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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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赤い電車引退フィーバーの期間中、岩見沢駅を拠点に周辺の撮影ポイントを回りながら撮影に勤しんでいましたが、やはり予想通り同じ目的の同好の人たちがどの場所にも数人ずつ、多い時は十人以上の単位で集まっていました。

赤い電車が引退してかつてのDD51貨物も無き今となっては撮り鉄を引き寄せる人気の的は急速に潮が引きつつありますが、それでも鉄道を中心として栄えた歴史を誇る岩見沢駅周辺の魅力は埋もれたまま放置されるにはあまりにも惜しいものがあります。




 
火災で消失した旧駅舎に変わり、異例の一般公募案で建設された新駅舎は今なおハイセンスな建物です。

この日も駅構内の吹き抜け広場にて、どこからの視察団を案内している様子が見受けられました。






一面ガラス張りの踊り場は眺めがよく骨組みには各年代の古いレールが使用されています。

鉄道を中心に栄えた岩見沢のアイデンティティを強く表明した手法として有名ですね。

循環式の暖房が行き届き館内のどの場所にいても肌寒さを感じることはありませんでした。





改札を出て各ホームに繋がる跨線橋と真ん中の3,4番ホームは旧駅舎以来から使われているもので相当古いものです。

岩見沢の歴史を象徴する農耕ばん馬の木像と赤い電車のオリジナル復刻色のおなじみの取り合わせが見られるのもこの日が最後でした。





再び改札を出てすぐの2階待合室の隣の棟は駅北側へ繋がる長い自由通路になっています。

SL時代からの機関区だった広い構内とともに遠くの山々まで見渡せるちょっとした景勝地となっています。





岩見沢駅は夕日の名所としても売り出し中らしく、天候とタイミングが合えば夕暮れの陽光が差し込むことで生じるスリット状の美しい縞模様を目撃することができます。列車待ちの時間にここで過ごすと不思議と暇を持て余すことがありません。





かつては跨線橋を大きく迂回しなければ辿り着けなかった駅北側も自由通路が出来たおかげで簡単にたどり着けるようになりました。南北の往来が便利になったことで駅北の開発も進むと期待されていましたが、新駅完成後数年を経た今でも空き地ばかりが目立ち有効活用されているとは言えない状況です。





駅北地区には北海道炭礦鉄道時代の星印が残る現在のJR北海道レールセンターの荘厳なレンガ造りの工場棟が残っています。100年以上にわたる岩見沢と北海道の鉄道の歴史を象徴する貴重な歴史的産業遺産です。今は純粋に工場棟として現役ですが、一般の見学者が出入りできる一角などを用意して駅北地区に人の流れを呼びこむために有効活用できないものかと思ってしまいます。




岩見沢駅は大変立派なものに進化しましたが、そのハイセンスな新駅舎だけが過疎化にあえぐ街並みの中でぽっかり浮かび上がってしまったような印象を受けます。

正面北口の駅前広場を一歩町の方へ繰り出しても古い建物のアーケードが連なり空き店舗のシャッターも多いです。

再開発を期して取り壊された建物の一角は広い空き地となっていて新しい建物が作られる気配は感じられません。

立派なハコモノを作るだけでは地域の根深い問題を解決されるわけではないという言われつくされた現実をここでもはっきりと示されているように思われます。

岩見沢はもともと何もない原野に鉄道が通ったことで運転上の簡易な停車場が作られたことで始まった街です。

三笠の幌内炭鉱を始め空知地方沿線の石炭を大きな港がある小樽や室蘭方面へ輸送するための中継基地として発展しました。

最盛期には多数のSLや電気機関車を配置する二つの機関区が設けられ、関東以北では最大規模の巨大な操車場も操業していました。

それらは全て石炭産業の斜陽化と国鉄の解体後に過去の記憶の中へと消えていきましたが、その名残としての雰囲気は今なお随所に色濃く感じ取ることができます。

そういった岩見沢という街の固有の生い立ちと100年を超える鉄道の街としての歴史を観光や人の往来と交流に活かそうとする機運は新駅舎完成後も残念ながら活発に行われている様子は見受けられません。




一過性の出来事とはいえ、今回の赤い電車の引退はメディアからも大きく取り上げられ日本全国から多くの鉄道愛好者を岩見沢周辺に呼び込みました。それは単なる名残惜しみのお別れイベントとしてではなく、もっと人を魅了してやまない本質的な魅力があったからだと思われます。






その証拠に赤い電車が引退することを表明されるよりも以前から、コンスタントに北海道入りしてその走る姿を追いかけたり、小樽から旭川にかけての風光明媚な車窓を赤い電車に乗って楽しもうとする人たちが思われている以上にかなり多く存在していたからです。

その理由はいずれ無くなるという終了ブームや昭和的レトロ指向ブームを超えて、ここ北海道の主要幹線である函館本線電化区間でしか存在しない希少価値と共に、北の大地の独特の風土と完全に調和した言葉では言い表せない本物の魅力を醸し出す存在だったからです。

今、全国的にその地域に根ざした鉄道の文化を遺産として後世に残し、同時に貴重な観光資源として有効活用しようという機運が高まっています。

先日華々しく開業した北陸新幹線の糸魚川駅では、新幹線駅建設のためやむを得ず撤去するほかなかったレンガ製の機関車庫の一部を新駅舎の外壁の一部として移築し、その内部には地元の大糸線で活躍して人気を集めた国鉄型キハ52形気動車をピカピカに整備したうえで展示するという、鉄道のもっとも先進的な新幹線と地域の歴史を融合した魅力ある施設を設けて集客をはかる戦略を打ち出しています。

こういった事例は全国的に広がりつつあり、しなの鉄道の急行型電車の保存事例や、新津市の新幹線とSLの同時展示、さらに西日本まで目を向けると岡山県津山市ではSL時代の扇形機関車庫を丸ごと文化遺産として保存し、その中に全国的に希少となったディーゼル車両を集めて将来的に鉄道博物館として観光文化の目玉にするという一大プロジェクトが進行中です。




岩見沢駅から歩いて20分ほどの国道沿いの公園に地元で活躍したSLが二台同時に展示されています。日本の鉄道路線上で現役として最後まで活躍していた旅客用のC57型とD51型が同時に見ることのできる全国的にも珍しい鉄道スポットです。

特に北海道で活躍したC57型は独自の寒冷地仕様の装備で雪原を疾走する姿から大変な人気がありました。貨物用のD51型に比べてスレンダーなボディと対称的な大きな動輪を組み合わせた優美な姿から貴婦人の愛称で親しまれてきたことは有名なエピソードです。




赤い電車とも肩を並べて走っていた時期のある貴重なC57とD51ですが、駅から離れた公園の中に展示され、ありきたりな遊具の一部のように埋もれてしまい、しかも冬季はビニールシートで覆われて見ることがかなわないといった状況のためわざわざ訪れる人は滅多にいないようです。

もしもこれらの貴重な鉄道車両が全国の好例のように現役の鉄道駅の周辺施設として整備展示されたなら、どれほど魅力的な観光スポットに生まれ変わるだろうかと思わずにはいられません。
 
ここで鉄道遺産を中心とした町興しを実践している事例として四国の伊予西条市にある四国鉄道文化館を取り上げてみようと思います。

規模こそ大宮の鉄道博物館や京都に新たに建設される博物館に及びませんが、JR四国に保管されていた車両を中心に地元四国に縁のある貴重な車両を取り揃えることで独自の魅力を全国に向かって発信するほどの強力な観光スポットに成長しつつあります。

近年増設された南館には最新の可変軌道新幹線の試験車だったフリーゲージトレインの先頭車から、赤い電車711系とほぼ同時期に開発された急行用強馬力気動車キハ65型など四国の鉄路で活躍し、かつここだけでしか見ることのできない貴重な車両を大変良好なコンディションで保存展示されています。

そしてこの新たに建設された南館の目玉として展示されているのが上で紹介したC57型SL貴婦人で、しかも元々は縁もゆかりもない北海道の岩見沢で活躍した44号機です。

岩見沢の公園で侘びしく余生を送っている対称的な144号機とは同僚だった機関車で、同じく同僚だった日本で最後の現役旅客列車を牽引した135号機は大宮の鉄道博物館の中心で今も訪れる多くの人たちの注目の的となっています。

このようにC57型貴婦人は特別なカリスマ性を持った蒸気機関車として今なお人々の注目を集める強力な存在です。

(※ちなみに日本から遠くな離れた台湾では日本統治時代に導入されたC57型と全く同型のCT273号機が動態復元され大変な人気を博しているようです。貴婦人の魅力は国境を超えて台湾の人々を魅了し、そんな彼らが北海道に観光で訪れた際にはきっと縁のある本場の貴婦人を一目見てみようという気持ちになっても不思議はありません。)


北の鉄道の街として一世を風靡した岩見沢が、鉄道文化遺産の街としてこれほど多くの逸材を持っていながら、それらの埋もれた価値が全く省みられること無く歴史の彼方へ還すほか為す術がないことへ残念な気持ちが募るばかりです。

日本全国で現役路線と鉄道遺産を組み合わせた名所めぐりが観光の一大ジャンルに成長しつつある熱いブームの最中で、完全に乗り遅れてしまった感のある北海道の鉄道文化の現状を嘆くほかないのことは悲しい限りですが、もしも、今からでも建設的な議論が始まり、今存在する北海道独自の貴重な鉄道文化遺産の破壊が喰い止められて全国的な盛り上がりと連動した前向きな方向へかじを切ったなら、未来の地域に大きな正しい遺産を残すことに繋がります。

もしもの空想ですが、レンガ調で統一された岩見沢新駅舎と対になるような展示施設を駅北地区のレールセンター近傍の空き地に建設され、その中でピカピカに整備された北海道型C57貴婦人と赤い電車が同時に並んでライトアップされながら展示されたなら、どれほど日本全国の鉄道愛好者を惹きつける魅力を発信することになるか想像できます。

おそらく、そういった配慮の行き届いた魅力的な展示がなされたなら、今後最長で20年を超えても鉄道好きの観光客を集客できる優良施設に発展するでしょう。

なぜなら鉄道に関係した遺産というものは、たとえ50年以上経って僅かな痕跡しか残されていなかったとしても完全に忘れ去られることがないからです。

かつてのSLブームの伝説が最たるものですが、そういった現役時代の生きた姿を直接知り得ない若い世代でも過去の遺産や記録に触れることで興味をいだき、かつて存在した時代の息吹を想像し追体験するという現象が起こります。

そうなると子や孫ほど離れた世代でも古い時代の記憶を偲んで追体験するために残された鉄道文化遺産を定期的に訪れるようになります。


北海道の鉄道や自治体を取り巻く厳しい現状を考えると本州各地のように理想的で前向きな展開は夢物語に過ぎないのかもしれませんが、北海道新幹線を他県のように本気で成功させたいと望むのなら、そういった機運を高めるため一つの有効な手段として今一度、北海道に残された貴重な鉄道文化遺産の高い潜在価値を顧みて有効活用しようという機運が生まれてほしいと思わずに入られません。

北海道だけが本州から取り残されて埋もれてしまはないように建設的な議論と行動がなされることを願っています。




 
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赤い電車完全引退の二日前、3月11日は復刻色S-110編成と相方のS-113編成が岩見沢以北のメインルートを走る最後の一日でした。

この日は未消化の構図を収めるべく朝から夕方まで日中の運用を岩見沢~美唄間を中心に撮影することにしました。

雪原の中を走るS-110編成の最後の姿を中心にこの日に収めた写真を紹介します。



 
午前8時45分頃、江部乙駅始発の2150M岩見沢駅到着から撮り始めました。

一番線の端からオーソドックスな構図で収めました。何気ない構図ですが岩見沢らしい感じのする一枚になりました。





この後、列車は3番ホームへゆっくりと滑り込み、その場に居合わせた同業の方々共々移動します。

乗客を降ろしホームから退避するまでの間、S-110編成3両のそれぞれの形式写真を撮ったり各部を観察するなどして過ごしました。

改札を出て待避線へ引き込むシーンを撮ろうとしましたがタッチの差で間に合わず撮り逃してしまいました。

ホームでの記念撮影に時間をかけ過ぎてしまったことが敗因でしたが、悔やんでもしかたがないのですぐに気持ちを切り替えました。




一度、駅の待合室に戻って30分ほど過ごしてから再び駅横の広場まで出て、かき分けられた小高い雪山の上に登りました。

旭川始発、午前9時45分到着の2158Mをサイドから待ち構えます。手持ちのレンズの狭い画角でなんとか構図にまとめることが出来ました。




岩見沢駅横の入線シーンはこちらの現行色が本命だったので満足です。

再び駅へ戻り改札を出てホームに停車中のS-113編成との記念撮影などを行いました。

回送時の撮影は特に予定していなかったので早めに改札を出て一番線横のイワホへ向かいました。



 
 岩見沢駅1Fのイワホ店内に入るとすぐに奥の展示物に目が行きます。

各種ヘッドマークの下には未発売の新旧赤い電車6両編成の玩具が飾ってありました。旧色の方はさらに手が込んでいて、先頭車3両の試作車編成の特徴を上手く再現しています。由来を知っている者としては思わずニヤリとしてしまう一品です。




ちなみにこれらの元ネタは98年の試作車さよなら運転後の回送を兼ねた普通列車で一度だけ当地を走った組み合わせです。

その時の試作車編成の真ん中の車両に若かりし頃の自分が乗り合わせていました(汗)
 
許可を頂いて展示物越しに停車中の本物の赤い電車を撮影させてもらいました。

赤い電車が発車した後も備え付けのテーブルコーナーの椅子に座り長居させてもらいました。

左手には道内地元在住の写真家の作品を中心としたミニギャラリーが開かれていて素晴らしい傑作の数々がディスプレイされていました。

地元に密着して通い詰めなければものに出来ない作品ばかりでどれも目を奪われます。

自分としても撮ってみたかったシュチュエーションがいくつもありました。

展示された作品からいろいろと刺激を受けながらも、なおのことこれから撮りたいと思う自分の視点で捉えた未挑戦の構図に一枚ずつ集中しようと思いました。

次に向かうべき12時30分発滝川行き2175Mまで相当な待ち時間があるので注文したコーヒーを飲みつつ作品と駅構内の様子を交互に見ながらしばしの休息時間を楽しみました。


この続きは次回の更新でお伝えします。
  
  






これが北の赤い電車711系の正真正銘のラストランです。

あまりにも普段通りの光景に全く実感が湧いてきません。

長い間お世話になっている地元野幌駅で最終列車を撮影しました。




 

最後にいつもより大きめの長い汽笛を鳴らして静かに発車していきました。

高架線を下る冬化粧の後ろ姿を追いかけて全ての撮影を終了しました。





長い間本当におつかれさまでした。

そしてただありがとうございます。

お別れの言葉はあえてかけません。

いつでもまた会える気がするからです。






 
赤い電車運行最終日前日の本日朝の札幌行144M普通列車に最後の乗車をしてきました。

以下その時の模様を写真を交えてダイジェストでお見せします。

野幌駅8時15分発の赤い電車の普通列車が到着しました。

前日、最後の原野詣でにてお世話になったS-113編成が先頭です。

空港ヘッドマークとお似合いの青空が顔を見せてくれました。





 
相方は想定通りの復刻色のS-110編成でした。

乗車する前に急いで記念の一枚を撮影。

地元駅の日常風景の中をこの復刻色編成が通りすぎるのも今日が最後ですね。




 
何事も無く乗車してデッキに陣取ると間もなくドアが閉まり発車しました。岩見沢始発なのでボックスシートはすでに満席状態でした。

それでも眺めのいい最後部デッキに立てたのでよしとします。高架線の上から眺めるわが町の姿も記念にパチリ。



 
途中、途中の駅のホーム端は同好のお見送りの方々で賑わっていました。沿線の馴染みの撮影場所にもそれなりの人数で駆けつけていたようです。

車掌さんがいない時を見計らって後部車窓も記念に一枚。





厚別を過ぎた辺りからラッシュアワーと名残惜しみの乗客が一緒になって白石に到着する頃に乗車率はピークを迎えました。

ややギュウギュウに近い状態で白石を発車し豊平川を渡り終えて隣の千歳線の線路を走る789系すずらんとしばらく並走している間に苗穂に到着しました。

さらに窮屈になることを覚悟していましたが、思いのほか多くの乗客が苗穂で下車してスペースにやや余裕ができた状態で発車しました。

車窓から見える苗穂工場では先にリタイアしたもう一つの復刻色S-114編成最後の1両の解体が今正に終わろうとしているところでした。

他にリタイアした2編成も並んで留置されている姿からもその時が来たことを実感させられます。

それほど悲壮感を感じさせることもなく列車は軽やかな足どりで終着札幌駅手前のポイント群を渡り始めました。

車掌さんの乗り換えアナウンスを普段通り聞きながら札幌駅3番ホームに到着しました。




乗客が降りて車内見回りが始まる僅かな時間に持ってきたブツを並べてささやかな企てを実行しました。711系現行色が登場すると同時に名付けられた「くる来る電車ポプラ号」の愛称版グッズの登場時のモノとさよなら企画のモノを一緒に車内で並べてみました。手早く済ませて車掌さんの車内見回りが始まる直前に撤収しました。




 
札幌駅到着後はプチ撮影会の様相でした。

毎度おなじみのパターンながら撮るべきカットを撮りながらホーム先頭へ向かいます。

他の人の迷惑にならない程度に急ぎました。







札幌駅ホームにて駅員さんと絶妙な位置でツーショット写真が撮れました。

長年活躍した赤い電車と鉄道員の方々との関係を象徴する一枚が最後に撮れて良かったです。


駅員さんの足元の磨かれた革靴がいい味出してますね。






 
駅そば屋さんとの組み合わせも今日と明日で最後です。

急いでいる時の腹ごしらえにはここが一番です。

今までどれだけお世話になってきたでしょうか。







お決まりの連結面も一枚撮っておきました。


赤い電車は昭和42年の試作車登場以来、全車左の濃いローズピンク一色の塗装でした。国鉄末期の昭和60年台に札幌圏の大幅な列車増発に合わせたイメージチェンジにより右の現行塗装へ全車衣替えされました。印象の異なる2色の塗装の電車が同時に運行されていたのは塗替え期間のごくわずかな間だけで、全車塗り替え後は試作車の引退イベント時の回送を除けば近年の復刻色登場まで見られない光景でした。





 

これもとりあえず撮っておいたという一枚です。


札幌駅の駅名アンドンとの文字通り異色どうしの共演も見納めです。


赤い電車の目の冴えるようなインパクトのある塗装はどこでも強烈なコントラストが醸しだされます。
 
 
 
 
 
 

いろいろ撮りながらホーム先端まで移動するとすでに数人の同業の方々がスタンバイしていました。何とか隙間に入れさせてもらい、レンズを標準から望遠ズームに交換し終えて構えたところですぐに発車の汽笛が鳴り出しました。ピントも露出もしっかり合わせる間もなくどうにか撮った一枚です。





 
体勢を立てなおしてから落ち着いて構図、露出、ピントの順に合わせながら撮った一枚。

ちょうど復刻色編成の顔とヘッドマークに日があたってイイ表情で撮れました。






 

縦構図で粘ってもう一枚。

これ以上はズーム倍率が足りなくて無理でした。

背景にまだ雪が残る大倉山のジャンプ台が写りこんでくれて札幌らしい一枚が記録出来ました。

前日のカットが雪景色の原野と夕闇の発車シーンだったので最後に日の当たった明るいカットで締めくくれて嬉しいです。

これが自分にとっての復刻色編成の撮り納めとなりそうです。






先日の岩見沢駅構内のイワホにて赤い電車企画展の展示物越しに本物の赤い電車が発着する様子が見られました。岩見沢を明日の朝7時49分に発車する144M札幌行で正真正銘ラストランとなりますが、ここイワホでささやかな送別ライブが開かれるようです。終点札幌駅でも横断幕で出迎える送別イベントが予定されています。明日は地元界隈で静かに最後の列車を見送ろうと思います。







 
先日の記録行から岩見沢駅停車中にスナップした空港ライナー風HM付きS-113編成のお顔です。

真っ赤な暖色の車体とは正反対の青と白のツートンカラーが映えます。

お手軽ですが、これで一応さよならHM全種類コンプリート出来ました。



いよいよ今週末と来週で本当に赤い電車とさようならをしなければならないのですが、個人的な感想としては、ただ寂しくなるとか悲しいといった感想よりも、これまで長い間親しんでこれたことへの感謝とともに、もっと前向きな気持ちを込めて最後の活躍を見送りたいと思っています。

今週初めまで岩見沢界隈へ出かけたり、近所の撮影ポイントで朝の144M一本だけを狙いにこまめに撮影を重ねてきました。

その甲斐もあって自分でもほぼ満足の行く記録カットのレパートリーが揃いつつあります。

いまだ未消化の図案がいくつか残っていて、それらすべてを最後までに撮りきれるかどうかわかりませんが、最後の一週間はそれらすべてを取り尽くすことや会心作を狙うことはあえてしようとせず、先に述べたような自分なりの前向きな感謝の気持を1カットごとにどれだけ込められるかに集中しようと考えています。

そのためにまずは体力の回復と疲労の解消が必要なので今は高まる気持ちを抑えつつ養生しながら日常の作業をこなしています。




上の写真と同じ時に構図を横に伸ばして現在最新型の733系とのツーショットも撮りました。

最新のステップレス車体の733系ですが、これまで北海道の電化路線ではありえないくらいの勢いで急速に製造され続けています。札幌圏の電車の半数以上がこの形式で揃えられる日もそう遠くないと思われます。




趣味的にはあまり好かれはいない様子の733系ですが、最大の特徴である段差を無くした低重心の構造や細かな振動を減少させる工夫など、その原型となった約15年ほど前から活躍している731系に比べても乗り心地や省エネ性ともに大きく向上しています。

733系は現在の省エネと大都市圏のラッシュ輸送のニーズに応える意味では申し分のない出来栄えの電車と言えそうです。

まもなく引退する赤い電車711系の方は比較すると、基本となる設計のコンセプトは今から半世紀以上前の国鉄時代における長距離急行電車スタイルに端を発するもので、前後2ドアからさらにデッキを介して客室となり、今となってはかなり狭い間隔の4人がけボックスシートが前後端を除いてズラリと並んでいます。

赤い電車の第一陣が登場した昭和40年代は未だに蒸気牽引の客車列車が通勤輸送に活躍していた時代で、そんな中で長距離優等列車と近距離の通勤列車を上手く両立できる赤電711系は画期的な電車として活躍をはじめました。

時代が昭和から平成に入り国鉄が解体されJRとなる激動の時期を迎えるころには、札幌圏の人口の増加とともに沿線環境も大きく変化しました。

JR化後に真っ先に登場した豪華快速使用の721系までの防寒性を最優先させたデッキ付きクロスシート仕様ではラッシュの混雑時には不向きな構造で、90年代後半から登場した731系では本州以南の大都市圏における一般的な通勤仕様にならってデッキ無しロングシート仕様となったのは必然的な流れでした。

731系で確立された北国のラッシュ輸送に適した簡素な仕様をさらに効率的に進化させた733系の特性は現在の通勤輸送の実情の中でいかんなく発揮されていますが、その一方で鉄道を利用した移動における独特の心地良い感触や旅の風情を掻き立てる情緒性といった乗客を魅了する心情的な意味での機能性は失われていると思われてなりません。

711系は通勤輸送を主体としながら、ある程度の長距離移動を快適に過ごしてもらうための設備を意図して備えた結果、身近な日常の足としての電車でありながら旅の情緒や味わい深さを感じさせる存在として、これまで多少の不便にもかかわらず多くの利用者に親しまれてきたのかもしれません。



 まもなく全運行を終了する赤い電車711系の最後の勇姿を去りゆく者への哀愁や昭和レトロの感傷などとして単純に捉えたくないという強い気持ちがあります。この雪景色に映えるバーミリオンの丸みを帯びた車体から感じ取れる温もりや、地元のJKやJCからでさえ”カワイイ”と称される親しみのあるデザインは決して古びることのない、見たり乗ったり触れる人たちにとって普遍的な魅力で溢れています。




カタチあるものはいつかその役割を終えて去っていくのは逆らいようのない時代の移ろいの中の摂理ですが、そのカタチを越えて内在する真に潰えることのない普遍性とその価値そのものはカタチを変えて新たに受け継がれていくことも確かな摂理の一つです。

今一度、当記事の中程に載せた赤い電車の711系と現時点での最新型733系のツーショット画像を顧みながら感想をまとめたいと思います。

機能効率性を追求することだけに特化した設計は733系を持って完了したように思われます。

国鉄型車両からの脱皮から出発した現在の効率化指向のハイテク車両が、その国鉄型車両が現役路線からほぼ消え去ろうとする同じ時期に完成の域に到達し折り返し地点を迎えつつあることに何か深い因縁めいたものを感じることがあります。

それは言い換えると、機能性やコスト面での効率化の追求と、その飽くなき探求と改善を追い求め続ける姿勢をそのまま体現したような、シャープで洗練されたカタチとデザインの追求こそが進歩の証であるとする信条に基づいた路線の終着をも意味します。

改善と進歩の追求だけでは反比例して魅力が急速に失われていくということは、何も鉄道車両の分野に限ったことではなく、世の中に存在する有形無形のあらゆる物事の進化と盛衰に見られる法則です。

上のツーショット写真において去りゆく方の赤い電車とこれからのハイテク通勤電車のちょうど中間をとったような、高い機能性と親しみやすい温かみや情緒を兼ね備えた新たなローカル電車の登場は期待できないものでしょうか。

733系と並んだ赤い電車の姿を見ると、むしろ古いはずの赤い電車のほうが新鮮に見えるような錯覚をおこします。

どこを見てもハイテク化された無機質な世の中でも、ふと見るとホッとするような人の心に安心感と共感を与えられる存在が無意識のうちに求められているように思えます。


昨今、北海道の鉄路を揺るがす不祥事や経営問題が相次いで巻き起こっていますが、そんな火事場のような最中では鉄道が持つ情緒的な魅力をもう一度見直そうとすること自体が常識に反した絵空事の類として受け流されてしまいそうですが、しかしそれでも鉄道が本来持っている魅力を高めて人々の注目と需要をより引き出そうとする試みは経営と安全に続く重要な三本目の柱となります。

さらに魅力を維持するということは鉄道を利用しようとする様々な人たちのニーズを掴んだうえでその期待を決して裏切らないという姿勢を示すということも意味します。

あれほど惜しまれながらも廃止されるトワイライトエクスプレスや北斗星などの寝台列車や大幅に運行路線が削減されたSL列車など、安全対策と新幹線開業優先の名のもとに対外的な魅力度が落ち続けている北海道の鉄道網ですが、なおさらのこと魅力の喪失に歯止めができるようもっと前向きな姿勢で取り組んでほしいと思います。

日本全国の鉄道会社が大手から地方の小さな民営鉄道に至るまで、たとえ厳しい経営環境に置かれていても一丸となって様々な方法で新たな魅力を創出することに熱心に取り組んでいるのは、単に一過性のブームに便乗したイベントのためではなく、その魅力の減少が世の中の大多数の人たちを鉄道から遠ざけることになり、それは日本全国の鉄道路線網そのものの衰退に拍車をかけることに繋がることをどの鉄道会社も危惧してるからです。

ラストのチケットがわずか0.1秒で売り切れたトワイライトエクスプレスにおいて、残念ながら乗車を果たせなかった人から乗客とクルーの人たちへ代わりの花束が贈呈されるというエピソードもあったようです。

北海道の電化路線でのみ活躍してきた唯一無二でオンリーワンの存在である赤い電車711系も相当な人気で、道外から多くの乗り鉄や撮り鉄たちを繰り返し呼び寄せている注目の存在です。

遠くは西日本、九州からも駆けつけている猛者もいて地元民としてもその熱意と行動力に驚かされます。

さらには、日本国内を通り越して、世界からみてガラパゴス化している日本の鉄道の中でも極寒の地に適応するために固有の進化をとげた、ここ北海道でしか見たり乗ったりすることの出来ない雪国の特殊な鉄道を求めて遠く欧米やオーストラリア、台湾、中国、アジアから訪ねてくる愛好家も存在します。

赤い電車を含めて北海道で活躍した歴代の鉄道車両は他の地域には存在しない個性的で大変貴重な車両の宝庫だということが一般の人たちにはほとんど認知されていないことが残念でなりません。

そういった人気を集める車両が第一線を退いた後も新たな観光列車などへ仕立て直して話題性と魅力の向上のために活用するなどできないものでしょうか。

このままその存在価値を再評価されることもなく新幹線と安全対策の影に隠れてしまうのはあまりにもったいない話だと思います。

赤い電車に関連して思いもよらず話題が広がりましたが、とにかく最後の活躍を出来るだけ悔いの残らないように記録して見送れるよう努めたいと思います。

また、北海道の鉄道全体がこのまま魅力を失う一方でやがては衰退していくのではなく、日本全国で盛り上がる他の鉄道会社の地道な活性化と呼応して新しい魅力と人気を生み出していけることを願うとともに一鉄っちゃんとして陰ながら応援していこうと思います。






ここ最近ブログの更新がめっきり滞ってしまいました。


今年に入ってからどこか調子が変わってしまって上手くリズムがとれないような日々が続いていました。


とりわけて不調だったかといえばそうでもなく、絶好調とは行かないまでも淡々と比較的に安定した足どりで日々の生活を送っています。


ただ、去年までにくらべてどこか寡黙っぽくなったというか、あまり物事に対して自分なりの意見や解釈を考えて当てはめたり主張することに対して消極的な感じになってきました。


なので、日々の徒然に何か書き記しておこうとしても、とりわけて話題が思い浮かばなかったというのが本音です。


それでも重い腰を上げて、甘いモノとなんちゃらは別腹のごとく、表題の赤い電車711系最後の記録行は合間を見計らってぼちぼち実行しています。




残り一ヶ月を切った今週から惜別のヘッドマーク風ステッカーが貼り付けられていよいよその時が近づいていることを嫌がおうにも実感させられます。

夕方の光珠内駅にて区間快速いしかりライナー風をゲットです。





上の列車にそのまま乗車して終点岩見沢で下車した時のツーショットです。

ほぼ同期の国鉄型電車と気動車のコンビですが、電車の方は一足早く引導を渡される一方で気動車のキハ40は機関更新も実施されたうえで引き続き非電化路線の主として君臨します。




日を変えて本日撮影したカットの中から、昨年のありがとう運行後しばらくして運用から離脱していた元祖復刻色S-110編成が運用に復帰していました。外装は色あせてかなりくたびれていますが、もう一度出てきてくれたことは素直に嬉しいことです。相方のS-114の方は完全に運用から離脱し苗穂工場に取り込まれたようです。





朝の峰延界隈まで足を運んで雪原を行く711系の姿をとらえました。

今月半ばから急速に気温が上昇しいつもの年より半月近く早く春めいてきました。これはBカットですが融雪炭をまかれる前のキレイな雪原を中を走る赤電車の勇姿を撮れて満足です。




路線バスを乗り継いで岩見沢駅まで戻る帰り際、ホームの端から見た留置線で休憩中のS-111編成にはこれまた懐かしいマリンライナー風ヘッドマークが貼り付けられていました。

上の写真の岩見沢行き2150レ到着後、昼まで停泊し午後の2175M滝川行きとなります。

もう一本、夕方3時台の2195レ旭川行きになる編成は奥の始業庫の中に格納されていました。

意外にもたった二度の出撃で空港ライナー以外のヘッドマークを記録できてしまいました。



体調面を一番に考慮して午後の撮影は行わずこれで帰路につきました。

冬の撮影はポンコツの身には後々応えて後悔することもありますが、なるべく寒い場所に長時間突っ伏したままにならないよう出来るだけ効率良く回れる行程で移動するなど工夫したりもしています。

ここ最近はプチ連ちゃんが続いていますが終わりかけている冬の原風景を駆け足で記録すべく奮闘しています。

それで緩急をつけながら日常の創作活動もメリハリの効いたリズムになるよう心がけています。

身体と心の両方をバランスよく運動させることで作業はより捗るものですね。

次回の出撃までの間、日常の作業を淡々とこなしながら気力と体力を養ってしっかり充電しておこうと思います。


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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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