
 
 
 
 
 
実は今日の近場で撮った何気ないこの1カットが今シーズンの撮影における自分的撮り納めの一枚という感じになると思います。

まだ年末にかけてカメラを持ちだして撮影する機会はあると思いますが、今シーズン自分で意図したテーマに沿って必要なシーンやカットを精力的に撮り進めてきた一連の活動はこれで一旦終了となります。

今年はかつてないほど集中的に撮影に赴き自分でも意外なほど多くの記録作品を残すことが出来ました。

本当は昨シーズンの早い時期に鉄道撮影を徐々にフェードアウトしようと考えていましたが、PCのマイピクチャフォルダの中に未公開のまま溜まった写真が数多くあり、そのままでは組み合わせ的にバランスが悪くお蔵入りしなければならないカットやシーンばかりでそれが心残りでした。

そこで今年はこれまで計画していたけれど実際に撮影していないテーマに限定して撮れるものは出来るだけ撮っておこうと思いたち春先から行動を開始しました。

そうすると当初予定した以上に撮影の機会に恵まれて思い描いていたカットが次々に撮れていきました。

今年も相変わらず体調が万全というわけではないので途中体力的にかなりキツイ時期もありましたが、合間に休息を挟んで緩急をつけながらどうにか乗り越えて秋の撮影ラッシュを無事終えることが出来ました。

終わって振り返ってみると100%完璧とは言えない部分もありますが、今の自分の力量以上の偶然が味方したカットも多々ありとても満足の行く結果ばかりだったことと、これまで撮ったまま死蔵していた哀れなカットたちとの兼ね合いも何とか取れそうな感じなので、全体として自分的自己ベストの記録作品集として纏まりそうです。

そうとはいえ、今まで真剣に追いかけてきた名車たちと四季の光景が織りなすシーンは来年には殆ど無くなっているわけでその現実だけは変えることが出来ません。

その寂しい気持ちは偽ることは出来ませんが、それは胸の奥に仕舞いこんで次なる課題と目標に向かう新たなエネルギーに換えていこうと思います。






秋も終わりを迎えつつあり初雪の便りが各地から聞こえてくる季節になりましたが本格的な冬場の到来まではまだ若干のタイムラグがあります。

毎年この時期は慌ただしく冬場の準備を急いでこなさなければならない時期ですが、今年も時間に追われながら一つ一つ片付けて全部完了した頃には来月の中旬くらいになっているはずで、その頃は年賀状作成に追われているはずです。

それでも今この時期は、ある種の谷間における安堵感というか、ほんの一時だけ妙に穏やかな空気が流れる時期でもあります。

世間を見渡せば冬の便りの他に毎度の政治ショーとでも呼べばいいのか、消費税再増税の可否や異常な円安による燃料費が高止まりや輸入コスト増による衣食住品の値上がりや、はては個人的にパソコンのメンテ用に購入を考えていた部品まで高騰するはで良い知らせはほとんどありません。

降って湧いたような札幌五輪誘致決定の話題は早くも忘却の彼方へ遠退き同じ頃H5系が初上陸し試運転開始の日が近づく夢の北海道新幹線も、その莫大な運行コストを青函間の収益だけで札幌延伸までの約20年間を乗りきれるのか不透明な経緯は触れられることすらありませんでした。

海外のニュースに目を向ければ中間選挙で共和党が圧勝しオバマ政権が窮地に立たされたとありましたが、今となってはなぜか今更のような白けた感じを受けるのはなぜでしょうか。

トヨタが空前の2兆円に登る利益を上げたと言いますが、そこまでの黒字を叩き出したのなら来年の10%消費増税の前に特別に法人税を徴収するべきですね。

アベノミクスだか日銀バズーカだか詳しい手口は知りませんが、莫大な借金を増やしながら紙幣を刷りまくって税金や年金の元本まで投入して国内と国外の大企業の株価を買い支えて景気回復を演出しているのですから、筋としてはそれで高収益を上げた企業から+αで税金を徴収してもおかしくないはずですが、そいういう市井の人目線からすればもっともらしい正論はまったく通じない世界なのでしょうね。

せめて原油価格の低迷による灯油ガソリン価格の低下を期待していましたが、これも降って湧いた極端な円安のせいで帳消しになるどころか、輸入品全般と同じく輸入に頼る原材料費が高騰することで今後生活用品全般が一気に値上がりしていく方向に進むそうです。

もうなんでもいいから勘弁してくれという声があちこちから聞こえてきそうですがお上の世界はそんな底辺で暮らす大衆の声なんかどうでもよいことなのでしょう。

まるで虫けら扱いされているとさえ卑屈にも思ってしまう底辺層の一個人としては自宅外壁窓部の密閉を徹底(※いざという時の逃げ口と寒気には配慮しています)と昼間の燃費節約術という昭和アナクロ合わせ技一本でどうにか耐えしのぐほかありません。

そんなナサケナサスな状況を耐え忍びながらやがて廻り来る朗らかな春の季節に期待を寄せるのは毎年恒例の精神行事のようなものです。

という個人のちっぽけな生活上の愚痴は現実社会において最もどうでもいいことですが、それでいて実は一人一人の個々人にとって無視しようのない一番切実な問題でもあり、ここで再び広い社会全体の上層階層に苦々しくも視点と意識を向け直して見ると、世の中の大方の人達がこんなガタピシな現実の中を生きるしかない現状で、やれ2020年東京オリンピックだの札幌冬季オリンピックも勢いでやってしまえとか地下鉄伸ばしまくっちゃえとか夢の新幹線列島縦断達成でバラ色未来の世界が弾け飛ぶとか、他にもダムとか高速道路とか原発増やすぞゴルアとか、電気代庶民の首根っこから絞り上げとか、日本全国昭和イケイケな時代に建設された古い道路や橋やトンネルの嵩む補修費や40年かけて廃炉しなければならない古くて危険な原発の後始末代金や被災地の復興費用はどこに消えてしまったのだろうかなどと疑問符?????が次々と脳内に浮かび上がってはうず高く積み上がっていくのは自分一人の脳内だけの特異現象なのでしょうか。

これら新たな夢の日本列島改造プランは全て借金に借金を積み重ね続けなければ実行できないことばかりですよね。

借金の大車輪はこのまま永遠に回し続けられるものなのでしょうか?

日本の借金は全て国民の資産で賄われているから大丈夫なのさ!

それは本当なのですか?いまいち信用出来ないなあ、、
 
超高齢化社会において収入も税収も全て落ち込んで医療介護費用だけが上がり続けるのに財源は足りるのですか?

うーん、その頃は消費税を30%くらいまで上げていればきっとだいじょうぶだよ。だってヨーロッパだってそのくらいがフツーなんだから。

政府の新たな借金を日銀が買い取り続けていますが、それはこの先もずっと続けていけるのですか?お金を無限に刷り続けると最後は価値が無くなってしまうと聞いていますが日本のお金の未来は大丈夫なのですか?

えーとね、ちょっとまってね・・・、

それは金融緩和っていうんだけど、別に今までもどこの国だってだいたいやってきたし、つい先ごろアメリカはやめちゃったけどまたどこかでやるだろうしヨーロッパはずっとやり続けてるし、あとはだいたいどこの国も同じようにやってることだから大丈夫だよ。第一、日本の円は国際通貨として信用度はトップクラスだしいざとなればドルやユーロやその他の優良通貨が助けてくれるから絶対に大丈夫。ジンバブエ・ドルや北朝鮮ウォンのようにちゃんとした国際秩序に則っていなければ危ないけど。

ふ~ん、ということはしばらくは借金し続けても大丈夫ってことかなのか。

まあ多分そういうことなんだろうね~。

でさ、ところで日本の借金総額って1,000兆円超えてたよね、大丈夫なのお?

えーと、それはね、、

以下延々と禅問答よろしく続く、、、という感じで右脳と左脳のキャチボールのように一人勝手な問答を続けることでどうにか疑問と不安を鎮めるように納得させているわけですが、はたしてこんな程度の認識で間に合っているのか甚だ疑問ではあります。

ただここまで述べてはっきり感じ取れることは、もしもこのままこんな状況の世の中が10年、20年、30年、と続いていけば、おそらく殆ど誰も納得もしなければ幸せな人生や生活をエンジョイすることも出来なくなってういくんじゃないかということです。

借金と増税の繰り返しで巨大公共投資の新幹線や高速道路だけはスケジュール通りきっかり開通し、そのたびにクス球が割られ世の中総出でお祝いモードとなりオリンピックやその他の大きなスポーツイベントが開催されるごとに世の中”躁”ハッピーハッピーの有頂天状態が露骨に演出される街角の一丁外れたうらぶれた建物の影で、一人また独りと絶望の影に打ちひしがれながら鬱向き頭を垂れるまま蹲る膨大な人数の個々人たちの群として逝くほかなしという想像するに余りあるほど厳しい状況の未来しか思いつきません。

少なくとも自分はこういう世の中で自分一人だけが頑張りぬいて幸せになれる自信は全くありませんね。

だからといって根っこがノーテンキ人間なので、たとえ余程のことが起きても絶望してどん底まで落ち込んで立ち直れないとかそれで自己完結を図るといったこともないとは思いますが、、。

問題はこんな嘆かわしくもどこか切なく物悲しい現実社会を誰もどうにかしようしようとしませんし、もはや誰もどうにもしようがありませんが、せめて日本列島改造論の夢の世界の奥深くへ皆が皆雁首揃えて目隠ししながらハミングを口ずさみつつ微笑みながら行進するような群の中の見苦しい一人にならないよう現状をしっかり見据えて生きたいものです。

これではいかんから立ち上がろうとか、真剣にもう一度、今度は本物の構造改革を実現せよとか、日本の国内から現状を打破しようとか、それらを声高に主張したり期待することすらこの先は不要なことかもしれません。

こんな夢も希望の欠片もない有り様は実は地球上のどこの国も同じような状況か、あるいはもっと悲惨な状況に陥っているかのどちらかです。

そんな夢も希望も抱けない現実に世界中の大勢の人達がもうこれ以上何をやっても実るものも得られるものも無くなったから全く別な世界へ移行したいと思っていたとしても何ら不思議なことではありません。

そのような人間社会全体の大きな集合意識のエネルギーが寄り集まって予期しない力が働くことで全く予期しない方向に向かって時代を大きく揺り動かしていくようなことが稀に起こることがあります。

日本と同じように借金と投機の泥沼に嵌って身動きの取れなくなった様々な国々がもうこれ以上地球規模の丁半博打場と化したマネーゲームに依存した世界は維持できないからある日の今日を持って一切の仕組みをあらためて新しい未来の世界へ一斉に歩みを進めると宣言される日が来ることも全くありえない非現実的な希望的観測として否定できるものではないと思います。

その時がもしも全く予期していなかったタイミングで突然やってきたら、この国も人々もその変化の大波に嫌がおうにも向き合って乗らなければならない状況に置かれることでしょう。

まさか21世紀の現在に鎖国して日本独自の世界観を維持しながら他の国々に対して一切門戸を閉じるなど出来るはずもありませんから。

世界が変わるタイミングで日本も必然的に変わることになるはずです。

ここで超個人的で矮小な視点に一気にスケールダウンされますが、個人的にそういった歴史的大変化の影響を最も被る可能性が高い日常生活以外の部分が、ほかでもない文筆家志望の端くれとして自ら取り組んでいる小説作品の行く末です。

時代の大変化をまたいでも作品としての生命力を失わないような物語の構成をこれまで慎重に慎重を重ねながらじっくりと練り上げてきました。

(※言うなれば、もしも自分が幕末のような時代で芝居の台本とかこしらえることを生業としていて、尊王攘夷派とかが幕府や夷国を打掃し晴れて新生大和王権を樹立する物語を本気で書いている間に明治維新が起こって武士の時代も武士自体もいなくなっていたとか、あるいは軍国主義たけなわの時代に生まれて本気で大東亜共栄圏を樹立してゆくゆくは日本軍の破竹の活躍で世界を制する一大叙事詩をまとめあげようとしていたら戦争が終わっていたというような、今の時代で言えば猛烈若手サラリーマンが奮起して伝説のエンジニアやしがない派遣の兄ちゃんからリストラ組のおっさんからニートの息子まで団結してグローバル企業連合体とそれを影から操る闇の組織に立ち向かいもう一度MADE IN JAPANで世界を席巻させるまでの汗と涙と友情の冒険物語とか、、、あっ、これは書いててちょっとイケてるかも?テーマ曲はXファイルならぬプロジェクトなんちゃらのヘェッドライト~テェールライト~♫のエンディングソングだね、、、というような感じの物語を真剣に考えたり書いたりしているうちに現実の時代背景が様変わりしてしまって作品の読まれる値打ちが消えてなくなってしまうことが、こういった時期に起こりうる物書きにとっての一つの悪夢であり悲劇だと思われます。)


これまでに心血を注いで形造った小説作品の構想は大、中、小あわせて12作品ほどにもなりました。

最初から多くの作品をいっぺんに書き上げようとは思っていませんでしたが、様々な人間的テーマを追求していくうちにそれぞれにあった作風と舞台の小説が生まれて数えてみると12作品になっていました。

これらの作品が一体どれほどの意味と価値を未来に読んでくれるであろう人たちに提供できるのかは未知数ですが、こんな奇っ怪でカオスな時代を生きている証人としての人生を無駄にせず有効活用したいとの意図のもとで小説作品としてまとめようと決意を固めています。

ひとりごとが長くなったので今日はこのへんでアディオゥス(汗)






ひょんなことで手に入った新しいコンパクトデジカメを紹介します。

新しいと言ってもチャキチャキの新製品ではなく地元のハードボイルドなリサイクルショップで見つけた中古品です。





リコーのR10という機種で2010年頃の製品です。

右は同じリコーの先代サブ機GX-8でデジタル一眼を導入するまでは限りなくメイン機に近い使い方をしていました。今となっては骨董品クラスのデジカメですが専用ワイコンによる22mm相当の広角は未だ現役です。



 
背面の比較ですが一番目につく差は液晶画面の大きさです。先代は画面が小さいだけでなくコントラスト、表示解像度ともに低いため、屋外ではほとんど影しか映らなくピントや露出はあて感で構図だけ確認しながらシャッターを切っていました。R10はずいぶん改善され液晶の見やすさAFともまずまず信頼できるものです。




R10よりやや古い世代のメイン機ペンタックスK-10Dとの対比です。

今では両者は一つの会社の2つのブランドとなっています。サイズは違いますが両方ともソニー製1,000万画素CCDセンサーを搭載していることにも機縁を感じますね。




センサーサイズの違いについて簡単な対比図を作ってみました。デジタル一眼でもっとも普及しているAPS-Cサイズと一般的なコンデジ用1/2.3センサーではこれほどの大きさの違いになります。その間はGX-8も搭載しているやや大きめの1/1.7サイズです。同じ1,000万画素でも表面積が大きくなることでダイナミックレンジが飛躍的に向上し本質的に高画質になります。



コンピュター上の画像サイズの大きさは画素数で決まり1,000万画素ならほぼ同じ大きさと解像度のデータとして扱われますが、センサーの物理的なサイズの違いにより同じ画素数なら一つの画素あたりの受光面積が大きくなることでより効率よくレンズから入射した光を取り込めるので、センサー内で光を電気信号に変換する際により豊富な情報とディテールをデータとして記録することができます。

デジタルカメラがより高級なクラスほど搭載する画像センサーのサイズが大きくなっていく理由がここにあります。

センサーサイズが大きくなることでレンズから取り込まれた光の情報を余裕を持って取り込めるので深い色合いや立体感のある画像を生成することができます。

また物理的な集光率が高いので高感度域を用いた暗部の撮影でもディテールが失われず鮮明な画質を維持できます。

一方でコンデジなどで使用される小型センサーはレンズが小型化できることで低コスト化できるという理由だけでなく高倍率の超望遠レンズをコンパクトに設計できるというメリットがあります。

最近の光学50倍を上回るような超望遠をコンパクトカメラで実現しているのは小型センサーの高性能化によるところが大きいです。

高画質を極める大型センサー搭載高級機とコンパクトで手軽な利便性を追求した高倍率ズーム機の二極化が最近のデジカメ市場のトレンドです。

さらにそのデジカメ市場を本格的に侵食し始めたスマホ内蔵カメラについてですが、製品の性格上カメラ機能にのみ高いコストを割くことは出来ないので、コンデジ用を更に下回る極小サイズのセンサーとプラスチックレンズによる安いカメラユニットで済ませています。

にもかかわらず撮った画像は見た目の上では非常に高画質で手軽に写真撮影を楽しむ層の人たちを十分満足させる出来栄えです。

これは貧弱なカメラユニットから出力されたディテールの乏しい白ちゃけた元画像をスマホの高性能なCPUを用いて自動的に画像処理を施すことで高精彩な画質を演出しているのです。

スマホのCPUはデジカメの画像処理エンジンよりもはるかに処理能力が高いことから、まるでPCのレタッチソフトによる高度な自動補正をシャッターを切った直後の一瞬でかけることが可能なのです。

これはスマホ内蔵カメラにしか出来ない芸当ですが、言うなればインスタント食品やレトルト食品のようなもので、それが即席で調理された料理でも味わう人が美味しいと感じればよいという発想です。

一方でより本格的なデジタルカメラによる撮影は食材からしっかりとしたものを用意し時間と手間をかけて調理した料理に例えられます。

デジタル画像とはいえ、しっかりとした造りのレンズを通した光を変換して生成された画像と、ほとんど合成に近いくらいの強い後処理を施されて出てきた画像とでは色合いの自然さや深みなど本質的な画質の違いは明白に出てきます。

なのでお手軽なメモ程度の撮影ならスマホカメラでもよいですが、より大切な思い出や作品などかけがえのない瞬間を記録するときはやはりちゃんとした造りのカメラやレンズを用いて撮影するに越したことはないと思います。

世界的にスマホカメラに侵食されがちなデジカメ市場ですが、日本のカメラ・レンズメーカーはもっとデジタル写真の本質的な違いと良さを一般の人たちにも分りやすくアピールすべきだと思います。


デジカメのセンサーサイズの違いによるうんちくやレクチャーに話がそれてしまいましたが”新しいけど新しくないコンデジ”の導入直後の一悶着や使用感について後半に記そうと思います。




すでに本線運用からは完全に撤退した後も札幌貨物ターミナルの入換運用に付いている道内最後の貨物用DD51-1150号機の姿を見てきました。自分としては公式のさよなら本線運転といえる石油臨の撮影ですべて記録を終えるつもりでいましたが、ここにきて入換運用といえ最後の輝きを放つ同機の姿をひと目だけでも追いかけることにしました。



 
千歳線方面の発車待ち貨物列車の横で到着貨物を勢い良く押し込んでいきます。

本来は入換動車化されたサツマイモ色のDE10の受け持ちですが、そのDE10の老朽化が激しく代替の車両や新型HV機関車の導入までの予備機として命脈を保っています。





歩道橋下の柵越しから最接近で迫ってみます。

こうしてみると低速の入換運用とはいえ本線列車の先頭に立っていた頃の風格を未だ十分に感じられます。

2台のエンジンが奏でる重低音と後に続くコンテナ車の乾いた軽快な車輪音が心地よいです。



 
ヤードの上を横切る札幌新道の歩道から奥の千歳線を通過する北斗星の青いDD重連とのクロスを狙いましたが残念ながら1~2分ほど入換の方が早く通過して叶いませんでした。そう簡単にミラクルは成立しませんね。その代わりに本線牽引してきた赤熊さんの帰区とタイミングが揃いました。




再び平和駅連絡歩道橋に戻って発着を繰り返す列車の動きを観察していると、白石方の構内外れから入換を終えたDDが到着貨物の合間を縫ううように戻ってくる姿を確認しました。経路を読んで待ち構えていると出区待ちの赤スカクマさんとサツマイモDE10とDD51B更新のスリーセットが撮れました。この他にも遠くで出発待ちの3両の赤熊さんが並んだ横をDDが通り抜けて4両並びが発生していましたが、場所が遠すぎて徒歩ではどうにもなりませんでした。(誰か撮っていないかなぁ、、)



本日撮れて一番嬉しかったカットはDD51-1150号機のキレイなサイドビューでした。本線運行の姿を当たり前に追いかけていた時は正面や斜めばかりで真横はあまり撮っていなかったので良い記録となりました。それにしても何時見ても見事に均整がとれた凸スタイルに魅せられてしまいます。世界広しと言えどこれほどの均整美を秘めた凸型機関車は日本固有種の同型しか無いかもしれません。



 
許された短い滞在時間の帰り際に印象的なカットが撮れました。

誘導掛さんをデッキ上に載せたDD51-1150号機の面構えは長年北の線区の風雪に耐えた風格に満ち溢れていました。





 
帰路の途上、平和駅のホームから指令所前の定位置で憩うDDとDEの姿を眺めていました。

これまでほとんど理由もわからず夢中でDDの写真を撮り続けていましたが、今となってはその勇姿の一端を垣間見て記録に残せたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。あらためて長年のご活躍お疲れ様でした m(_ _)m





 PS.)
札幌貨物ターミナルの広大な敷地を横切る平和駅連絡歩道橋は格好の観察場所ですが、青天井の先代から建て替えられた時に総密封窓仕様にされて撮影条件に関しては不便になりました。窓ガラスにレンズ先端のゴムフードを密着させて余分な反射を極力抑えて撮影してきましたが、今日行ってみると窓の曇りが尋常ではなく特にターミナルよりは殆ど全滅状態で撮影に苦労しました。証拠に撮ったカットはソフトなメルヘン調になっています。
 
 
 

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HN:
鈍行翼
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性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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