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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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9月に入って涼しくなるとおもいきや夏の暑さがぶり返しているような生暑い部屋の中で記事を打っています。
 
ダイヤ改正による711系赤電車の運用削減直前の先週は、今後は見られなくなるであろうシーンやカットを追い求めて自分でも驚くほど精力的に活動していました。

体調のコンディションも決してベストでない状況のなかでおおよそ4日間、ある日は早朝から、ある日は午前と午後で、またある日は夕方から夜のバルブ撮影までとメリハリをつけながら、これまでに撮ることができていなかったカットを効率よく収めていくことができました。

終わってみると自分でもよくこの短い間にこれだけのシーンを記録できたなと思うほど充実したカットの数々が揃っていました。




その中から8月27日の夕方に豊平川橋梁で撮った238Mの写真を掲載します。

ラストウィークですがより普段着に近い前向きな写真になるよう意識しました。子供時分の原点とも言える場所で晴れた日差しのもと忘れがたい記念の一枚となりました。




 
途中本当に体調が悪くなってリタイヤしようかと思った時もありましたが、合間に休息を挟んで体調の回復をはかり、また気合いで身体を奮い起こして動き出したあとも登山をする時のようなゆっくりとしたリズムで行動することを心がけて体力を温存しました。

なんだかとても大げさな話に聞こえますが、長年病気を患って色々なところにガタが来ている身で重い機材を担いで行動しながらの撮影はいつも体力の消耗との闘いです。

いざ撮影本番の時も体力が消耗したせいで雑な仕上がりにならないよう一枚一枚撮るごとに集中力を途切れさせないよう努めました。

それは結果的に安全に対する注意力を途切させないことにもつながっています。

今回なぜそこまでして赤い電車を追いかけているのかというと、それはラストシーズンということだけではなく、自分が物心ついた時から鉄道好きでその頃から親しんできたある意味で最も象徴的な列車の最後の季節だったからです。

これまでは自分の体力と許された行動範囲の中で撮影の対象を取捨選択することは避けられなかったのですが、すでに記憶と思い出の中に走り去った被写体と向き合っていた時について思い返せば、たとえそれが自分が許された範囲で全力を尽くした結果だったとしても、やはりどこかでこれしか記録に収めることが叶わなかったという後悔の念が気持ちの片隅に残っていました。

今回の撮影にしても100%完璧に自分で納得の行く結果になったとは言えないでしょうが、それでも自分の気持ちの中で”これしか撮れなかった”ではなく”ここまで撮って残すことが出来た”と心底納得のいく結果が得られそうです。

そしてその自分が心底感じとれた納得感こそが一番必要なものだったのです。

現実の世界の中で赤い電車がどれほど魅力的な存在であったとしても、それが人間が作り出した機械である限りその寿命は有限であり、いつか必ずその時が来れば役目を終えて取り替えられていくのは仕方のないことです。

それは一個人の力ではどうしようにも変えようのないことですが、それでもその魅力のニュアンスの一旦だけでも、その存在すら知り得ない後世の人たちの目に留まるように記録として残しておきたいのです。いつかその魅力の真価が本当の意味で省みられる時が来ることを信じて。
 
一般の人たちから見ると、たかだかよくある古い電車の一種にすぎず興味の対象にすら成り得ないかもしれませんが、この電車が持つ穏やかで優しい時間と心地よいリズムが混じり合って発せられる独特なオーラが、最近の無機質な社会の中で生きる一人一人の中で急速に失われていく心の豊かさやユトリと重なり通じ合うものがあると思うのです。


残念ながら今の人間社会の総合的な意識は、そういった情緒豊かな時間をたたえた存在よりも、より便利で素早く自動的に目的が叶うようなものを追い求める方向性を変えたくないようです。

たとえその行き着いた先が心の豊かさの正反対だったとしても、一見して煩わしさを取り除いてくれそうな都合のよい便利さと無意識のままでいられる居心地の良さの虜として生きる時代はそう簡単に終わらないでしょう。

そういった何事も心と意識を動かさないで済ませようとするものぐさが生み出した時代のアンチテーゼとして見なすのは少し強引すぎるかもしれませんが、赤い電車の小さな窓から見える移りゆく景色と若干の隙間風が凝り固まった意識をちょうどよく解きほぐしてくれた記憶とともに、そんな無意味な拘りの一切をきれいに流し去ってくれるようです。


今の時代の意識はあるところで行き着くところまで来てしまったように感じます。


その限界が来てある臨界点を迎えた時に過去の意識の形の一つとして記憶される時がやってくると思います。

いつかその時を迎えた時には新しい意識のあり方が芽吹き、その新しい存在に適した生き方ができる一人として自分の存在を新たにしたいと願っています。

ちょっと謎めいた言い回しですが素直にニュアンスだけを言えばこうなってしまいます。
 
9月からは心機一転、新たな気持で創作活動に打ち込みたいと思います。

自分の中でまだまだ宿題や課題が多く残っているのでトントン拍子というわけには行きませんがそれでも一つ一つ難題をクリアしながら、やがては作品の完成に一歩でも近づけられるように意識を集中したいと思っています。


時代が動き始める気配が感じられる秋が近づいています。
 


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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