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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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昨日、夕方の日暮れ時に自宅の窓から何気なく外を見たら、夕焼け小焼けの茜色の空がすごいことになっていました。

去年も一昨年も、それよりも前にも今の季節に同じような夕焼けを写真にとっているので、大きな地震や何かのような天災の前触れとまでは思っていません。






ただ、天気予報によれば、はるか南の彼方の太平洋上空にお呼びでない台風が2個同時に発生しているようで、それぞれ日本列島の左舷と右舷にめがけて微妙に迷惑なコースをとって今週末に最接近するようです。

突然のゲリラ豪雨や洪水被害が毎月、毎週のように日本全国の何処かで当たり前のように起こるようになっていますが、古来からの諸説によれば、気候の乱れは世の中の人心の乱れの結果だとする考え方があったようですから、最近の目に余る非道な殺人事件や、そこまでいかなくても目に余る非行が相次ぐ世の中の荒んだ様相も、けっして無関係とは言い切れない気がします。

自分自身がその荒んだ世相の空気に影響されて、気が付かないうちに飲み込まれてしまわないよう、心ある人は注意を怠らないでいることが肝要な時期ですが、あまり直接的に天気に向かって八つ当りするように、ウザいとかシネとか言いいながら罵らないほうが身のためかもしれません。その天気そのものにこっぴどく仕返しされてやっつけられかねない危険な時代ですから、、(大汗)
 
それよりも、晴れた日には暖かい日差しをくれてお天道様ありがとう、反対に雨が降ったら乾いた地面に水分をくれてありがとう、おかげ様で作物が良く育ちますとか、曇りの日には強すぎる日差しがないぶん過ごしやすい一日をありがとうとか、出来るだけ前向きな気持を天に向かって投げかけたほうが良いでしょうし。実際に望まない極端な天候を避けて望むような穏やかな気候を呼ぶことになりますよきっと、、。

とにもかくにも今のこの時期に、なぜこうまで世相も天候もまるで連動するように荒れ狂う模様になっているのか、その理由と原因のうちの1セットは、自分たち普通の人間たちが今現在ごく普通に考えている科学的な常識の中に、自分の意識が原因で作り出した現実を自ら呼び込んでしまうという、目に見えないけれど常に存在し作用している基本的な法則について、まるで知られていないばかりか、一方的に嘲笑しながら見下して無視するような風潮が大勢を占めている残念な状況にあります。

ところがです、たとえ大多数の人たちが無視して知らされていない事実であったとしても、それが実際に作用しているということは大変恐るべきことで、自分たちの悪想念の集合が天変地異を誘発しかねないほどの目に見えない大きなエネルギーを発生させていることに気が付かないまま放置すると最終的にもたらされる結果は惨憺たるものになるはずです。

現にそういった状況は、ここ最近の地球上で起こった辛酸な出来事の異常な多さを見れば、たとえ因果関係を現時点で証明できる証拠が示されていなくとも、心ある人なら今ここに存る危機の重大さを感じ取れるはずです。

だからこそ今は個々人の意識が試されている時と言えます。

自分の意識のあり方に自覚をもって責任を持とうとするかどうかです。

自分の意識を自制しようとする自覚を持とうとせず、自他に対する悪感情を無制限に垂れ流し、それは法律やルールによって規制され罰せられるたぐいでないことを口実に、ただ無頓着なまま生きているとすれば、あるいは他人の目にさえつかなければそれで済まされると甘く見ていたとしたら、自分から発せられた質の悪いエネルギーはすみやかにその人自身と周囲に相応の結果となって跳ね返ってきます。

これらのことは現時点で証拠のない経験的な現象に過ぎないとされています。

そういったことを、信じる信じないも、認める認めないも、最終的に個々人の意識の選択の自由に委ねられています。

説得力のある理論で説明される以前に一人一人の心に向かって自らに問うて確かめられるかどうかにかかっています。

また以上に述べたことを道徳的な単に上辺だけのキレイごとの類として一笑に付して片付けてしまう向きもあると思いますが、それも大きな間違いを生む要因の一つです。

道徳的な捉え方は、たとえそれが正しい論にしても、ことに向き合う姿勢としても、十分な説得力があり、自分と周囲にとって大変好ましい結果になったとしても、それが認められた時、自分の内面のありのままの心の性状を無視して素通りし、もっぱら他人と世間に対する間違いのない振る舞いのみに終始するだけのものなら、そこには置き去りにされた内心の性状と、そのかわりに常に他者の顔色具合や反応と評価に過敏となった外意識との隔たりと、埋めあわせようのない心の隙間が生じることになります。

この自分の偽りようのない内面の有様と意図して装われた外部に対する言質行動の間の隔たりは、即すなわち自己の内と外の乖離を意味し、エネルギー的には大きな矛盾とその反動としての空虚さと望まない大きなストレスを常に生じさせます。

そこから望むようなポジティブな精神状態が生まれることは決して無いうえに、日常的にネガティブな思いが生じる温床となって、心のなかは人に言えないほど暗澹とした思いで一杯になっているという精神状態は、どのような人の人生でも決して楽しいポジティブなものだけで成り立っているわけではないと理解できるほどの月日を生きてきた人なら、誰しもが経験してきた実際の様相です。

そこから救われる術は、自らの意識の状態に対して常に自覚を持とうとし、他者からの視線や評価目的ではなく、自分自身の内面と外部の世界に向き合う姿勢を出来るかぎり一致させる努力を怠らないことです。

今この時により立派な自分である必要は全くありません。

他人よりも秀でていたり特別な自分である必要もありません。

道徳的に自分のほうが正しい位置を占める人間でいたいという思いも余計です。

ただそうなりたいとする自我の願望だけをいったん脇において楽になれば良いです。

その重さで生きることが苦しくなった時はそうしたものたちを手放して自らを楽にできる術と知恵があることを知っているだけでいざという時に強くなれます。

自分の心のあり方は自分で救うほかないと覚悟を決めた時に本当の意味で生きるための自覚を持つことができます。

この光と影の明暗のコントラストの激しい時期は、そういったことを学び取るための一種の試練の時だと受け止める必要があります。


そこを乗り越えた先の未来には大きな可能性が拡がっています。
  




単に受動的なまま、与えられただけの常識と現実的状況の中で、どう足掻いても個人の力では逆らいようのない強力な運命に左右されるだけの、ちっぽけな儚い存在に終始するだけしか力のない一人一人の自分が、本当の意味で自信を取り戻して維持するだけの十分な精神的強さと正確な知恵の二つを獲得できれば、自分自身の力で望む人生の在り方を切り開いて力強く歩める人間として、新たに一人また一人と一歩ずつ次から次へと前に進み出ることで、これからの世の中は良い意味で劇的な変化を繰り返し続けます。

それは決められた環境と状況の重い軛にただ屈しないように対処して生きるだけの、ともすれば被害者としての自分に甘んじた生き方から脱皮して、本来の自分として生きられる人生の主導権を誰しもが自分の意識の在り方と多少の努力次第で取り戻せることを意味します。


これから起こる変化はちょっと言葉で言い表すことのできない程になるかもしれません。

短期的には、古く老朽化した経済社会のもはや避けがたい崩壊現象とその直後からのカオス的な動乱かもしれません。

それは誰にとっても望まない不快な恐れと不安に苛まれる不安定な時期になるかもしれませんが、そういった先行きの見えない状況が永久に続くことはあり得ないでしょうし、起こるべくして起こる出来事の連鎖が終われば、すみやかに収まるべきところに落ち着いていくはずです。

その時が正確に何時なのかを言い当てることは超能力者でもない限り無理なことですが、現実的な動静をつぶさに観察することを怠らなければ、ある程度なら正確に予期することが出来るものです。

古い時代の老大木が今まさに倒れそうになった時、その崩折れた巨体の下敷きにならないために、そうなる徴候を事前に知ってさえいれば、倒れる方向を見定めて避ける事ができます。

そうは言われても、それをそのまま信じることも、信じられることもできないまま、大勢の人たちはそれが実際に起こるまで気が付かないままでいると思います。

この古い時代の大樹は、傍目には青葉がたわわに生い茂り、枝ぶりも勢い良く上向きの多方向に拡がっていて、傍らに並び立つ他の数本の巨樹と同様に十分な若々しさを保ち続けているようにしか見えないからです。

でも実際には足元下の土中の根はやせ細り幹の内側は腐って大きな空洞がはるか上部まで広がっているのが現状です。

老大木は樹皮一つでやっと躯体を支えていて、深く根を張り安定して立つ力はとうに無くなっていたうえに、生き残るために必要不可欠な土中の養分を自ら吸い上げる力まで潰えようとしています。
 
今にも倒れそうな古い時代の老木を倒れそうで倒れない状態でかろうじて支えられているのは、周囲の成長した若い木々をまるでつっかえ棒のような支柱として利用することで巨木の重さを負担させ、外からは見えない空洞の内部には人工物の樹脂を一杯に充填してこれ以上の腐食を喰い止めながら、樹皮の至る所にチューブを差し込んで貴重な栄養源を絶えず注入し続けてきたおかげです。

しかしそういったなりふり構わぬ延命策の効果も尽き始めて確実な死期が近づきつつあります。

このゆっくりと長い時間をかけて時代と社会を蝕み続けてきた進行性の病は、今から遡ること10年、20年、少なくとも30年以上前のある時期から発症が確認され、これまで目の前を行き交った多くの人たちの認識からはごく僅かな兆候を除いて殆ど気付かれることなく、確実に根の芯まで侵すように進行していきました。

あと強力な一風が吹くだけで巨木のうちの一本が倒れ、また隣の一本をなぎ倒し、その下で成長を遂げた若い木々も一緒になぎ倒しながら、次々と連鎖的に倒れ続けた結末は、とうとう広大な森林全体の殆どの木々をなぎ倒されてしまっている明瞭な光景が予見されます。

最後に喩え話ではない具体的な状況の一部分を説明して長い空想的話題を終わりにしたいと思います。

空の価値しか無い架空の富を大量に増殖させて市中に貸し行き渡らせることで、すでに実在の富として価値のある人々の持つ富をまるで吸着させるように利潤として市場に吸い上げる金融政策が地球全体の規模で長らく実施されてきました。

その結果、人々が暮らしの中で行う物品やサービスの売り買いを通じて、また様々な分野に及ぶ仕事や新たな価値ある物を作り上げる生産を通して生み出された実際の価値ある富を、種々様々な市場の仕組みを通してはるか上級の世界中の富裕者層に半ば自動的に送金される仕組みを編み出しました。

この巧妙な仕組みによって架空の富ばかりが日々際限なく増殖し続ける一方で、本来は地面に両足をつけて生きている人たちのものである実際の富は減少し続けるという、まるで川の流れが下流から上流に向かうような逆流現象が生じています。

もう長らく繰り返し叫ばれてきた景気回復の掛け声にもかかわらず一向に回復することのなかった実際の市中の長期に渡る不景気の本当の原因でもあります。

こういった高度に組織化された金融の仕組みによって、地球上に暮らす数十億人の人口の僅か1%未満の人たちが9割近い富を占有しているという信じられ無いほどのアンバランスな格差状況を産み出してしまいました。

さらにその中の僅か数千人にも満たない特別な階級の人たちが、何も知らされないまま与えられた環境とルールの中で暮らしている、その他すべての地球上の人間の生活にかかるコストから職業と得られる収入、そこから導かれる暮らしぶりの程度と健康と衣食住のリスクにいたるまで、一人一人の人生に関係するありとあらゆる分野において、際限なく細かく規程できるほどの究極の管理社会を実現させようと目論んでいます。

しかし、そういった世界の舞台裏で膨大な人出と時間を費やして緻密に練られた影の巨大な計画も、それがいよいよ実現できると思われた段階で陽のもとの光にさらされるようになり、それまでそういった破天荒な規模の謀略がよもや現実に存在するとは想像だにしなかった、ごく普通の暮らしを営んできた大多数の人々の目の前で晒される結果に繋がるからです。

彼らの命そのものである人類を飼い慣らそうとする計画の元手となる架空の富に対する権限と価値の保証が急速に揺らいでいることから、長らく待ちわびた結末が見られる日もそう遠くないことと思われます。


なぜそのような人の道に反した計画に世界中の国々がこぞって賛同したのか、その一つには自国が巻き込まれる戦争に対する恐れがありますが、それ以上に架空の富のもたらす劇的な効用として、一般の市中におけるごく自然で緩やかな需要と供給の法則だけにその国の経済活動を委ねた場合に比べて、まだその時点で存在していない価値の無い空の富をあえて増刷して市中に投下することにより、実際の生産と消費のサイクルをより速くする強力なカンフル剤としての効果が発揮されて、結果的に普通のペースでは半世紀以上かかる経済発展を僅か10年ほどで達成できるという利点にあります。

一刻も早く他国に先駆けて豊かで強い国になりたいという思いが、なりふり構わず架空の富を乱発する経済構造に世界中の国々のほとんどが組み入れられる結果につながりました。

今では、架空の富の力を使ってどんな無理をしてでも可能な限り経済発展を促進するというやり方に世界中の国々が極度に依存していますが、それは数世代先までの将来の発展と豊かさの先取り以外の何者でもなく、結局は現世代の一握りの人間たちだけが、全人口の子や孫やその先々の世代までの豊かさを先に食い潰してしまうという事態に陥りました。

その国の経済と社会自体の老化をも2倍、3倍と速めてとうとう持続させることが不可能なまでに疲弊させてしまいました。

それはこの方針を選択した最初の時点から理論的に分かりきっていた当然の結末であり、ゆえに根本的に治癒させる方法は最初から存在せず、あらゆる対処療法や延命策を施しても今となっては万策尽きていることは先の喩え話の中で記したとおりです。

難しい込み入った話題がさらに込入りそうなので今日はこの辺りで本当に終わりにしたいと思います。

今日の記事で記した内容について、もしも納得できる部分が一つでもあったとしたら、現実に日々報じられる世界の大小様々な出来事の意味について、より一段深く照らしあわせて今一度、自分の意志を持って考え直してほしいと思います。

そして来るべきその時を察知できたとしたら、物理的および経済的な備えを急ぐことはもちろんですが、一番の要は自分自身の精神の安定を保ち、決して恐れや怒りといった一時の感情に流されて冷静な自分を見失わないように努めることです。

自分の心のうちを見つめ直して正すことが、万一大きな障害に直面した時でも慌てることなく、ギリギリですり抜けられる強い気運を自ら生じさせることができます。


このことが今日の記事で一番伝えたかった最も大切な知恵です。

それぞれが有効な判断を下し善処されることを願っています。

長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
  
  

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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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