北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今年一番に映画館へ足を運んだ作品でした。殺人犯に殺された14歳の少女の魂と残された家族の心の葛藤と交流を描いたスピリチュアルな映画です。感想から先に言うと、前触れ通り泣ける作品だったかというとそうではなく、悲惨な出来事を描きながらも前向きになれると言われながらも何か違うという感じでした。全く感動しない作品というわけではありません、むしろかなりグッとくる部分もありました。ただ、そのグッとくる感覚が今までのパターンとは明らかに異なるのです。それはスピリチュアルな領域という、あるともないとも言い切れない世界を真正面から扱った作品だったからなのでしょうか、14歳の少女が訳も無く殺されてしまうという不条理と死後の世界との繋がりをはっきりと見せつけられることで、かえって死の事実が厳然と迫ってくるような重みを感じました。
ストーリーはすばらしいと思います、原作の小説は世界中でベストセラーとなったようですが、たぶんそれに違わない深い内容が込められた小説だと思います。ただ、そういった豊富な内容を約2時間の映像に納めなければならない映画の宿命なのでしょうか、どうしても随所に消化不良感を残す部分が見え隠れします。前半の主人公のスージーが殺人犯の罠にはまり殺されてから、霊となって現世を駆け抜けて、この世とあの世の狭間をさまよい続けるシーンは最新のVFXと相成って見応えがありました。また、殺人犯の事件後の行動と心理描写が細かく描かれていて、その巧みさはどこかで見たことがあるなと思いましたが、スピルバーグ監督が携わっているということが分かって納得しました。たしか、スピルバーグ監督の出世作だった、大型トレーラーにひたすら追いかけられるという映画があったと思うのですが、その映画の車に乗りながら執拗に追い掛け回される男の心理描写と映像表現が、今回の殺人犯の描写と良く似ているように思えました。
メインの監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督で、VFXを駆使した天国の幻想的な表現とスピルバーグ監督のハリウッド映画の王道ともいうべき、観ている人を飽きさせないテンポの良いシーン展開など素晴らしい見所が全編にわたって散りばめられています。でもそれらの”すばらしい点”を繋げる線と流れが、イマイチ噛みあっていなかっり、雑になっているところが見受けられるのが少々残念です。前半に主人公の生前の彼氏と、同級生で霊が見える謎めいた少女との関わりが、中盤以降パッタリ途切れてしまい、いつのまにか家族中心のストーリーになっていたり、前半では姉とは疎遠そうでおとなしい妹が、お向かいの住人が怪しいと感づくと急に勇敢な少女に変身して単身で犯人宅に忍び込み、インディージョーンズばりの冒険劇で証拠を奪い取ってくるなど唐突な印象が拭えない部分があります。また、殺人犯の心理描写が細かすぎて肝心の天国に逝った主人公の心の成長がぼやけてしまっているようにも思えます。これは名匠二枚看板の弊害かもしれませんね。
そしてラストシーンは見る人によって賛否両論が分かれる気がします。そこには二重、三重のメーッセージ性が織り込まれているのでしょうが、はたしてこれで良かったのか?という思いと、なるほど考えさせられるなぁ~という両方の思いがわいてきました。ぼくが今回の映画で一番考えさせられたことは、映画本編の流れやテーマとするスピリチュアルなことでもなく、映画には直接に描かれていないアメリカという社会の現実でした。若者の恋愛や家族の絆と愛など、普通の人たちが幸せを求めて守り築いてきた営みのすぐ傍らで、恐るべき不条理さを持ってそれを奪い去る者たちが潜んでいる現実、その凄みというか落差とコントラストの激しさにぼくはリアルなアメリカそのものを感じました。あぁ、この希望と絶望の深い落差がアメリカの圧倒的な創造性の根底にあるモノの正体なんだなと痛烈に実感できたのです。
たぶん、この作品の殺人犯は同じような少女ばかり殺し続けた実在の殺人鬼がモデルだと思うのですが、そういった想像を絶する殺人鬼の正体とその成り立ちについて、映画では一切触れられていないのが気になります。日々、そういった現実の中を生活をしているアメリカ国民にとってはわざわざ語るには及ばない問題なのかもしれませんが、その辺の背景を平和ボケした日本人にも伝わるような表現が欲しかったです。一体どうして殺人鬼のような極点に至る人間が存在するのか、また、ある日突然襲われる不条理に対して、はたして救いがありうるのかという究極の問いに対して、現時点で唯一答えうる可能性がスピリチュアルであるのかもしれません。もし魂の繰り返しが存在するなら、絶え間なく希望を求め勝ち得てきた魂が存在する一方で、虚無と絶望の循環を果てしなく繰り返した末に、他人の希望を最も決定的に奪い去ることにしか生きる意味を見出しえなくなった魂がこの地上には少なからず存在し続けるということなのでしょうか。
今回の「ラブリーボーン」にはそこまで踏み込んだ世界は描かれていません、というか描けなかったのだと思います。やはりスピリチュアルを真正面から取り上げて描き切るには機が熟していなかったのでしょう。こういった深い問に対しては、いずれ原作を手にして読んで確かめてみようかと思っています。最後になりましたが、主演のシアーシャ・ローナンのいたいけさには泣けてきますヨ。父親役のマーク・ウォールバーグも実感のこもった演技を見せてくれます。ただ、この人のプライベートは役柄の善良な父親とは正反対なところもあるようです。よく言われることですが、善人役は実際はクセのある人物が演じた方が良く、反対に悪人役は性格が良い人が多いというのはどうやらホントの話のようですね(^^A)
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鈍行翼
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性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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