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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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クラウドファンディングという新しい資金募集計画によって実現しつつある赤い電車の民間による保存計画ですが最初の大きな山場である目標金額を無事に達成することが出来たようです。

最初は突然告知された保存計画と短期間の募集による周知不足のせいで苦戦を強いられると予想していましたが、いい意味で予想が外れて杞憂に終わる結果となり安堵しています。

開始からおおよそ3日の間、サイトの進捗状況を日に何度も固唾を呑んで見守っていました。

これで資金面の問題をクリアし現実的な保存作業へ移行していけるでしょう。

1ファンとして引き続き作業の進捗を見守りながら4ヶ月後のオープンを心待ちにしています。

なお資金の募集はこれで終了したわけではなく引き続き期限いっぱいまで支援を募るようです。

鉄道車両の保存には定期的なメンテナンスが欠かせず、そのためにはたくさんの費用と人出がかかります。

赤い電車の保存活動を主催する北海道鉄道観光資源研究会の発表によると、今回の募集で集まった資金は全て今後のメンテナンスに積極的に活用されるとのことです。個人的にもなるべく多くの資金が集まることが望ましいと思います。


  「47年間愛されて引退した北海道初の電車「赤電」を残したい!」プロジェクト



赤い電車の支援に参加した人たちの応援のコメントが熱いです。

沢山の人たちの大切な思い出や人生の1ページの中で大きな存在を占めていたことが実感されます。

これからの赤い電車の行く道が単に過去の記憶の温存にとどまらず、未来の人たちの新しい思い出の原点になれるような、常に魅力ある存在としてあり続けてほしいと願っています。



PS)
現時点ではまだ確定事項ではありませんが赤い電車の保存活動が軌道に乗って本当に嬉しさでいっぱいです。連日の撮影行の疲れが今頃になって身体にきていて細菌性の炎症と思われるイタだるさで養生する日々が続いています(T_T)それでも完全にダウンするまで悪化していないので大事をとりつつも無理のない範囲で身体を動かして復調する日を目指しています。本業の執筆活動は準備段階を終えてあと少しで書き出せる段階を迎えていますが体調を含めコンディションを整えることが優先です。ようやっと”いま書くべきこと”の整理がつく段階まで来ているので焦らず辛抱が肝心と自分に言い聞かせています。赤い電車の保存活動を新たな心の糧として頑張ります(*^_^*)


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赤い電車の保存プロジェクトの募集が始まって一日が経過しました。

現在、おおよそ100人以上の人が参加し100万円に少し足りないところまで来ています。

多くの人たちの思いが込められたこのプロジェクトが無事に実ることを心から願っています。



ただ、この先の流れは決して楽観できるものではないと思います。

最初の勢いを維持するためにさらにどれだけ多くの人達へ参加を呼びかけられるかが鍵だと思います。

空知の田園地帯の中で新たにオープンするファームレストランの施設として生まれ変わる赤い電車ですが、地場産の新鮮な食材を豊富に使った美味しい料理と合わせて、現役時代さながらのゆったりとした穏やかな時間を体験できる魅力的な空間になると思います。

まだこういった保存活動を知らない人たちもたくさんいると思います。

短期決戦という大きなリスクとハンデを背負っての活動ですから大変厳しいものがると思います。

特に地元北海道だけでなく、多数の鉄道愛好者や赤い電車と縁のある道内出身者がいる東京方面へ支援の輪を広げる拡散の手立てが早急に必要だと思われます。

全国区の有名鉄道雑誌のポータルサイトへの掲載や大もとのJR北海道に対して保存への更なる協力を要請するなど積極的なモーションがもっと必要ではないでしょうか。


 「47年間愛されて引退した北海道初の電車「赤電」を残したい!」プロジェクト


引き続き心ある方々の善意の支援を重ねてお願い致します。

一人一人の小さな支援の輪が頼りです。

一口からの募金と出来る限り沢山の拡散をお願いしますm(_ _)m



 



先日の記事でお伝えした赤い電車を保存しようプロジェクトが今日から始まりました。

赤い電車の解体がすでに始まっており待ったなしの状況です。

北海道を47年間走り続けて道民から愛されてきた赤い電車は他の都道府県には一台もない特別な電車です。

おそらく赤い電車の存在を後世まで姿形有る状態で残せる最初で最後のチャンスだと思います。

赤い電車が登場して以来もっとも縁のある岩見沢の地で再び人々の憩える場として活用されます。

北海道の残すべき遺産として赤い電車の保存を実現するために、どうか心ある方々のご協力をお願い致しますm(_ _)m


赤い電車保存活動の受付ホームページ https://readyfor.jp/projects/akaidensya


先ほど個人的にもささやかながら出来る限りの金額を寄付させていただきました。

寄付された全員の名前が車内に記載されるそうです。

ぼくとしても自分の名前が他の同好の方々と共に記されることを楽しみにしています。

全国の赤い電車が好きな方々へ一緒に思い出の続きをこれからも見てみませんか?






今日の道新朝刊記事に朗報が掲載されていました。

道内有志の方たちが立ち上がったようです。保存費用の不足分をインターネット上で募るようです。

取り急ぎ報告いたしました。








前回の記事の続きで今回の記事で完結です。
 
雪原を走る復刻色S-110編成の撮影を終えたあと、寒風吹きすすさぶ国道12線の凸凹歩道をヨタヨタしながら歩いて最寄りの光珠内駅までなんとかたどり着きました。

無人駅の待合室は暖房はついてなく殺風景ですが先程のバス停小屋や吹っきさらしの野外よりは格段に暖かく快適です。

30分ほどの待ち時間をつつがなく過ごして新鋭?721系の普通列車に乗って岩見沢まで戻りました。




事前の計画ではここで終了の予定でしたが、体力的にまだ余力が残っていたことと、なんといっても今日が自分的には本格的に赤電車を追いかけられる最後の日になる予感がしていたので撮影行を続行することにしました。

岩見沢に戻っても次の赤い電車まで1時間30分ほどの待ち時間がありましたが、ひたすら何もせず待ち続けました。



 
もう何度目かの乗車になる岩見沢駅15時27分発旭川行き普通列車に乗り込みました。

先週末に同じ列車に乗った時は鉄的人たちの群衆でごった返していました、今回は地元の人たちのなかにちらほら混じっている程度で楽に着席することが出来ました。

岩見沢を発車して一駅目の峰延を過ぎるとまもなくして先ほどの撮影ポイントを通過します。

午前中のイワホで購入したポプラHMグッズで遊んでみました(^_^;)






終着の旭川までこのまま乗って行きたいのは山々でしたが、時間と体力とそれから懐事情的にも無理をしたくないので短距離乗車で下車しました。

ここまで乗ったS-113編成はある意味で復刻色編成よりも個人的に浅からぬ縁がある編成です。 





下車した駅は光珠内の一つ先の美唄駅です。

上の写真にすでにこの駅で下車した目的が写り込んでいます。

この駅のホームが撮影の目的地のため下車後すぐに改札を抜けて切符を買い再び改札を出てホームに戻ります。

朝から同じような場所を繰り返し行ったり来たりするなど忙しない行動ばかりですが、撮影を主目的に移動を繰り返しているといつもこのようになります。

居合わせた同好の方としばし談笑している最中に想定外の白ボウズ付きオホーツクが通過していきました。

次の茶志内にて先ほど乗車したS-113編成と離合ツーショット演じているはずですが、鉄的レアシーンよりも個人的なこだわりの一枚を収めることが主目的と決めていたので何も悔やむことはありません。

折り返し乗車する岩見沢行き普通列車の入線が近づいてきたのでホームに出て待つことにしました。




チャンスは入線時の一回きりでした。

昨年の小樽発旭川行長距離鈍行乗り通しの旅の時に偶然に車窓から見つけた石川啄木の記念歌碑と赤い電車とのツーショットカットです。

この日をもって最後の復刻色、歌に詠まれた雪の日の赤色、昨年乗車したその車両との文句なしの一枚です。




 

目的の一枚を撮り終えて結果を確かめる間もなくデッキに入るとドアが締まりました。


ガラス越しに過ぎ去る美唄駅を何枚か収めてほっとすると赤い電車はスピードに乗って加速し始めました。


ちょうど地元高校生の下校時間だったため3両編成の車内は結構な乗車率でした。






 
通学の足として日常的に利用してきたこの電車が今日のこの列車を最後にお別れであることを知っている人はこの高校生の中にはたしているのかなどと、ありきたりで若干貧弱な鉄ヲタ的空想に耽っていると、先ほど滞在した光珠内駅に停車し発車するところでした。通い慣れた雪原にビニールハウスの骨組みを見つけると来たる季節が近づいてくる実感が湧いてきます。




峰延を過ぎて夕暮れ間近の原野を見つめていると岩見沢の街並みが近づいてきました。

何度も繰り返し目にしてきた風景ですが今日に限って一際に感慨深い思いなどは不思議と湧いてきませんでした。 





 
岩見沢駅手前でぐっとスピードが落ちて右に左に揺られながら渡り線のポイントを通過していきます。

いくつかの踏切と跨線橋の下をくぐり抜けて視界にレンガ造りのレールセンターが見えたところで記念に一枚。終点岩見沢駅のホームはもうすぐ目の前です。




 
いつものように夕方の下校列車が岩見沢駅に到着しました。

赤い電車を降りた乗客は改札口を目指す人も乗り換える人も一斉に跨線橋の階段を目指して足早に移動します。ありきたりな日常の光景を一枚ずつ記録していきました。






折り返し待ちとなりしばし静寂が訪れたホームを行ったり来たりしながら、ときたま思いついたようにシャッターを切りました。

まだ十分に輝きと温もりを宿した汽車窓の赤い車体を収めた時、なにか納得が行ったような気がしました。





人影まばらな跨線橋の階段を登って窓から去り際の一枚を撮って改札を抜けました。

帰りの電車まではまだ時間が許すので折り返し旭川行を撮るために駅を出ました。

朝の到着列車をサイドから撮ったレンガ敷のだだっ広い歩道を通りぬけて駅東側の古い歩道橋までたどり着きました。

古いレールをたくみに組み合わされて造られた歩道橋は近未来的な自由通路が出来る前まで線路を挟んだ両側地区を結ぶ主要な架け橋でした。




歩道橋のへりに立ち夕暮れ時の空を見つめながら露出を見計らいます。午後5時ちょうどに発車する旭川行き普通列車が来るまで10分ほど待つ間に辺りはみるみる暗くなっていきました。

復刻色の赤い電車はそのシルエットと夕光が重なる時をゆっくりと通過していきました。





最後は構図を定める手の力も怪しくなっていました。

何はともあれ、これで全て撮り終えたという気持ちで来た道を駅まで戻りました。

夜の列車のバルブ撮影も一瞬頭をよぎりましたが今日は朝から追いかけ続けて疲労がピークになりそうなのでここで潔く撤収することにしました。

今日何度目かの改札をICカードで通り抜けて一番奥の7番線に停まっている札幌方面行きの普通列車に乗り込みました。

はたしてこれまでにベストな記録を尽くせたのかどうか不安もよぎりましたが、とりあえず運休が続いている中でもほとんど待つこと無く帰りの列車へ乗れたことに安堵しました。




 
これを持ちまして赤い電車の引退間近の個人的な撮影記を一応の完結としたいと思います。

次の日は奇跡的に早起き出来たおかげで岩見沢を朝に発つ札幌行き144Mに本当に最終乗車を果たせた時の様子はすでに記しました。

ほぼ半世紀近い47年間の長期に渡り北の電化路線を走り続けた赤い電車711系の最後の輝いた姿を垣間見れたことは忘れられない思い出となりました。本当に長い間お疲れ様でした。そしてありがとうの一言を送りたいと思います。







PS)
赤い電車と共にトワイライトエクスプレス、定期北斗星も運行を終了するなど今年の3月は大きな別れの月となりました。これら去りゆく寝台特急に注目が集まる中でも平凡な普通列車である赤い電車711系のラストランウィークも相当な注目を集めました。限られた時間と機会の中でどちらに重きを置くか少しだけ悩みましたが答えは赤い電車を最優先に収めることでした。結果的に今年に入ってから寝台列車にカメラを向けたのは1度きりで最終運行の際も出かけませんでした。寝台特急に関してはごく最低限の記録を昨年中に済ませていたことと、この期に及んで慌てて撮り歩いても決して良い結果は残せないと踏んだからです。それよりも数年来暖めてきた季節を行く赤い電車の連作を出来るだけ完成に近づけるために未挑戦の冬の構図を順番に収めていくことに集中することにしました。結果は時間不足と天候のタイミングや足が及ぶ範囲を超えるなど条件的にどうしても収めることができなかった構図がいくつか残ってしまいましたが、なんとかギリギリ意図した流れを表現できるレパートリーが揃いました。出来の差や視野の狭さなどに目をつぶれば、ぼく自身にとって赤い電車は主要な活躍の線区を四季を通して記録できた唯一の被写体であり、これまでのあまちゃん撮り鉄人生の集大成と言っても過言ではないテーマとなりました。そこまでやり通して一区切り着いたことにホッとしていると同時にこの経験を新たな意味で文筆の世界の中で表現出来ることに向けて今からワクワクしています。これまで撮りためた未編集のカットはゆっくり時間をかけながら仕上げていずれ小さな記録アルバムにまとめたいと思っています。




 

 
 
前々回の記事の続きです。


唯一の復刻色S-110編成が岩見沢以北の運用に入る最終日の3月11日の撮影行記録です。

午前は2本の到着便を岩見沢駅で撮影しました。

朝の運行を終えた2本の赤電車は岩見沢駅の車庫へいったん引き上げて午後以降の運行に備えます。

正午過ぎの滝川行き普通列車に予定通りなら復刻色編成が入ることを念頭に午後からの目指す場所を決めていました。



 
銭函~朝里間で発生した土砂崩れの影響で岩見沢から札幌方面の列車に多数の運休が発生していました。

手稲までの折り返し運転を強いられている影響で反対の折り返し駅である岩見沢の電留線にも普段以上に電車が停留していました。






運行系統が分けられていることから午後からの赤い電車に影響は出ないだろうと思われましたが、運用順序の差し替えや天候の急な悪化による運休の可能性も否めない状況でした。

最悪運休で振られたとしても、今日が泣いても笑っても目指す場所で撮影できる最後のチャンスなので計画通り実行することにしました。

目指す撮影地は岩見沢とは目と鼻の先の近い場所ですが、駅と駅のちょうど中程にあり、列車を利用した場合は歩く距離と待ち時間ともに大きくロスするので別の移動手段で向かうことにしました。

岩見沢駅を出てすぐ隣のバスターミナルから美唄行きの路線バスが出ていてそれに乗り込むことにします。

赤い電車よりも一時間以上早く出発しますが現地へ到着してから移動して待ち時間を合わせると調度よい按配です。

すでにこれまで数回の原野詣での帰りに利用しているバス路線なのでかって知っている上に降りる停留所も決めていたのでターミナル内の券売機で先に切符を買っておきました。

こうすることで降りる時にまごつかなくてすむので気が楽です。



 
岩見沢ターミナルを発車してから30分ほどで目指す場所の最寄り停留所へ着きました。

小屋付きのバス停だったことがあとで功を奏すことになりました。

撮影場所はバス停から歩いて5分もかからないところにあります。



 
撮影ポイントに到着するとタクシーを使って駆けつけた先客が三脚を立て終えて待っていました。

その方とは踏切を挟んで反対側の場所で、一本の木をアクセントに出来る場所で構図を定めました。

ちょうど踏切が鳴り出して通過した札幌行きスーパー宗谷の後追いでテスト撮影しました。



このあとに通過する予定の岩見沢行きキハ40形普通列車を撮って赤い電車通過まで40分待つことも考えましたが、あいにくの天候で気温は高めなものの非常に風が強く、何も遮る物のない場所でこのまま突っ伏していたら風邪を引きそうなので、先ほどのバス停小屋まで一時避難することにしました。

扉一つ無いただの小屋とはいえ、寒風吹きすさぶ外とは比較にならないほど暖かいです。

ここで持参していたアンパンをかじりながら30分ほど待ちましたが、先ほど決めていたポイントの足場が気になって早めに出ようかと外へ出ても、相変わらず強い風に押し返されるように小屋の中へ戻りました。

もうそろそろちょうどよい時間だと思い、意を決してバス停小屋をあとにして先ほどの撮影場所へ急ぎます。

風がますます強く吹きすさぶなか国道をそれて左へ曲がり踏切前に止まっているタクシーの前を通り過ぎたところで意外な光景が目に入ってきました。

先ほど目星を付けておいたポイントのちょうど目の前に一台のライトバンが停めてあり構図を完全に塞いでいたのです。

すぐにライトバンの運転席に駆け寄り交渉しようと思いましたがそこには誰もいなく、これで万事休すかと思いましたが、踏切を挟んだ反対側の同業の方に話しかけてみると車の持ち主だということで事情を説明し移動してもらえないかお願いしてみると、すぐにこちらの意を汲んで快く移動してもらえました。

おかげさまで数ヶ月越しの末に温めていた構図をものに出来る最後のチャンスを諦めずにすみました。

この場を借りてあらためてお礼申し上げたい所存です。

赤い電車通過まで残り10分を切っていましたが、あとは先ほど自分で定めた構図の場所で足場を決めて最終確認を繰り返すだけです。




ここまで時間をかけてたどり着いて待って撮った結果はご覧のとおりです。

シンプルな構図ですが葉っぱの落ちた木とあずき色の復刻色3両編成が程よく収まりました。

直後の欲張り連写であと2コマほど上手くいきました。




 
同好の方たちが撤収したあとも、しばらくその場に留まりやや弱まった風に吹かれながら冬の雪原をただじっと眺めていました。

後片付けも終わってこれ以上の用がなくなったところでこの場を後にし踏切から国道に戻り光珠内駅を目指して歩き始めました。




光珠内駅に辿り着き待合室で30分ほど待ってから赤い電車の後釜で運行されている岩見沢行き普通列車乗り込みました。

終点まで短い距離を揺られている間に夕方の行程をどうするか思案していました。


次回以降につづきます。



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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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