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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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先日、赤電711系で行く小樽⇒旭川乗り通しの旅にはもうひとつの目的がありました。

それは現在執筆を計画している小説作品の舞台として考えている場所を直接訪れることでした。

そこはちょうど12年前の夏にちょっとありえない方法でたどり着いたことのある思い出の場所でもあります。

実在の地名はあえて伏せますが大体こんな場所ということで写真一枚だけ載せておきます。




知っている人にはおなじみの場所だと思います。

閑静な住宅街と緑豊かな自然公園に挟まれた並木道路ですが小説のキーとなる舞台としてイメージにぴったり当てはまる場所でした。

以前、自分で何気なくですが実際に来たことのある場所だったというのも理由の一つです。




それにしてもこの日の旭川市内は盆地特有の暑さでいったん木陰から出ると照りつける日差しの強さに驚いてしまいます。

ちょうど以前にきた時もこんな強い日差しの午後だったと記憶しています。

それと今回来て思い出したことはこの並木道路がけっこうな傾斜の坂道だったということです。

いつも場所の確認にはグーグルのマップやストリートビューを利用していますが、それらだけではなかなか気が付かないポイントだったのでやっぱり実際に足を運んでよかったと思います。

小説の細かな設定についてなどあれこれ考えるようなことはせずにただ気がおもむくままに辺り一帯を散策しました。

途中、公園の中で緑のセンターを見つけて中に入ってみると一息つける居心地の良さそうなスペースがあってしばらく涼をとらせてもらいました。

その一角に様々な観葉植物の苗が置かれている棚があり、あれこれ見ている内に赤い小さな花弁が二つついた花キリンの苗を見つけ一つ手に取りました。

一株200円で売っていたので早速購入して連れて帰ることにしました。

身体の汗も引いて少し元気を取り戻したところでセンターを出て、多種多様な樹種が並んだ公園の中を奥へと進みやがて先ほどの並木道路の横にたどり着きました。

公園と住宅街を足早に一巡するともう帰りの時間になりそうだったので岡を下りながら駅への帰り道を探しました。

旭川駅に戻ってからの行程は先日の記事に書いたとおりです。


作品の構想はすでにほとんど出来上がっていて後は腹を決めてしまえば書き出せるところまで来ていますが、まだどこかで最後の焦点が定まりきれていない感じがしていました。
 
たとえ架空の世界の住人と言えども人間の営みを直接描いて表現することは思っていたよりも高いハードルがたくさんありました。

それらを表現するためにはテクニックや方法論よりも書き手として以前の裸の自分が人間や人生そのものを根本的にどう捉えて生きてきたのかなど内面の核となる部分を直接問われることが多くありました。

それは小手先の方法で処理できる問題ではなくひとえに自分の内側を見つめてその中から課題を見出して克服することが必要でした。

そこが人間を扱う表現物においてダイレクトに響いてくるポイントだと思います。

なので自分が小説を書く上でその中の人間と人生をどう捉えて描いていくのかという根本問題は他の人による優れた作品や考え方を手本として見習うことで済ませるわけにはいきません。

どんなに拙いレベルであったとしても自分自身で課題を理解して一つ一つ段階を踏みながら見出した表現力こそが本当のリアリティと説得力を作品に与えてくれます。

その点を自分なりにしっかりと見定められるまであともう一歩というところまで来ています。

そこに至るまでの過程のほうが小説を一作書き上げること以上に時間と精神力を要する作業でしたが、ここが自分で納得できるまでは本当に読まれて楽しませる作品にはならないと思って我慢してきました。

そして、せっかくそこまで苦労しながら作り上げた作品だからこそ少しでも魅力的な小説に仕上げたいという欲もあります。

自分が全身全霊を込めてがむしゃらに頑張って書いた作品であっても、人さまにとって何の魅力も感じられないような小説なら無意味です。

自分がこれだけ必死になって頑張って書いたのだから認めて欲しいなどと思っても通用するはずがありませんし、もしそんなことを主張しようものならお前の書いた文章を印刷するよりもその紙をトイレットペーパーにしたほうがよっぽど世のため人なのためになると言われてしまいそうです。

なのでぼく個人としては、少なくとも自分が書いた小説の文章がお尻を拭くための紙よりもやや上の価値を感じられる位までにならなければ世に問うことは出来ないと考えています。

でもそれは思ったよりもずっと超えることが困難なハードルかもしれません。

なぜなら一冊の小説が無いよりもお尻を拭くことが出来ないほうが圧倒的に困ることだからです。

なのでたとえ尻拭きの紙が無くてもこの一冊のほうが大事だと思わせるような、さらに喩えるなら無人島に唯一持っていける物ならこの一冊を選ぶとか、人生の終いに棺の中に入れて欲しいと言われるような、そんなハイレベルな一冊を書き上げなければ本物の物書きになったとは言えないのかもしれません。
  
あまりハードルばかり意識しすぎてもよくありませんがちょっと小粋な小説を書けるよう精進し続けたいと思います。


旭川は小さい頃から行き来していたのでとても大好きな街です。

今回の小旅行で気持ちを新たにすることが出来ました。

次に訪れる時はめでたく作品が完成した時か、または執筆中に迷ったりして再び立ち返る必要がある時かもしれません。

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唐突ですが、来年に募集が始まるとある文学賞に応募することを目指して、新しい短編小説を書くことを目指して構想作業を始めました。


これまで取り組んできた大長編「N」の執筆はとりあえず一休みして、こちらの新作の創作に全力を注ごうと思っています。


募集内容は原稿用紙で200枚程度と文章量的には今の自分の力量でも無理なくこなせると踏んでいます。


今のところ、おおまかな設定と舞台、テーマしか決まっていませんが、すでに頭のなかでは全体のイメージが固まってきています。


今のところ決まっている点を列挙すると、舞台は道北の地方都市で、主人公は三十代を迎えたOLの女性、その主人公が生まれ故郷の地方都市にふと立ち帰り、これまでの人生を振り返りやがて転機を迎えるというあらすじです。


その背景として、道義的、道徳的に凝り固まった傾向のある父親の価値観の影響を引きずったままの主人公の心情があり、その束縛的な考え方や感情からの脱皮を自らの意思で始めるまでの過程を描こうと思っています。


もはやライフワークである大長編「N」に比べて、ある特定の分野を取り入れて書くわけではなく、ごくありふれた背景に潜む人間関係と人生模様をベースとした構成になるので、その点でははるかに楽な創作作業になりそうです。


ただ、募集要項の原稿用紙200枚程度は少なすぎる量ではありませんが、決して多くもないのであまり沢山のテーマを織り込みすぎては内容が煩雑になって、一歩間違えると何を伝えたい小説なのかわからなくなるので注意が必要です。


なので、構想段階で入念に書くべきテーマを絞り、場面の配置も計画建てて、準備万端の体制で書きだそうと思っています。


とはいえ、短い小説でも人生の機微を単行本一冊分なみに織り込みたいという文学的野心もフツフツと湧いてきているので、コンパクトでありながら重層的なテーマの折り重ね方を考案しようと思っています。


それらの断片的テーマは、どれも短編中では問題定義にとどまり、そのなかのメインの一点のみ、主人公の心情の中で唯一消化されて行くという集約の仕方を考えています。


ここからはさらに先の話ですが、短編中では未消化のまま散りばめられたテーマの数々と設定の背景を、引き続く続編の中で順次書き表し、最終的には一冊の本になるような二次構成を考えています。


言い換えれば、最初の短編は全体のストーリーを予告する最初の一章ということになります。



続編はどれくらいの長さになるか全く決めていませんが、要素としては主人公と対になる幼なじみ(=学生時代の同級生)の男性を登場させます。


この人物については、第一章の短編でも回想の中の人物としてキーワード的に登場します。


この男性のエピソードが一つのきっかけとなって主人公の意識の転換が始まるといったようなストーリー展開を考えています。


続編では、実際にこの人物がリアルタイムで登場し主人公と関係を深めていく過程を描き、ついには恋愛関係に近づいていくということも想定していますが、それ以上に、主人公が抱える父親の価値観の影響(=主人公にとっての社会性の象徴=今現在までの古い硬直した社会の現状の反映)に対する男性の事故肯定的な価値観と生き様に主人公が触れることで、それまでとは異なった、人生の展望を自分の意志で思い描けるようになっていく過程を重ねあわせて書き出せれば良いと思います。


主人公の父親の道徳観の中には常に自己否定的な批判精神が内包しており、主人公は常にその影響を受けながら自分を圧迫してしまいます。


これは今回の文学賞が掲げているテーマとも重なる要素です。


それに対して男性の自己肯定的な生き方への強い意思と姿勢を通して、相手を理解し思いやることについて、ほのかにメッセージを伝えられればなお良いと思います。


まだ取り上げるべき要素はたくさんありますが主に重要なものは以上のとおりです。


とにかく今の自分にとってベストを尽くしたといえる作品を完成させることが最大の目標です。


そして、その出来上がった作品を記念すべき賞に応募することができれば、自分にとって一つの区切りを達成できたことになると思います。


もちろん、その後に成果もついてくれば言うことなしですが、今から取らぬ狸の皮算用はしません。




PS)
長編「N」の構想も並行して断続的に行いますが、この作品に対してはあまりにも思い入れが強すぎたためか、あらゆる要素にこだわり過ぎてがんじがらめになってしまう傾向があったので、今回の作品では、あまりにもこだわり過ぎないように気をつけようと思います。また、最近気づいたことは、他の人と比較してはいませんが、自分の頭の処理能力に対して文字を打つのが速すぎるようで、それが原因で自分の自律神経を必要以上に酷使し気づかぬうちに体調不良を引き起こしていたように思います。なので、これからは何事もよりスローな動作を心がけ、文章もじっくり味わうようにして打っていこうと肝に銘じています。とにかく、弱い身体をいたわりながら一つの作品を初めてきちんと完成させることが目標です。




 



お盆休みが開けてから執筆活動を再開しました。


第二章最初のシーンを初稿から第二項、第三項、第四項くらいまで書き直しようやく納得いくレベルまで仕上げることが出来ました。


もう最初の原稿とは別物といえるくらい変わりましたが、シーンとしての全体のニュアンスや要素は何も変わっていません。


新たに項を書きましていくたびに、同じような表現が意図せず出来てしまい、どちらも捨てがたい場合が生じた時は、そのどちらの良い要素も切り捨てずに上手く合成し、後のシーンブロックを前に移動し組み替えて新しいエピソードを加えてつなげるといった大胆な再構成もあえてしたのですが、おもいのほか上手くいったのは嬉しい誤算でした。


こういう書きまし作業はやっているうちに混乱して収集がつかないことになりがちなので避けてきましたが、一つのシーンを読むに堪える仕上がりまで磨く作業でもあるので、今回思い切って泥沼のつぎはぎ作業に踏み込んだことは良い経験になりました。これでようやく自然に読める長編小説の自分なりの文章基準が出来た気がします。


これで2-1シーンから開放されて次の2ー2シーンの執筆に移ろうとしているのですが、まだ大まかなイメージしか浮かんでおらず、まだ暗中模索の時間がしばらく続きそうです。


小説に限らず、映画やドラマ、アニメや漫画、ゲームなど、あらゆる娯楽ストーリー創作物を上手く作る上でもっとも大切で単純な要素に気が付きました。それは読み手(観手)に対して飽きさせないように”次はどうなるのか”という興味を引く要素を並べ続けるということです。良い映画はどんな些細なシーンも次のシーンに繋がる期待感を含ませていますし、漫画の一コマ一コマや1ページ1ページも同様です。


大昔に映像制作のまね事をかじっていた時のことを思い返して言えることですが、アマチュアが作った素人臭さの抜けない映像作品はどれもこういった”興味を引けない退屈な間”があります。その興味の断裂する間が一つでもあれば観手の作品に対する集中力は一気に途切れて興ざめするのです。これは他の話芸や歌謡にも通じることかもしれません。(反対に興味を維持するための箸休め、あるいは息を整える間も必要です)


とにかく次のシーンを書き出すにあたり、いかに飽きずにこの先のストーリーを読みたくなるのかという点を意識して考えようと思います。


冒頭から第一章の要素があらかた消化し尽くしたのでストーリー展開のための新たな要素が必要な頃合いです。


そこで、かねてからこの作品の伏流となるテーマを始動させようと思います。


それは、あらゆる物事のすべての背後に隠されたスピリチュアルな背景が見渡せるような視点の追加です。


ストーリー全体の流れをこういった視点を通すことで常識的な視野とは違った色合いで見えてくるように持っていくことが狙いです。


スピリチュアル方面を真正面から題材に選んでいませんが、あらゆる当たり前と思われている出来事の背景に隠された見えない実相を感じられる作品に仕上げることが目標です。






第二章最初のシーンの改稿を何とか終わらせることが出来ました。


原稿用紙で19枚だったシーンは結果的に28枚にボリュームアップしました。


シーンを構成する要素やストーリーはほとんど変えずに構成を前後させたり付け足すなどしてまとめました。


主人公ではない二人の登場人物が、一人が教え、一人が教えられて、互いに動きながら会話するシーンなのですが、初稿では二人の個性や存在感がはっきりせず、それぞれのニュアンスの表現も平坦でした。


そこで構成の入れ替え作業と同時に一人ごとに登場人物の心情に立って、最初からセリフや表現を書き直す作業を繰り返しながらシーン全体を書きなおして行きました。


それは出来上がった文章を最初に戻って返し縫いするように書きなおしていく地道な作業でした。


出来上がった原稿は単に枚数が増えただけでなく表現が充実して格段に良くなりました。


欲を言えば、こういった書き直し作業を伴わずに一発で書ききれるようになれれば理想的ですが、今の自分の力量ではたとえ2倍、3倍の手間がかかっても1シーンずつ丁寧に納得いくまで仕上げていくのが正解なようです。


今回のシーンが完成したことで、短編の第一章とは異なる長編としての基本的な文体が確立できそうなので、次のシーン以降も試行錯誤しながら、さらに文体を磨きながら書き進めていこうと思っています。






昨日と言っていることが180度変わりますが、ここまで書き上げた19-1=18枚をじっくり見なおして、場合によっては大幅に加筆修正することにしました。

気持ちとしては手早く済ませて先へ進みたいのですが、どうしても納得がいかずしっくりこないので、その理由をしっかり見極めて改良しようと思いました。

全体の出来としては悪くないのですが、いまいち描写に魅力が感じられないのと、手際良くまとめることを意識しすぎて、印象の把握が浅くなりすぎている傾向があります。

どうすればもっと情感豊かな表現が出来るか、わずか18枚の1シーンですがその中から答えを見つけ出すまで時間をかけて向きあおうと思います。

なかなか思い通りのペースでは進まないものです。





今日も原稿用紙9枚ほどを書き足し計19枚で1シーン分書き上げました。


書き上げた内容を読みながら、明日以降どんな風に書こうか思案しています。


もっとイキイキとした展開に結びつくようにするためにはどうすればよいのか、頭のなかで色々と考えを巡らしています。


そこで、ふと気がついたのですが、これまで長編「N」を書くために長い時間をかけて練り上げた構成と学び貯めた知識を、どう上手く文章で言い表せるかが重要なポイントだと思いました。


これまで考えた構成や知識はいざ書く段階になった時にはすでに過去の蓄積で、それらを小説の文章として書き起こす作業は、その過去の蓄積された知識を書いている時点における現在進行形としての姿形に変換していく作業だと捉え直すことが出来そうです。


ここで、あまりにも過去に築いた構成や設定に縛られすぎると、その時のイメージ=過去のイメージを再現することばかりに捕らわれて、書いている時の新鮮なニュアンスを取り損ねるような結果になりかねません。


過去の設定やイメージを意識しながらも、書いているその時に感じ取ったリアルなニュアンスを無心で書き進めることが出来れば、より前向きでイキイキとした実感あふれる文章が書けるような気がします。


それがたとえ当初のイメージとは違っていたり、思い描いた通りでなくても、今度はそのことを過去のフィードバックとして次に書くことのイメージに投影していくことで、より前のめりな姿勢を維持したまま書き続けられるようになると思います。


より前向きなスタンスで書き続けられるよう明日からも試行錯誤が続きます。


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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