北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日の夕刊の一面に加藤被告謝罪の見出しが大きく出ていました。今さらこの事件について、あれこれ書くのは正直ためらう気持ちもあるのですが、書くべきことが思いついたので記しておくことにします。この事件については多くの人がそう思っているように、忌まわしい事件であると同時に加害者についても社会的な被害者の一面があることについて複雑な心境を感じています。
今日のニュースの中で、事件の被害者の方が加藤被告から謝罪の手紙を受け取り、それについてあえて返信したことが取り上げられていました。その被害者の方は腹部を刺され、今でも神経が繋がっていないことから痛みが生涯取れない身体になり、やむなくタクシードライバーの職を辞することになるなど、一命を取り留めながらも人生に甚大な被害を被りました。それでもあえて被告とやりとりをする決断をした理由は、この事件後も類似の事件が後を絶たず、加藤被告の人生の経緯を理解しなければこの先も類似の事件を防ぐことはできないという思いからだったそうです。
ぼくは加藤被告の犯した罪ついて全く情状酌量の余地が無いと思いますが、同じ世代、同じ時代を生きて育ってきたものとして無関心ではいられないという思いもあります。加藤被告の謝罪の手紙の一節が報道されていましたが、その中に「自分は愛のある家庭というものについて全く経験が無いので、自分の犯した罪を反省しつつも、愛するかけがえのない存在を奪われる辛さについて実感を持って想像できないことが歯がゆい」と語った上でさらに「自分の存在が唯一受け入れられるネットの掲示板から完全に阻害された喪失感と同じようなものでしょうか」と結んでいました。
一瞬、自分が犯した理不尽な仕打ちについて自覚が全く欠如していることに怒りを覚えましたが、冷静に受け止めてみると、これは加藤被告の偽らざる心境であることも認められます。手紙の中でもう一つ取り上げられて気になった記述は「自分は小さな頃から”良い子”を演じ続けなければならなかった、今も”良い子”を装い続けているのかもしれない」という彼の心境が現された部分です。この”本当の自分を理解されない” ”ありのままの自分をさらけ出せない”というある種の疎外感を抱き続けてきたことについて、多くの同世代の若者から共感を覚えるという感想が聞かれます。ぼくもこの点については心情的に理解できる一面がある一方で、根本的に捉え方が間違っているという思いもあります。
というのも、いかなる人間関係においても大なり小なり”良い子”を演じ続けなければならないのは自然なことだと思うのです。人は生まれた時から名前をつけられて、その瞬間から周囲の人間から期待される”その人”になるように努めることを義務付けられる生き物です。それはよちよち歩きから言葉を話し始めて、幼稚園、学校へ通い、大人になって社会に出て働き、結婚して親になり、やがて老いて死ぬまで背負わなければならない義務の重みです。その重みを途中で放棄すると、たちまち不和を招いたり他の誰かに理不尽な負担を強いることになります、そして時にはそれが取り返しのつかない悲劇にもつながります。そもそも、世の中の人がみんな”良い子”であることをやめてしまったら平和な社会は維持されません。
そうは分かっていても、時には重荷を置いてありのままの自分を誰かに受け止めてもらいたいという思いを抱き続けるのもまた自然なことだと思います。でも現実には、ありのままの自分を無条件に受け止めてくれる人はこの世に誰一人存在しません。それは自分自身を顧みればはっきり分かることです、かつて誰かを完全に理解して受け入れたことがあったか、またそれが自分に出来るのか、おそらく不可能なことだと思います。たとえ親子であっても、親友、深く愛し合っている恋人同士や夫婦であっても、相手の存在を完全に受け止めることはできません、誰もが自分が自分であることに精一杯なのですから。
だからといって、人生は氷のように冷たい孤独の路が永遠に続くとは思いません。自分は誰からも無条件に肯定されたい、否定せされずに受け止めてくれる人が欲しい、そういった未熟な依存や甘え、またそういった欲求を少しでも満たすために絶えず他人から見返りを求め、その上で相手を支配して所有しようとするエゴ、それらをみな捨て去ることができた上で、同じようにそうする誰かと出会った時に真の他者との信頼関係が成立します。これは家族、友人、恋人、夫婦、その他どのような人間関係にも言えることだと思います。でもそのような真の人間関係を築ける場合は極稀です、一生のうちにどのような間柄であれ、たった一人とでも真の人間関係を築くことができれば、それは大きな幸福に違いありません。でもそれを実現させるために、自分の精神を向上させることは簡単なことではありません。実際には人生の様々な体験と忍耐を通して少しづつ近づいていくしか無い問題だと思います。加藤被告はその道程の厳しさに早い段階でくじけてしまったのかもしれません。
(次回に続く)
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誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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