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今日は普段なら行くことのかなわない場所まで送り届けてもらえたので今季限りの風景にカメラを向けることが出来ました。
函館本線江部乙付近の畑が黄色い菜の花で覆われていることを知り、行けるものなら行きたいと思っていたら行けてしまいました。
早朝1本目の旭川発手稲行き711系普通列車はS-117編成でした。シャッターを押すタイミングが少し早かったようです。
今度は反対方向から来た旭川行き普通列車です。先ほどの反省を活かし、今度は十分に列車を引きつけてからシャッターを切りました。
鉄道写真の基本ですが、未だに意識しなければ失敗することが多いです。
上の列車がちょうど正面の丘状の畑に隠れて出てきたところを再びファインダー越しに追いかけます。
菜の花越しに走り去って行く赤い電車の後ろ姿に向かってもう一度シャッターを切りながら見送りました。こうして少ないチャンスを有効活用します。
この後も短い間でしたが有意義な時間を過ごすことが出来ました。
今回は思わぬプレゼントとして赤い電車と菜の花畑のコラボレーションを記録に収めることが適いました。
残り一年を切り個人的にもそう多く足を運ぶことはできないと思いますが、何とか赤い電車と季節を象徴する風景を1枚ずつものにできたらいいなと思っています。
昨日、石油列車のラストランを収めに出かける途中、少し珍しい気象現象を目撃しました。
バスの車窓からケータイで撮った画像の切り出しですが、虹色に輝くうろこ雲の様子が見て取れると思います。
これは彩雲?それとも幻日って言ったけ?と何気に思っていましたが、その日の夕方のニュースで環水平アークということを知りました。
だいぶ以前から忘れた頃に繰り返しニュースや新聞で目にしたり耳にする環太平洋なんちゃらを思い起こしましたが、もちろんそんなものではなく、どうやら気温が急激に上がったことによる気象現象らしいです。
そういえば今年は気温のアップダウンが激しく、つい数日前まで朝方など寒い時間帯にはごく一時的にせよ未だにストーブの出番が回ってきましたし、そうかと思えば日中は半袖までいかなくても暖かい時間が続き、日没後はまたコートを着こむという毎日です。
ここ最近は明らかに気候が変になっていることはすでに十分承知していますが、こういう珍しい自然現象を目にして感心するよりも何かこの先よからぬ異変の前触れかと変に敏感な意識になってしまいます。
そして気候の変動よりも個人的にとても気になるのは、その虹色のアークが発生した空の真下の地面のほうで、画像の下片に写っている辺りの丘陵地帯は大昔の地殻変動で出来た活断層が走っており、道央圏で今後起こりそうな地震域でも中規模の注意が必要とされています。
これまで同じ場所で太平洋側などで発生した中小規模の地震と連動しているような気もする筋雲などを目撃していますが(関連性は謎です)一応注意しておこうと思っています。
新さっぽろに着いてサンピアザのテラスの階段を登り1本目の石油返空列車を待っている間にも、後ろを振り返ると空に虹色のアークが輝いていました。
けたたましく鳴り響く報道と思わしき複数のヘリの騒音が遠くから鳴り響きちょっと不気味なシチュエーションでした。
よく空に向かって念力を送れば雲が散るという言い伝えがありますが、そこである種の穏やかな想念を込めて送り込んでみると(それが効いたのかどうかは不明ですが)そのうち消えて行きました。
昔から天変地異の発生にはその時々の世相と人々の想念が集まったエネルギーが関連しているというような陰陽師的な都市伝説がありますが、この科学的自然観全盛の時代においてもそういった目に見えぬ広範な波長の関連性みたいなものは存在しているように思えてなりません。
一本目の石油返空列車を見送った後もう一度振り返って空を見ると虹色アークの姿は跡形もなく消えていて、それを確認すると少しホッとした気持ちでテラスの階段を下りました。
おなじみの新さっぽろ副都心内を散策しながら簡単なおにぎり昼食を済ませてから、地下街で有名でない方のパン屋さんでおみやげのパンをいくつか1コイン以内で買ってからJRの駅へ向かいました。
キタカの残額を確認して改札を抜けて予定よりも少し早い快速エアポートで北広島へ向かうことにしました。
旭川発の特急カムイが化けた快速エアポートだったので車内はぎゅうぎゅう詰め一歩手前の状態、わずか一停車駅間の乗車なので狭いデッキでやり過ごすことにしました。
外の景色を見ることもできないまま北広島駅に到着、他の下車客と共に吐出されるようにホームに降り立つと乗っていた789系カムイポートはあっという間に発車して行きました。
通勤形733系が新たにエアポート用に導入される経緯も頷ける混雑ぶりでした。
北広島駅特有の開放的なドーム屋根に覆われたエントランスに降り立つと、そこでまたおいしそうなパンを売っている店を発見、これも土産の一つと言い聞かせていくつか購入しました。
早く到着しすぎても時間を持て余すので休憩して息を整えてから出発しました。
駅を出ると気温も急に上昇し夏を思わせるほど暖かくじわりと首筋に汗を感じつつ目的地へ向かいました。
とうとうこの日が来てしまいました。
何だか実感が湧きませんが、そこに行けば走っているのが当たり前という列車が又一つ記憶の中へ走り去りました。
下り列車の撮影には不向きな場所ですが、鉄道に興味を覚えた頃から行き交う列車を眺めていたアングルでお見送りしました。
心のなかでまたいつかと呟きつつ思わず手を振っていました。
このあとしばらく待ってから場所を移動、こちらは最初から決めていた場所なので迷うこと無くまっすぐ向かいました。
北広島市内の輪厚川の河畔公園で最後の石油積載列車を迎えることにしました。
驚きのDD51重連再登板でしたが、これが正真正銘ほんとうに最後の花道となるのでしょう。
先月の石北貨物終了後の帰区回送コンテナ列車が最後かと思われましたが、こうして再びDD51貨物機の勇姿を目撃できて感無量です。
貨物列車ではめったに掲げられることのない特製のヘッドマークも掲げられ、北海道の広大な鉄路を長らく縦横無尽に走り続けた貨物用DD51型機関車の本当の意味で有終の美を飾れたのではないでしょうか。
ただ、そういったありがたいサプライズに対しても、正直な気持ちとしてその喜び以上にこれで本当に見納めという寂しさの方がどうしても勝ってしまいますね。
これまで個人的に無理なく許された範囲の中で記録を積み重ねてきましたが、完璧な記録を残せたとは到底言えず、満足できたカットも少なからずあるとはいえ、少しばかりの悔いは残りそうです。
これでまた一つ幼い頃から馴染み深い鉄道の姿に別れを告げることが出来ました。
そういった区切りを一つ一つ重ねる毎に鉄道からは一歩づつ距離を置くようになっていくと思いますが、そこから育まれた感性を今後は新たなステージで活かしていけるよう精進していていこうと思います。
PS)
今日の撮影ポイントは二か所とも自分一人しか居らず、鶯の鳴き声と川のせせらぎが聞こえる中とても静かに見送る事が出来ました。記録としては背景がやや煩雑であったりヘッドマークのデザインが判別できないことが悔やまれますが、自分の他に誰一人として今日の特別なこの列車をこのアングルで捉えていないとなると、後々になって多少なりとも意味のある記録の層の一つになったのではと一人勝手に思っております。
今日の午後ケータイのニュースで知りました。
ああ、やっぱり来たか、、といった感じです、、(-_-;)
北海道新幹線開業時までは走っていて欲しいと思っていましたが予想以上に早く決断がくだされてしまいました。
主な理由が使用車両の老朽化とありましたが無理もないことだと思います。
トワイライトの写真を手持ちの中から探してみましたが、分かりやすく捉えたカットが思いのほか少なく、まともなカットを探すのに苦労しました。
五稜郭から札幌に向かって牽引してきた青いDD51重連ですが、先日貨物用から引退した車両同様、厳しい極寒の大地を40年近く走ってきたことから老朽化は否めないでしょう。
牽引される後ろの客車編成も同様で、トワイライトエクスプレス自体が走り始めたのは25年前の1989年のことですが、使用される車両は1970年代後半頃に製造されたブルートレイン(24系客車)を改造したもので、その分を含めてほぼ40年間走り続けていることになります。
いかに頑強に設計されている国鉄型車両といえど、片道1,500kmの半端でない距離を連日走行するわけですから、安全面を確保できるかどうかという意味でもこの辺りが限界なのかもしれません。
また車両や設備面の老朽化だけではなく、旧国鉄から引き継がれた複数のJR会社間をまたがる広域連携運用の手間と負担を北海道新幹線開業を機に解消して、互いの経済的負担の低減を図ることを優先したという判断があったのではないかと思います。
もし北海道新幹線開業後も存続を図るとなると、新幹線と共用となる青函トンネル区間を走行するためにはJR貨物が導入を計画している専用の機関車に牽引を委託する必要が生じることから、現状よりも運行に対するハードルが上がってしまいます。
現在運行中のその他の寝台列車についても先行きが大体予測されますが、今この時点では詳しく触れないことにします。
トワイライトエクスプレスに限らず夜行寝台列車が近年立て続けに引退していますが、全く需要がなくなって必要とされなくなったならそれも仕方のないこことだと納得もできますが、現在においてもそれなりの需要と支持があり、それもトワイライトエクスプレスに限って言えば、繁忙期となると切符の購入が困難になるほどの人気で、鉄道を利用したい旅行客にとっては一つの憧れの象徴ともなっている列車なので、こうも簡単に無くしてしまうことに対して正直憤りのような気持ちさえ抱いてしまいます。
いずれにしても日本の鉄道からまた一つ貴重な機関車+客車=汽車の文化が消え去ってしまうことが決まってしまい本当に残念なことですが、それでも残された最後の期間の勇姿と時代の趨勢の姿を出来る範囲で記録に残そうと思います。
先日、夕方以降に札幌まで出かける機会があったのでその行き掛けの途中、野幌駅にて赤い電車の時刻に合わせて撮影しました。
手稲発岩見沢行き普通列車が静かに野幌駅へ進入してきました。
日没直後で露出はギリギリでしたが、どうにか止まってくれました。
以前から何気なくイメージしていたカットが撮れて良かったです。
振り返ってホーム寄りの一枚。
夕方のラッシュ時間帯の赤電車の様子を収めました。
何気ない日常の光景ですが、その静かな雰囲気をわずかでも残せたような気がします。
札幌では買い物など所用を済ませましたが久しぶりの準大都会の喧騒に触れると、その気ぜわしさに少し翻弄され気味だったのか若干の疲労感を覚えました。
それでも、せっかく準田舎から準大都会まではるばる足を運んできたわけですから、駅前の紀の国の大型書店に寄ってちょっとディープでマニアックな一冊を探してみました。
いつも拝見しているブロガーさんの記事で紹介されているのを見て興味がわき、その同じ一冊を探しましたが残念ながら在庫なし。
それでもシュタイナー関連の書籍だけでほぼ1コーナーを占めているほどで、その中からバランスよく編集された入門編と思わしき「ベーシック・シュタイナー 人智学エッセンス」を手に取り購入しました。
ルドルフ・シュタイナーは19世紀のオーストリア出身の哲学者、医学者、教育学者で、人智学=アントロポゾフィーと呼ばれる独特な精神科学論を世に残した人です。
その内容は深く幅広く、まだその触りの触りしか把握できていませんが、その印象を大雑把に言うと、一見するとオカルティックなようでいて実際はとても合理的で、日本人的に言うととても仏教的なニュアンスが多く、そこに西洋のキリスト教的、旧約聖書的、古代インド哲学的ニュアンスが融合した東西哲学を統合したような内容に感じます。
今日のニューエイジチックな思想の基板となっているような宇宙的観念と仏教的輪廻転生論が融合された独特な論理が展開される一方で、今日の精神医療にも通じるような心身の健康に関する実践論や人間の根本的な性質に基づいた教育論、他にも音楽や色彩、造形、建築などの芸術性が人間の精神にどういった作用を及ぼすかなどの幅広い理論が統合的に述べられている点が今までに触れたことのない新鮮さでとても魅力的に感じます。
これ以上深い解説は他にお任せするとして、自分的には直感的に”探し求めていたのはまさにコレだったんだ!”的な静かな衝撃感を受けました。
自分の描く創作的世界観にシンプルだけど確かな一貫性が是非とも欲しいと考え日々腐心して来ましたが、そのダメ押しの一発をこの一連のシュタイナー理論から授けられそうでやや興奮気味で読み進めています。
これまではこういった精神的分野はあまり世間一般から注目されることは稀でしたし、それどころか押し付けがましい宗教的ニュアンスと混同されがちで、それゆえ理由の有無にかかわらず毛嫌いされる傾向さえあったと思います。
これからも小難しい観念的理論は多くの人から好まれるようなことはまずないと思いますが、一方でその大昔から洋の東西にまたがって言われてきた観念的哲学論から正しく導かれた知恵や知識が最も必要とされる時代に入ってきているのも、昨今ますます混沌として先行き不透明になりつつある世の中の有り様を見れば頷ける事実のように思えます。
今日は少しの合間を見つけて鉄活動をしたことから哲学談に話が大きく転びました。
去りゆく鉄道情景に一つ一つ別れを告げる毎に来たる時代に向けて描く小説作品の醸成が進んでいくようです。
明日からもしがない野良鉄の姿に身をやつしながらも淡々と創作活動に勤しむ日々がもうしばらくの間続きそうです。
今日は何気ないヨモヤマ話を少しだけ記しておこうと思います。
個人的には今のこの時期というものを表題にも書いたとおり、じっと息を潜めるようにして耐え忍びながら、、、やがてそう遠くない内にやって来るであろう変化の時に向けて備える時期だと考えています。
たった今世の中で起きている種々様々な出来事に対して揺れ動かされるような必要もなく、醸しだされた平穏な空気の中でもにわかに増え続けている個人個人の閉塞感や混沌に対して絶望することも、だからあえて楽観しようと務める必要性もなく、ただ虎視眈々と終わりゆく時代の趨勢を見極めつつその倒れ際の姿をただ単に見つめるだけで時間をやり過ごそうと思います。
個人的には熱心に小さな創作行為に勤しんできましたが、その矛先はこれまでの時代的枠組みの中にはなく、はっきり言ってしまえば古い時代の意識のあり方にはもはや一切の用は無く、ひとえにこれから迎える新しい意識がモノ言う時代に向かって通用するような、しっかりとした精神的支柱を幾本も備えた強固な品質を奢った簡単には陳腐化しない娯楽実用作品に仕上げようと日々奮闘しています。
全てが変わっていくのが自然の中の必然です。
変わらないままでいようとする人間側の都合によった努力は間違っているのであって、今となっては有害ですらあるでしょう。
だから自分としては過ぎ去ってゆく時代の営みについては一切気にする必要がないと割り切っています。
その中にいつまでもそうしていたい人はそれでいいと思いますし、それでも差し迫った状況変化が安穏とした日和見的態度が許されずに嫌がおうにも新しい道筋を見つけてしまうピンチorチャンスに出くわす人たちも出てくるでしょう。
他の人のことは分かりませんが全体を通した気の流れについてはある程度感じ取ることが出来ます。
いずれにしても、僕自身としては希望を失うようなことはほとんどありません。
むしろこの先、個人的にも全体的にも新たな展望が見え隠れしてくるこれからの時代がとても楽しみでさえあります。
まだ新しい時代の要件を完全に満たしたワクワクを備えた作品には至っていませんが、今は先を急ぐようなことはせずに現時点で確認できる要素を一つ一つ丁寧に拾い上げて整理していこうと考えています。
古い時代の枠組からもたらされた意識の中のシコリを抱え込んだままでは、いつまでたっても心は重苦しいままですしそれではとても幸福とはいえません。
それならばと、少しでも新しい希望の片鱗を自らの意思と行動で探し出せる人たちがまた一人、また一人と現れてくれば、その分だけ未来は少しづつでも明るさと希望を取戻し始めることはもっとも自然な流れ=プロセスです。
どうか自分の意識でそれらを追い求めてみることをお薦めします。
少なくとも自分の意思からでなければほとんど無意味な徒労です。
ましてやそうしようとする自分の素直な欲求をもう片方の自分が自ら嘲る声に耳を傾けているようではますます意味がありません。
またそうしながらも外界の風前の灯火のような今まさに消えかかっている明るさに頼って何か自分にとって良い気分と安堵がもたらされることを期待したところでかえって虚しさが募る結果に終わるでしょう。
本当に実体のないカラの事実ばかりがつづら折りのように折り重なるばかりとなりましたから。
今日は少し詩的で情緒的なニュアンスで言葉を選んでいます。
ようは自分が見出したいと思う希望はその気持ちさえあれば自らの意志と力で見出すことは可能になりつつあるという話です。
深く考えすぎて疲れた時は一休みしてよく眠ることに限ります。
ちなみに僕自身は数年前に比べてよく眠れるようになりました。
今はやや鼻風邪気味ですが体調は悪くありません。
そういう日常に感謝を抱きつつ明日も思索と創作に努めようと思います。
03 | 2025/04 | 05 |
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発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」