忍者ブログ
北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
[19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。






先週末までは暖かく過ごしやすい日が続いていましたが、今日はご覧のとおり、まとまった雪が積もっていました。

北国で生きていると毎年必ず廻ってくる光景です。







JR函館線の地上線が通っていた場所付近にて

絵面的には非常に寒々しいですが気温はまだそれほど低くはありません。

背後の林に樹氷のように積もる雪は氷点下を下回る頃には風で飛ばされてなくなります。






高架線を走り抜ける721系下り普通列車。

この角度では防音壁に遮られて屋根しか見えません。

アンダーパスを潜らなくても行き来できるようになったので幾分便利になりました。





自宅の冬支度など何かと忙しい毎日を送っていますが、体調に気をつけながら年末までの積もり積もった作業をこなしていこうと思います。




PR



昨日は朝一の送迎付きで本当に久しぶりの撮影を楽しんできました。


お目当ては電化後の学園都市線のスター列車、朝の赤電こと711系普通列車です。


学園都市線が本格的に電化されてから1年以上経ちましたが、なんとこれまでごく近場にも限らず、一次電化直前の気動車列車名残惜しみ乗車以来、一度も乗ったり撮影したりしていませんでした。


ネットや書籍で見られる情報や写真の数々を見てお茶を濁してきたわけですが、昨日ようやく朝の711系普通列車の記録と合わせて撮影が叶いました。




秋蒔き小麦の畑が拡がる石狩太美~石狩当別間を走る711系6両編成。

幸運にも来てくれたのは2編成しか無い国鉄原色復元のS-110+S-114併結編成!


最近タッグを組み始めたことは知っていましたが、まさかタイミングよく来てくれるとは、、
 
  
 
少し離れた場所で711系折り返しの合間に来た721系+735系アルミ車。

御存知の通り735系はアルミ車体の試作車で2編成しか無い希少車です。

(※トリミング済みカットです)





着々と増備が進む733系も捉えました。

ベースとなった731系と合わせて、これらJR世代の電車たちが電化後の主力車両です。

北海道初の本格的幹線用電車である赤電711系も再来年度いっぱいで置き換えられ完全に引退する予定です。
 
 
 
 

秋蒔き小麦の上に薄っすらと雪が積もった一角の横を通り過ぎる711系復元色6両編成。

20数年ぶりに復刻されたこの塗色ですが、温かみを感じるその色合いが21世紀の今になった方がより好ましく感じられるのが不思議です。






この北海道の風土に根ざしたオリジナルな装いの電車が、あと一年とちょっとで見られなくなってしまうことがとても残念です。


願わくば、東京メトロ銀座線の1000系やいすみ鉄道の350型の例に見られるように、こういった古い名車のレトロなエッセンスを取り入れた新型車両を導入するのも、多様な乗客のニーズに応えるためにも有効な方法かもしれません。


機能性と経済性を追求したメタリックなステンレス車両が行き交う中でも、711系のような暖かな色彩をまとった鉄製車両がたまに現れる意外性が、様々な場面で鉄道を利用する人達を楽しませる要因になっていると思います。


それにしてもやはり、一見して何もないような北海道の広大な原野を行くワインレッド色の電車は美しいなぁ~と自分で撮ったカットを眺めながら一人税に入ってしまいます(^_^;)





もう何だか訳の分からないタイトルで記事を書き始めています(^_^;)


最近、こういった自己啓発的な思考方法に凝っているとか、そういうことではありませんが、、、


創作活動と称しながら、毎日毎日、来る日も来る日も飽きることもなく思索を巡らしているかのようでいて、一方では日々の細々とした、それでも必要不可欠な雑事をこなしながら、意外なくらいに静かに意識の中の時間が過ぎていきます。


そもそも、このブログのエディッターを開いて記事を書いていることも、小説の構想を組み立てて執筆に当たることも、ある意味で独り言の延長線上であって、つまるところは自分の内面の中にいる本当の自分と呼べる意識との対話で成り立っていると言えます。


でも、最近、進んでいるようで進められていない、何か潮の満ち引きの流れの中に漕ぎだしたボートのような、微妙に乗り越えられない関門のような場所に迷い込んだ気持ちになっています。


少し弱気のけが出始めていますが、ある大きな変化に気付き始めていると言いますか、うまく例えて説明できない認識なのですが、自分の内外における区別なく、あらゆるレベルの問題や物事において、確かに大きな意味合いの変化が起きていることを、もうほとんど確信に近いほど感じ入っています。


相も変わらず、この「変化」という言葉を、捉えどころのない意味で使い続けていますが、今この時においては、この漠然とした「変化」を感じるという意味をもう一歩だけ具体的に言い表すために、ある種の「卒業」という言葉に近いニュアンスとして説明してみようと思います。


というのも、まずは自分のごく個人的な意識の中の問題ですが、他でもない僕自身が主に取り組んでいる創作においてのテーマとか目的といったものから、基本的な人間の捉え方といった根本的な性質に至るまで、はっきりと自己改定が必要な時期に差し掛かっている気がしています。


それも、これまでのように小賢しい小理屈を並べ立てて納得した気になるような手っ取り早い手段は通用せず、ただ道理の法則に身を委ねて、それでもその流れを敏感に察知しつつ感じ取る努力は怠らない、その上で気が付かない内に時間の経過とともに自分の内面も相応に変化していることに気づくといった感じです。


相変わらず持って回ったような、退屈な表現でしか説明できていませんが、こういった意識の流れの中で意味付けされたものが、もうすぐそのそばから流されて次の意味付けに置き換えられて、さらにそういった意味付けが行われていることさえ失念し消え去っていくような感覚が自分の内側のみならず、他者が併存する外側の世界にも無数に感じられるようになりました。


これはつまり、自分内側で感じられる絶え間ない変化の流れと全く同じ手触りの変化が、あたかも外側の世界で起きている現実の種々のレベルの出来事にも通じていると感じられる、あくまで僕個人の錯覚ともとれるリアルな感慨です。


そして、現時点でその意味するところを一言でくくるなら、様々なレベルの現実において起きている無数の意味あいにおける無数の「卒業」です。


これまで、誰しもがそれぞれ追い求めてきてやまなかったであろう無数の価値ある意味合いにおける実感が知らぬ間に薄らいで消失していくことで、その価値あるはずの意味合いを追い求めることからの「卒業」が自動的に成就されていくといった感じです。


それが今現在の各々の意識の中で現実に起きているさなかであり、問題なのは、それらが無数の「卒業」であるならば、同時かつ必然的に開始されるであろう無数に始まる新たな物語が、少なくとも僕自身には未だに見えていないということです。


ここで焦ったら負けだと自分にちょっとだけ発破をかけながら辛抱強くその物語が見えてくるのを待とうと思います。


今日はいつになく抽象的で曖昧でつまらない(いつもどおり)の独り言でしたが(そうしたくてしたのではなく)そういうふうにしか書き表すことの出来ない今の不可解な心情を何とか書き綴っておきたかったのです。





唐突ですが、来年に募集が始まるとある文学賞に応募することを目指して、新しい短編小説を書くことを目指して構想作業を始めました。


これまで取り組んできた大長編「N」の執筆はとりあえず一休みして、こちらの新作の創作に全力を注ごうと思っています。


募集内容は原稿用紙で200枚程度と文章量的には今の自分の力量でも無理なくこなせると踏んでいます。


今のところ、おおまかな設定と舞台、テーマしか決まっていませんが、すでに頭のなかでは全体のイメージが固まってきています。


今のところ決まっている点を列挙すると、舞台は道北の地方都市で、主人公は三十代を迎えたOLの女性、その主人公が生まれ故郷の地方都市にふと立ち帰り、これまでの人生を振り返りやがて転機を迎えるというあらすじです。


その背景として、道義的、道徳的に凝り固まった傾向のある父親の価値観の影響を引きずったままの主人公の心情があり、その束縛的な考え方や感情からの脱皮を自らの意思で始めるまでの過程を描こうと思っています。


もはやライフワークである大長編「N」に比べて、ある特定の分野を取り入れて書くわけではなく、ごくありふれた背景に潜む人間関係と人生模様をベースとした構成になるので、その点でははるかに楽な創作作業になりそうです。


ただ、募集要項の原稿用紙200枚程度は少なすぎる量ではありませんが、決して多くもないのであまり沢山のテーマを織り込みすぎては内容が煩雑になって、一歩間違えると何を伝えたい小説なのかわからなくなるので注意が必要です。


なので、構想段階で入念に書くべきテーマを絞り、場面の配置も計画建てて、準備万端の体制で書きだそうと思っています。


とはいえ、短い小説でも人生の機微を単行本一冊分なみに織り込みたいという文学的野心もフツフツと湧いてきているので、コンパクトでありながら重層的なテーマの折り重ね方を考案しようと思っています。


それらの断片的テーマは、どれも短編中では問題定義にとどまり、そのなかのメインの一点のみ、主人公の心情の中で唯一消化されて行くという集約の仕方を考えています。


ここからはさらに先の話ですが、短編中では未消化のまま散りばめられたテーマの数々と設定の背景を、引き続く続編の中で順次書き表し、最終的には一冊の本になるような二次構成を考えています。


言い換えれば、最初の短編は全体のストーリーを予告する最初の一章ということになります。



続編はどれくらいの長さになるか全く決めていませんが、要素としては主人公と対になる幼なじみ(=学生時代の同級生)の男性を登場させます。


この人物については、第一章の短編でも回想の中の人物としてキーワード的に登場します。


この男性のエピソードが一つのきっかけとなって主人公の意識の転換が始まるといったようなストーリー展開を考えています。


続編では、実際にこの人物がリアルタイムで登場し主人公と関係を深めていく過程を描き、ついには恋愛関係に近づいていくということも想定していますが、それ以上に、主人公が抱える父親の価値観の影響(=主人公にとっての社会性の象徴=今現在までの古い硬直した社会の現状の反映)に対する男性の事故肯定的な価値観と生き様に主人公が触れることで、それまでとは異なった、人生の展望を自分の意志で思い描けるようになっていく過程を重ねあわせて書き出せれば良いと思います。


主人公の父親の道徳観の中には常に自己否定的な批判精神が内包しており、主人公は常にその影響を受けながら自分を圧迫してしまいます。


これは今回の文学賞が掲げているテーマとも重なる要素です。


それに対して男性の自己肯定的な生き方への強い意思と姿勢を通して、相手を理解し思いやることについて、ほのかにメッセージを伝えられればなお良いと思います。


まだ取り上げるべき要素はたくさんありますが主に重要なものは以上のとおりです。


とにかく今の自分にとってベストを尽くしたといえる作品を完成させることが最大の目標です。


そして、その出来上がった作品を記念すべき賞に応募することができれば、自分にとって一つの区切りを達成できたことになると思います。


もちろん、その後に成果もついてくれば言うことなしですが、今から取らぬ狸の皮算用はしません。




PS)
長編「N」の構想も並行して断続的に行いますが、この作品に対してはあまりにも思い入れが強すぎたためか、あらゆる要素にこだわり過ぎてがんじがらめになってしまう傾向があったので、今回の作品では、あまりにもこだわり過ぎないように気をつけようと思います。また、最近気づいたことは、他の人と比較してはいませんが、自分の頭の処理能力に対して文字を打つのが速すぎるようで、それが原因で自分の自律神経を必要以上に酷使し気づかぬうちに体調不良を引き起こしていたように思います。なので、これからは何事もよりスローな動作を心がけ、文章もじっくり味わうようにして打っていこうと肝に銘じています。とにかく、弱い身体をいたわりながら一つの作品を初めてきちんと完成させることが目標です。




 



表題の通り、ある種の大きな変化が、いくつも立て続けに起きそうな予感と期待感が入り混じった奇妙な感慨に包まれて、個人的には少々戸惑い気味な今日このごろです。


もうすでに何年も前から、いいえ、それよりもずっと以前から何かがおかしい、変だ、いや待てよ、そう思っている自分の思考回路がちょっとおかしいのかといった塩梅の、やや混乱した意識を片隅で曳き釣りながら今日までどうにか過ごしてきましたが、後もう少しで、まだもうちょっと間があるかもしれませんが、それでもそう遠くないうちに確実に、その困惑した感情の要因である巨大な疑問に対してはっきりとした答えを得られそうな雰囲気を感じて、やや高揚した気分に浸りながらも、内心ではかなりホッとしています。


これから前代未聞の予測不可能な大きな変化に直面するかもしれないというのに、内心ではかえって安堵しているというのは我ながら奇妙ですが、その訳は、これまでに自分が他の誰かから頼まれたたり強いられたわけでもないのに、自らの意思で、と言うよりは内面から聞こえる確信的な直感の声に促されるままに、そういった巨大な疑念の塊に対して、少しづつノミで削り落とすかのように、細部に渡りながら自分なりに理解し納得できるように、一見して不可解な論理と向き合い続けた取り組みの結果、気がついてみると不可解な印象与えた疑念の一切の不可解さが、それ自身とともに自分の内面のはっきりしないモヤモヤした不明瞭な領域とともにキレイサッパリ雲消霧散していたからです。


それが起こる前からそういった理解の領域に自分が導かれていたことは幸運なことだったと思います。


これから、おそらく十中八九、多少遅いか早いかの誤差があろうとも、ほぼ間違いなく、この時代のあらゆる物事の一切全てに渡る、もちろんその時代の中で生きているぼくら普通の個々人の価値観や意識に対しても例外は一切無く、大きすぎる変化の波が押し寄せてくるはずです。


でも、それらは真に幸いなことは、その一波ごとがどのように見なされようとも、全体としては完全にポジティブな結末を迎えることが約束された変革であり、この地球上のほとんどの人たちにとって福音となる結末をもたらすことです。


これらの全ては受け止めるしか無いことです。


また、それだけで十分です。


なぜなら、いかなる立場にいようとも、この大きすぎる変化の最中で、それ自体をどうにかして、自分個人が置かれた立場と利害を超えてでもコントロールできる人物などこの地上に存在しないからです。


古い言い方をすれば、全ては天の采配次第で決められることだからです。


それは、一人一人の生きとし生ける個人の身の上に、一切の漏れも例外なく貫徹した永久の昔から存在する摂理です。


このことを最初のコトワリとして心の中に抱いている人は、たとえ何が起きようとも動じることは無いでしょう。


この事について重ねて言えば、この最初の理りを古くて非論理的な迷信のように嘲笑うことが、いかなる客観的で高度な論理をもってしても今後は不可能になります。


特別な理由を説明する必要はありません。


これからそうなるのではなく最初から根本的にそうだったから、ただそれだけです。


まさにこのことを素直に本心から受け止められる度量を自分の偽らざる心の中に持てるかどうかがその人の行末の明暗のはっきり分け隔てます。


人は自分の心の有り様に責任をもたなければならないと、自分でも常日頃思ってきましたが、その行いの如何が良いこと悪いことの区別なくダイレクトに自分自身に還元される時代がもうすでに始まっています。


今日のメッセージには大きな意味があります。


もちろん、その重要の度合いにについては受けての人達それぞれ受け止め方次第ですが。


だから今はこれらのことについて特別な意味をあえて見出そうとする必要は無いと考えても全く差し支えありません。


ただ、時勢の強い流れに従い、こういった類のメッセージは日を追う毎に、たとえこの閑散としたブログ上に限らなくとも、目にする機会が増えていくことでしょう。


もし、そういった出会いが重なったのなら、そのことについて、自分自身の意思と意識を駆使して探求されることをおすすめします。


今なら、まだそういった思索が出来る時間的な猶予がかろうじて残されているからです。


その時は日毎に近づきつつある、その気配を肌で感じる今年の10月はやはり少し趣の異なる特別な時節と相成りそうです。







秋分の日が近づいていますが、今年の九月はある意味、自分自身の内面にとって特別な節目の月になりそうです。


8月の末まで淡々と続けてきた執筆作業をピタリと止めて9月に入ってからは意図的に待機状態に入っていました。


今月はある種の感じられる気の流れが激しいというか、今までとは少し異なった感じの体調不良も伴いながら心理的にかなり揺れ動いた時期がありました。


それらの不快な症状がやや落ち着いたところで、その期間にあった内面における心境の変化などを自分自身に問いかけてみると、それらがもたらした変化の意味がおぼろげながら見えてきた気がします。


それは自分の一創作家としての心構えやスタンスそのものがまるっきり変わる必要があると強く感じ入ったことでした。


あくまで内面的な創作のスタンスにおいてのことで、これまで考えて作り上げた一切を変更して放棄しようということではありませんが、これまで客観性中心で捉えてきた人間模様と世界を、それらのすべての要素について自分の心から感じた要素を中心として世界と人間を再構築していこうと考えています。


というのも、創作家として生きる道を辿ろうと決めた自分自身のこれまでの歩んだ内面の過程と在り方を顧みると、本来優れた創作家の誰もが持ちうる自身の主観の目線が自分には最初から欠けていたというか、本当に子供の幼いころからそういった一面に全く無頓着で、自分の心の中心に映る風景をことごとく軽視して生きてきたことに今ようやっと気づくことが出来たからです。


後世に残る優れた創作家は、その人達が画家や音楽家、作家、役者、芸術家、その他いかなる表現者のいずれであっても、自分の内面の中心に映るビジョンを深く受け止めて理解し、それを他者へありのまま伝えることの出来る卓越した術と意識力を有していました。


ここで一言断っておきたいことは、後世に残るほどの優れた性質としてそういった能力の価値を見出しているのでなく、創作家を目指す云々以前の、一人の未完成な人間としての自分自身が、どうにかもがきながら次なる階段の一つを登って出口に至るために探り当てた一筋の光として純粋に求めているということです。


実際にこの出口の光を垣間見てからは、これまで自分がたどってきたあまたの紆余曲折と積み重ねの一切が、これから辿ると決めたこの道に至るための準備に過ぎなかったと真から納得できるのです。


これをもってして、自分の内面においては永遠に等しいほどの過去の蓄積のすべてについて、ようやく一区切りできたと思えてほっとしています。


しかし、それは同時に本当の意味のスタートラインに今ようやく立つことが出来たということを意味しているのであって、自分が一創作家として生きるにあたって、一体何を創造し伝え残していけるのか、今の段階ではキレイサッパリ白紙の状態で文字通り想像もつかない有様です。


それでも決して焦って答えを見出そうとはしません、これまでの社会性を意識し過ぎた客観性の時間の中で可能な限りの意味付けをしながら自分自身を説得して黙らせるという作業はもはや必要ないと看過しているからです。


これからは積極的な受け身の受け入れの時間の中で自然に答えが一つ一つ見つかるようになると思います。


これらのことに気づかしてくれたものは、意外にも今日の朝の番組内で人気沸騰中の朝ドラ「あまちゃん」の主人公を演じている女優能年玲奈さんインタビューでした。


いつものように眠い意識のまま「あまちゃん」を楽しんだ後、続けてはいった番組の中で能年さんが緊張気味にインタビューに応じている姿を何気なく見ていたら、フッと脳裏に思いついたことがありました。


それは演技を生業として生きることを選択した人達が、様々な人間の感情の有り様を演じながら絶えず感じつつ自身の心のなかにも響いて残るモノがもしあるとしたら、そのモノからもたらされる、あるいは残された産物が自分の心の中の同種の感情の存在を明らかにし、嫌がおうにもそのことを受け止めさせることを強いるということが演技をし続ける者たち共通の宿命的な因果として存在するのか否かという思いつきでした。


そこに普遍的な人間としての真剣な葛藤が垣間見えた気がしました。


自分の内面に存在する様々な感情や心情の在り方に急いで意味付けをして一時的に楽になったり、あるいは楽になるための意味付けを重ねて、本来そこにあったはずの自分の在り方とはかけ離れた自分の姿がいつのまにか取って代わって、それを見失ってから苦しむことも長い人生においては珍しいことではありません。


つまり、人は本来の自分自身を目指して生きることを維持するためには、自分だけの本来持って生まれた独自の時間がどうしても必要だということです。


自分独自の自然な時間の流れと社会一般の共通の時間は常に相反関係にあります。


だから生きている人間は誰もが例外なくここで葛藤することを強いられます。


社会共通の時間が定めてくれる自分の存在に対する意味付けは明確で、容易で、しかも曖昧です。


対して、自分自身の時間で生きることを継続することは兎にも角にも忍耐が必要で例外なくシビアで、しかも孤独であることが普通です。


どちらの時間の中の自分に対してもバランスを取って調和することが人として生きることの避けられない命題の一つです。


でも、なにをどう捉えて表現するかは本来、無限に自由なはずです。


その本来の自由を取り戻すことを自分自身の当面の課題に置くことを宣言してそろそろ終わりにしたいと思います。


取り留めもない独り言を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。






カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ご来客数
ブログ内検索
プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
43
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
最新CM
[03/29 鈍行翼]
[03/29 北海道鉄道観光資源研究会 永山]
[07/14 鈍行翼]
[07/13 Mori]
[09/17 鈍行翼]
[09/13 神山卓也(リンク先は「美唄鉄道旧東明駅訪問記」)]
[10/15 鈍行翼]
[10/07 チョッパ]
アーカイブ
アクセス解析
フリーエリア
最新トラックバック
忍者ブログ [PR]