北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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少し更新の間が空いてしまいました。
その間、いつもと違うイレギュラーな出来事がありました。
実は先週末まで入院していました。
入院自体が人生初体験でしたが、救急車で搬送されるというオマケ付きです。
先月末のシルバーウィークが終わった二日後の金曜日の夜に突然倒れてしまいました。
その日はいつも以上に疲労の色が濃くて、昼までに用事を済ませて帰宅後は夕方まで横になっていたのですが、いつもならそれで元気を取り戻せるはずでしたが、夕食になっても一口手を付けただけで食欲がなくなり、便意をもよおしてトイレで用を足した直後に猛烈な吐き気に見舞われて、食べてはいなかったので内容物は出ませんでしたが、そのまま意識を失いかけてその場に倒れこみました。
慌てて助けを呼んですぐに119番に電話して救急車を呼びました。
一瞬で自分の身体が硬直してまるで物か何かのように自分のものではないような感覚でした。
動いたら意識が遠のいていきそうだったので、その場でその姿勢のままじっと耐えて待ちました。
思ったよりも早く救急車が到着した時には少し落ち着いてきて、駆けつけた救急隊員の人とも受け答えができました。
でも自分で立ち上がることはとても無理だったので二人の隊員に脇の下と足を持ち上がられ救急車まで運ばれていきました。
救急車の天井を見るだけの状態になってもなかなか発車せず、隊員が受け入れ先の病院と連絡をとっているようで、最初の地元の市立病院は受け入れ不可で、その次もダメでさらに次の病院でようやくゴーサインが出ました。
容体は比較的に落ち着いていたので切羽詰まった感じはしませんでしたが、三箇所目は市外の若干遠方の救急病院で、なぜか江別から札幌の東区の徳洲会病院まで運ばれていくことになり、走りだした救急車に揺られながらずっと天井を見つめていました。
同乗していた父によると高速道路を走って病院までたどり着いたと後から聞きました。
この時、ほとんど人間とは思えないほど土気色の顔をしていたとも言っていました。
病院についた後、そのままストレッチャーに乗って院内に滑り込み、まわりについている人が救急隊員から女医さんや若い男性の医師と看護婦に変わりました。
集中治療室ではない広い部屋に一人ぽつんと置かれた後の順序はよく覚えていませんが、先生にあれこれ質問された後に身ぐるみ剥がされて色々管やら心電図や点滴などを取り付けられ、気がついたら病院着に着替えさせられていました。
血液検査や造影剤検査などが終わってから極度の貧血状態だと告げられ輸血が始まりました。
万一の感染症の可能性があるなど色々とリスクがある旨の説明を受けましたが、今ある命にはかえられないので二つ返事でOKしました。
容体が落ち着いてきたところで仕事から帰った母も駆けつけて改めて先生から容体の説明を受けていました。
程なくして病院内の一般病室に移されて、そのままそこで一週間の入院生活を送ることになりました。
今ここでブログを更新出来ているということは幸いにも大事に至らなかったということで心配はいりません。
先生によるとヘモグロビンの値が4.9まで下がっていたので正直、生命を維持できるギリギリの値だったということと、入院生活中に若干の低血糖状態が見受けられたということでした。
成人男性の場合、この値で普通に立って歩いていられたこと自体有り得ないということで、先生は終始何か不思議なものを見ているような目つきで疑っていましたが、それで何か内側に重大な病巣が潜んでいるかもしれないということで、入院中二度の大腸検査と胃カメラを飲んで調べましたが、これも幸いなことに上からも下からも出血源となる大きな病気は見つかりませんでした。
ただ、お尻の出口あたりに大きな痔が成長中で、そこに流れる太めの血管が切れることで出血が断続的に続いていたのは事実です。
最初に症状が出始めてから徐々に出方が派手になり月一ぐらいで割りと多めの出血があるようになりましたが、ここ最近はその頻度が急速に上がって週一くらいになっていたので、もうそろそろヤバイかなと思っていた矢先の急変でした。
週明けには厚別の肛門科に行こうと家族とも相談していましたが、まさか救急車で運ばれる事態になるとは夢にも思いませんでした。
その一方で貧血による症状の自覚はほとんどありませんでした。
貧血の症状でよくある目眩や立ちくらみは一度もなく、ただひたすら身体が重だるく息が上がって苦しい状態が続いていました。
こういった症状はもともと患っているバセドウ病という甲状腺のホルモン異常の病気によって起こる慢性的な症状だったので、その影で貧血の症状が重症化していることに気が付きませんでした。
それでもある程度自覚できていたことは、しゃがんだり立ち上がったりといった上下の屈伸を伴う動作が特に辛く感じるようになっていたことで、それも単に三十路の敷居を超えたことによる体力の衰えのせいとしか考えていませんでした。
あとで貧血についてネットで調べてみると、正常な人では概ね15前後ある値が10以下まで急速に下がると危険だと言われますが、徐々に下がっていった場合は身体が貧血状態に適応してなんとなく耐えられるようになってしまうことは比較的よくある場合だと知りました。
今のところ自分の症状について、そういった微妙なさじ加減のすれ違いのようなものがいくつも重なってしまった結果というふうに理解しています。
まだ退院してから一週間も経っていないので当然自宅で静養していますが、処方された鉄分と止血の成分が入った薬を毎日欠かさず飲んでいるので実感としての経過は良好です。
今月後半に再び外来で通院して今後の治療方法などを相談してきます。
これまで蓄積された疲労とストレスと、一見暇人のようで実はけっこう忙しい日常の生活に追われる中で、もともと患っている病気の症状に加えてさらに遺伝的な虚弱体質もある上に、それらを気力と根性だけで跳ね除けながら創作活動に打ち込んできた無理がたたりました。
特に秋に入ってかねてから準備を進めてきた小説作品の執筆をスタートしてから心身の負荷が一気に高まって眠られないような日も続いていたので、これが結果的にクリティカルに響いてしまいました。
こういったことも含めて今回の入院騒動は、これまでの自分の生活や人生の在り方を振り返って考え直す良い機会になりました。
入院中も看護婦さんや同室の患者さんとの出会いなど、他の人の人生模様を色々と垣間見させてもらえて勉強になりましたが、そういった入院生活の思い出についても書く気と元気があればですが、いずれ記事に書こうかなと思っています。
両親や家族には一時心配をかけてしまいましたが、ぼく自身も含めて比較的に楽天家なので今は概ね前向きな気持でいます。
兎にも角にも今は養生第一で、それでも今後の創作活動の見通しと意欲は見失わず気長にやっていこうと思っています。
これでとりあえずの近況報告とします。
僅か数日前の夕方に自宅から見た夕焼けの異常な色の濃さに、何か心にかかるものを感じて書き始めた意味深な内容の記事を書き終えた直後に、こういった災害が起こったことに自分でも正直なところ気味の悪いシンクロ率を感じています。
今回の水害で被害に合われた方々へ心許のお悔やみを申し上げます。
いまだ被害が収まらない今の時点では仕方のない話ですが、こういった激甚な災害の現場を報道で見る度に、もっと事前に手厚い対策を施すことができなかったものか思ってしまいます。
被災された地域の状況を見ていると、大きな河川がいくつも流れる平野部に広がる田園地帯の中に多くの集落や市街地がひしめき合うように密集している様子は、ふだんから間延びした風景を見慣れている道民としては驚きさえ感じる光景です。
堤防が決壊した部分は再来月には本格的な嵩上げ補強工事が実施される予定で、さらに10年以上前の防災シュミレーションで堤防の決壊が想定されていたまさにその部分だったそうです。
水没した地域の中には最近開通したばかりと思われる高規格道路の真新しいインターチャンジがありますが、10年以上前から危険が想定されていた場所の防災工事のほうを優先すべきだったのではないかと思わずにいられません。
一刻を争う状況の中でほとんど命がけの救命にあたる自衛隊員の姿に、ただ頭がさがる思いで見守っていましたが、これが自衛隊員の本来の仕事の姿であって決して米国の戦争の手伝いをするためではないというツイッター上の意見に激しく同意します。
テロや先行きの見えない国際情勢に対応するためなど色々な大義名分があったとしても、毎年のように日本各地で激甚な災害に見まわれて、東日本大震災の完全な復興や福島の原発事故の収束の見通しすら全くたたない内に、戦争ができる国家へと急いで作り変えようとする理由が一体どこにあるのか?ごく普通の一般庶民の感覚ではまったく理解できないことです。
救出を待つ沢山の人達がいる状況で、電線や建物が込み入る市街地で不安定な低空飛行を続けながら一人づつ釣り上げるほかない様子を見ていると、素人の浅はかな考えかもしれませんが、高性能な兵器を開発配備するよりも、こういった災害の時に被災者を数人以上一度にまとめて救出できる装備や方法を開発したほうが、戦地での機雷処理や戦闘部隊の後方支援よりもよほど国際貢献に繋がるのではないかと思われます。
その他にも、幹線通り沿いに点在する日本全国どこでも見られる郊外型大型店をすべて2階建て以上屋上駐車場付きの建物で建築させて、いざという時の自動車の避難場所として活用したり、学校や役場といった公共施設以外でも、使える民間の施設は積極的に避難場所として利用するなどの官民の連携策を深めることが、なぜにいつも為されていないのか強い疑問を感じます。
こういったことを傍らから指摘したところでほとんど何の意味もありませんが、この国の20年以上に渡る迷走の末に、戦争協力と平和の祭典であるオリンピックの開催に未だ浮かれている二極分裂した矛盾状態に末期的な症状を見せられているような気がしてなりません。
今は一刻も早い排水と復旧作業が本格化することを願います。
今日から明日にかけてここ北海道でも2つ目の台風17号による大雨の警報が出ているので、対岸の出来事として油断することなく注意を怠らないでいようと思います。
昨日、夕方の日暮れ時に自宅の窓から何気なく外を見たら、夕焼け小焼けの茜色の空がすごいことになっていました。
去年も一昨年も、それよりも前にも今の季節に同じような夕焼けを写真にとっているので、大きな地震や何かのような天災の前触れとまでは思っていません。
ただ、天気予報によれば、はるか南の彼方の太平洋上空にお呼びでない台風が2個同時に発生しているようで、それぞれ日本列島の左舷と右舷にめがけて微妙に迷惑なコースをとって今週末に最接近するようです。
突然のゲリラ豪雨や洪水被害が毎月、毎週のように日本全国の何処かで当たり前のように起こるようになっていますが、古来からの諸説によれば、気候の乱れは世の中の人心の乱れの結果だとする考え方があったようですから、最近の目に余る非道な殺人事件や、そこまでいかなくても目に余る非行が相次ぐ世の中の荒んだ様相も、けっして無関係とは言い切れない気がします。
自分自身がその荒んだ世相の空気に影響されて、気が付かないうちに飲み込まれてしまわないよう、心ある人は注意を怠らないでいることが肝要な時期ですが、あまり直接的に天気に向かって八つ当りするように、ウザいとかシネとか言いいながら罵らないほうが身のためかもしれません。その天気そのものにこっぴどく仕返しされてやっつけられかねない危険な時代ですから、、(大汗)
それよりも、晴れた日には暖かい日差しをくれてお天道様ありがとう、反対に雨が降ったら乾いた地面に水分をくれてありがとう、おかげ様で作物が良く育ちますとか、曇りの日には強すぎる日差しがないぶん過ごしやすい一日をありがとうとか、出来るだけ前向きな気持を天に向かって投げかけたほうが良いでしょうし。実際に望まない極端な天候を避けて望むような穏やかな気候を呼ぶことになりますよきっと、、。
とにもかくにも今のこの時期に、なぜこうまで世相も天候もまるで連動するように荒れ狂う模様になっているのか、その理由と原因のうちの1セットは、自分たち普通の人間たちが今現在ごく普通に考えている科学的な常識の中に、自分の意識が原因で作り出した現実を自ら呼び込んでしまうという、目に見えないけれど常に存在し作用している基本的な法則について、まるで知られていないばかりか、一方的に嘲笑しながら見下して無視するような風潮が大勢を占めている残念な状況にあります。
ところがです、たとえ大多数の人たちが無視して知らされていない事実であったとしても、それが実際に作用しているということは大変恐るべきことで、自分たちの悪想念の集合が天変地異を誘発しかねないほどの目に見えない大きなエネルギーを発生させていることに気が付かないまま放置すると最終的にもたらされる結果は惨憺たるものになるはずです。
現にそういった状況は、ここ最近の地球上で起こった辛酸な出来事の異常な多さを見れば、たとえ因果関係を現時点で証明できる証拠が示されていなくとも、心ある人なら今ここに存る危機の重大さを感じ取れるはずです。
だからこそ今は個々人の意識が試されている時と言えます。
自分の意識のあり方に自覚をもって責任を持とうとするかどうかです。
自分の意識を自制しようとする自覚を持とうとせず、自他に対する悪感情を無制限に垂れ流し、それは法律やルールによって規制され罰せられるたぐいでないことを口実に、ただ無頓着なまま生きているとすれば、あるいは他人の目にさえつかなければそれで済まされると甘く見ていたとしたら、自分から発せられた質の悪いエネルギーはすみやかにその人自身と周囲に相応の結果となって跳ね返ってきます。
これらのことは現時点で証拠のない経験的な現象に過ぎないとされています。
そういったことを、信じる信じないも、認める認めないも、最終的に個々人の意識の選択の自由に委ねられています。
説得力のある理論で説明される以前に一人一人の心に向かって自らに問うて確かめられるかどうかにかかっています。
また以上に述べたことを道徳的な単に上辺だけのキレイごとの類として一笑に付して片付けてしまう向きもあると思いますが、それも大きな間違いを生む要因の一つです。
道徳的な捉え方は、たとえそれが正しい論にしても、ことに向き合う姿勢としても、十分な説得力があり、自分と周囲にとって大変好ましい結果になったとしても、それが認められた時、自分の内面のありのままの心の性状を無視して素通りし、もっぱら他人と世間に対する間違いのない振る舞いのみに終始するだけのものなら、そこには置き去りにされた内心の性状と、そのかわりに常に他者の顔色具合や反応と評価に過敏となった外意識との隔たりと、埋めあわせようのない心の隙間が生じることになります。
この自分の偽りようのない内面の有様と意図して装われた外部に対する言質行動の間の隔たりは、即すなわち自己の内と外の乖離を意味し、エネルギー的には大きな矛盾とその反動としての空虚さと望まない大きなストレスを常に生じさせます。
そこから望むようなポジティブな精神状態が生まれることは決して無いうえに、日常的にネガティブな思いが生じる温床となって、心のなかは人に言えないほど暗澹とした思いで一杯になっているという精神状態は、どのような人の人生でも決して楽しいポジティブなものだけで成り立っているわけではないと理解できるほどの月日を生きてきた人なら、誰しもが経験してきた実際の様相です。
そこから救われる術は、自らの意識の状態に対して常に自覚を持とうとし、他者からの視線や評価目的ではなく、自分自身の内面と外部の世界に向き合う姿勢を出来るかぎり一致させる努力を怠らないことです。
今この時により立派な自分である必要は全くありません。
他人よりも秀でていたり特別な自分である必要もありません。
道徳的に自分のほうが正しい位置を占める人間でいたいという思いも余計です。
ただそうなりたいとする自我の願望だけをいったん脇において楽になれば良いです。
その重さで生きることが苦しくなった時はそうしたものたちを手放して自らを楽にできる術と知恵があることを知っているだけでいざという時に強くなれます。
自分の心のあり方は自分で救うほかないと覚悟を決めた時に本当の意味で生きるための自覚を持つことができます。
この光と影の明暗のコントラストの激しい時期は、そういったことを学び取るための一種の試練の時だと受け止める必要があります。
そこを乗り越えた先の未来には大きな可能性が拡がっています。
先ほど夜の地元界隈を歩いていると、周囲の夜空が異様に赤味がかっていることに気が付きました。
札幌では観測史上まれな4月中の夏日を記録しましたが、ここ江別のN地区は標高が若干高く風が強い地域のため気温はかなり低めです。
特に日が落ちた後の夜は日中の心地よい暖かさが嘘のように肌寒く、冬に近い格好をしていてもちょうどよく感じるほどです。
今日も日中との気温差が激しかったためか上空の大気がややガスっぽかったようで、それで街の灯が乱反射して赤く見えただけかもしれません。
大きな地震の前兆現象として夕方の空が異様に赤くなったり夜空の色が濃くなることは比較的有名な話です。
いつもの取り越し苦労かもしれませんが、少し意識の片隅において用心するに越したことはありません。
インターネット上の様々な地震予知を知らせるサイトなどからの情報によると、この5月は地震火山活動がかなり活発になるようで一部では警戒を知らせる情報もあります。
こういったネット上の情報はあくまで未確認の予測なので、個人個人による自己責任の範疇で判断をして有効活用する必要があります。
世界的にもネパールで起きた痛ましい大地震の様子が生々しく記憶された直後で、さらに地球の反対側のチリでは猛烈な規模の火山噴火が起き、ロシアのシベリア地方では平地で起きる謎の地津波現象や地面に巨大な垂直の穴が突然開く現象がいくつも報告されています。
これらの現象からいたずらに不安がったり恐れたりしても仕方ありませんが、今現在、地球全体で火山活動や地殻活動が活発化していることは確かなので、冷静な気持ちで受け止めて意識して備えをしておくに越したことはありません。
たとえ取り越し苦労で終わったとしても、それが実は一番よい結果なのですから。
今日のその時はこの場所にいました。
この場所で心許の黙祷を捧げさせてもらいました。
全ての基準が変わって人生の意識が変わりました。
想像以上に複雑な現実を理解しようと務める一方で単純に生きていこうとも考えるようになりました。
今よりも前向きに生きていけるよう自分なりの精進を重ねていこうと思いす。
追記)あらためて記録された動画を目にすると今でも言葉にならないほど衝撃的です。しばらく沈思したのち思い至った感慨なのですが、あの日あの出来事の規模は今現在の人間性や認識できる能力の限界を遥かに超えていたのではないかと、ふいに意識の内に結論めいた答えが思い浮かびました。もし50年先か100年先の時代の人々が省みた時、当時の人たち、つまり今現在の人々の意識の範疇では到底受け止められる出来事ではなかったと考えられているのではないかと思いました。あの日から4年の月日が経ち複雑な現実の様相がますます明らかとなり混沌とした実情が世界を急速に覆っていく機運がそこかしこで見受けられるようになりました。複雑に折り重なった幾重の紐の絡み合いを一つ一つ解いていく過程の中から小さくとも確かな希望の道筋が見えることを疑いなく信じられるようになるまで、あともう一歩というところまで来ていると強く信じる心さえあれば、分厚い混沌の壁を思ったよりもずっと早く突破することが可能になると自分自身の心の内に繰り返し言い聞かせています。明日が今日の今よりも単純に佳き日になってくれますように、そう祈りつつ生きていける一日が与えられていることに感謝します。
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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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