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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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先日、夏の甲子園第一試合で地元北海道南代表の北海高校と鹿児島実業高校の試合がありました。

結果はあわやコールド負けかというほど大差の付いた試合でした。

序盤はリードする鹿児島実業を追いかけるかたちで打撃戦が展開され良い流れでしたが、五回に突如10点の大量失点を許してから試合の勝敗はほぼ決まりました。

まだ中盤なので残りの後半戦で総崩れにならないか見ていて心配になりました。

それでも気力を振り絞り集中力を切らさず最後まで戦い抜いた姿がとても印象的でした。

不慣れな甲子園の地で始球式直後の第一試合で強豪校相手に緊張が解けなかったのではとは解説者のコメントでしたが、たしかに試合直後からまるで練習中のように硬い動作のプレイが目立ち、本来の躍動するプレイが出来なかったのではないかと思われます。

負けがほぼ確定した試合を自分たちよりも格段に上の実力を備えた強豪チーム相手に戦いぬく心境はどれ程のものだったのでしょうか。

そしてその試合の結果を受け止めることも含めて、普通の人生の中ではほとんど経験できない精神的にかなりのタフな出来事として心に焼きつくような出来事になったことは想像に難くありません。

試合後になってもなぜこのような厳しい状況に直面したのかあれこれ勝手に思案顔でいたのですが、横で一緒に見ていた母がポツリと「これは一生の財産になる経験だね」といった一言を聞いて気が付きました。

よくいわれる負けることで本当に強くなれるという言葉の通り、負けることを知らないで本当に自分が成しえたい目標を達成することはできないということを、今さらながら思い出しました。

本当に自分の持っているだけの力では手も足も出ないほどに負けるという体験は、そこまで長い努力を積み重ねた上で、自分よりも強い相手やより困難な状況に挑戦しなければ得られないものです。

今の世の中の人間模様をつぶさに見つめていると、負けることを覚悟したうえで真剣に勝負に挑んで勝利や何らかの成果を得ようとする代わりに、いかに自分が負けないで済むか、自分が負けそうな状況を避けたり、他の誰かに勝っているように見せかけるための努力を真剣に追い求めている姿が見受けられます。

他の人に負けないための努力と、自分が掲げた目標を達成するために必要な課題を乗り越えるための努力は、あらためていうまでもないことですが全く意味の違う行為です。

人は負ける経験を通して色々なことを学びとり、他の人に負けないためではなく、本当に自分自身に打ち勝つことの意味も含めて、無駄なプライドと本当に必要なこだわりの違いを理解できるように成長できるものです。

ただ自分が負けないように務めることは簡単です。

自分が負けそうな状況を避けて他の人の劣った部分や正しくない一面を探して自分のほうが勝っていると思えばいいだけです。

自分が選択したどのような分野にも自分よりも優れた人間は沢山いて、その人たちと比べて劣っていたり負けていることはむしろ当たり前のことであって、そのことに悔しさや劣等感を感じたとしても何ら恥ずかしいことではなく誰にでもある一時の感情です。

「負けの悔しさを一度も知らない奴ほどつまらない」というセリフをよく聞きますが、自分が一度も誰にも負けていないことにこだわるエリート気質ばかりが肥大している若者が増えている気がします。
 
自分が他の誰かに負けたくない、見劣りしたくない、勝ちたいという強い傾向は若さを代表する原始的な欲望です。

そのような幼い願望に囚われているうちは自分本位の視野からしか相手や物事を見ることが出来ず、自分とは違う価値観や側面が相手にあることを認めることや、相手の立場から考えて思いやることも出来ないまま、自分の知らない部分を無視して一方的な判断や評価を下す傾向に陥ってしまいます。

本当の信頼感に基づいたコミュニケーションをとりたくても、内心ではお互いに偏見と対抗心を向け合うばかりで孤独と嘆くようでは本末転倒です。

人間は他の誰かや困難な状況に勝ったり負けたりすることを通してエゴを昇華しなければ、互いに成長できないよう半ば神様に宿命付けられているのかもしれません。

それらは自分にとっていらないエゴと幼さでしかなかったと気づいて認めることが出来た時、はじめて自分にとって本当にやりたいことが、同時にやるべき価値ある課題であり、自分の力で達成することが可能な真の目標に向かう道筋が見えてきます。

反対に、いつまでも他人の鏡の中に映る自分の影との競争や勝ち負けにこだわり続けると、自ら望むように必要とされる自分本来の役割を見出すことができなくなります。

そのいずれかを取るべきか、あるいは無視するのかを決めるのは他の誰でもなく自分だけの自由であり自己責任です。

こういった認識に早くにたどり着いた人間がその分野の自分のポジションでより早く頭角を表し花を咲かせることが出来るのは現実的に確かな傾向です。


昨日の試合は、あの球史に残る伝説の延長再試合決勝戦の時とはまた違った意味の感動と静かな気づきを与えてくれた名試合だったと思います。
 
 

 
 
 
PS)
戦国武将で最終的に天下を取った徳川家康公は幼い時分は今川義元の人質として明日の命運も分からない環境の中で育ち、織田信長と同盟を組んでから本来の領地を治めて一武将としてようやく再起と独立を果たした矢先に、戦国最強と謳われた武田信玄率いる騎馬武者軍団と自分の領地の目と鼻の先で一戦を交える事態となり、完膚なきまでに叩きのめされて命からがら城へ逃げ帰ったという史実があります。この時、上洛を目指していた武田信玄は先を急ぐためにすでに勝負の付いた若き家康との決着を避けて城の前を素通りしました。幼い人質の時代から家康を支えてきた家臣の多くを失い、いざ籠城戦となれば城を枕に討ち死にする他ない絶対の窮地だったことからも武田信玄の胸先三寸しだいで歴史は大きく塗り替わっていたのかもしれません。この時の自分の惨めな様相を忘れないために絵師にその時の姿を書き残させ生涯自分の目につくところに飾っていたという逸話が残っています。自分の負けた姿を直視することで天下人としての飛躍を果たしたという有名なエピソードです。ホトトギスの三歌で形容される三大天下人の性格の対比ですが、こと自らの負けに向き合う立ち居振る舞いについて比較してみるのも一興かもしれません。最初に天下に王手をかけた信長公は若い時分は織田家の跡継ぎ争いに巻き込まれ親兄弟からも命を狙われる立場にありました。そんな境遇からか自分が負けることはそく誰かに殺されることを意味するという強い強迫観念が生涯離れることがなかったと言えそうです。人間五十年の辞世の舞に象徴されるように皮肉にも本能寺の変で抱いていた不安の通りの最後を迎えてしまいました。太閤秀吉は貧しい農民の出で信長公の草履取りから出世を始め、その容姿風体から猿とあだ名され自らも戯けて見せていましたが、内心では誰からも見下されることのない天下人まで上り詰めてみせるという強烈な野心の持ち主であったことが伺えます。秀吉公にとっては相手に負けるということはそく自分の方がへりくだらなければならないことを意味し絶対に認めることのできないことだったと思います。常に先手を打つことで相手の切先を制し勝ち続けることで天下を手中に治めましたが、天下を治めてからの晩年は自分の死後の恐れからくる迷動と周囲からの吹聴に惑わされて甥の秀次を切腹に追い込み些細な意見の相違から盟友であった千利休を死罪に処しました。死期が近づきますます死後の不安に苛まれるようになると、再度の海外挙兵を周囲の反対を押し切って強行する最中で没しました。二人の天下人は負けることへの恐怖=死への恐れに最後まで打ち勝つことが出来ないままこの世を去りました。家康は秀吉の死後、すぐに天下を手中に治められる立場にありましたが、豊臣家がゆっくりと衰退して自ら崩壊の道をたどるまで待つことが出来ました。これは自分が負けるということをしかと受け止めることが出来た人間にのみ見られる特有の行動原理だと思われます。自分の内面の見栄や恐れなどの感情にとらわれず一切を切り離して見ることで現実の大局を見誤ることなく必要な対処が出来たということです。ハタチ前後の若い時分にこういった史実のエピソードをドラマや小説作品を通して知り得たことで少しでもその偉大な生き様と教訓にあやかりたいと憧れたことを思い出します。
          
          
          

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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