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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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バンクーバー五輪が開幕して世間はスポーツの話題でたけなわのようですが、一方で経済情勢はギリシャが破綻寸前であったり、五輪が開催されている同じカナダの極北の地で秘密サミットが開かれたりと何やら雲行きが怪しくなってきています。アメリカではリーマンショック以来の経済建て直しが遅々として進まずドルのデフォルトまでささやかれています。水面下では何らかの対策が急速に進められているようです。ぼくには何が起ころうとしているのか全く見当がつきませんが、バンクーバー五輪が終わった後に世の中の変化が急速に進むような予感がします。

これから先は取越苦労の杞憂にすぎないかもしれませんが、何となく時代の谷間が近づいてきているような気がしてなりません。今すぐに国の財政破綻や資本主義経済の崩壊などという大それた事態が起きるとは思っていませんが(いつでも起こりうるという心構えはあります)、歴史を振り返ると一つの時代、一つの社会体制が永遠に続いた例はありません。今現在殆どの人が当たり前と思っている市場主義と民主主義による自由社会も、いつかは役目を終えて新しい体制に取って換えられることは間違いないことだと思います。問題はそれがいつ起こるのかということですが、それは誰にも分からないことだと思います。それでも実感としてそう遠くないうちに起こるような気がします。実体経済の100倍のお金が還流してそれにほとんどの国が依存している経済はどう考えても異常ですし、いつかは限界が来ることは明白です。

万一そういったことが起こると、一部の例外を除いて世界中の人々がこれまでに経験した事が無い、常識や価値観が一辺にひっくり返るような衝撃を経験することになります。過去の歴史に例を求めれば、戦前、戦中から戦後に至る激動の時代、もっと以前は幕末から明治維新、最も近年では社会主義体制が崩壊して冷戦が終結した時代です。最後の例は遠い外国で起きた例ですが、それぞれの時代に共通して起こったことは、人々の間で普通に存在していた価値観や人生のリアリティが、ある時点を境にして根こそぎ奪われ消失したということです。教科書の上では、歴史上の重大な転換点をこともなくスムーズに乗り越えたかのように記されていますが、実際にはその時代を生きた数え切れないほど多くの人々の人生や価値観が混乱の中で変えられたり失われていったりしたのです。

では、そういった時代の谷間をくぐり抜けてきた多くの人々はどうしてきたのでしょうか。絶望の中で人生の歩みを断念してしまった人も少なくなかったでしょう、しかし、それでも大多数の人々は何とか生き続けてやがては新たな希望と人生のリアリティを取り戻したのです。だからこそ何が起きても希望を捨て去る必要は無いのだと言えます。なぜなら、その時代を生き抜いた人々の困難を乗り越えようとする営みが新しい時代を創造していったのですから。この先そういった時代の大きな谷間に遭遇しても、かつての時代よりも幸いなことは、人の命や形あるものが全面的に破壊され尽くすようなことが、まず起こりえないだろうということです。おそらく、目に見える形の悲惨さよりも、今の時代を生きる一人一人の人生や価値観が問い直されるような、精神的な衝撃が強くなるのではないかと思います。


ここでまた繰り返しになりますが、明日にでもそういった万一の事態が起こる可能性は低いと思います(思いたい・・・)、不安や恐れをいたずらに煽るつもりはありません・・・(^^A)


昨今は平穏無事な時代から混乱の時代へ移り変わろうとしている過渡期の時代かもしれません。そういった時代には、いくつかの必要な心構えがあります。まず最初に、本当に必要なものとそうでないものを選り分けて不必要な執着や願望の対象はいつでも捨て去る準備をしておくべきです。そのようにして自分の心の中を整理し身軽になった上で、今度は自分の人生の本当の目的、役割について真剣に考えてみることです。ここで、これまでの価値観や感覚の延長線上で考えても無意味です。例えば、自分の人生のいついつ、どこどこで何々を手に入れて、他の誰かさんと比べて見劣りしない生活をしよう、そんな考え方は混乱極まる時代には相応しくありません。また、辛いこと苦しいことはできるだけ避けて、それよりも楽しいことをたくさん見つけて嫌なことをまぎらわそう、当たり前のことですが、いざという時そんな生き方は通用しないと思います。

困難な時代を乗り越えるために真に必要な要素は、自分の生きる目的を自覚することだと思います。人間の歴史は古今東西、動乱と変動の繰り返しでした。自分の人生において、どうすればもっと多くの収穫を得られるのだろうか、そういった考え方で生きられる幸せな時代のほうが歴史の上では圧倒的に少なかったのです、むしろ例外と言ってもいいくらいです。自分の生きる目的を見定めるということは、いついかなる時も人生の道しるべとなります。そして、それは自分の意思と力で見定めなければならないことです。もし、本当に世の中が困難な時代に突入したときに、自分の生きる目的を思い出して、それ以外は脇目も触れずに貫き通す覚悟が必要です。もちろん、それは自分本位を貫くということではなく、むしろ反対に誰かから必要とされる役割を担うことや、大切な存在を守り抜くことを意味します。

こういった心構えで生きるということは、アスリートの精神に似ているのかもしれません。アスリートは絶えずライバルと競りあって勝利することを目指し、一方で自分の肉体を限界までいじめ抜くことで、また精神をプレッシャーと多大なストレスにさらすことで、自らの弱さの限界を乗り越えようとしているのだと思います。多くの人々がアスリートの姿を見て感動する理由は、アスリートと同じように観る人の心の中にも人生の真実の意味を見出したいという根源的な欲求があるからだと思います。半ば人生を諦めてしまったような人でも、心の奥にある何か求めてやまない気持ちを完全に消しさることはできないと思います。それは人間の魂の底に絶えず真実を求める要求が植え付けられているからではないでしょうか。書いているぼく自身、本物のアスリートのようになれるわけではありません、それでも今のような先行きの見えない時代を生きる上で、アスリートのようにストイックに真実を求め続ける生き方は一つの見習うべき手本のような気がします。


ぼくにも決して小さくない夢があります。それは、時代が変わっても決して失われることの無い真実の一面を、ぼくなりに何かの形で表現しきることです。そう思っているだけではなくて、いま実際にそれを手掛けている最中です。それはぼくにとって一筋縄にいかない難しい課題です。まだそれを創り上げてはいないので何をしているか口にだすことは出来ませんが、思いのほか時間がかかったとしても完成させることはできると思います。ただ作るだけなら、やり方さえ学べば誰でも作れるものですが、それを他の誰かにとって価値あるものに仕上げることが難しいのです。それが多くの人に必要とされて売り物になるかどうかは分かりません、でも、たった一人でもそれを手にしてくれた人にとって意味のある作品に仕上げてみせるという自負はあります。


時代や人生において、先々に何が起きてどうなるかは誰にも分かりません。だからこそ、自分の人生を迷うことなく賭けることのできる夢や希望が必要なのだと思います。厳しい時代の波に飲み込まれても、逆にそれを乗り越えていく人は、いつの時代も困難を恐れず前向きに生きている人々です。

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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