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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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新年あけましておめでとうございます。

激動を予感させる出来事が相次いだ2014年がどうにか無事に通過して、ついに本格的な変容の開始となるかという2015年がスタートします。

 「デット・オア・アライブ」





時代の生き残りをかけた闘いの最終局面が浮上する一年にいったい何が起こりうるのでしょうか。

20世紀のロスタイムを生きる今という時代が十数年以来の遅延を取り戻して真の意味でのミレニアムと呼べる新千年紀の到来を知らせるキザシを感じさせる静かな幕開けです。

まだ古い時代の意識が完全に終わりを告げるまでには一つの仕事が残されているような気がします。

時代固有の道徳の支柱が揺らごうとしている今この時、古い表面上だけの善悪の区別にとらわれることのもはやない、一段と高い精神的な位置から躍動する自由な意識の軌跡が交差します。

まだ新しい意識と古い意識の位置は上下を境にちょうどニュートラルな関係にあるように感じられます。

乗り換えを焦る気持ちを抑えて、今しばらくこの領域一杯を占める古い意識とともに考えていこうと思います。

一見して変わり映えのしない鈍い動きしか見せない世界は水面下で新しい息吹を確実に芽吹かせようとしています。

それが単純な善でも悪でもない、ただひたすらに自然の根源からの道理に従順な一筋の強力な光線であることを切望します。

新しい意識のよりどころであり、同時に古い世代の意識の安住の終着点となる、まだ見ぬスピリチュアルな真実に彩られた新世代の道徳観の到来を予期して物語を紡ぎ出すことが目下の到達点です。

古い道徳観が倒れ去りもはや何人からも必要とされることなく捨て去られるような時、この時代の命はようやく尽きることができ一人一人の人間の意識も一瞬で新たなものとされます。

これまでの思考の繰り返しにとらわれることのない新しい世代の意識に選択されたものだけが時代の谷間を超えて受け継がれ存続することができます。

もはや選び取られる価値と魅力を失った存在はそこで潰えることでその結末を教訓として残すことが最後の役割となります。

これが一つ一つの人間の抱く意識の存在に起こりうる可能性です。

確実性を問われない架空の世界とストーリーを紡ぐ過程の中でも可能性の中の真実を追求することが、今年一年に自分自身に課した課題であり選択です。

意識の絶え間ない選択の連続が今とこれからの自分の世界を自分の意志と力で切り開いていくと信じてこの道を進みます。

2015年が新しい時代の遷移と開始の平穏な一年となりますように心から祈念します。

それでは皆々様も良いお年をお迎えください。




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先日、突然の訃報が知らされ驚きました。


俳優の高倉健さんが亡くなられたと聞いて俄に信じがたい気持ちがある一方で、実際の年齢を見るとやや早過ぎる幕引きだったのではないかという思いが交錯します。

銀幕のスターと呼ばれる人たちは皆そうかもしれませんが、スクリーンの中のその人はいつも変わらぬ凛々しい佇まいで実際に齢を重ねているという実感が沸かないものです。

なので、亡くなったと聞いてもまだどこかで元気でいるような気がします。

昭和から平成にかけて戦後日本を最も象徴する男が高倉健さんだと思います。

寅さんを演じた渥美清さんと並びこれほどまで日本人の心の中に生きづいた俳優はこれまでもこれからも存在しないと思います。

任侠映画の世界はあまり馴染みがありませんが「鉄道員」はリアルに感動した世代ですし「幸福の黄色いハンカチ」や「駅STATION」は特に印象に残っています。

幸せの黄色いハンカチは網走刑務所を出所した高倉健さん演じる元炭鉱夫の男が偶然であった若い男女とともに妻が一人待つ夕張を目指すロードムービーの傑作です。

昭和50年代初頭の北海道の原風景が余すことなく活写されているところが圧巻で、ぼく自身まだこの世に生を受ける前の時代が鮮明に写し出されている名シーンの数々を見るたびに新たな発見と感動が湧き上がります。

ストーリーはどの人の人生にもこんな素敵な瞬間に巡りあわせたらいいなと思えるような夢を表現した世界でした。

それまで任侠や強面な世界を生きる男だった健さんが、役の上では弾みで人を殺めて刑に服し社会的に日陰者として身をやつしても、たった一人の女性が頑なに信じて帰りを待っていてくれるお陰で、それまでの凍てついた男の世界から足を洗い平凡な夫としての幸せな暮らしをやり直せるという救済の物語のように思いました。

今も当時と殆ど変わっていない道東の雄大な風景と、付かず離れずの関係で進む3人の姿が印象的な陸別駅界隈や狩勝峠の検問で足止めされて前科者の過去が明らかになった後、驚きの展開でピンチを脱するシーン、奈井江近傍のドライブインや栗山町界隈で逡巡するシーンなど、最盛期の面影を残す歌志内や夕張の活気に満ちた時代の炭鉱都市の光景なども含めて記録映画としても素晴らしく色あせない作品です。
 
幸せの黄色いハンカチを初めて観たのはたしか高校生くらいだった記憶していますが、その瑞々しい人間物語の印象にすっかりやられてしまったことを覚えています。

同じ時期に鉄道員が封切られて話題になっていた時、関連してテレビ放映されていたのを初めて観たのが「駅STATION」でした。

鉄道員のようなストレートな感動を期待していましたが、全編にわたってやや陰鬱で重苦しさを伴った雰囲気とシーン展開の早い難解なストーリー構成に十代の拙い意識では追いつきませんでした。

唐突に、雪の中の銭函駅での別れのシーンから始まり、東京オリンピックの射撃種目のエース選手だった過去や先輩刑事の突然の殉職など、続く雄冬の帰省や増毛や留萌の内偵捜査、上砂川での逮捕劇、札幌での強盗犯強行突入など、過去現在順不同でめまぐるしく移り変わる展開で一体全体どうなっているのか流れを把握することがとても困難でした。

それが後半の増毛駅前で赤提灯を切り盛りする倍賞千恵子さん演じる未亡人?の女性と出会う頃から急に順序だった流れになり、ようやっとストーリーらしい展開が読めるようになったところで最後は切なくほろ苦い結末で何とも言えない後味が残る映画作品でした。

この映画が映画史に残る傑作とされる理由をいまいち理解できないまま、どちらかと言えば映画全編を通してふんだんに散りばめられた、昭和50年代半ばの北海道における国鉄全盛期最後の鉄道情景に目を食い入る様にして夢中になって見ていたことを思い出します。

それから10年以上たって、BS放送の再映でこの作品をもう一度最初から最後までしっかりと見る機会があり、自分でも驚いたことは、十代の当時あれだけ難解に思えたストーリー展開の意味が何の抵抗もなく心に染み入るように理解できたことです。

それは一人の男の生き様をその人自身の視点から忠実に再現しようとする意図だったと思います。

若い勢いで突っ走る青年期から社会で活躍する実力を備えた壮年期にかけて、まるでジェットコースターのように次から次へと向き合う状況や課題が移り変わり、仕事に追われ続ける忙しい日々の連続の中で置き去りにされた家族や青春の思い出が不意に点描として蘇る、ということを幾度となく繰り返しているうちに気づくと五十歳の齢の節目を迎えていたという、長いようで短い人生の中で誰しもがある時期に沸き起こるであろう感慨を巧みな表現で描き切ったゆえと今では理解しています。

後半、倍賞千恵子さんとの掛け合いのシーンで健さんがぼそっと「樺太まで聞こえるかとおもったよ」とつぶやいたセリフが艶っぽくて好きでした。

高倉健さんが演じる人間存在を活写した名作映画の数々を見るたびに人生と創作両面において勉強させられることばかりです。

創作家志望の端くれとして恥も外聞も気にせず全うしたい自分のような人間にとって高倉健さんは偉大過ぎる先人であって神様のような人です。


遠い北の街外れからあらためてご冥福をお祈りいたします。

そしてこれからも映画の世界の中で健さんに出会えることを楽しみにしています。




 



たった今、テレビの速報で消費増税先送りと衆院解散が伝えられました。

政治経済についてアレコレ書くのは決して好きではないのですが、一応にわか有権者の一人として今の御時世についてしっかりと確認しておきたいと考え記事を書いておきます。

今度の選挙に臨むにあたって、個人的にはもうすでにどこの政党を応援しようとか政権与党の政策のここがダメだと言うよな、白か黒か善か悪かという二元論で判断できるような状況ではないと考えています。

どこの政党が良くて反対にどこが悪いと言うよりも、大事なことは背景で起きていることの具体的な確認であって、その一見複雑な情勢の中で一般の一個人としても関係するいくつかの点に絞って見ると、一つは増税が先送りになって少しでも負担の増加が遠のいたことを単純に良かったと考える一方で、もっと本質的な問題の中で今のうちにしっかりと気がついておくべきことも少なからずあるのではないかと思います。

GDPが年率換算で-1.6%下落したことが一体どれほどの重大事なのか素人の自分にはいまいちピンときませんが、件のアベノミクスという政策がどうやら上手くいかなかったということが数値の結果で明らかになったということだけは理解できます。

短期間で多大なリスクを賭して投じた資金は一体どこへ消えてしまったのでしょうか。

たとえ一時のカンフル剤であったとしても、それが功を奏したのなら日本の国内の一部分だけでも好景気に沸いてもおかしくありませんが、例えば一時のヒルズ族のような新興経済分野が立ち上がったわけでもなく、地方も中央も含めて景気が上向いたという実感はほとんど感じられません。

株式市場の中で再投資が繰り返されて数字の利益ばかりが増えても、実際の経済分野に資金が豊富に流れなければ経済も産業も発展することはなく世の中に出回るお金も税収も少ないままです。

お金が大量に刷られて投資されても株式市場に流れるばかりでは、やがてその資金はより早く儲かる海外へと流れ去ってしまいます。

実際の産業を新たに起こして発展させるまでには時間がかかります。

震災の復興も多大な資金と時間を要します。

今人気の朝ドラの主人公のモデルになった竹鶴政孝もニッカウィスキーを創業してからウィスキーを商品として出荷し利益を上げられるまでの10年間、果実酒やジュースを売って耐え忍ばなければなりませんでした。

お金の増殖する流れが速すぎて実際の経済が成長するスピードが追いつけないことが長引く深刻な不景気の要因の一つだといえます。

投資するために資金を借りた場合、出来るだけ早く借りた額以上の利益を出して利息も含めた元本を返さなければなりません。

起こしてから発展するまで何年もかかる実際の産業にリスクを背負いながら投資して利益が上がるのを気長に待つよりも、短期的に電子決済で確実に利益を上げられる株式市場に資金が集中するのは当たり前のことで、そこを踏まえて実際の経済にもっと優先的に資金が流れるような政策が必要だったのではないかと思います。

株や為替の市場取引が電子化され世界中の市場がネットワークで繋がり時差に関係なく24時間絶え間なく高速で取引される現在の市場システムでは一昔以上前の常識では考えられないような出来事が起きています。

バブルに沸いた二昔前のアナログな仕組みで成り立っていた時代とは根本的に違う原理で動いているのが現在のシステム経済です。

どこの政党が何をしてくれるのかということよりも、こういった複雑で込み入った事情を出来るだけ理解しやすく噛み砕いた上で有権者が確認できるようにすることが先決だと思います。





東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りいたします。



今年に入ってからブログの更新を控えていましたが、今日のこの特別な日に限って、上手く言うべきことをまとめられるかどうか自信はありませんが、それでも何かしらの感慨を書き記しておこうと思います。


あの衝撃的な惨状をテレビを通して目の当たりにしてから三年の月日が経ちましたが、未だに勢いを得られないままでいる復興の現状に対して、安穏な部外者の立場からでもやはり憤りの類を抱きながら、この時期に限って集中的に報じられるテレビ番組を神妙な面持ちで眺めています。


あの時の直後に感じ取ったパニックにも似た激しいショックと高揚感の入り混じった強い感傷はどこかへ去り、所詮、幸運にも安全な立ち位置から傍観することが出来た者にはどうあがいてみても共有しえない厳しい現実の数々が、いまだその地に重く深く横たわっている様子を冷静に見つめている自分がいます。


巷でよく言われているよう、あの時を境目にしてこの国や人々の意識が変わってしまったという感慨を僕自身もまったく同じように抱いていますが、ではその意味するところは一体何なのか、あるいはその変わってしまった何かはたった今も変わり続けている最中で、それはいつまでそう変わり続けるものなのか、まるで安っぽい思索の堂々巡りのように、それでいて明確な答えを見出すことを最初から期待していなかったことを何処かで後ろめたく感じながらも、思いの丈は止めどなく浮かんでは沈むことを繰り返し流れていきます。


あの時を挟むよりもっと以前から繰り返してきたこの止めどない思索の繰り返しの矛先は拡がり続けて、このちっぽけで何ら責任を持たない自分の存在を通り超えて、ある時は社会全体から世界に及び、ある時は時間と海の枠を超えて大陸の国々の文化と歴史に思いを馳せてみたり、またある時は今この時期起きつつある社会と時代の変化をいち早く察知して備えようとする自分がいました。


そのような道徳不在の態度の中からでも、この幾年かの期間の中ではっきりと学び得たこともあります。


それは全ての人が同時に幸福にもなりえないし、同じように不幸にもなりえないという単純な事実に気づいたことでした。


これまで世の中全体にそういった雰囲気が表面的に長く漂っていたせいか、あるいは僕自身が単に幼い性格だったためにそういった甘い認識でいただけなのかは今となっては区別しようがありませんが、まったく無意識に自分の外側の世界は自分の個人的な心理とは一切関わりなく常に幸福に満たされているように思えましたし、また反対にいかなる不幸の類もそれが世の中の注目を集めるほどの大きな出来事ならば、それはまるで世の中全体が我が身に起きた出来事のように同情し共感できるものであって自分もまさにその一部なのだと、その結果としてその不幸な出来事は世の中全体の中で共有され癒され解決に向かいそして可能な限り取り戻されるはずなのだと思っていました。


あの日の出来事を目の当たりにしてから今日に至るまでの長い時間をかけて自分の内面の意識がゆっくりと傾きながら、やがて完全に反転するまでそういった感覚を何ら疑うこともなく信じ込んでいたそれまでの自分の姿に唖然としてしまうような不可解な感傷が今も沸き起こり続けています。それまで自分以外の全てが幸福の内に完結しているようにさえ思えたかつての自分がにわかに自分でさえなかったように思えてしまいます。しかし本当の現実はそうでは無かったようで、ただそのために作られ醸しだされた親しみやすい一種の幻想の類をほぼすべての人々が互いに無意識の内に共有している最中で、その中の一人の人間のうちの幸福もその反対にあるものの全てにおいても、そのどちらとも果てしなく絡み合いながら続いていくような光景だけが僕の脳裏には浮かんで見えます。


再び立ち返って今とこれから自分に出来る事は何なのかと、これまで絶えることのない念仏のように日々自問し続けてきましたが、この不道徳で何ら実りのない営みから生み出された何かを、他者にとって少なからず役に立つ有意義な存在へと昇華出来るような創作を試み、ゆくゆくは道徳的で社会的な実りを得られる結果を手にしたいという手前勝手な理想に邁進するほかないということが、今の自分にとって当面有効そうな仮初の答えのような気がします。


もう一つ明確に自覚できたことがあります。


自分を救うことは世界を救うことであり、自分が救われることと世界が救われることは等しく同じことだったということです。


こう言ってしまうと空想の飛躍が過ぎるように聞こえるかもしれませんが本当のことです。


反対にこの世でたった一人しかいない自分が救われないままで世界が真に救われることはありえないとどこかで聞いたことがあります。


ゆえに自分自身を犠牲にしたまま他の誰かを救うことも出来ません。


なので何よりもまず自分の心と魂が救われることを願うことは他者にとっても自分にとっても本当に必要な希望を見出すための第一歩です。


たとえそのことに罪悪感と後ろめたさを感じながらでも勇気を持って前進するべきです。


また、一人一人の人間が自分の意思と力で互いに助け助けられながらも一人づつ希望を見出せないままに、社会においていかなる高度な手段が講じられ大きな状況の改善が図られても真の意味での復興は成し得ないままでしょう。


この三年間、遠くからですが目の当たりにしたことをきっかけにして自分自身ととことん向き合ったことで、全ては本当にどこまでも自分次第だったことに気がつくことが出来ました。


自分をないがしろにしたまま無理を重ねても何も出来ませんし誰のためにもなれないとさとりました。


最後になりますが大震災の被害に遭われた方々の未だに続く困難な状況が幾分ばかりでも速く改善されることを願って今日の記事を終わりにしたいと思います。






昨今の混沌とした情勢の中で、参考やヒントになりそうなリンクを幾つか紹介します。


  http://mizu888.at.webry.info/201309/article_78.html


ここに書かれている内容の全てをそのままの意味で理解することは難しいと思います。


ただ、行間にいくつか記されている事実の指し示す意味については考えてみる余地はありそうです。


一見、荒唐無稽な空想的比喩の合間で重要な事実を伝えようとしていると思えなくもありません。


注意すべきことは、これから起こりうるだろう全ての出来事に対して、現時点で断定できる者はこの地球上におそらく誰一人として居ないであろうことから、ゆえに書かれている未来の出来事については、いかなることにせよ可能性と予測の産物であることを十分に留意すべきです。(信じる信じないもあなた次第的な都市伝説=判断はそれぞれの自己責任でお願いします)すでに起きた、または確実に起きつつある事実に基づく視点が肝要です。


  http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/62020ddc162ea3872d05f3065929a7bf


昨日の台風18号による予想をはるかに越えた被害を目の当たりにした後では非常に考えさせられる内容です。


これからますます激化していくであろう地球規模の気候変動に対して、この国の社会の基板と一人一人の認識が今すでに現実で起こっている状況に対してまったく追いついていないように思われます。


  http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/2013-09-17.html


アメリカの社会情勢は思ったよりもずっと深刻な状況のようです。


昨晩の深夜にNHKのBSで放送していた世界のドキュメント選の前半で(後半は今晩の深夜零時)アメリカの中産階級層の雇用と生活が破綻しかかっている現実を垣間見ましたが、上のブログさまの記事で言われている通りのひどい状況です。


電気やガス、水道などのライフラインを止められたうえに雨水の貯水で生活用水のすべてをしのいでいる家庭や、不十分な食糧配給に頼らざる負えない状況でその日の食事にありつけず夜の街を徘徊する母子の姿などは、もはや世界の最先端を行くアメリカ合衆国の様子とは到底思えず、まるで第三世界の最貧国の有り様を見ているようです。


こういった現状を鑑みると、もはやグローバルな市場原理社会の構造は完全に行き詰まりつつあり、生活者経済のレベルでは完全に破綻しかかっているのが実情のように思えます。


これから必ず必要になることは、地球上のほとんどすべての富を集約させる市場原理中心のマネーゲーム経済からの脱却と、文字通り消費生活者の生産と消費を中心とした実体ある経済への回帰です。


そうすれば、少なくとも社会でまじめに働こうとしている人達がここまで餓えるような貧困の多くは難なく解消されるはずですし(世界市場にはそれだけの富が集約しているからです)憲法で保証される最低限の人権が完全に養護されて最低限のルールを守って生きる善良な社会的弱者が行場を失ってしまうこともなくなります。


いずれにせよ、そう遠くないうちに世界的な社会経済体制の立て直しを必要とする大変革が避けれれなくなることは世界の真の実情を見れば明らかなことです。


無闇な戦争行為の終結と合わせて世界中の一般市民がそれぞれの国において当たり前とされる水準の生活が送れるように世界経済の抜本的な改革と立て直しが急がれることを切に願います。






ここ最近、日本列島を覆う熱波や水害は表題の通り「過去に経験したことのない規模」のものです。


ここ北海道はありがたいことに内地の連日35度以上、場所によっては40度を超えるといった暑さではないので(それでも記録的な猛暑なのですが、、、)どうにか扇風機だけでもやり過ごせています。


こういった過去に例を見ないほどの猛暑や水害は日本だけで起きているのではなく、中国では150年の中で過去最高の気温を記録し、お隣の韓国では全土で37度を超えて電力需要が逼迫し大停電の危機に見まわれているようです。


さらにヨーロッパや北米大陸でも記録的な猛暑や水害が相次いでおり、もはや地球規模で異常気象が猛威を振るっている状況です。


こういった気候の異常な変動は以前から言われている温室効果ガスによる地球温暖化だけではもはや説明の付かない規模になっていると言われ始めています。


その要因のいくつかの一つは、近年、北極と南極の氷が急速に溶け始めたことによる地球規模の海流の変化や、太陽活動の変化によって地球全体の気象パターンが大きく崩れ始めているといった仮設も一部で言われ始めています。


いずれにしても、現在の水準の科学的な知見では説明しきれないほどの気候変動に直面する時代に入ってきたと言えそうです。


そういった気候変動と直接の関連性は分かりませんが、今、太陽の磁極が2極から4極へと分化し始めているという観測結果(ポールシフト)が公表されており、これにより地球に到達する太陽風(電磁波)のパターンが大きく変化しつつあるとのことです。


そう言われてみると、肌で感じる気温の上昇のみならず、太陽の光そのものが以前よりもギラギラと強くなったように感じられるのは気のせいでしょうか。


最近の研究によって地球上の雲の発生に対して宇宙から注がれる電磁波の強い影響があることが分かって来ました。


今、現在、地球上のほぼ全てに近い地域で直面している大きな気候の変化は宇宙規模の影響によるものなのかもしれません。


もうそうなってくると、ちっぽけなミジンコのような一個人では想像すら及ばない状況ですが、とりあえず、自分が今暮らしている地域や環境で起こりうる災害を想定した上で、万一のことが起きても最低限なんとか命だけは守れる備えだけはしておくべきでしょうか。


いざという時の安全な避難場所の確認と、生活物資の供給が困難な時期に備えて数週間分の蓄えと若干のお金の用意などは常日頃から意識して準備しておこうと思います。



 (参考リンク1)(参考リンク2)



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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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