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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日の午後ケータイのニュースで知りました。

ああ、やっぱり来たか、、といった感じです、、(-_-;)

北海道新幹線開業時までは走っていて欲しいと思っていましたが予想以上に早く決断がくだされてしまいました。

主な理由が使用車両の老朽化とありましたが無理もないことだと思います。


 

トワイライトの写真を手持ちの中から探してみましたが、分かりやすく捉えたカットが思いのほか少なく、まともなカットを探すのに苦労しました。

五稜郭から札幌に向かって牽引してきた青いDD51重連ですが、先日貨物用から引退した車両同様、厳しい極寒の大地を40年近く走ってきたことから老朽化は否めないでしょう。





牽引される後ろの客車編成も同様で、トワイライトエクスプレス自体が走り始めたのは25年前の1989年のことですが、使用される車両は1970年代後半頃に製造されたブルートレイン(24系客車)を改造したもので、その分を含めてほぼ40年間走り続けていることになります。

いかに頑強に設計されている国鉄型車両といえど、片道1,500kmの半端でない距離を連日走行するわけですから、安全面を確保できるかどうかという意味でもこの辺りが限界なのかもしれません。

また車両や設備面の老朽化だけではなく、旧国鉄から引き継がれた複数のJR会社間をまたがる広域連携運用の手間と負担を北海道新幹線開業を機に解消して、互いの経済的負担の低減を図ることを優先したという判断があったのではないかと思います。

もし北海道新幹線開業後も存続を図るとなると、新幹線と共用となる青函トンネル区間を走行するためにはJR貨物が導入を計画している専用の機関車に牽引を委託する必要が生じることから、現状よりも運行に対するハードルが上がってしまいます。

現在運行中のその他の寝台列車についても先行きが大体予測されますが、今この時点では詳しく触れないことにします。

トワイライトエクスプレスに限らず夜行寝台列車が近年立て続けに引退していますが、全く需要がなくなって必要とされなくなったならそれも仕方のないこことだと納得もできますが、現在においてもそれなりの需要と支持があり、それもトワイライトエクスプレスに限って言えば、繁忙期となると切符の購入が困難になるほどの人気で、鉄道を利用したい旅行客にとっては一つの憧れの象徴ともなっている列車なので、こうも簡単に無くしてしまうことに対して正直憤りのような気持ちさえ抱いてしまいます。

いずれにしても日本の鉄道からまた一つ貴重な機関車+客車=汽車の文化が消え去ってしまうことが決まってしまい本当に残念なことですが、それでも残された最後の期間の勇姿と時代の趨勢の姿を出来る範囲で記録に残そうと思います。
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先日、夕方以降に札幌まで出かける機会があったのでその行き掛けの途中、野幌駅にて赤い電車の時刻に合わせて撮影しました。




手稲発岩見沢行き普通列車が静かに野幌駅へ進入してきました。

日没直後で露出はギリギリでしたが、どうにか止まってくれました。

以前から何気なくイメージしていたカットが撮れて良かったです。





振り返ってホーム寄りの一枚。

夕方のラッシュ時間帯の赤電車の様子を収めました。

何気ない日常の光景ですが、その静かな雰囲気をわずかでも残せたような気がします。






札幌では買い物など所用を済ませましたが久しぶりの準大都会の喧騒に触れると、その気ぜわしさに少し翻弄され気味だったのか若干の疲労感を覚えました。

それでも、せっかく準田舎から準大都会まではるばる足を運んできたわけですから、駅前の紀の国の大型書店に寄ってちょっとディープでマニアックな一冊を探してみました。

いつも拝見しているブロガーさんの記事で紹介されているのを見て興味がわき、その同じ一冊を探しましたが残念ながら在庫なし。

それでもシュタイナー関連の書籍だけでほぼ1コーナーを占めているほどで、その中からバランスよく編集された入門編と思わしき「ベーシック・シュタイナー 人智学エッセンス」を手に取り購入しました。

ルドルフ・シュタイナーは19世紀のオーストリア出身の哲学者、医学者、教育学者で、人智学=アントロポゾフィーと呼ばれる独特な精神科学論を世に残した人です。

その内容は深く幅広く、まだその触りの触りしか把握できていませんが、その印象を大雑把に言うと、一見するとオカルティックなようでいて実際はとても合理的で、日本人的に言うととても仏教的なニュアンスが多く、そこに西洋のキリスト教的、旧約聖書的、古代インド哲学的ニュアンスが融合した東西哲学を統合したような内容に感じます。

今日のニューエイジチックな思想の基板となっているような宇宙的観念と仏教的輪廻転生論が融合された独特な論理が展開される一方で、今日の精神医療にも通じるような心身の健康に関する実践論や人間の根本的な性質に基づいた教育論、他にも音楽や色彩、造形、建築などの芸術性が人間の精神にどういった作用を及ぼすかなどの幅広い理論が統合的に述べられている点が今までに触れたことのない新鮮さでとても魅力的に感じます。

これ以上深い解説は他にお任せするとして、自分的には直感的に”探し求めていたのはまさにコレだったんだ!”的な静かな衝撃感を受けました。

自分の描く創作的世界観にシンプルだけど確かな一貫性が是非とも欲しいと考え日々腐心して来ましたが、そのダメ押しの一発をこの一連のシュタイナー理論から授けられそうでやや興奮気味で読み進めています。

これまではこういった精神的分野はあまり世間一般から注目されることは稀でしたし、それどころか押し付けがましい宗教的ニュアンスと混同されがちで、それゆえ理由の有無にかかわらず毛嫌いされる傾向さえあったと思います。

これからも小難しい観念的理論は多くの人から好まれるようなことはまずないと思いますが、一方でその大昔から洋の東西にまたがって言われてきた観念的哲学論から正しく導かれた知恵や知識が最も必要とされる時代に入ってきているのも、昨今ますます混沌として先行き不透明になりつつある世の中の有り様を見れば頷ける事実のように思えます。


今日は少しの合間を見つけて鉄活動をしたことから哲学談に話が大きく転びました。

去りゆく鉄道情景に一つ一つ別れを告げる毎に来たる時代に向けて描く小説作品の醸成が進んでいくようです。

明日からもしがない野良鉄の姿に身をやつしながらも淡々と創作活動に勤しむ日々がもうしばらくの間続きそうです。




昨日、今日と午前中内のハーフタイムですが撮り鉄モード?とでも言いますか、純粋に列車を撮影することだけで行動してきました。

特に昨日は、非常に頑張って心身におけるダメージ・リスクをものともせず午前4時起きを決行し、朝一番の始発列車に乗って、途中駅での観察を交えながら一路朝の南樽駅を目指しました。

表題にもあるとおり、北の赤い電車こと711系近郊形交流電車が予定通りなら今年度中にも完全に引退する見込みで、その赤い印象的な車体と沿線に散在する桜の木の花々との魅惑的なコラボレーションは今年で最後ということになります。

そのことを今になって強調しても仕方のないことですが、それでもラストシーズンの記憶に残る記録の一枚を2日間の短期集中で追い求めてきました。



南樽=南小樽駅の駅前から線路の走る土手下の斜面に数本の桜の木々が根を下ろしていて、毎年4月下旬から5月の上旬にかけて花の見頃を迎えます。

今年はGW中に見頃を迎えましたが10日の昨日まで何とか持ってくれたようです。斜面の下へ目を向けてみると、散った花びらが地面を覆うように拡がっていてとても綺麗でした。




南樽駅の桜は見る分にはとても風情があって良いのですが、いざ列車と組合わせて撮ろうとすると思った以上にアングルの制約があってバランスの良い構図を見つけるのに苦労します。

そこを通過するもう一方の主役である赤い電車については、一日のうち日の当たる時間帯に走る列車は上下合わせてたった3本しかありません。




そのうち一本は朝5時台の小樽始発の列車で泊まりがけしないと不可能なので、事実上撮影が可能な列車は朝8時台の1往復しかありません。その僅かなチャンスをどこで捉えるかは最初から決めていました。駅構内の跨線橋からというイージーな選択ですが個人的には一番好きな構図です。





この場所は2009年にも一度トライしているのですが、その時はとある特殊な事象によって無残な結果に終わってしまい大惨敗でした。

今回は散り際ですが地面を覆う花びらの絨毯を絡めてフレームに収めることができたのでとても満足しています。

気合一発で早起きし朝一番列車で駆けつけましたが、意中の赤い電車があっさり行ってしまうと特にこれといった目的もなくなります。

いつもなら鉄モードから行楽モードに切り替えて小樽散策へと繰り出すところですが、今日は撮影を終えて集中力が切れたことと、体力的な消耗を避けるために早めに帰路につくことにしました。

それでも天気が良く心地よかったので少しだけ辺りを巡ってから帰ることにしました。



南樽駅から小樽駅方面へ入舟町の谷間を降りて登って10分ほどの花園橋まで行ってみました。ここも線路にかかる桜で知られた場所です。ちょうど満開を迎えて見頃でした。最初はここも撮影の候補に考えていましたが意中の南樽桜に絞ることにしました。行き交う列車を何本か撮りましたが、その気になればステンレスの電車でも趣のある一枚を収められると思いました。


 


行き交う列車へカメラを向けている合間に一人花見を洒落こみながらも意識の中を交錯するもろもろの思索を整理整頓する時間にあてたりしていました。

その内容についてあれこれ具体例を書き示すことは控えますが、ここ最近、今日このごろしきりに考え込んでいるテーマは”今まさにこの時に存在する”ということについてです。

これはカメラを被写体に向けてシャッターを切り静止した姿形を画面上に残すという行為の背景にも関連がありそうですし小説のテーマとしても考えていることです。

その発想のベースとして見知ったことですが、古神道の中で言われている今中の思想というものからヒントを得たもので、難しい理屈はなるべく用いずに言うと、往々にして人の意識は過ぎた過去の記憶とまだ見ぬ未確定の未来について思いを馳せすぎていて、肝心要の今ここに存在している自分の意識とその状態に心が向いていない傾向になりがちだというようなものです。

その弊害として、共に実体の無い過去の記憶と未来の見通しにばかり捕らわれて、唯一存在している今この時の自分の在り方を見失うことに繋がるという指摘があります。

心の余裕の無い状態に追い込まれた時の切迫感の後ろ側にも、こういった指摘の指す精神的構造が影を落としているかのもしれません。

気分の良い日にそんな深いことばかり考え込んでいても気がめいり始めるので、実際には手短に意識の矛先を切り替えて花園橋から丘の上へ向かう坂道を登り始めていました。

小樽聖公会の赤い屋根の尖塔を横目に急な石積み階段を登り切った先にも小さな桜の木が一本、大きな木立の影の下で守られているかのように細身の枝を四方へ伸ばして小ぶりの花々を咲かせていました。

そこから右に折れて短い坂を反時計回りに登り切った先に小樽水天宮があります。

小樽港を眼下に眺められる小高い丘の頂上に拡がる境内には大きな桜の木々が左右に別れて幾本も植えられていて満開の見頃を迎えていました。

観光に訪れていた数人のアジア人観光客の他に人出はなく、しばらく桜の木々を見て回ったあとお堂でお参りをすませてから境内をあとにしました。

来た道の階段には戻らず手前から降る別の急な坂道をややへっぴり腰気味で下り終えると先ほど通った入舟町の谷あいに戻り再び坂道を登って南樽駅へ戻りました。

駅前広場にも拡がる桜の木々の枝振りと満開の花々をもう一度一瞥してから駅へ入ると予定していた帰りの快速列車の改札に十分余裕を残して間に合いました。


後半は今日、近場で撮影した成果などを紹介します。




恵庭方面にプチ行楽に向かう途中、島松沢に寄ってもらいました。

来るか来ないか分かりませんでしたが、快速や普通が何本か通過したあと石油返空9772列車がゆっくりとやって来ました。編成は繁忙期の約半分ほどでかなり短いです。





今月末で終焉を迎える道内石油輸送列車の記録が一枚増えて良かったです。

この場所は撮影適所が少ない千歳線沿線でも行き交う様々な種類の列車をワイド気味にスッキリ写せるポイントとして有名です。
 
昨今の撮り鉄ブームが起こるはるか前から馴染みのある場所でしたが、なぜかカメラを持って撮影に望んだことのない場所でした。

DD貨物も撤退し石油貨物も終焉間近というこのタイミングでようやく一枚撮りましたというのも我ながら微妙に遅れた感がありますが、同線を走り抜ける花型寝台列車群が文字通り走り去ってしまう前になるべく撮影に勤しもうと思います。

それでもあくまでマイペースを保ちつつ、あまり数を多く望まずに与えられた体力と調度良くめぐってきたチャンスの中でベストな写真を狙っていこうと思います。
 

 
 
 今日はどうしても捉えておきたい列車が走るので半ば封印状態だった一眼レフとレンズ一式を引っ張りだして久しぶりに撮影に出かけてきました。


というか今日は絶対に外せない、多少無理してでも這いつくばってでも(ちょっとオーバーかな、、)あの場所へ向かわねばならないと思いを募らせていました。


すでに同業の愛好者なら御存知の通り、昨日の札幌貨物ターミナル発苫小牧行き2082コンテナ列車を最後にDD51型ディーゼル機関車による定期貨物運行の長い歴史に幕を降ろしたものと思われます。


最後が確定的ではないのは、一応貨物所属のDD51型のメンテナンス体制がまだしばらく続くようなので、突発的な代走や札幌貨物ターミナル駅構内および苫小牧近辺の少運行などに入る可能性が全く無くなったわけではないからです。


とはいえ長らく続いた本線貨物牽引の使命を果たし終えたことに変わりはなく、今日の列車が最後の花道となったとしても何ら不可思議なことではありません。


あくまで自分の手が届くならぬ足が向く範囲の地元界隈においてですが、長らく道内貨物列車牽引のスターとして君臨してきたDD51型ディーゼル機関車最後期の活躍を記録してきた、その最後の締めくくりとしてどうにか撮影に繰り出せたのは幸いでした。


 

その向かった場所は千歳線において定番スポットに数えられる北広島市内から伸びるサイクリングロードの土手上からです。

列車通過一時間以上前に到着した時は自分一人でしたが、その後、同業愛好家の方々が集まり数人並んでその時を迎えることになりました。





その結果はご覧のとおりで可もなく不可もなくのごくありきたりな出来栄えですが、自分としてはその無難さが却って普段通りのDD貨物の雰囲気を残せて良かったと思っています。

また今日は快晴の暖かい日で、この春始まってようやく訪れた屋外活動日和とあって、手前の旧千歳線跡を利用したエルフィンロードというサイクリングロードにはチャリンコ愛好家の人々やランニング愛好家などタフな活動を好む人達がひっきりなしに往来していたことから、望みうるならばDD貨物最後の花道をゆく姿をスッキリと収めたいと願いつつも、多少の人々の映り込みは仕方がないと諦めかけていました。

ところがその場に居合わせた人達の共通の思いが通じたのか、ある意味奇跡的に(また大げさな)人やチャリンコの往来が途切れて理想的な背景の中をDD重連貨物が通過していきました。

シャッターチャンスの瞬間はわずか十数秒にも満たないですが誰しもが夢中でシャッターを切り続けていたのは言うまでもありません。

本当に呆気無くその時は過ぎ去り、おおよそ48年間続いたDD牽引貨物列車の最後になるかもしれない瞬間は嘘のように静かな幕引きでした。

確かな記録を残せた手応えとともに、これまで当たり前過ぎた光景をもう二度と現生で見ることはないという事実を同時に噛み締めていた時、不意にもう一度カメラを構えなおしました。




先ほどDD貨物が通過したその場所を今度はクリスタルエクスプレス車両を使用した代走臨時特急北斗がさっそうと通過していきました。

通過後やや間をおいてから考えると少し冷や汗をかいたような気がしました。





実は今日の2082列車は少し遅めの通過で、時間にしてあと30秒ほど遅れるか反対に臨時北斗がそれだけ早めに通過していたらファインダー越しのこの地点でクロスするところでした。そうなれば手前を横切るサイクリングロードの往来の有無どころではなくある種の悲劇的結果になっていたか、あるいは運が良くてもDDとクリスタルのなかなかありえそうにないコラボレーションカット?になっていたかもしれません。

当初予想外の臨時北斗とのニアミスでしたがすんなりとやり過ごせたのでこの点でも今日の撮影はツキに恵まれていました。



さらにしばらく間をおいて立て続けにやってきたのはもうひとつのDD51重連牽引列車、8002臨時列車こと大阪行き豪華寝台特急トワイライトエクスプレスです。

北斗星、カシオペア並びに急行はまなすの道内区間を牽引する通称青ガマと称される旅客会社所属DD51はまだ暫くの間活躍が継続します。





この後すぐ足元に転がっていた自分の荷物を片付けて軽い挨拶を交わしてその場をあとにしました。

今日は久しぶりの鉄道撮影であり節目の記録活動でしたがその成果に十分満足して帰路につくことが出来ました。

思い返せば、この輸送を主目的としておおよそ半世紀前に造り出された一つの機械を、何故かその存在から発せられる魅力に惹かれ続け、これでもかというくらいに感情移入して、それでいてそのことのみに夢中になるようなことがないようあえて一定の距離を保ちながら向き合ってきました。

そのことについて不思議と強い感慨は今のところありませんが、今後ゆっくりと自分のアルバムを整理しながら、その最後の締めくくりになるであろう今日の一枚を貼り終えた時、ああ自分にとってDDを通して追い求めてきたモノの正体はこれだったんだと自然と腑に落ちる時が来るのだと思っています。



今日の朝刊に少しショッキングなニュースが載っていました。


残念な不祥事が相次いでいるJR北海道の今後の安全に関する追加投資計画の概要が発表され、その中で2016年度までに88両の新車を導入し老朽化した国鉄型車両を置き換えるとありました。


その内訳は、キハ183系の一部を置き換えるためのキハ261系が28両、残りが札幌近郊輸送用の733系で60両製造されるそうです。


そして、個人的にショッキングだったのが赤電車こと711系電車が2013年度末で完全に引退することが明記されたことです。


当初の予定では2014年以内ということだったので計画が少し前倒しされたようです。


一ファンとしては、最近の問題からくる対応策が優先されて車両置き換えの方は後回しにされるかもしれないと淡い(不純な)期待を抱いていただけに、覚悟はしていましたが正直やっぱりそうきたかぁ~(-_-;)、といった感じです。




野幌駅に進入する国鉄復元色2編成目のS-114先頭の夕方の手稲行き普通列車238Mです。

このおなじみの電車が引退するまであと4ヶ月ほど、本格的なカウントダウンが始まりました。






葬式鉄と揶揄されてしまうかもしれませんが、物心ついた時からお馴染みの電車がいよいよ見られなくなるということで、いつものことながら精一杯の記録を残して悔いの残らない別れを告げようと思います。


鉄道が特別好きでない人にとっては何もそこまでと思うかもしれませんが、なぜか物心つくと同時にこの交通機械に魅せられてしまった者にとっては、まるで自分の存在の一部分を失うかのごとく切ない気持ちにさせられる辛い別れであります。




行き違う721系と新鋭733系。

そして、とうとう札幌圏の路線では、待てど暮らせどJR世代のステンレス電車しか走らなくなるわけですが、やっぱり味気ないなあというのが正直な心境です。





作られてから30年以上も走り続ける鉄道車両と言えども、耐久消費財である以上ある一定の使用期限をすぎれば取り替えられることはやむを得ませんが、ある一時代においてのみ可能な技術と思想に基づいて形作られたデザインと存在感があっさりと失われてしまうことは毎度のことながら残念でもったいない事だと思います。


願わくば、最近日本全国で相次いで登場している既存の鉄道車両を活かした観光列車に衣替えして、例えば札幌~小樽間の日本海沿いの身近な絶景車窓を楽しめるレトロ列車として運航することが出来るのではないかと思います。


現実的に難しい情勢なのは重々承知していますが、窓の開閉が出来る711系の特徴を活かして潮風を直に感じられる観光列車として運行すれば、SL列車とは又違った身近な存在として観光の目玉になると思います。


大きく振り返ってみると、今回引退が発表されてしまった711系、オホーツク系統で健闘しているキハ183系、そして未だにローカル線の主力として、そもそもこの車両なくして地方路線の旅客輸送は成り立たないのではないかと思われるキハ40系、これらは全て国鉄最後の隆盛期である昭和50年台に相次いで登場しました。


これらの車両は戦後鉄道ルネッサンス期とも称される昭和30年台に登場した数々の名車の系譜を受け継いだ最後の世代にあたる車両です。


戦前の鉄道はまさに国家のための最重要交通輸送手段であり、国全体を上げて戦争に突き進むための文字通り大動脈として人員や物資を運び続けていました。


その大きな激流のような時代が最後に行き着いた終戦の日を堺に鉄道に求められる役割も大きく変わり始めました。


国全体が極度の物資不足に見舞われた戦後数年間を経て、ようやく民主主義の国としての基礎が築かれ人々の生活も落ち着きを取り戻しつつあった頃から本格的に鉄道の復興もスタートしました。


それまでの重厚長大な思想で形作られた重く暗い色調の装いから一変し新しい時代の風を象徴するような明るくカラフルな装いの鉄道車両が数多く登場しました。


さらに軍事一辺倒だった戦前では取り入れられなかった画期的な技術の数々が相次いで実用化され見た目だけに留まらない中身も含めて洗練された仕上がりになりました。


高度経済成長期と重なり、それらが一斉に花咲いた昭和30年台から40年台が日本の鉄道黄金期と言われる所以ですが、そこには当時の全ての人々が別け隔てなく快適な移動交通手段を得られるようになり、さらに日本全国、地方から大都会へ至るまでネットワークが行き渡りその恩恵に預かれない人や地域を作らないという確たる思想があったように思われます。


ところが、そういった理想的計画も時代のあまりにも早過ぎる流れにはついていくことが出来ず、交通の主役が鉄道から道路と自家用車に移行するモーターリゼーションの急激な進展により逆境に転じます。


さらに、日本全国津々浦々まで均一なサービスを実現するという考え方は、常に新しく個性的な文化を求める当時の世間一般の意識からかけ離れたものになり、いつの間にか古く寂れたものの代表のように見なされるようになりました。


一方で、その時代遅れと見なされた鉄道の姿に強い郷愁の思いを感じながら追い求め続けた人々の活動が現在まで絶えること無く続く鉄道愛好文化の根底にあると思います。


つまるところ全体の福祉向上に根ざした鉄道が持つ思想的背景からくる、乗る人、見る人すべてを分け隔てることなく受け入れる懐の深さとそこからもたらされる温もりが、今でもけっして少なくない数の人々を魅了し続けている要因ではないかと思います。


民営化から25年の節目を迎えて、国鉄時代の面影を残す車両が相次いで引退する時期に数々の問題が噴出していることに何か因縁めいた時代の趨勢のようなものを感じさせます。


これまで時代の絶え間ない流れと勢いに翻弄されながら、どうにか活路を見出そうと効率化を追求することに奔走した結果が功罪両面ではっきりと示されているような気がします。


さらに大きな視点で今とこれからを見渡せば、利益追求のための効率化優先の社会が世界全体で完全に行き詰まりつつあります。


かつて鉄道が時代の主流からかけ離れた要因と見なされた、分け隔てない全体の福祉の向上を追い求める考え方が古くて新しい文化として再び必要とされる時代が来るかもしれません。


時代の新たな節目を迎えた時、今ある鉄道の在り方も古いものとなり、かつてそうなったように新しい在り方が一斉に模索され、今見られている姿とは全く違った鉄道として再生されることを予期します。


長くなりましたが大好きな電車の勇退を背景に時代の流れを読み解いてみました。
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HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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