北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日の記事も昨日の独り言のつづきです。
人生、人生、人生、自分、自分、自分、、と延々と連呼し続けているようですが、つまるところ人にはそれしか無いのですからしようがありません。
あまり重苦しいことばかり書き連ねて肩がこるので今回は少し知っておいて得をする生きるコツのような知恵を含んだ話をしようと思います。
人の生き様とは本当に様々で人それぞれです。
こんな素晴らしい生き方が出来るなんてと思わせられる人もいれば、刑務所に服役しても償いきれないような重い罪を重ね続ける最悪な人生を送る人もいます。
限りない幸福と祝福に満ちた人生を送る人もいれば、本当に気の毒で可哀想な人生を送る人もいます。
力強い意志で未知の世界を切り開いていく人もいます。
意志の矛先が定まらず右に左に流されて生きていく人もいます。
人の役に立つ有用な人物になれる人。
誰かが背負わなければならない辛い役割を担う人。
うまく避けながら生きる人。
忙しい人。
忙しすぎる人。
暇な人。
役に立っているのかどうかわからないけど愉快な人。
楽天的な人。
深刻に思い悩む人。
頭のいい人。
勉強はちんぷんかんぷんな人。
優しい人。
悲しい人。
意地悪な人。
情の深い人。
裏表のある人。
支離滅裂な人。
厳しい人。
他人には厳しいけど自分にはとことん甘い人。
優しいけど薄情な人。
絶対に裏切らない篤実な人。
誠実な人。
品行方正だけどどこか冷たい人。
暖っかい人。
近づきがたい人。
地味な人。
目立つ人。
踊りだす人。
才能豊かな人。
カリスマ性のある人。
ピアノが弾ける人。
歌ががうまい人。
スポーツ万能な人。
サッカーボールが友達な人。
メタボな人。
痩せた人。
背の高い人。
背の高くない人。
イケメンな人。
イケメンではない人。
美人な人。
可愛い人。
美人薄幸な人。
センスのいい人。
センスがいいですねと言われる人。
器用な人。
器用に生きられる人。
自分は不器用な男ですからとつぶやく人。
人を影から操れる人。
偉い人。
偉くない人。
偉くなれなかった人。
微妙な人。
お金持ちな人。
お金のない人。
お金を使うのがうまい人。
ギャンブルで勝てる人。
負け組な人。
勝ち組な人。
やっぱり微妙な人。
怖い人。
人を怖いと思う人。
スプーンを曲げられる人。
宇宙と交信できると言う人。
何のとりえもないという人。
生きることに疲れた人。
元気な人。
本気で生きている人。
俺だって本気出せば凄いんだぜって心のなかでいつも思っているだけの人。
今こういうことを書き連ねながら次の展開に思いあぐねている自分のような人。
こう書き連ねていけばほとんど止めどなく延々と思いつくほど人の特質や性分はバラエティーに富んでいます。
作家を目指して人や人生についてあれこれ考え続けましたが、一人一人のこういった性質の差とは根本的に何なのかということについて決定的な解答は見つけられずにいます。
そこを真剣に考え続けてもはっきりした答えなんて存在しないだろうし、その答えが仮に出たとしてもそれでよい小説が書けるとも思えません。
一つの小説の中で様々な個性と性分を持った人物たちを描き分けられる程度の知識を蓄えた今の自分の見方として言えることは、人の人生とその生き方は決して良し悪しだけで割り切れるものではないということだけは言えます。
良し悪しや善悪の区別だけで人を断定ばかりしても豊かな洞察は得られませんでした。
貧弱な人生観しか持てないのは嫌なのでそこのところを一生懸命に考えてきました。
幸せと悲しみの両極端の狭間で揺れ動き続けるのが人生の重い一局面ならその中心で居座っている存在は何物なのか。
そこの核心さえ掴み取ることが出来れば架空でも豊かな人物像とストーリーを描き出せるのではないかと考えました。
人生は一見すると複雑で同時に限りなくシンプルなものだと言われているのをどこかで聞いたことがあります。
どんな人にもその人の人格の核心にあるものがたった一つだけ存在します。
その核心にあるものがその人自身の存在と存在する世界と環境を形作るという過程がつまるところその人の人生そのものあるという仮説を立ててみました。
自分の心の中心に在るものに常に注意を払ってみてください。
それに相応しい世界が未来の現実になります。
同じように今までの自分の人生の記憶と思い出の中でその時々に心の真ん中を占めてきたものは何でしたか。
それが今現在の自分と自分が存在する世界を形作ってきました。
ポジティブな意識はポジティブな世界を生み出しネガティブな意識はネガティブな世界を形作りやすくなるというよく言われている人生の法則は嘘ではありません。
でもその単純な法則に支配された自分と同じ法則の下で70億人の他人も生きる世界に常に影響されあうことから結果はそう単純には行きません。
目に見えない関係の中でエネルギーの波と波が複雑に干渉しあう現実の世界の中において、うまく自分の心の中心を定めて生きていくには善悪の区別による道徳観や他人との比較心に基づいた常識よりも、自分の本心からリアルタイムで閃く直感に基づいた判断とバランス感覚のほうが有効です。
その人物がその時そうしていることには全て理由があるということを尊重しながらストーリを書いていける作家になろうと心がけています。
おしゃべりが長くなりそうなところで今日の話題はここまでとします。
本題の小説執筆の準備を進めなければなりません。
今日のたわいのない話題が何かのヒントや参考になれば幸いです。
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来年に向けて創作活動を推し進める目処も徐々に立ってきました。
こういう時はやっぱり嬉しいですね。
本当に降りてくる時があるんです。
何年も何年も堂々巡りのように同じことを考え続けていても、それは一種の螺旋ループのようで少しづつ、一歩づつ、1段づつ、気が付かないほど微かだけれど目的の高みに向かって繰り返し登り続けていることを信じてさえいれば実感できます。
その実感に支えられて、ブレること無く、外側の物差しにおもねること無く、ただひたすら真っすぐ前を見続けていれば、もうダメかもしれないと幾度も挫けそうになりながら、感覚も麻痺して痛みと苦しみを感じることを半ば忘れかけていた頃にいきなりブレイクスルーする瞬間がやってきます。
ようやっと時代の変化の重い鎖に縛られない作品の筋書きが見えてきました。
それは今年に入ってからずっと取り組み続けてきた作品「PT」ただ一作だけですが、少なくともこの作品の主人公二人は時代を超える生き方を体現できる存在まで止揚させてあげられそうです。
カメラ片手に線路端に立ち続ける時でさえ頭のなかは小説作品のことで常にいっぱいでした。
24時間、寝ている間も意識は冴え続け朝起きたその時から小説の構想は始まります。
昼夜も休日も関係ありません。
夢の中にも遠慮無く出てきます。
意識の継続はもう10年近く解いていません。
何を見ていても何をしていてもどんな時でも全て小説作品に結びつけて考え続ける必要があります。
創作一本で生きていくとはそういうことなんだと身を持って知りました。
そういう状態になると息抜きというものが基本的に存在しなくなります。
したくても自律神経が常に活動状態で身体から一切力が抜けなくなりました。
そういうことに慣れきってしまった結果、身体と神経はいつもズタボロです。
汚い話ですが数年前から下血が激しくなりました。
用を足した後の便器はいつも真っ赤です。
もともとの病気による不調にさらなる負荷をかけて傷めつけてしまった犯人は他でもないそうしてしまった自分自身です。
そんな有り様でもやりすぎて本当に駄目になってしまったら元も子もありませんしそうなったら自分の負けです。
ギリギリのところで持ちこたえて前進し続けられるかどうかが勝負です。
それでも眠れなくなることだけは駄目です。
こういう生活を始めた最初の頃、数ヶ月間ほとんど眠られない日々が続きました。
眠られなくなると人間は正常な意識を維持することはできなくなります。
だからなんとかして何があってもどんなに頭が回転し続けても眠られるようにしました。
それでここまでどうにか持ちこたえることが出来ていると思います。
不毛で馬鹿げたように思える生き方でも、それでも自分にとってはとても幸せな生き方だと思って日々充実感を感じています。
不安や不満や恐れや比較心も全てどうでもよいこととして消えて行きました。
これまで大量に撮り続けてきた写真の一枚一枚は単なる記録作品であって自分自身の歩んだ意識の道筋の足跡でもあります。
自分自身の内側の向き合わざる負えない一面と向き合って昇華し続けるごとに創作の道も一歩づつ進んでいきました。
自分で本当に納得のいく結論が得られるたびに身体の症状やストレスも徐々に緩和されていくことは自分でも不思議に思うことです。
上に書き連ねた不快な症状の数々は全て自分の中から過ぎ去ろうとしています。
今年一年の間でこれまで向き合ってきたつもりで十分に直視してこなかった内面の奥にあった課題に立ち向かい昇華することができたと思います。
自分の作品に手応えを感じ始めたこれからが本当の正念場の連続だと思います。
自分の外側に悪を見出して自分自身を善だと見なせる時代が終わろうとしています。
自分の外側の世界も実は自分の内面を写しだした鏡の世界に過ぎないという話を以前の記事で書いたことがありました。
自分の中で沸き起こる批判心はそれを向けた存在とそっくり対称的に自分自身の認めることのできない一面であったりします。
自分でも意図しないうちに沸き起こる嫉妬心や羨望の気持ちはその向けた矛先の対象がまだ自分で手にすることの出来ていない一番欲しい何かであったりします。
自分に足りないものは何か、自分が這いつくばってでも血を吐いてでも欲しいものは何か、そうでもしなかれば昇華できない欲望と成長の暁はどこに辿り着けば出会えるのか。
自分の素直な心の声に率直に耳を傾け認めてあげることさえ出来なければ、もしもその微かな声を単に不愉快な感情の一つとしてやり過ごしたり、それでも無視できなくなったやり場のない憤りを他者や外部の存在にぶつけたり、それさえもできなくなると弱者や自分よりも劣った者わざわざ探し出してまで見下ろし蔑むか、あるいは道徳と正義の立場をとって他者の過ちを裁いているようで裁かれているのは常にそうしている自分の心であって自らの存在と人生をひたすら呪い続けていることにさえ気が付かなくなります。
落ちるところまで勝手に落ちていくのは常に自分自身であって他の誰のせいでも責任でもありません。
いつかそんな可哀想な自分を哀れんで救ってくれる神様も仏様もいません。
同情を装い甘い慰めの態度を携えて近寄ってくる者は天使のふりをした欲情の小悪魔の使いの他にありません。
立ち止まり、立ち返る決断を下せる存在は自分自身のほかに存在しません。
救いはまったく自分の決断によります。
自分の心の向かう先に限界はありません。
自分の限られた人生の中で善の限りを尽くすことも悪と醜聞を窮め尽くすことでさえ人の心は自由自在にやってのけられます。
ここまで吐き気をもよおしながらひたすら目をそらさず人間のありのままを直視してきた結論がこうです。
自分は善悪の彼岸に立ち続けます。
それが作家を志す本当の理由です。
自分自身を愛せるように他者の善よりも悪を愛します。
善も悪も最初に存在しなかったことが真実です。
善と悪の区別は完全なバランスのとれた調和の下に相殺され消え去ることが自然であり、それで最初から最後まで存在した一つの愛が完結します。
この言葉以上の意味を自分の心と意識で遮ることなく受け止めることができた時、人生は真にその人自身のものとなり思うままに創造し羽ばたくことが出来るようになります。
それが一人一人の人間に等しく与えられている真の自由の隠された意図です。
真面目な話を嘲けるだけで否定し退ける人は単に成長が足りないだけでまだその時ではないのです。
聞く耳を持つものだけが聞くことができるということは全く真実です。
映画「駅STATION」冒頭は雪の銭函駅ホームでの別れのシーンでした。
銭函駅は風情のある木造駅舎で当時と変わらない佇まいを今に残しています。
ホームを行き交う列車は銀色の電車に変わりましたが、かつては赤い電気機関車がけん引する重厚な昭和生まれの旧型客車列車でした。
その中でも一段と重厚なリベット打ちの茶色い車体と狭い窓が整然と並んだ戦前製スハ32型客車が冒頭のシーンにおける隠れた主役のように思えたのは鉄道好きな視点ゆえでしょうか。
そんな映画の名シーンを意識したわけではないのですが、昔日の夜行列車の面影を感じさせる夜の赤い電車の停車シーンをダイヤ改正直前に銭函駅でバルブ撮影していました。古いレンズのせいで光芒が際立ちすぎていますが今ではこれも思い出の1シーンです。今年限りの光景の中で無理をしても撮っておいて良かった一枚だと思います。
反対の上りホームへ渡ると小さな植木花壇の端に一群のアジサイの花々が咲いていました。
小樽→旭川乗り通しの旅の行きすがら朝の銭函駅に立ち寄り赤い電車とのコラボを撮影しました。そのまま乗車して小樽へ向かい折り返し旭川まで4時間半の旅を共にしました。
今日、その「駅STATION」がタイムリーにBSで放送されました。
もちろん視ましたが、やっぱりいい映画は何度視ても面白いですね。
銭函駅は今も基本的に変わっていませんが、駅前の広場は当時まだなくて木造の民家が密集した裏路地の先に駅があるような感じでした。
序盤の豊平川河川敷の検問のシーンでバックを通り過ぎる列車が上の赤い電車711系でした。
当時、出来立てホヤホヤの新車だった100番代がしっかり写っていました。
ちなみに6両編成の後ろ3両は試作車S-902編成であることが確認できました。
三十数年後の今、終焉期を迎えつつある赤い電車が一瞬だけでも”共演車”だったことは正直、嬉しかったです。
100番台のうち何番の編成かまでは判別できませんが、ひょっとすると上の写真に写っているS-110やS-113かもしれませんし、いずれにしても馴染みのある編成であることに違いはありません。
留萌本線の増毛駅では定番のキハ22をはじめ当時絶賛増備中だった新車のキハ40、10両しか製造されなかった少数車キハ24や2両だけの郵便荷物車キユニ21まで登場し、まるで非電化ローカル線オールスターズのようでした。
留萌駅や臨港線を行き交う大量の石炭車の群は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
SLこそすでに引退して姿が見られなくなっていた時代ですが、人や物資の移動を一手に引き受けていた国鉄時代最後の情景は、いまかろうじて線路が通じていてもワンマン列車だけが走るローカル線になった姿とは別次元の活気に満ち溢れています。
炭鉱、漁業、林業が当時の北海道の重厚な産業を支えていたことを映画の中で端的に織り込まれています。
東西冷戦下の比較的に閉じられた経済の中で北海道は日本において重要な資源や製品を輸出入する、いわば仮想貿易国のような存在だったと思います。
ベルリンの壁とソ連が相次いで崩壊し国内のバブル景気が去って世界が開かれ多極化するにしたがい準貿易国としての北海道の地位も低下していきました。
石炭も材木も漁業資源も外国からの輸入に頼るようになった結果、北海道の産業は急速に衰退し拓銀の破綻へ繋がりました。
この映画はそういったかつて北海道に存在して今は失われた産業と社会の有り様を余さず記録した作品です。
観光と農業と残された僅かな漁業や林業を糧としてやっていくしかないこれからの北海道の未来を考えると複雑な心境になります。
何もかもが昔のほうが良かったわけではなく、過酷な労働と闇社会が幅を利かせた強面な当時よりも今のほうが見かけ上はずっと透明でクリーンな世の中になりました。
それでもやはり映画の中で描かれた人間模様は骨太で魅力的です。
当時すでに失われかけていた骨太な人間模様の情景を時代の変化の中で消え去ってしまう直前に映画というタイムカプセルに封じ込めたかのように感じます。
粗野で汚れた暴力が底辺で蠢いていた時代が長く続いた末に、その愛憎に満ちた層が徐々に必要とされなくなると共に、当時の人々は去りゆく者の世界に情緒を感じ始めたのかもしれません。
その時代ごとに人々が情感や愛着を感じ取れる対象は徐々に消え行く存在であるという見えない法則が働いているように思えます。
姿形ある存在、または目に見えない関係性から人間模様まで、全ての魅力を感じさせる存在はやがてその情緒とともに記憶の中へ昇華していく運命なのかもしれません。
無機質で味気ない存在や法則ばかりが生き残る不毛な競争社会の行き着いた先の末に一体どのような物事に向けて感情移入してよいものか悩まされる時があります。
映画の中で過ぎた時代の面影に浸っているだけでは見いだせない回答を求めて長い自問の日々が続きそうです。
先日、突然の訃報が知らされ驚きました。
俳優の高倉健さんが亡くなられたと聞いて俄に信じがたい気持ちがある一方で、実際の年齢を見るとやや早過ぎる幕引きだったのではないかという思いが交錯します。
銀幕のスターと呼ばれる人たちは皆そうかもしれませんが、スクリーンの中のその人はいつも変わらぬ凛々しい佇まいで実際に齢を重ねているという実感が沸かないものです。
なので、亡くなったと聞いてもまだどこかで元気でいるような気がします。
昭和から平成にかけて戦後日本を最も象徴する男が高倉健さんだと思います。
寅さんを演じた渥美清さんと並びこれほどまで日本人の心の中に生きづいた俳優はこれまでもこれからも存在しないと思います。
任侠映画の世界はあまり馴染みがありませんが「鉄道員」はリアルに感動した世代ですし「幸福の黄色いハンカチ」や「駅STATION」は特に印象に残っています。
幸せの黄色いハンカチは網走刑務所を出所した高倉健さん演じる元炭鉱夫の男が偶然であった若い男女とともに妻が一人待つ夕張を目指すロードムービーの傑作です。
昭和50年代初頭の北海道の原風景が余すことなく活写されているところが圧巻で、ぼく自身まだこの世に生を受ける前の時代が鮮明に写し出されている名シーンの数々を見るたびに新たな発見と感動が湧き上がります。
ストーリーはどの人の人生にもこんな素敵な瞬間に巡りあわせたらいいなと思えるような夢を表現した世界でした。
それまで任侠や強面な世界を生きる男だった健さんが、役の上では弾みで人を殺めて刑に服し社会的に日陰者として身をやつしても、たった一人の女性が頑なに信じて帰りを待っていてくれるお陰で、それまでの凍てついた男の世界から足を洗い平凡な夫としての幸せな暮らしをやり直せるという救済の物語のように思いました。
今も当時と殆ど変わっていない道東の雄大な風景と、付かず離れずの関係で進む3人の姿が印象的な陸別駅界隈や狩勝峠の検問で足止めされて前科者の過去が明らかになった後、驚きの展開でピンチを脱するシーン、奈井江近傍のドライブインや栗山町界隈で逡巡するシーンなど、最盛期の面影を残す歌志内や夕張の活気に満ちた時代の炭鉱都市の光景なども含めて記録映画としても素晴らしく色あせない作品です。
幸せの黄色いハンカチを初めて観たのはたしか高校生くらいだった記憶していますが、その瑞々しい人間物語の印象にすっかりやられてしまったことを覚えています。
同じ時期に鉄道員が封切られて話題になっていた時、関連してテレビ放映されていたのを初めて観たのが「駅STATION」でした。
鉄道員のようなストレートな感動を期待していましたが、全編にわたってやや陰鬱で重苦しさを伴った雰囲気とシーン展開の早い難解なストーリー構成に十代の拙い意識では追いつきませんでした。
唐突に、雪の中の銭函駅での別れのシーンから始まり、東京オリンピックの射撃種目のエース選手だった過去や先輩刑事の突然の殉職など、続く雄冬の帰省や増毛や留萌の内偵捜査、上砂川での逮捕劇、札幌での強盗犯強行突入など、過去現在順不同でめまぐるしく移り変わる展開で一体全体どうなっているのか流れを把握することがとても困難でした。
それが後半の増毛駅前で赤提灯を切り盛りする倍賞千恵子さん演じる未亡人?の女性と出会う頃から急に順序だった流れになり、ようやっとストーリーらしい展開が読めるようになったところで最後は切なくほろ苦い結末で何とも言えない後味が残る映画作品でした。
この映画が映画史に残る傑作とされる理由をいまいち理解できないまま、どちらかと言えば映画全編を通してふんだんに散りばめられた、昭和50年代半ばの北海道における国鉄全盛期最後の鉄道情景に目を食い入る様にして夢中になって見ていたことを思い出します。
それから10年以上たって、BS放送の再映でこの作品をもう一度最初から最後までしっかりと見る機会があり、自分でも驚いたことは、十代の当時あれだけ難解に思えたストーリー展開の意味が何の抵抗もなく心に染み入るように理解できたことです。
それは一人の男の生き様をその人自身の視点から忠実に再現しようとする意図だったと思います。
若い勢いで突っ走る青年期から社会で活躍する実力を備えた壮年期にかけて、まるでジェットコースターのように次から次へと向き合う状況や課題が移り変わり、仕事に追われ続ける忙しい日々の連続の中で置き去りにされた家族や青春の思い出が不意に点描として蘇る、ということを幾度となく繰り返しているうちに気づくと五十歳の齢の節目を迎えていたという、長いようで短い人生の中で誰しもがある時期に沸き起こるであろう感慨を巧みな表現で描き切ったゆえと今では理解しています。
後半、倍賞千恵子さんとの掛け合いのシーンで健さんがぼそっと「樺太まで聞こえるかとおもったよ」とつぶやいたセリフが艶っぽくて好きでした。
高倉健さんが演じる人間存在を活写した名作映画の数々を見るたびに人生と創作両面において勉強させられることばかりです。
創作家志望の端くれとして恥も外聞も気にせず全うしたい自分のような人間にとって高倉健さんは偉大過ぎる先人であって神様のような人です。
遠い北の街外れからあらためてご冥福をお祈りいたします。
そしてこれからも映画の世界の中で健さんに出会えることを楽しみにしています。
たった今、テレビの速報で消費増税先送りと衆院解散が伝えられました。
政治経済についてアレコレ書くのは決して好きではないのですが、一応にわか有権者の一人として今の御時世についてしっかりと確認しておきたいと考え記事を書いておきます。
今度の選挙に臨むにあたって、個人的にはもうすでにどこの政党を応援しようとか政権与党の政策のここがダメだと言うよな、白か黒か善か悪かという二元論で判断できるような状況ではないと考えています。
どこの政党が良くて反対にどこが悪いと言うよりも、大事なことは背景で起きていることの具体的な確認であって、その一見複雑な情勢の中で一般の一個人としても関係するいくつかの点に絞って見ると、一つは増税が先送りになって少しでも負担の増加が遠のいたことを単純に良かったと考える一方で、もっと本質的な問題の中で今のうちにしっかりと気がついておくべきことも少なからずあるのではないかと思います。
GDPが年率換算で-1.6%下落したことが一体どれほどの重大事なのか素人の自分にはいまいちピンときませんが、件のアベノミクスという政策がどうやら上手くいかなかったということが数値の結果で明らかになったということだけは理解できます。
短期間で多大なリスクを賭して投じた資金は一体どこへ消えてしまったのでしょうか。
たとえ一時のカンフル剤であったとしても、それが功を奏したのなら日本の国内の一部分だけでも好景気に沸いてもおかしくありませんが、例えば一時のヒルズ族のような新興経済分野が立ち上がったわけでもなく、地方も中央も含めて景気が上向いたという実感はほとんど感じられません。
株式市場の中で再投資が繰り返されて数字の利益ばかりが増えても、実際の経済分野に資金が豊富に流れなければ経済も産業も発展することはなく世の中に出回るお金も税収も少ないままです。
お金が大量に刷られて投資されても株式市場に流れるばかりでは、やがてその資金はより早く儲かる海外へと流れ去ってしまいます。
実際の産業を新たに起こして発展させるまでには時間がかかります。
震災の復興も多大な資金と時間を要します。
今人気の朝ドラの主人公のモデルになった竹鶴政孝もニッカウィスキーを創業してからウィスキーを商品として出荷し利益を上げられるまでの10年間、果実酒やジュースを売って耐え忍ばなければなりませんでした。
お金の増殖する流れが速すぎて実際の経済が成長するスピードが追いつけないことが長引く深刻な不景気の要因の一つだといえます。
投資するために資金を借りた場合、出来るだけ早く借りた額以上の利益を出して利息も含めた元本を返さなければなりません。
起こしてから発展するまで何年もかかる実際の産業にリスクを背負いながら投資して利益が上がるのを気長に待つよりも、短期的に電子決済で確実に利益を上げられる株式市場に資金が集中するのは当たり前のことで、そこを踏まえて実際の経済にもっと優先的に資金が流れるような政策が必要だったのではないかと思います。
株や為替の市場取引が電子化され世界中の市場がネットワークで繋がり時差に関係なく24時間絶え間なく高速で取引される現在の市場システムでは一昔以上前の常識では考えられないような出来事が起きています。
バブルに沸いた二昔前のアナログな仕組みで成り立っていた時代とは根本的に違う原理で動いているのが現在のシステム経済です。
どこの政党が何をしてくれるのかということよりも、こういった複雑で込み入った事情を出来るだけ理解しやすく噛み砕いた上で有権者が確認できるようにすることが先決だと思います。
先週末の土日はわが家の居間のテレビを新しいものに交換する作業に追われました。
発端は先週の金曜日、朝起きていつものようにテレビのスイッチをONにしてからしばらくたって発生しました。
最初は普通に写っていましたが、突然画面がブラックアウトして「しばらくお待ち下さい」の案内表示だけが隅っこに表示されています。
よくあるソフトの更新や放送電波の入り具合による一時停止かなと思っていましたが、待っても待っても画面はそのまま「お待ちください」のままで変わりません。
シビレを切らしてリモコンでBSと地デジを切り替えたりしましたが、それでも普通に映るのは最初のうちだけですぐに黒い「お待ちください」に戻ってそのままです。
ああ、これは深刻な故障だなと覚悟を決めました。
とりあえず、いつも見ている朝ドラやこころ旅などの番組は見ておきたいとの家人の要望で眠い目をこすりながら応急策を考えだして、ラックの下段に据え置かれたDVDレコーダーのスイッチを入れてテレビの入力切替を実行、ダメかなぁ~と思っていましたが、どうやらこの方法では安定したようでその日の午前中はそのまま安定した状態を維持していました。
チューナーの制御系がおかしくなったかなぁと原因を推測していましたが、午後にスイッチを切ってから再度ONにした時から今度は勝手に電源がOFFにってすぐONに戻るという点滅状態を繰り返すようになり、これはいよいよダメだということになりました。
テレビを視ることを諦めてその日の内に家族会議を開き速やかに抜本的対策を講じることを満場一致で決定。
実は居間のテレビは夏頃からB-CASカードの読み込みエラーが度々起きてバックライトのムラも見られるようになっていたことから、そろそろ寿命が近づいていることが分かっていたので年末までには買い換えることを検討中でした。
少し予定が早まってしまいましたが、いざ買い替えとなればまずはネットで価格調査を開始しました。
今の時代は同じ量販店の店頭販売よりもネットショップのほうがなぜか割引率が高い場合が多いそうで、今回も予定していた値段よりもちょうど消費税と同じ8%分店頭よりも安く購入出来ました。
大きな買い物は札幌中心部の大型量販店で現物を確かめながら買うのが常でしたが、今回は地元にも店舗を構えるKのつく量販店のネットショップに注文しました。
札幌まで時間とお金をかけて出向いて注文するよりも配達が早く値段も安いうえにKの店の方がYのつく大型店よりも5年間長期保証の内容が充実していることが決め手となりました。
Kの店の保証は通常は消耗品扱いされて保証対象から外れる液晶パネルも無料修理の対象になる一方で、もう一つのY郊外型店の方は保証内容が曖昧で消耗品扱いされる部品の故障は後から無償修理を断られる事例もあるとネットの口コミで見かけましたが、店によって保証内容がかなり違うことを今回調べて初めて知りました。
土曜の朝一に注文を入れてコンビニ決済用の手続き方法を確認し札幌まで出かけました。
札幌到着後すぐにコンビニで入金を済ませてから久しぶりにY大型店やTパソコン店などをまわり必要な小物を購入して帰りました。
これだけで土曜日は疲れ果てていましたが、翌日曜は早くも午前中に品物が到着し早速古いテレビの撤去と新しいテレビの設置作業にとりかかりました。
古いテレビに繋がれていたケーブルの束を一本づつ外し汚れを拭き取って接点を洗浄します。
ラック裏に溜まったほこりや汚れを掃除して外した古いテレビも一通り清掃してキレイにしてから物置部屋にしまう準備をします。
いよいよ新しいテレビを箱から取り出し付属品を一通り確認してから組み立てにかかります。
簡単な説明書を見ながらスタンドを組み付けて出来上がった本体をラックの定位置に据え置くとピッタリと収まりました。
アンテナ線やDVDレコーダーの映像音声配線を済ませてアダプター電源を本体とコンセントに接続して接置完了です。
これが先代のテレビで地デジ化を控えた2005年に購入しました。23インチで液晶テレビとしては小型ですが小さい分画質は引き締まっていて良かったです。ソ◯ータイマーで有名なS社の製品ですが、これは初期不良騒動を起こしたシリーズでメーカーとの間で二悶着ぐらいありました。それからはどうにか深刻なトラブルもなく9年間わが家の居間のメインテレビとしての勤めを全うしました。
アフターはこうなりました。23インチから32インチに控えめながら画面サイズがアップしましたが、外枠が薄くなったことから全体サイズは少し大きくなった程度で元々のラックにちょうどよく収まりました。低価格化が進みもとのテレビの半分でフルハイビジョンテレビが買える時代になりました。性懲りもなくS社の製品にしたのはやはり画質が良いことが理由ですが、なにせあの都市伝説で有名な壊れやすいメーカーの製品ですから保証には万全を期しました(^_^;)
新しいテレビはバックライトが蛍光管の親戚からLEDになったことで消費電力が3割ほど少なくなったことと、バックライト駆動用のゴツイ制御回路や電源回路が無くなったことで背後の膨らみが小さくなり本当にスリムな薄型テレビになりました。
一方、古いテレビの故障原因についてですが、ネットで検索すると同じような事例が予想以上にたくさんヒットすることから、どうやらS社のテレビが故障する原因の18番なようです。
その多くは5年保証が過ぎて1~2年以内に集中しており、かの都市伝説ソ◯ータイマーの信憑性を裏付けるような結果となっています。
その原因の中で最も有力なパターンが基板の熱劣化による接触不良の場合で部分修理で費用が2万円、基板丸ごと交換の場合は4万5千円くらいかかることから、全体の寿命を考えれば修理するより買い替えたほうが得策という結論に至ります。
LED式以前の旧式液晶テレビの発熱問題はけっこう深刻なようで、長寿命な液晶パネル本体よりも熱に弱い基板上の電子部品から先にダメになってしまうようです。
上の古いテレビよりも新しいシリーズの中には外装が熱で変形するほどの欠陥が見つかってリコールになったモデルもあるようです。
わが家の古いテレビはこのまま処分せず機会があれば分解し自力で直せそうならチャレンジしてみようと思っています。
少なくとも新しいLED式テレビはバックライト駆動用インバーター装置のような高発熱源は搭載していないので同じような原因による故障は起きないものと考えています。
新型テレビは画質が良いばかりではなく、単体でネット動画が見れたりWifi内臓でPC内の画像や動画を再生できたりと非常に多機能で高性能です。
そういった便利な機能に慣れて上手く使いこなせるようになれば色々と楽しいですね。
新しいテレビがわが家の居間の団欒の中心として末永く活躍できるよう(できるだけタイマーが発動しないように)願いながら今日の記事を終わりにします。
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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
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