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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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以前の記事で名作小説「ライ麦畑でつかまえて」についてふれましたが、今日はもう少しだけ続きを書いてみようと思います。

もうすでに数えきれないくらい大勢の人たちに繰り返し読み継がれている作品なので、その内容についてはここであらためて書くことはほとんどありません。

それでも個人的な感想として、まだ書ききれていないいくつかの事柄が頭のなかの小部屋の隅っこに転がっているので、それらを拾い上げてここに書き記しておこうと思いました。


 
 

本文とはまったく関係ないイメージカットです(^_^;)

先月の撮影で豊平川河川敷まで行ったさい本番の赤電を撮り終わった後の夕暮れ時、行き交う電車を何気なく写したスナップ写真のうちの一枚です。映しだされた陰影がなんとも言えない物憂さを醸し出しています。





ライ麦畑という作品は今でこそ世界的な名作としての評価をほしいままにしていますが、一個の小説として考え直してみると、全編に渡り一方通行型の毒舌で書き通された、読んでいて決して愉快で面白いばかりの作品ではありません。

それどころか、背伸びして大人ぶっていて、やや小生意気な印象すら漂わせている、常に上から目線の物言いの主人公による、自身の同級生や担任の教師の批判に始まり、退学になって追い出された私立学校のいかがわしい経営方針や的はずれな期待ばかり寄せる親のあり方、そこから透けて見える社会の中のエゴな実情に向かっての軽妙なユーモアを交えながらも時にえぐるような皮肉と辛辣な口調の批判ばかりが、時と場所を移し変えながらも延々と繰り返される場面が続いていきます。

ここで注目されるのはストーリーの進行とともに、主人公の批判の矛先が他者や社会の実情などから自らの内面の醜さや幼さに徐々にシフトしていくことです。

物語が終盤に差し掛かる頃、主人公のあてどない放浪旅も行き着くべきところへたどり着きますが、それでもなお、一たび自分の内面に向けられた鋭い自己批判の矛先は収められるどころか激しさを増していきます。

そして主人公はたった一人で、自らの意志で心の放浪旅を続けてきたのですが、まるで目に見えて存在しない何かに追われていて、その存在から必死になって逃れようとしているかのような、あるいはまた、何か終末的な時が近づいてくるような息苦しさを伴う切迫感が、徐々に憔悴しながら静かに追い込まれていく主人公の内面を通して読む者の心にじわりと伝わってきます。

主人公の精神を徐々に追い詰めていった要因の正体が何だったのかについては読み手の数だけ読み解き方があると思いますが、ここで個人的な解釈を述べるなら、それはおそらく主人公の心の在り方の鏡写しとしての他者や世の中の闇と影だったのではないかと感じ取りました。


余談ですが人間の深層心理は、その無意識の階層の奥深くにおいて、さらに深く沈むほどに自分と他者、自己の内面と外界の存在の区別が曖昧になっていくという現象が起こっているようです。

ライ麦畑の主人公は一見して愚かしい他者や不可解で矛盾に満ちた世界とその住人たちを大きなスケールと視野から批判を繰り返していたようで、実は自分自身の外側や内面のちっぽけな側面ばかりを批判的に見つめつづけていただけのかもしれません。

絶え間ない自己批判に自らを晒し続ける主人公の生き様を通して、その結果どれほど自分の心に深い傷を繰り返し与え続けることになるか、その行為の行き着いた先に一体どれだけ成果と呼べる何物かを自らの存在の内に残せるのかを、もしかすると原作者のサリンジャー氏は読み手に考えさせたかったのではないかと思います。

物語ではたった三日間の彷徨の出来事で、しかも主人公を健全な心の世界に引き戻してくれる最後の救いの手が描かれていましたが、もしも実在のリアルな人生において一度自己批判の甘い優越感に囚われてしまったら、その誘惑に満ちた暗い堂々巡りの循環は3日間どころか3年でも10年でも、20年でも、30年でも続いて、とうとうそのまま一生分を潰やしてしまうことだって普通にあることです。

ライ麦畑は若い時代の傲慢さが招く深い落とし穴の存在を事前に知らせて警鐘を鳴らす作品でもあったと思います。


他者は自分自身の真の姿を写す鏡だと昔から言われていますが、自分と自分以外のすべての人間が住まうこの世界も自分の内面の在り方を写し出す巨大な鏡面で出来た舞台だったのかもしれません。

その鏡面に囲まれた舞台の上で繰り返し批判的な自己の側面を、他者の似通った側面という擬似的な自己の姿を通して見せられ続けなければならないのか、それは誰もがその舞台の上で自分が思っているよりもずっとうまく踊ることの出来ない踊り手のような存在だからです。

自分が思った通りの振る舞いを演じてついに自分自身とイコールになるまで、同じように思い通りうまく振る舞うことのできていない他者と同じ時間と同じ場所で互いにその出来栄えを確かめあえる距離間の中で、好む好まざる両方の場合において演じ合わなければならないことが、この人間が住まう世の中の隠されたてきた仕組みであり厳密な掟だったのです。

自らを否定して嫌悪したり、時にそれが怒りや憎しみに変わりその矛先が他者や世の中に向いてしまったり、逆に自分自身に向けられてしまったりするのは、それだけ自分自身が心底から成長して真から自分自身を認めることができるようになりたいという魂からの強い願いの現れです。

その反動から生じる絶望感は人間が一人きりで乗り越えなければならない魂における最後の壁かもしれません。

人間は自己愛と期待感に縛られたがちな存在ですが、その幼い自己愛を否定しないで磨き抜くことが自分自身を肯定できるようになる鍵です。

そのことを大昔の偉大な聖人の一人が唯我独尊の四文字が示す言葉の意味で言い表しました。

それは別に自分一人だけが偉くて尊いんだと言いたかったわけではないと思います。

自己否定によるネガティブなエネルギーを幼い自分を進歩成長させる建設的なエネルギーに転嫁してどこまで昇華できるかが本当の意味で自分自身との闘いであり勝負であると思います。

芯が腐った時点でその勝負は負けです。

自分自身に立ち向かうことを諦めなかった者が先を越していきます。

ごく個人的解釈ですが、ホールデン少年はその自己との闘争の道の入口に立ったのです。

それは誰でも簡単にたどり着ける門の入口ではありません。

その茂みの奥の暗がりに隠された小さな門を見つけられるのは心が澄んで魂が進んで選択した者だけです。
 
その試しの門をくぐり抜けた後は無数の段階を経るとても長く険しい暗闘の道のりが延々と続きます。

それは単なる成長の過程とは言えない混沌とした理解に苦しむ道のりです。

おそらくどういった物語もこの道における未知なる性質を正確に描ききれないでしょう。

ライ麦畑はその入口までしか描かれていません。

その先の可能性は読者一人一人の現実の世界の中での歩みに委ねられています。
 
自分に打ち勝つということは倒すことではなく許すことです。

自分自身に挑戦し受け入れることが出来た時、同じように他者を理解して受け入れる力が身につきます。

真にありのままの自分を受け入れて表現できる者同士でなければ本当の意味で互いに信頼関係を築くことはできません。

残念ながら互いの不都合を認め合うだけの間柄では裏表と利害のない関係には到達できません。


今回はライ麦畑の少し先の解釈の話をしました。

この続きは小説作品の世界の中で思いのままに書き込んでみようと思案しています。
 
 

 
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久しぶりに家族揃っての昼食となりました。

場所は3度めならぬ4度目の正直となった某人気農園レストラン。いつも墓参りの帰りなどに立ち寄るのですが、そのたびに駐車場が満車で断念してきました。ようやくありつけたハンバーグカレーとポテトがとっても美味しかったです。ごちそうさまでした(-人-) 。
 
 
 




9月に入ってから夏を思わせるような暑い日差しが幾日か続いていましたが、今日になって一転、久しぶりの曇天+雨が滴る天気となっています。

おまけに風が強く肌寒い気温で早くも秋の気配が到来といった感じです。

先月末は久方ぶりの鉄活動を堪能しましたが、今月に入ってからは本来の小説執筆に向けての創作活動に意識を切り替えている最中です。

秋の季節は暑くもなく寒すぎることもなく、またアレルギーや突然の体調不良に襲われることもないので自分的にはとてもありがたい季節です。

そんな快適な秋のうちに創作活動を軌道に乗せて、自分が思い描いたとおりの作業がはかどってほしいと思っています。

ところが現実はそんなにうまくことが運ぶとは限らないものです。

自分としてはいきなりハイレベルな作品を仕上げようとは思っていませんが、それでも今までにあった無数のパターンやテーマの焼き直しコピーではなく、この先の時代に受け入れられる新しい要素を兼ね備えた作品に仕上げようというやや高い目標を掲げています。

それは今まで誰にも読まれたことのない斬新な作風ということではなく、ある意味前言と矛盾しますが、一般的に小説を通して描かれる基本的な人間模様に忠実なストーリーを描きながら、その見る角度=捉え方一つを変えるだけで全く新しい人間像を浮かび上がらせるという最も野心的な魂胆かもしれないです。

そういうわけで、自分のしがない脳みその中で連日24時間コンビニ状態?つまり寝ている最中さえも何がしかのアイディアを廻らせながら、偶然テレビや新聞、ネットで目にした情報までも小説のヒントになるかと無意識のうちにアンテナを張っている始末です。

そういう張り詰めた神経で居続けることが半ば当たり前となってしまっていますから、当然そいう習慣が身体に良い訳はなく、そういった無意識から発するストレスがただでさえ悪い自分の体調をさらに追い込んでいるという悪循環はだいぶ前から自覚しています。

最近では、あまりにも張り詰めた気持ちで考えすぎても決して作業ははかどらないことを自覚して、現時点であまり意味のなさそうな話題はスルーしたり、頭のなかでずっと考え続けても答えが出ない問題はあえて忘れるようにして自然な流れに任せるようにしています。

これまで撮り貯めたならぬ創り貯めた小説の原案の中からたった一作でもいいから、自分自身で心底納得のいく出来栄えの小説を書き上げたいというのが偽らざる本心ですが、一方で焦って完成を急いではならないという自戒も利かせています。

今は時代の意識が静かに移り変わっている時期ですから作品ごとのテーマの捉え方には慎重に吟味を重ねる必要があります。

撮影でいえば全く同じ被写体を同じ場所、同じ時刻で撮っても、どの部分に重点を置いて主題を表現するかを変えれば全く違った趣きの作品になるのと同じことです。

テーマや人間性の捉え方がぼやけたまま書き進めて、いったい何が言いたかった作品なのかわからないままで終わってしまい、結果的にボツにするか全部最初から書き直すしかない状況は出来れば避けたいものです。

ここまで言ってみると何だか行き詰まり感ばかりのようですが、それでも今取り組んでいる作品に関してはどうにか作品の核となる端緒だけは見つけつつあります。

ようは自分の内側から湧き出るイメージと方向性を信頼し集中し続けることが今の自分に最も必要なことだと思います。


自分の作品とは直接的には関係ありませんが、表題に掲げたライ麦畑とはかの有名な「ライ麦畑でつかまえて」というアメリカ文学を代表する小説作品のことです。

有名すぎて今さら説明の必要もないかもしれませんが一応自分が知っている範囲でさらっと書いておきます。

1951年にJ.D.サリンジャー氏によって発表されてからベトナム反戦時代へ至る若者たちに多大な影響を与え続け、以後21世紀の今日に至るまで全世界で読み継がれている大ベストセラー小説です。

高校を3度退学になった落ちこぼれのホールデン少年を主人公とした全編一人語りの放浪記で、時に鋭い批判の矛先を当時の大人社会に向けたり、酒やドラッグや異性など誰もが青年期に通過する暗い側面を直に取り扱ったことで社会問題を巻き起こした作品です。

今回、久しぶりに村上春樹さん訳の新刊を手元においていますが、少しだけ読み返してみても軽妙で砕けた語り口が新鮮でかっこいいですね。

世界的な名作だということで一読して置かなければという動機で読んだのが最初でしたが、実際に読んでみると舞台は第二次大戦後のアメリカのハイスクールですが、その人間性の描写は古さをいささかも感じさせないうえに、まるで昨日の自分がそうであったかのような錯覚とそれが変に生々しいリアルな感触だったことが今でも強く印象に残っています。


ライ麦畑が最も熱烈に愛読されていた当時、日本では団塊の世代のバイブルだったとして今ではみなされていますが、その主題はほとんどタイムレスで、いつの時代も十代の若者が大人という不可解な存在にぶつかりながら自らもそこに同化していくという大きな矛盾を孕んだ避けられない過程の中で再発見され続ける決して古くはならないテーマです。


自分がこの作品を読んで最後に感じたことは「えっ、ここで終わりなの?」といった唐突な終わり方に対する物足りなさと、そこからじわりと湧いてくる物語の続きは一体どうなるのかという疑問符、すなわちホールデンくんがその後どういった道筋をたどり生きていったのかといういつまでも満たされることのない好奇心でした。


ここでなぜライ麦畑を再び手にとってみようと思い立ったのかというと、はからずも自分がこれから書こうとしている小さな小説が目指すテーマが、あたかもこの作品の主人公ホールデン少年が向き合った青春時代の暗闘の先にある未来につながっているように思えたからです。

比較的最近、ライ麦畑の続編を原作者に無許可で出版したとして訴訟になったという出来事があったように、実際にこのライ麦畑を読んで少なからぬ影響を受けた人が、今度は書く側に立場を変えるとそのメッセージの続きを綴りたくなるという誘惑があるのかもしれません。

自分としてもどうやらそこは同じようですが、ライ麦畑を読んだ続きの人生に一体何を据えてみようかと問うと、自己批判や社会批判ばかりではなく真に自分自身を受け入れて肯定できる大人になれたらイイねという感じのお話になるでしょう。

創作の秋が深まるに連れて自分の中のアイディアや作品のイメージが熟して実ることを期待しています。

いずれにしても、健康状態に十分留意しながら創作に対する集中力とモチベーションが途切れないよう心がけたいと思っています。


創作活動の途中経過はいずれまたこの場所で、

ごきげんよう、さようなら。




 

9月に入って涼しくなるとおもいきや夏の暑さがぶり返しているような生暑い部屋の中で記事を打っています。
 
ダイヤ改正による711系赤電車の運用削減直前の先週は、今後は見られなくなるであろうシーンやカットを追い求めて自分でも驚くほど精力的に活動していました。

体調のコンディションも決してベストでない状況のなかでおおよそ4日間、ある日は早朝から、ある日は午前と午後で、またある日は夕方から夜のバルブ撮影までとメリハリをつけながら、これまでに撮ることができていなかったカットを効率よく収めていくことができました。

終わってみると自分でもよくこの短い間にこれだけのシーンを記録できたなと思うほど充実したカットの数々が揃っていました。




その中から8月27日の夕方に豊平川橋梁で撮った238Mの写真を掲載します。

ラストウィークですがより普段着に近い前向きな写真になるよう意識しました。子供時分の原点とも言える場所で晴れた日差しのもと忘れがたい記念の一枚となりました。




 
途中本当に体調が悪くなってリタイヤしようかと思った時もありましたが、合間に休息を挟んで体調の回復をはかり、また気合いで身体を奮い起こして動き出したあとも登山をする時のようなゆっくりとしたリズムで行動することを心がけて体力を温存しました。

なんだかとても大げさな話に聞こえますが、長年病気を患って色々なところにガタが来ている身で重い機材を担いで行動しながらの撮影はいつも体力の消耗との闘いです。

いざ撮影本番の時も体力が消耗したせいで雑な仕上がりにならないよう一枚一枚撮るごとに集中力を途切れさせないよう努めました。

それは結果的に安全に対する注意力を途切させないことにもつながっています。

今回なぜそこまでして赤い電車を追いかけているのかというと、それはラストシーズンということだけではなく、自分が物心ついた時から鉄道好きでその頃から親しんできたある意味で最も象徴的な列車の最後の季節だったからです。

これまでは自分の体力と許された行動範囲の中で撮影の対象を取捨選択することは避けられなかったのですが、すでに記憶と思い出の中に走り去った被写体と向き合っていた時について思い返せば、たとえそれが自分が許された範囲で全力を尽くした結果だったとしても、やはりどこかでこれしか記録に収めることが叶わなかったという後悔の念が気持ちの片隅に残っていました。

今回の撮影にしても100%完璧に自分で納得の行く結果になったとは言えないでしょうが、それでも自分の気持ちの中で”これしか撮れなかった”ではなく”ここまで撮って残すことが出来た”と心底納得のいく結果が得られそうです。

そしてその自分が心底感じとれた納得感こそが一番必要なものだったのです。

現実の世界の中で赤い電車がどれほど魅力的な存在であったとしても、それが人間が作り出した機械である限りその寿命は有限であり、いつか必ずその時が来れば役目を終えて取り替えられていくのは仕方のないことです。

それは一個人の力ではどうしようにも変えようのないことですが、それでもその魅力のニュアンスの一旦だけでも、その存在すら知り得ない後世の人たちの目に留まるように記録として残しておきたいのです。いつかその魅力の真価が本当の意味で省みられる時が来ることを信じて。
 
一般の人たちから見ると、たかだかよくある古い電車の一種にすぎず興味の対象にすら成り得ないかもしれませんが、この電車が持つ穏やかで優しい時間と心地よいリズムが混じり合って発せられる独特なオーラが、最近の無機質な社会の中で生きる一人一人の中で急速に失われていく心の豊かさやユトリと重なり通じ合うものがあると思うのです。


残念ながら今の人間社会の総合的な意識は、そういった情緒豊かな時間をたたえた存在よりも、より便利で素早く自動的に目的が叶うようなものを追い求める方向性を変えたくないようです。

たとえその行き着いた先が心の豊かさの正反対だったとしても、一見して煩わしさを取り除いてくれそうな都合のよい便利さと無意識のままでいられる居心地の良さの虜として生きる時代はそう簡単に終わらないでしょう。

そういった何事も心と意識を動かさないで済ませようとするものぐさが生み出した時代のアンチテーゼとして見なすのは少し強引すぎるかもしれませんが、赤い電車の小さな窓から見える移りゆく景色と若干の隙間風が凝り固まった意識をちょうどよく解きほぐしてくれた記憶とともに、そんな無意味な拘りの一切をきれいに流し去ってくれるようです。


今の時代の意識はあるところで行き着くところまで来てしまったように感じます。


その限界が来てある臨界点を迎えた時に過去の意識の形の一つとして記憶される時がやってくると思います。

いつかその時を迎えた時には新しい意識のあり方が芽吹き、その新しい存在に適した生き方ができる一人として自分の存在を新たにしたいと願っています。

ちょっと謎めいた言い回しですが素直にニュアンスだけを言えばこうなってしまいます。
 
9月からは心機一転、新たな気持で創作活動に打ち込みたいと思います。

自分の中でまだまだ宿題や課題が多く残っているのでトントン拍子というわけには行きませんがそれでも一つ一つ難題をクリアしながら、やがては作品の完成に一歩でも近づけられるように意識を集中したいと思っています。


時代が動き始める気配が感じられる秋が近づいています。
 




ダイヤ改正前最後の日を迎えました。

御存知の通り711系運用の約半数が今日の運行をもって終了となります。

すでに明日からの運用の兼ね合いで一部の列車が一足早く721系で運行されているようです。

711系運用の中で花型列車とも言えた小樽→旭川間のロングラン運用も今日で最後の予定です。

朝の旭川行2151Mはあえて自宅近くから微かに眺めるだけで見送り、午後の折り返し回5238Mを地元らしい風景の場所で撮ることにしました。



 
美原大橋をバックに江別←豊幌間を走る回5238Mです。

やや難しい真横カットでしたが一般色+復刻色の組み合わせを一枚の中に記録できて満足しています。明日からはこの列車も後任の721系6連に置き換えられているのでしょう。





列車が通過する直前まで構図に悩み使用するレンズを吟味していましたが、以前に来た際に使用した35mm(=フィルム換算で約52mm)の手堅い選択が結果的に功を奏しました。

自分にとって最後の撮り納めの一枚とあって自宅を出る前からあれやこれやと考えていましたが、現場に着いて構図探しや練習をしているうちにあっという間に本命の列車が接近してきました。

緊張しないように肩の力を抜いてからカメラを構えると早くもファインダーの中を6両編成の列車が真横に走り抜けていきます。

最初のシャッターポイントに差し掛かったところで一枚切り、すかさずファインダーを横に流しながら1枚、2枚、3枚と切り続けたところで最後の回5238M711系6連はすでに走り去ろうとしていました。

いつもこうなのですが、長年慣れ親しんだ列車の最後は本当にあっけないものです。

明日からは若干寂しくなった現実を受け入れなければなりませんが、それもこの道を愛好するうえでの宿命のようなものかもしれません。

それでも今日の晴れ姿を自分としてはベストな形で残すことが出来て本当に良かったと思っています。

いずれ実物の列車は走り去ったとしても、その魅力とエッセンスはそれを知る人たちの記憶の中で決して色褪せることはないと思うからです。

赤い電車こと711系電車の終盤の第一幕が降りようとするその時その場で立ち会えた縁に感謝しています。

まだしばらくの間、活躍の機会が残されている時間をこれまでどおり見守っていこうと思います。
 




前回の記事に引き続いてカメラ関係の話を書きます。

RAWとJPEGの話からデジタル画像とフィルム銀塩写真の比較について話が飛びました。

以前フィルム写真をやっていました~とちょい自慢気に言ってみたところで当時はほぼそれ以外に写真を撮るすべが無かっただけで、プロ・アマの人たちがやっていたような高度な知識やテクニックなど持ち合わせていないただの撮りっぱなしカメラ小僧でした。(←今もたいして変わってないorz

それでも当時まさかデジカメなんてものが登場してこれほど急速に普及するとは思っても見なかったですね。

ましてインターネットやスマホの時代になるなどとは想像もつきませんでした。

ただ通話するだけのケータイ電話だって数えるほどの人しか持っていませんでしたし。

それでも何というか全体的に今よりもゆる~い空気で、ただ単純に先の未来は明るいと思っていられる気楽さがありました。

そんな1990年代後半の古き善き?アナクロな時代に撮ったサンプルを張っておきます。




普段ほとんど開けることのないネガBoxから取り出した中から久しぶりにスキャンしてみました。

朝里付近の海岸線を行く711系S-111編成3ドア車ですが風景も車両も今とあんまり変わっていませんね。





アングルも今よりは比較的自由でした。

多少線路に近くても怒られることはありませんでした。

というかこの辺りの海岸線は線路が地元住民の生活通路の一部をなしていました。



 

合間に防波堤越しの海に浮かぶ漁船のカットもありました。

ただボケェーっと海を眺めながら時間を潰して列車が来たらカメラを向けるを繰り返していたようです。





待っているとこんな列車も姿を見せました。

キハ150系2連のニセコライナー札幌行きです。

車両自体は今も健在ですが同系の山線直通快速列車はすでに見られません。






今と決定的に違うカットが出てきました。

721系6連の快速エアポート ですが立派なヘッドマークが付いています。当時の快速電車にはもれなくヘッドマークが付いてきましたが、当たり前すぎて熱心に記録しようとは思いませんでした。



一応、フィルム写真の性質を説明するためのサンプルとして張ってみましたが、この程度の画質では思い出話のネタにしかなりませんね。

デジタル写真を本質的にはるかに上回るとされるフィルム銀塩写真の持つ底力の片鱗だけでも感じて貰えればと思います。

後半は懐かしのフィルム写真の持つ潜在的画質力についてうんちくを並べてみようと思います。
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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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