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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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暑い中、ようやく執筆に取り掛かれるようになりました。


第二章の執筆を始めようと、あれこれ準備をしていましたが、思いのほか時間がかかってしまいました。


とりあえず原稿用紙で10枚ほどのシーンを書き終えたところです。


第二章全体のうちほんの1%くらいの文章ですが、まあまあ思い描いたとおりの文体で書けました。


先に書き上げた冒頭から第一章は200枚程度の小説としてひとまとまりになっていますが、第二章からはおおよそ500枚以上~1,000枚程度でひとまとまりの章として成り立つ予定なので、先の一章とは全く違ったリズムとペースで書き進める必要があると考えていました。


具体的には、もっとゆったりとした思考のリズムで、文体は大きく変えることはありませんが、一つの描写あたりの文章量をやや増やすことを意識して、全体として密度を高くすることを目指します。


ですが、ここで有名な作家さんの文体のように、文章の書き方で美しく装飾するような文体は自分には向かないので、あえてばっさりと、解りやすさだけが取り柄のあっさりとした文体で書き進めようと思います。


とにかく美しく高度な文章よりも、分かりやすく丁寧で簡潔な文章を目指して頑張ります。


高い評価が得られそうな優れた文章力よりも、コンスタントに書き続けられる安定した文章力を身につけることがこれからの課題です。



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暑い部屋の中で今日も思索に励んでいます。


もっちが腹切りを終えたその日に、長編「N」の冒頭を含む第一章を書き上げることが出来ました。


原稿用紙でちょうど220枚、少し長めの短編小説風にまとまりました。


引き続き、本編となる第二章を書き出すための準備を進めています。


この第二章以降がほんとうの意味で長編「N」の本編が始まる形で、第一章はその序章に過ぎません。


主人公、主要人物、舞台、テーマなどは出揃ったので、これらの要素をいかに深く掘り下げていけるかが今後の大きな課題です。


第一章はインパクトを与えること世界観を分かりやすく説明することを両立するために、あえて変則的な構成を取りましたが、第二章は一般的な長編小説のオーソドックスな文体にしようと思っています。


内容的には第一章のそのままの延長線上で、20代前半の主人公たちが織りなす青春群像そのまんまをストレートに描き出そうと思っています。


前半はストーリーの進行を遅くしてタメを作り、次に少変化の場面を挟んで再び短いタメを作り中盤の見せ場へ、それ以降は第一章のリピートでもあるメインテーマーを基本に据えた構成で終盤の見せ場へ、さらに第三章へ繋がるつなぎの章を加えて第二章を全体を完結させます。


引き続き第三章は第一章で起こした伏線を立ち上げて、第二章までの青春群像とは違った影の一面をクローズアップします。


善悪の対立劇を据えた娯楽的嗜好を中心に、主人公たち若い世代と同じ夢を追ってきた上の世代との軋轢と思いのぶつかり合いを表現しようと考えています。


第三章はまだ具体的な様子が決まっていませんが、少しづつアイディアを積重ねている最中です。


第二章と第三章はセットで、これら二つを書き終えて、さらにシメの章を書き足すと第一部が完結します。


おそらく原稿用紙1000枚は軽く超えると思いますが、大量に書き上げる能力を身につけるために頑張ります。


そして、決してノルマを片付けるようにはせず、基本的なクウォリティは絶対に落とすことのないよう1シーンずつ丁寧に描いていきます。


長編「N」は第二部、第三部と続き完結します。


第二部は第一部と同じかそれ以上に文量が多くなると思います。


第三部は完結編なので比較的短めにまとまる予定です。


後半戦の第二部以降のストーリーはほぼ固まっていて、第一部がリアルタイムで創作する部分がほとんどです。


予めストーリー全体を決めてから書いているので、予定調和に陥りやすい点に注意しています。


そこで、一つ一つの場面を描く毎に、主人公や主要人物たちが何をどう感じているか、なるべくリアルタイムと即興で書き出すことで臨場感を出せるように工夫します。


これから膨大な量の文章と格闘していくことになりますが、日々コンディションを維持しながらコツコツ取り組んでいこうと思っています。


以上、今後の課題の確認と口上でしたm(_ _)m






毎回のことですが創作メモカテゴリーの記事は業務日誌のようなものです。


小説の執筆に関わる内容を中心に日々の徒然も一緒に書いていますが、後々、あの時、この作品をあんなふうに考えながらこしらえていた、ということが判るような記録にしたいです。


今週は以前にも記した、主人公が三人の人物に立て続けに出会おうシーンのうちの二人目のシーンを書く準備を始めます。


一つ前のシーンは思いつきでそのまま書けるシーンでしたが、今回のシーンは織り込まなければならない情報がやや多いため、書く前の準備段階において少し煩雑な作業をこなす必要があります。


まずは作品の前半部分で主人公たちが集まる活動拠点となる場所の描写とあわせて、作品のテーマとなっている分野の描写も少し織り交ぜたいと思っています。


そのために調べ物と若干の構成を練る必要があります。


また、主人公が相対する人物も、前半の展開のカギを握る主要な人物なので、主人公との間の心情描写もおろそかにできません。


といった具合に、情報描写に忙しかった冒頭を過ぎてなお、まだまだ序盤部分なので、作品世界を構成する要素と人物描写を深めるといったやや面倒な作業が続きます。


それでも今回のシーンを書くにあたって、あまりプレッシャーを感じないのは、今回のシーンに関してはあまり分かりやすく上手にまとめる必要はないと思っているからです。


むしろ読者からすればやや解り難いような、読んだあとに結局何を言いたかったのかはっきりせずに残土感が残るような、あえてラフな仕上がりにしようと思っています。


そこで消化しきれなかったもろもろの要素たちを、この先の様々な場面の中で順に解きほぐしていくようにすることで、前半部分のストーリー性に厚みを持たせたいと思っています。


御託を並べきったところでさっそく執筆作業に取り掛かりたいところですが、相変わらず好不調の並が続いているので、ゆっくりスローペースでことにあたりたいと思っています。


一つのシーンを書くごとに細かくテーマを区切って設定しながら、その書き方についてもその都度探るという文字通りの手探り状態で、もう少し効率よく書き進めたいと思っていますが、今はそういった地道な作業を続けることで確実に自分のスタンスを確立できるように努めています。





どういったわけか、今日はなんだか、意味もなく気分が高揚するというか、いつもなら沈み込んだまま浮き上がってこないような沈鬱な気分で過ごすことが多いのに、どうにも前向きな気持が勝るのです。


素直に喜べば良いのでしょうが、どうもいつもと違う感覚になると、それが好ましいものでも、変に疑ってしまう癖があります。


体調も相変わらずヨコバイですし、特別良いことがあるわけでもなく、本当に人の気分というものは妙なものです。


ただ、一つ良いことがあったとすると、遠い将来に書く予定の歴史小説の原案について、とても良いアイディアがいくつも浮かんだことです。


この小説は戦国時代を舞台にした歴史娯楽活劇で、完全に想像上の主人公兄弟が立身出世と、乱世の時代において、安定した生活の基盤と一族の安寧を勝ち取るまでのサクセス・ストーリーです。


そういった娯楽時代小説に自分ならではのテーマを織り込もうと思っていましたが、今日、突然ふいに、新聞のある記事を読んでいて思いついたのです。


それは安土桃山時代という、歴史上において動乱の最中でありながら様々な文化が花開き数々の偉人たちが闊歩した、華々しくも苛烈な一時代だからこそ織り込めるテーマです。


そのポイントは、日本の歴史上、他に類を見ないほど文化的にも思想的にもオープンでタブーが少ない特殊な一時代だったということです。


そこに、戦国武将を中心に据えた戦と政治史ではなく、民衆の中に深く浸透した、ある文化的習慣に焦点を当てた構成にしようと企んでいます。


今はまだ種明かしをせずに大事にしまっておこうと思いますが、このテーマは古くて新しいもので、ちょうど今を生きる現代人が抱える、人生と生活と価値観にまで及ぶジレンマとぴったりと重なりあうものです。


何分、歴史モノを書くには現代劇以上に知識と資料が必要で、まだまだ勉強不足です。


なので、この”歴史物”は今ある作品の原案の中でも、おそらく最も後にまわるものかもしれません。


他の現代劇をいくつか完成させた後、技量を磨き実力を養ってから、あわよくばホンモノのモノカキになった暁に満を期して取り組みたい作品です。


多分、ぼくにとって書くことの出来る唯一の中世時代物になるかもしれませんし、それで全て書ききれてしまうような気がします。


こんなふうにして、書くべき作品のアイディアは次から次へと浮かんできて、おそらく書くことが思いつかなくて困ることはほとんど無いかもしれないというほどですが、問題はそれらを手際よく描き上げる力量が無いことで、全ての作品を描き上げるためには、絶えず課題と向き合い、自己進化して乗り越えて行かなければいけないということです。


一時期はこんなに作品のアイディアばかり思いついて、その反面、一向に書く要領を得られず、これで自分は本当に大丈夫なのかと、非常に焦りと不安に駆られていましたが、ここ最近、ちょっと待てよと気づくことがあり、考えてみれば書くことに事欠かないほどアイディアが湧いてくるということは、一生書くべきことに困らない、少なくとも人生の目的を失うことはないという財産をすでに得たということではないかと思い至りました。


なので、少なくとも以上のような点においては、全然焦る必要は無かったと納得しました。


とはいえ、遠い未来に書く予定の作品の数々を無事書き終えることが出来る保証はどこにもないわけで、しかもそれらについて客観的な評価を頂けるかどうかもわかりません。


今は遠い未来の目標に夢をはせつつ、これから書こうとする1シーンを何とか描き上げることに集中しようと思っています。


ホント、先々の作品の構想やアイディアは沢山浮かぶのに、直近のシーンのキーワードがなかなか降りてこない・・・。


今書いている長編「N」において、冒頭の終わりと本編の始まりを告げながら、その本筋の流れとは全く関係ない人物と主人公が短く対話する、いわば楽譜における休符の役割をするシーンですが、作品全体における主人公の内面のテーマを暗示させる場面なので、なかなか簡単に割りきってしまえない場面です。


あまりこだわり過ぎて足踏みばかりするのもよくありませんが、もう少し根気強く降りてくるのを待とうと思います。






立て続けに記事を書いています。


ところで”SFB”ってなんですかね、勝手に作った造語なんですけど、、


セルフ・フィード・バック、略して”SFB”


くだらないだけで何の意味もございません(;´∀`)


さっき書いた記事を読み返して急に思いついたことを忘れないようにメモしておこうと思います。


次に書くシーンの構想において、主人公が三人の全く異なった個性の人物と立て続けに出会い会話することの意味について、


例えば、自分にしても他の誰かにしても、その人自身の内面を自分で本当に確認したいと思ったら、それを自分一人だけで試みようとしても、たいていは堂々めぐりするだけでかえってモヤモヤが増えるばかりで、だからそういった場合は、よく話が聞ける誰かに相手してもらって、その相手に向かって自分の内面にあるものを何とか言葉で伝えようとすることを通じて、それが相手に伝わる以上に、伝えようとした自分の意識の中で整理がついてはっきりしてくる、あるいは全く気が付かなかった一面に初めて思い至るような結果になると思います。


そのプロセスを主人公と三人の人物との関係を通してそのまま表現すれば良いと思い至りました。


あともう一つ、だいぶ前に書いた創作メモについて、


極悪人ではない、ごくフツーの人たちの中に存在するエゴや悪について、これをどう捉えるべきか悩んでいましたが、これについても唐突に結論が出ました。


例えば、自分が幸せでないときに他の誰かが幸せそうにしていることが許せない、呪ってやりたい、など、


現実にはかなり多そうなパターンですが、自分の幸せの度合いと他人のそれとはそもそも全く関係ない、比較しようのないもの。


これが分からなければ誰もほんとうの意味で幸せになれないというのは真実です。


逆に言えば、自分の幸せの如何にかかわらず、他者の幸福を望み祝福できる胸中に至った人が増えれば、この世の中はかかなり穏やかで精神的に豊かになっていくように思われます。


長編「N」の作中で描く人間悪について、この辺りに的を絞ってテーマ化できるか検討に入ります。


自分自身の言葉のSFBから浮かんだアイディアを記しておきました。






こんにちは、また更新があいてしまいました。


相変わらず絶不調の最中なのですが、腫れや炎症も8割ほどひいてきて快方まであともう一息といったところです。


今回は中途半端に無理をせず徹底して身体と神経を休ませることにしています。


ただ黙って時を過ごすのは思ったよりもはるかに忍耐が必要で、正直なところ焦りや別なストレスと向き合うことになって辛いところですが、これも乗り越えなければならない壁だと思って前向きに捉えようと思っています。


ここまでの経験から自分の身体のリズムと回復力では、どうにもならないほどダメージが蓄積した場合、そこから一応の快方に至るまで一ヶ月ちょい位かかることが解りました。


今までは少し調子が良くなると無理してでも作業を進めて先を急いでいたのですが、今回の創作作業ではそういった無理の積み重ねがたたってどうにもならないほど体調が悪化してしまいました。


けっこう長い病歴の中で無理は禁物であることは分かりきったことのはずだったのですが、自分の人生がこのまま病気に翻弄されて受け身で終わってしまうのではないかという恐れと、早く自分の人生を自分の意志と力で歩けるようになりたいという希望の板挟み状態になって、その葛藤と焦りから想像以上のストレスがかかっていたようです。


そういった内面的なストレスに加えて、人生で初めて本格的な長編小説を執筆して完成させようとすることへのプレッシャーと、その作業そのものからくる負担の大きさも身を持って体験し理解しました。


ほんと、小説を書くということは思ったよりもずっとタフな作業ですヨ


小説を書く技能というのは単に文章を書くのが上手いというのとは全く異質で、むしろ文章の上手い下手はあまり関係ないかもしれません。


自分の感覚としては、もっと構造的な作業の必要性が書く前の段階に存在して、それが大掛かりな小説であればあるほど大きな割合を占めるようになって、それが出来上がればおおよそ書く前の段階で全体の半分以上を占めているかもしれません。


そういった、文章を書く以前の設計と構想の段階を終えると、いざ書きだそうということになるのですが、小説の文章を実際に書くという作業も一種独特な要素をはらんでいるもので、それを言葉で的確に説明するのは難しいのですが、とても即興的で事前に立てた計画をことごとく覆しながら流れに乗って言葉を打っていくという、ある意味、構想段階における努力を自分で否定していくという矛盾する作業になってしまいます。


作中の人物は、主人公であれ脇役であれ、敵役であれ、誰もが作中時間の中でリアルタイムに感情を持って動いているわけで、ゆえに予め事前にコレをこう言わせようとか、こうしてアーして最後にこうさせようといった作者の思惑に100%当てはめることは無理なことです。


でも全体の流れとテーマは譲れない線なので、それと作中の人物の思惑とのせめぎ合いになってくるわけですが、そこが初心者の自分にとっては苦しい課題になっているといったところです。


経験豊かな作家になってくると、こういった複雑な兼ね合いを水の流れるがごとく、いともたやすく的確に調度良い加減で書きこなすことが出来のだろうなと思うのですが、初心者の自分にはまだほど遠い境地です。


長編小説「N」の冒頭部分、400字詰め原稿用紙で数えると147枚、主人公と主要な人物像とテーマ、舞台と活動の模様など、冒頭に必要な要素を短編小説一遍分くらいの起承転結の中にうまく収めることが出来ました。


でも、そこまで書き上げたところで、集中力と身体の耐久力がぷっつりと切れてしまいました、、


次に書くシーンの大まかな構成は練ってあるのですが、その具体的な中身の要素については一向に煮詰まらず、身体と神経を休めることが第一と知りつつ、思い悩む日々が続いています。


具体的には、三つのシーンで構成され、一回の場面転換で二つの場所の間を移動し、それぞれのシーンで異なる三人の人物と主人公が対面して語り合います。


作中の時間の中ではごく僅かな一時に過ぎませんが、冒頭の終わりと本編の開始が重なって、しかも主人公の外面的様子の描写から、作中で初めて内面的な意識の披露がなされる場であり、これからの長い物語全体のテーマ性と雰囲気を決める超重要な場面になります。


主人公の内面性をどう描けばいいのか、、、本当に難しい問題です。


まず第一に、主人公の意識は作者であるぼく自身の意識と不可分な存在になりますが、それでも私小説的要素を極力減らすために作者の現実における意識や立場と極力変えてあります。


なので、本作の主人公は必ずしも作者の分身などでは無いと、はっきり区別して書こうと思っています。


そして、なによりも問題のハードルをさらに高く押し上げているのは、昨今のリアルな世界にはびこる不確定性と、現実の人間たちが内面に抱える意識の混乱と荒みがちな精神を、一体どうすれば乗り越えて未来に繋げていけるのかという、おそらくは今現在のあらゆる創作家たちがぶつかっているであろう、難問中の難問と言える壁に果敢にも最初の作品で挑んでしまおうという無謀さにあります。


それについての考察はある程度自信を持って出来ていると言えますが、それを的を外さずに表現して伝えることについてはまだ自信を持てる段階ではありません。


それをまた長編「N」において定めた、小説で表現し切ることが難しいメインテーマを持ってして伝えきれるかどうかはまったくもって未知数です。


ようは初心者が書く小説にしては、書く技量にしてもテーマにしても、えらく高いハードルを自ら課してしまい、それを乗り越えるために日々もだえ苦しみながら問答を繰り返さなければならなくなったというだけのことです。


でも、この今の自分にとっては大きすぎるように思われる課題を乗り越える事が出来れば、次に書いて勝負しようと思っている中短編小説の幾つかを確実にものに出来る実力がつくと思っています。


幸いにも、思い切った休息のお陰で体調は何とか回復に向かっていて、調子が良ければ連休明けくらいには、また執筆活動を再会できそうな塩梅です。


とにかく、プレッシャーとストレスと焦りと恐怖に打ち負かされないように、しぶとく牛歩のごとく前に向かって歩みを進めようと思っています。



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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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