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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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RIMG8250.JPG今日は平成22年2月22日です。でも、これといって記念になるようなことは何もしていません、、、というか風邪をひいてしまい何も出来ませんでした・・・(--,)

あまりネタもないので、とりあえずうちにあるキハ22-222のレプリカナンバーを貼っておきます。というわけで、以下ネタが無い時の思い出話とさせていただきます。



嘘みたいな車号ですが、実際に存在した車両です。キハ22は前年に登場したキハ21の改良型として昭和33年に登場しました。二重窓+デッキ付きの車内構成はその後の北海道用車両の基本形となりました。登場後、改良を重ねながら増備が続けられて北海道中のローカル線と東北地方の一部で活躍しました。赤字ローカル線廃止と国鉄終焉とともにそのほとんどが引退して残ったグループも1994年に函館地区から撤退、JR線上から姿を消しました。キハ22-222は後期グループの200番代の22番目の車両です。昭和38年富士重工で製造されて札幌運転所に新製配置されてから、国鉄末期に苫小牧に移動するまで終始道央圏の路線で活躍しました。JRに引き継がれることなく、1987年に廃車されています。



fb9a68ae.jpegキハ22-222と一番違いの221号が廃止された旧幸福駅に保存されています。もう15年くらい前に撮影した古い写真ですが、定期的に補修されて現在でも美しい姿を保っているそうです。

もしも222号が保存されていたら、2の5並びナンバーでちょっとした話題になっていたかもしれないですね。




キハ22は子供の頃、最も好きな鉄道車両でした。特急でもブルートレインでも新幹線でもなく、この古びた気動車が一番好きだった理由は良く分かりませんが、北海道のローカル線の四季折々の美しい風景を追った写真集を見た影響だったと思います。国鉄型気動車の柔らかい造形と鮮やかな彩色が、北海道の四季の情景に調和する姿は本当に魅力的です。また、乗り鉄でも味わい深い車両でした。開ける時は手動の半自動ドア、デッキを抜けて足を踏み入れると見える木張りの床、あの背ずりが垂直のボックスシートに腰をおろすと何故かホッとするのが不思議です。DMH17エンジンのカランコロンと鳴るアイドリング音、コイルばねの突き上げるような振動も木製床のためか思いのほかマイルドな乗り心地でした。

どれもこれも遠い昔の思い出話ですが、小さな窓に流れる風景を追いかける時間が幼心にも心地良かったことを今でもはっきり覚えています。キハ22にはじめて乗車したのは、たしか富良野線の快速「ラベンダー」だったと記憶しています。その後は上砂川支線の700番台、末期の室蘭本線で乗車しました。大きくなったら自分のカメラを持って、この一番好きなキハ22を写真に納めようと夢見ていましたが、残念ながらタッチの差で叶いませんでした。当時は生まれるのがあと数年早ければと悔しい思いをしましたが、今考えると実際に乗って触れることができただけでも貴重な体験だったと思います。


2の5並びの日にキハ22の思い出話となりましたが、今思い返してみても当時はまだまだ魅力的な光景が点在していました。もしもこの先、キハ22や56,27あたりが復活して運転されたら、正直なところC62やD51が復活するよりも嬉しいですね。そうなれば、子供の頃に叶わなかった写真撮影を心ゆくまで楽しみたいのですが99.9%夢物語ですね(^^A)

最後になりますが、季節の変わり目は風邪に要注意です。ぼくもとうとう風邪を引いてしまいダウン寸前ですが、そればかりでなく家族全員が風邪を引いているので参ってしまいます。最近の風邪は妙にしつこくネチっこいので嫌になりますが、みなさんも体調管理と風邪予防には充分にご注意くださいませ~orz。

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今日は男子フィギュアスケートのフリー演技がありましたね。結果は日本中のみなさんが御存知の通り、高橋大輔が見事に銅メダルを獲得しました。テレビで演技を固唾を飲みながら見ていましたが、いやぁ~本当に感動しましたね~。オリンピックを毎回見ていて思うことですが、それぞれの選手がプレッシャーをかき分けながら必死で演技しているオーラが画面を通して伝わってくるような気がします。小塚は4回転を決めるなど、初めてのオリンピックとは思えない見事な滑りでした、次のソチ五輪で日本のエースに成長しているのでしょうね。織田は靴ヒモが切れるというまさかのアクシデントで気の毒でした、それでも観客の声援に励まされながら最後まで演技をやりぬいた姿は感動的でした。オリンピックには魔物が潜むと言われますが、今回のアクシデントがそれなのでしょうね。オリンピックはまさに筋書きの無いドラマです。

魔物といえば、金メダルを取ったアメリカのライサチェックはモンスターのような強さでしたね。その演技は完全に勝ち行ったと思えるようなものでした。勝利に対する執念が剥き出しになっていたというか、何かアメリカという国の素の表情を垣間見た気がしました。ライサチェックのあとに演技した全ての選手は、おそらく例外なく、彼がリンク上に残して行った黒いプレッシャーと戦うことを余儀なくされたと思います。直後の織田もそのプレッシャーに飲まれてしまったのかもしれません。最後に滑った、あの王者プルシェンコでさえも緊張に揺らいでいる様がはっきり分かるほどでした。

高橋は演技序盤、かかんに4回転に挑戦しました。転倒してしまいましたが、それすらも演技の筋書きであったがのごとく立ち直り、以降は本当にすばらしい演技を見せてくれました。右膝の大怪我から復活しての快挙は本当にスゴイことですね。以前、リハビリに打ち込む姿を追ったドキュメントを見ましたが、その時はオリンピックに出られるかどうかすら五分五分だと感じるほどでした。あの時の苦痛をたたえた姿を覚えているので、今日の結果には感無量なものがあります。高橋選手は自身をアスリートとして申し訳ないほど弱い人間と評していましたが、むしろ自分の弱さに苦しむことが出来るほどの精神だったからこそ、そして絶望的な怪我を負っても諦めずに信じ抜く強さがあったからこそ、最後にあれだけの輝きを見せることができたのだと思います。


ライサチェックは4回転は捨てて勝利を確実にする滑りで金メダルをモノにしました。王者プルシェンコは自身の8年間ジャンプで転倒したことが無いというプライドをかけて全てのジャンプを成功させました。日本の三選手は、そういった強豪相手に一歩も引くことなくベストを尽くしました。高橋が史上初の銅メダルを獲得して、織田、小塚が入賞をはたしたことはすばらしい快挙です。まさかのアクシデントに見舞われた織田選手は本当に気の毒ですが、胸を張って帰ってきてほしいですね。

メダル争いを演じた上位選手もさることながら、日本の小塚選手と同世代の若手選手の活躍が相次ぎました。アメリカのちょっとオカマっぽいウィア(19)は、リンクに上がると一変してライサチェックに迫るほどの完璧な演技を見せましたし、カザフスタンの七三分けがチャームポイントのデニス・テン(16)も驚くほどうまい演技を見せてくれました。また、各国のベテラン選手が最後の大舞台として今回のオリンピックに望む姿も多く見られました。アスリートのピークは短いものですね、そういった選手の多くがぼくと同世代だったことも別な意味で感慨深いものがあります(^^A)


早くもオリンピックは後半戦に入りますが、男子に引き続いて女子フィギュアも本当に楽しみですね。結果がどうなるかよりも、三者三様のベストな演技が出来ることを一観客として祈っています。



_IGP3073.jpg今日は何とか早起きできたので、朝の大麻駅まで行ってきました。昨日の夜中に雪掻きをしていると、掻いたそばからもう積もっているような降雪だったので、これはおいしい条件だと思っていました。

狙いは写真の通り、雪景色の中を行く711系です。ちょっと色気を出して、木々の樹氷のような着雪を大きく取り入れてみました。



ここはカーブを行く列車をホームから手軽に狙える定番駅撮りポイントですが、近くでありながら今までに雪景色を撮ることはなかなか叶いませんでした。というのも体調が本当に良い日と天候条件が良い日が重ならなければ、近場とはいえ撮影にでかけるのは無理なのです。それでも今シーズンは体力がかなりついてきましたから、寒い冬場の撮影でもバテなくなりました(^^)

数年前に721系、731系の増備が完了した時点で、札幌圏からかなり締め出された711系の列車ですが、学園都市線の電化を控えた今年から、また何らかの動きがあるようです。去年、学園都市線の電化発表と同時に新型の近郊電車を42両製造することが発表されました。この新型電車は巷では735系と呼ばれていますが、先行車が近く製造されるという噂があります。ここ最近は小康状態を保っていた711系勢力ですが、ここにきて廃車の動きが再び始まりそうな気配です。

新車の735系は、721系、731系と共通運用で学園都市線を含む札幌圏で運用される予定です。現時点では総勢42両が登場することしか判明していませんが、これまでどおり3両ユニットなら14編成ですから、気動車を置き換えた上でさらに711系を全廃にできる両数ではありません。ところが、一部の話では2両ユニットという声も聞かれますから、もしそうなら711系16編成のうちかなりが淘汰される可能性があります。

ここまでの話はあくまで噂と推測ですから、話半分程度で聞いてくださいね。いずれにしろ、711系も徐々に終焉に近づいていくことは確かなようです。今日、大麻駅で撮影した小樽発旭川行2149Mは午前中の札幌圏を堂々6連で駆け抜ける貴重な列車ですが、これとていつまで走ってくれるかわかりません。今回はようやく冬の711系をきちんと記録した1枚が撮れたので本当によかったです。これから先もそんなに多くは撮れないでしょうが、残したい構図がいくつかあるので、それらを一枚一枚しっかり切り取っていきたいと思います。また、小樽から旭川まではるばる4時間30分かけて走る2149Mをいつかは乗り通してみたいものです、もちろん弁当、おつまみも忘れずに(^^A)



バンクーバー五輪が開幕して世間はスポーツの話題でたけなわのようですが、一方で経済情勢はギリシャが破綻寸前であったり、五輪が開催されている同じカナダの極北の地で秘密サミットが開かれたりと何やら雲行きが怪しくなってきています。アメリカではリーマンショック以来の経済建て直しが遅々として進まずドルのデフォルトまでささやかれています。水面下では何らかの対策が急速に進められているようです。ぼくには何が起ころうとしているのか全く見当がつきませんが、バンクーバー五輪が終わった後に世の中の変化が急速に進むような予感がします。

これから先は取越苦労の杞憂にすぎないかもしれませんが、何となく時代の谷間が近づいてきているような気がしてなりません。今すぐに国の財政破綻や資本主義経済の崩壊などという大それた事態が起きるとは思っていませんが(いつでも起こりうるという心構えはあります)、歴史を振り返ると一つの時代、一つの社会体制が永遠に続いた例はありません。今現在殆どの人が当たり前と思っている市場主義と民主主義による自由社会も、いつかは役目を終えて新しい体制に取って換えられることは間違いないことだと思います。問題はそれがいつ起こるのかということですが、それは誰にも分からないことだと思います。それでも実感としてそう遠くないうちに起こるような気がします。実体経済の100倍のお金が還流してそれにほとんどの国が依存している経済はどう考えても異常ですし、いつかは限界が来ることは明白です。

万一そういったことが起こると、一部の例外を除いて世界中の人々がこれまでに経験した事が無い、常識や価値観が一辺にひっくり返るような衝撃を経験することになります。過去の歴史に例を求めれば、戦前、戦中から戦後に至る激動の時代、もっと以前は幕末から明治維新、最も近年では社会主義体制が崩壊して冷戦が終結した時代です。最後の例は遠い外国で起きた例ですが、それぞれの時代に共通して起こったことは、人々の間で普通に存在していた価値観や人生のリアリティが、ある時点を境にして根こそぎ奪われ消失したということです。教科書の上では、歴史上の重大な転換点をこともなくスムーズに乗り越えたかのように記されていますが、実際にはその時代を生きた数え切れないほど多くの人々の人生や価値観が混乱の中で変えられたり失われていったりしたのです。

では、そういった時代の谷間をくぐり抜けてきた多くの人々はどうしてきたのでしょうか。絶望の中で人生の歩みを断念してしまった人も少なくなかったでしょう、しかし、それでも大多数の人々は何とか生き続けてやがては新たな希望と人生のリアリティを取り戻したのです。だからこそ何が起きても希望を捨て去る必要は無いのだと言えます。なぜなら、その時代を生き抜いた人々の困難を乗り越えようとする営みが新しい時代を創造していったのですから。この先そういった時代の大きな谷間に遭遇しても、かつての時代よりも幸いなことは、人の命や形あるものが全面的に破壊され尽くすようなことが、まず起こりえないだろうということです。おそらく、目に見える形の悲惨さよりも、今の時代を生きる一人一人の人生や価値観が問い直されるような、精神的な衝撃が強くなるのではないかと思います。


ここでまた繰り返しになりますが、明日にでもそういった万一の事態が起こる可能性は低いと思います(思いたい・・・)、不安や恐れをいたずらに煽るつもりはありません・・・(^^A)


昨今は平穏無事な時代から混乱の時代へ移り変わろうとしている過渡期の時代かもしれません。そういった時代には、いくつかの必要な心構えがあります。まず最初に、本当に必要なものとそうでないものを選り分けて不必要な執着や願望の対象はいつでも捨て去る準備をしておくべきです。そのようにして自分の心の中を整理し身軽になった上で、今度は自分の人生の本当の目的、役割について真剣に考えてみることです。ここで、これまでの価値観や感覚の延長線上で考えても無意味です。例えば、自分の人生のいついつ、どこどこで何々を手に入れて、他の誰かさんと比べて見劣りしない生活をしよう、そんな考え方は混乱極まる時代には相応しくありません。また、辛いこと苦しいことはできるだけ避けて、それよりも楽しいことをたくさん見つけて嫌なことをまぎらわそう、当たり前のことですが、いざという時そんな生き方は通用しないと思います。

困難な時代を乗り越えるために真に必要な要素は、自分の生きる目的を自覚することだと思います。人間の歴史は古今東西、動乱と変動の繰り返しでした。自分の人生において、どうすればもっと多くの収穫を得られるのだろうか、そういった考え方で生きられる幸せな時代のほうが歴史の上では圧倒的に少なかったのです、むしろ例外と言ってもいいくらいです。自分の生きる目的を見定めるということは、いついかなる時も人生の道しるべとなります。そして、それは自分の意思と力で見定めなければならないことです。もし、本当に世の中が困難な時代に突入したときに、自分の生きる目的を思い出して、それ以外は脇目も触れずに貫き通す覚悟が必要です。もちろん、それは自分本位を貫くということではなく、むしろ反対に誰かから必要とされる役割を担うことや、大切な存在を守り抜くことを意味します。

こういった心構えで生きるということは、アスリートの精神に似ているのかもしれません。アスリートは絶えずライバルと競りあって勝利することを目指し、一方で自分の肉体を限界までいじめ抜くことで、また精神をプレッシャーと多大なストレスにさらすことで、自らの弱さの限界を乗り越えようとしているのだと思います。多くの人々がアスリートの姿を見て感動する理由は、アスリートと同じように観る人の心の中にも人生の真実の意味を見出したいという根源的な欲求があるからだと思います。半ば人生を諦めてしまったような人でも、心の奥にある何か求めてやまない気持ちを完全に消しさることはできないと思います。それは人間の魂の底に絶えず真実を求める要求が植え付けられているからではないでしょうか。書いているぼく自身、本物のアスリートのようになれるわけではありません、それでも今のような先行きの見えない時代を生きる上で、アスリートのようにストイックに真実を求め続ける生き方は一つの見習うべき手本のような気がします。


ぼくにも決して小さくない夢があります。それは、時代が変わっても決して失われることの無い真実の一面を、ぼくなりに何かの形で表現しきることです。そう思っているだけではなくて、いま実際にそれを手掛けている最中です。それはぼくにとって一筋縄にいかない難しい課題です。まだそれを創り上げてはいないので何をしているか口にだすことは出来ませんが、思いのほか時間がかかったとしても完成させることはできると思います。ただ作るだけなら、やり方さえ学べば誰でも作れるものですが、それを他の誰かにとって価値あるものに仕上げることが難しいのです。それが多くの人に必要とされて売り物になるかどうかは分かりません、でも、たった一人でもそれを手にしてくれた人にとって意味のある作品に仕上げてみせるという自負はあります。


時代や人生において、先々に何が起きてどうなるかは誰にも分かりません。だからこそ、自分の人生を迷うことなく賭けることのできる夢や希望が必要なのだと思います。厳しい時代の波に飲み込まれても、逆にそれを乗り越えていく人は、いつの時代も困難を恐れず前向きに生きている人々です。



_IGP3048.jpg今日は天気もまあまあ良くて気温も下がっていたので、パウダースノーを求めて江別付近の一番町に出没しました(^^)

一発目の上りオホーツクはすっきりと仕上がりました。オリンピックの開会式をゆっくり見ていたせいで、あわてて家を出ましたが何とか間に合いました(--,)




_IGP3055.jpgおなじみ721系普通列車です。通過する間際にライトをロービームに落としてくれました。

この場所に来るのは半年以上ぶりです。たしか去年のルピマスシーズン以来ですから近場とはいえずいぶんご無沙汰していたものです。





_IGP3051.jpg731系も撮りました、赤いラインに雪化粧が似合います。

今日はゴム長を履いて現地へ参上しましたが、思いのほか雪が深くて難儀しました。深いところでは股下まで埋って脱出するのに苦戦しました、ゴム長の中まで雪が入ってきてシャッコイ、シャッコイ、、、





_IGP3065.jpgお目当ての1080レはB更新+A更新の重連でした。去年は一時期単機牽引に戻っていましたが、石北貨物が本格化してから週の後半はおおむね重連のようです。今週の水曜日は実に2年ぶり、奇跡の原色重連だったようですが見逃してしまいましたorz

暇人とはいえ、病気持ちの身では連日の冬季撮影は体力的に無理なので最初から諦めていましたが、、、



これまで、原色重連にはひたすらフラれ続けているので多分この先もめぐり合うことはまず無いでしょう。それにこだわるよりも、DD51重連を撮影できる限られた機会を楽しむことに集中したいものです。今日のアングルはなかなか気に入ったので、体調と光線状態の良い日を選んでリトライしようと思っています。


今年一番に映画館へ足を運んだ作品でした。殺人犯に殺された14歳の少女の魂と残された家族の心の葛藤と交流を描いたスピリチュアルな映画です。感想から先に言うと、前触れ通り泣ける作品だったかというとそうではなく、悲惨な出来事を描きながらも前向きになれると言われながらも何か違うという感じでした。全く感動しない作品というわけではありません、むしろかなりグッとくる部分もありました。ただ、そのグッとくる感覚が今までのパターンとは明らかに異なるのです。それはスピリチュアルな領域という、あるともないとも言い切れない世界を真正面から扱った作品だったからなのでしょうか、14歳の少女が訳も無く殺されてしまうという不条理と死後の世界との繋がりをはっきりと見せつけられることで、かえって死の事実が厳然と迫ってくるような重みを感じました。

ストーリーはすばらしいと思います、原作の小説は世界中でベストセラーとなったようですが、たぶんそれに違わない深い内容が込められた小説だと思います。ただ、そういった豊富な内容を約2時間の映像に納めなければならない映画の宿命なのでしょうか、どうしても随所に消化不良感を残す部分が見え隠れします。前半の主人公のスージーが殺人犯の罠にはまり殺されてから、霊となって現世を駆け抜けて、この世とあの世の狭間をさまよい続けるシーンは最新のVFXと相成って見応えがありました。また、殺人犯の事件後の行動と心理描写が細かく描かれていて、その巧みさはどこかで見たことがあるなと思いましたが、スピルバーグ監督が携わっているということが分かって納得しました。たしか、スピルバーグ監督の出世作だった、大型トレーラーにひたすら追いかけられるという映画があったと思うのですが、その映画の車に乗りながら執拗に追い掛け回される男の心理描写と映像表現が、今回の殺人犯の描写と良く似ているように思えました。

メインの監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督で、VFXを駆使した天国の幻想的な表現とスピルバーグ監督のハリウッド映画の王道ともいうべき、観ている人を飽きさせないテンポの良いシーン展開など素晴らしい見所が全編にわたって散りばめられています。でもそれらの”すばらしい点”を繋げる線と流れが、イマイチ噛みあっていなかっり、雑になっているところが見受けられるのが少々残念です。前半に主人公の生前の彼氏と、同級生で霊が見える謎めいた少女との関わりが、中盤以降パッタリ途切れてしまい、いつのまにか家族中心のストーリーになっていたり、前半では姉とは疎遠そうでおとなしい妹が、お向かいの住人が怪しいと感づくと急に勇敢な少女に変身して単身で犯人宅に忍び込み、インディージョーンズばりの冒険劇で証拠を奪い取ってくるなど唐突な印象が拭えない部分があります。また、殺人犯の心理描写が細かすぎて肝心の天国に逝った主人公の心の成長がぼやけてしまっているようにも思えます。これは名匠二枚看板の弊害かもしれませんね。

そしてラストシーンは見る人によって賛否両論が分かれる気がします。そこには二重、三重のメーッセージ性が織り込まれているのでしょうが、はたしてこれで良かったのか?という思いと、なるほど考えさせられるなぁ~という両方の思いがわいてきました。ぼくが今回の映画で一番考えさせられたことは、映画本編の流れやテーマとするスピリチュアルなことでもなく、映画には直接に描かれていないアメリカという社会の現実でした。若者の恋愛や家族の絆と愛など、普通の人たちが幸せを求めて守り築いてきた営みのすぐ傍らで、恐るべき不条理さを持ってそれを奪い去る者たちが潜んでいる現実、その凄みというか落差とコントラストの激しさにぼくはリアルなアメリカそのものを感じました。あぁ、この希望と絶望の深い落差がアメリカの圧倒的な創造性の根底にあるモノの正体なんだなと痛烈に実感できたのです。


たぶん、この作品の殺人犯は同じような少女ばかり殺し続けた実在の殺人鬼がモデルだと思うのですが、そういった想像を絶する殺人鬼の正体とその成り立ちについて、映画では一切触れられていないのが気になります。日々、そういった現実の中を生活をしているアメリカ国民にとってはわざわざ語るには及ばない問題なのかもしれませんが、その辺の背景を平和ボケした日本人にも伝わるような表現が欲しかったです。一体どうして殺人鬼のような極点に至る人間が存在するのか、また、ある日突然襲われる不条理に対して、はたして救いがありうるのかという究極の問いに対して、現時点で唯一答えうる可能性がスピリチュアルであるのかもしれません。もし魂の繰り返しが存在するなら、絶え間なく希望を求め勝ち得てきた魂が存在する一方で、虚無と絶望の循環を果てしなく繰り返した末に、他人の希望を最も決定的に奪い去ることにしか生きる意味を見出しえなくなった魂がこの地上には少なからず存在し続けるということなのでしょうか。

今回の「ラブリーボーン」にはそこまで踏み込んだ世界は描かれていません、というか描けなかったのだと思います。やはりスピリチュアルを真正面から取り上げて描き切るには機が熟していなかったのでしょう。こういった深い問に対しては、いずれ原作を手にして読んで確かめてみようかと思っています。最後になりましたが、主演のシアーシャ・ローナンのいたいけさには泣けてきますヨ。父親役のマーク・ウォールバーグも実感のこもった演技を見せてくれます。ただ、この人のプライベートは役柄の善良な父親とは正反対なところもあるようです。よく言われることですが、善人役は実際はクセのある人物が演じた方が良く、反対に悪人役は性格が良い人が多いというのはどうやらホントの話のようですね(^^A)


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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