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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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来年に向けて創作活動を推し進める目処も徐々に立ってきました。

こういう時はやっぱり嬉しいですね。

本当に降りてくる時があるんです。

何年も何年も堂々巡りのように同じことを考え続けていても、それは一種の螺旋ループのようで少しづつ、一歩づつ、1段づつ、気が付かないほど微かだけれど目的の高みに向かって繰り返し登り続けていることを信じてさえいれば実感できます。

その実感に支えられて、ブレること無く、外側の物差しにおもねること無く、ただひたすら真っすぐ前を見続けていれば、もうダメかもしれないと幾度も挫けそうになりながら、感覚も麻痺して痛みと苦しみを感じることを半ば忘れかけていた頃にいきなりブレイクスルーする瞬間がやってきます。
 
ようやっと時代の変化の重い鎖に縛られない作品の筋書きが見えてきました。

それは今年に入ってからずっと取り組み続けてきた作品「PT」ただ一作だけですが、少なくともこの作品の主人公二人は時代を超える生き方を体現できる存在まで止揚させてあげられそうです。

カメラ片手に線路端に立ち続ける時でさえ頭のなかは小説作品のことで常にいっぱいでした。

24時間、寝ている間も意識は冴え続け朝起きたその時から小説の構想は始まります。

昼夜も休日も関係ありません。

夢の中にも遠慮無く出てきます。

意識の継続はもう10年近く解いていません。

何を見ていても何をしていてもどんな時でも全て小説作品に結びつけて考え続ける必要があります。

創作一本で生きていくとはそういうことなんだと身を持って知りました。
 
そういう状態になると息抜きというものが基本的に存在しなくなります。
 
したくても自律神経が常に活動状態で身体から一切力が抜けなくなりました。
 
そういうことに慣れきってしまった結果、身体と神経はいつもズタボロです。

汚い話ですが数年前から下血が激しくなりました。

用を足した後の便器はいつも真っ赤です。
 
もともとの病気による不調にさらなる負荷をかけて傷めつけてしまった犯人は他でもないそうしてしまった自分自身です。
 
そんな有り様でもやりすぎて本当に駄目になってしまったら元も子もありませんしそうなったら自分の負けです。
 
ギリギリのところで持ちこたえて前進し続けられるかどうかが勝負です。
 
それでも眠れなくなることだけは駄目です。
 
こういう生活を始めた最初の頃、数ヶ月間ほとんど眠られない日々が続きました。

眠られなくなると人間は正常な意識を維持することはできなくなります。

だからなんとかして何があってもどんなに頭が回転し続けても眠られるようにしました。
 
それでここまでどうにか持ちこたえることが出来ていると思います。
 
不毛で馬鹿げたように思える生き方でも、それでも自分にとってはとても幸せな生き方だと思って日々充実感を感じています。
 
不安や不満や恐れや比較心も全てどうでもよいこととして消えて行きました。

これまで大量に撮り続けてきた写真の一枚一枚は単なる記録作品であって自分自身の歩んだ意識の道筋の足跡でもあります。

自分自身の内側の向き合わざる負えない一面と向き合って昇華し続けるごとに創作の道も一歩づつ進んでいきました。

自分で本当に納得のいく結論が得られるたびに身体の症状やストレスも徐々に緩和されていくことは自分でも不思議に思うことです。

上に書き連ねた不快な症状の数々は全て自分の中から過ぎ去ろうとしています。

今年一年の間でこれまで向き合ってきたつもりで十分に直視してこなかった内面の奥にあった課題に立ち向かい昇華することができたと思います。

自分の作品に手応えを感じ始めたこれからが本当の正念場の連続だと思います。

自分の外側に悪を見出して自分自身を善だと見なせる時代が終わろうとしています。

自分の外側の世界も実は自分の内面を写しだした鏡の世界に過ぎないという話を以前の記事で書いたことがありました。

自分の中で沸き起こる批判心はそれを向けた存在とそっくり対称的に自分自身の認めることのできない一面であったりします。

自分でも意図しないうちに沸き起こる嫉妬心や羨望の気持ちはその向けた矛先の対象がまだ自分で手にすることの出来ていない一番欲しい何かであったりします。

自分に足りないものは何か、自分が這いつくばってでも血を吐いてでも欲しいものは何か、そうでもしなかれば昇華できない欲望と成長の暁はどこに辿り着けば出会えるのか。

自分の素直な心の声に率直に耳を傾け認めてあげることさえ出来なければ、もしもその微かな声を単に不愉快な感情の一つとしてやり過ごしたり、それでも無視できなくなったやり場のない憤りを他者や外部の存在にぶつけたり、それさえもできなくなると弱者や自分よりも劣った者わざわざ探し出してまで見下ろし蔑むか、あるいは道徳と正義の立場をとって他者の過ちを裁いているようで裁かれているのは常にそうしている自分の心であって自らの存在と人生をひたすら呪い続けていることにさえ気が付かなくなります。

落ちるところまで勝手に落ちていくのは常に自分自身であって他の誰のせいでも責任でもありません。

いつかそんな可哀想な自分を哀れんで救ってくれる神様も仏様もいません。

同情を装い甘い慰めの態度を携えて近寄ってくる者は天使のふりをした欲情の小悪魔の使いの他にありません。

立ち止まり、立ち返る決断を下せる存在は自分自身のほかに存在しません。

救いはまったく自分の決断によります。

自分の心の向かう先に限界はありません。
 
自分の限られた人生の中で善の限りを尽くすことも悪と醜聞を窮め尽くすことでさえ人の心は自由自在にやってのけられます。
 
ここまで吐き気をもよおしながらひたすら目をそらさず人間のありのままを直視してきた結論がこうです。
 
自分は善悪の彼岸に立ち続けます。
 
それが作家を志す本当の理由です。

自分自身を愛せるように他者の善よりも悪を愛します。

善も悪も最初に存在しなかったことが真実です。

善と悪の区別は完全なバランスのとれた調和の下に相殺され消え去ることが自然であり、それで最初から最後まで存在した一つの愛が完結します。

この言葉以上の意味を自分の心と意識で遮ることなく受け止めることができた時、人生は真にその人自身のものとなり思うままに創造し羽ばたくことが出来るようになります。
 
それが一人一人の人間に等しく与えられている真の自由の隠された意図です。

真面目な話を嘲けるだけで否定し退ける人は単に成長が足りないだけでまだその時ではないのです。

聞く耳を持つものだけが聞くことができるということは全く真実です。




 
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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